【R18】生贄の姫は皇子に喰われたい

あまやどんぐり

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22.温もりが消えた部屋

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 宰相は、自分の犯した失態に生きた心地がしないまま、時間だけが過ぎていった。皇太子妃となる筈だった女性を追い出したことを知って、すぐに捜索をしたのだが、見つからないまま。

 そんな心労もあって、満足に睡眠も取れず、疲労困憊だった。書類を手に取る動作がいつもの倍以上掛かって、内容を読んでも頭に入っていかない。

 そんなときに、皇宮の門の前で、門番がとある人物と揉めていると報告を受けた。
 その人物が、自分は皇太子だと言っているのだが、単身で来て馬車も馬も連れていないし、騎士も使者も誰も従えていない状況で不審である。それに、出立前の皇太子とは印象がだいぶ違って見えて、門番は止めたのだが、押し退けて侵入しようとしたので、取り押さえていると。しかし、門番二人では手に負えず、応援も駆けつけている状態だという。

 宰相は、すぐに現場に駆けつけた。
 皇宮から門までは距離があって、疲労が溜まった今の自分では到底歩いてなどいけないから、馬車を用意させて。

 到着すると、報告にあった男の肩や腰、足、腕に騎士数人がしがみついて、周りには倒れた兵士が転がっていて見るからに収拾がつかない状態であった。

 離せ、退けと叫ぶ男の声と、止まれ、落ち着けと叫ぶ騎士達の声が混ざった怒号の嵐の中で男が「アリシア」と口にした。
 それを聞いた宰相は、彼が皇太子であると確信をして、嵐の中に飛び込んだ。

「殿下!」

 体力のない宰相の叫びは、もみくちゃになった男たちには届かなくて、宰相は今度は騎士達に向けて叫んだ。

「お前たち、やめなさい!」

 それでも、止まず、しがみつくことに力尽きた騎士がギルバートに蹴り飛ばされて宰相の前に転がった。

「……あ、アリシア様はおりません!!」

 最後の力を振り絞った。この混乱の中、最年長で誰よりも体力のない軟弱な体で、さらに疲労困憊の状態で、よくぞこれだけの声量を上げることができたと自分でも驚いた。

 宰相の言葉にギルバートが暴れるのを止め、声も止んだ。

「……は、いない?」

 青い瞳が信じられないと、目を丸くして、とんでもない事実を言った宰相に視線を向けた。

 宰相は、報告にあった通り、印象の変わった彼が皇太子であるのか半信半疑であった。
 出立前の皇太子は、物腰の柔らかな性格に端正な顔立ちをした好青年という印象だった。確かに、戦場に出た男たちは風貌が変わることはよくある話だが……。
 帰還した皇太子は上背があって、目つきも鋭く、精悍な顔立ちをしていて、同じ男として憧れる見た目であり、変わらない所は髪と瞳の色だけであった。
 体格だけでなく、風格も申し分ない。皇帝の言った皇太子なら大丈夫だという言葉は、このことを指していたのだろうか。

 すっかり変わったギルバートの姿に戸惑いつつも、消えた彼女の名を知っているということは……彼女を求めて来たということは、皇太子殿下しか知り得ないことであったから、宰相はギルバートを抑えたままの騎士達に向けて

「この方は皇太子殿下だ。離しなさい」

 追い払うように手を振って言って、ギルバートの前に立った。
 呆然と立ち尽くすギルバートに頭を下げて言った。

「申し訳ございません。……アリシア様を皇太子妃に迎えることを知らず、皇室から退去してもらうように……わ、私があの方を追い出しました」

 静かに聞いているギルバートに、さらに頭を低くした。

「捜索をしておりますが、まだ見つかっておりません。……処罰は甘んじてお受け致します」

 覚悟はしていた。首が飛んでもおかしくない失態を犯したのだから、当然であると。だけど、やはり恐ろしくて冷や汗が垂れるのを感じながら、足を震わせた。

「……彼女は……何か、言っていたか?」

 ギルバートの震えた声が頭上から降ってきた。

「は、いえ。……わかった、と一言だけ。離縁承諾書にも異を唱えることなくサインをしてくださいました」

 通達を持って行った使者からの報告を、そのまま伝えた。皇太子から許可が下るまでは頭を上げられず、地面を見つめたまま。

 ギルバートは、何も言わなかった。顔を上げられないので、どういう表情をしているのかもわからず、宰相はただ震えることしかできなかった。

 そして、ギルバートは宰相を横切って、その場を去った。

 ギルバートの足が宰相の前から移動すると、宰相の視線もそれを追いかけた。
 きっと彼女のいた宮殿に向かったのだと思い、許可を言われなかったが、顔を上げて振り返ってみた。

 力なく歩いている背中が、かつての傷心した皇帝の姿に重なって、宰相は胸が締め付けられた。



 揉め事があって暴れたせいか、それとも不眠不休で走ったからか、体が重く、足はふらついていた。
 宰相は、アリシアを追い出したと言った。いない、と言った。

 信じられなかった。

 アリシアは、いつもそこに居てくれた。
 部屋に入ると、開いた窓から吹き込む風に乗って、アリシアの香りがギルバートを包み込む。かつての風景を思い出しながら、アリシアが待っている宮殿まで歩いた。

 "離縁"……その言葉が、ギルバートの頭の中にこびりついていた。
 皇帝との離縁の意味であることはわかっているのだけど、自分とアリシアの関係を切るような言葉に思えて、でも、まさか――彼女がそんなこと受け入れるはずないと、首を振った。

 宮殿に着くと、そこにいるはずの人たちが誰一人として見当たらなかった。
 けどそれはいつものことで、アリシアとギルバートの二人だけでこの宮殿でずっと過ごしてきたから、見慣れた風景だった。

 だから、目の前のドアを開ければ、そこに、アリシアがいると言い聞かせた。ドアに手を掛けて、目を閉じると、アリシアが浮かんで見える。
 出立の前日の夜に、待っていてくれたように……いつかの日に刺繍をしながら、もしくは本を読みながら待っていたように……ドアを開けると、菫色の瞳をこちらに向けて名を呼んでくれるはず。

 いない、なんて――そんなの嘘であって欲しかった。



 視界が暗くても「おはよう」と声を掛けてくれる少女の声が、朝を教えてくれた。
 温かい布で、顔や体を拭いてくれると、着替えさせてくれた。
 温かい食事を持ってくると、色合いや具材に何を使ったのか細かく教えてくれて、ゆっくりと口に運んでくれた。
 少女は声も、手も、体も、表情さえも全部、温かかった。

 あの日あのときに感じた温もりが、なくなっていた。
 そんな少女は元から居なかったのだというように、静まり返って、彼女の姿も、声も、香りも……何も残っていなかった。

 目の前に広がる光景は、窓のカーテンが閉められて灯りの無い、暗い部屋だった。

 アリシアと過ごした部屋……食卓も、ソファも、ベッドもこの部屋を出る時に目に焼き付けた風景のままなのに、アリシアだけがいない。
 中に入って見回しても、どこにもいない。

 ふと、ソファの前のテーブルの上に、箱が三つ並んでいることに気付いた。
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