【R18】生贄の姫は皇子に喰われたい

あまやどんぐり

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23.生きる意味

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 箱を一つ開けてみると、アリシアが刺繍を施したハンカチが折り畳まれて、整理された状態で並べられていた。
 隣の箱も開けてみた。同じようにハンカチが入っていた。
 最後の箱も開けてみた。その中身も同じだった。
 ハンカチが何枚……いや、何十枚もあるそれに、眉を顰めた。

 (アリシアは、これをずっと作っていたのか?)

 アリシアはいつも、刺繍をしていた。ギルバートの隣で、ギルバートのシャツに一針一針丁寧に。
 それが好きだと笑って言っていたし、ギルバートはそんな彼女を見つめることが好きだった。

 ハンカチを一枚、手に取って広げてみると、隣り合った二羽の鳥が刺繍されていた。
 視線をもう一度部屋に移して、見回した。

 アリシアは、この小さい部屋で過ごしていた。一人で。
 刺繍をしていたのは、それしかやることがなかったから。無理もない。自由が許されていなかったのだから。

 ギルバートは、この部屋にアリシアがいてくれると信じていた。いつもそうだったから。いつも、彼女はここで待っていてくれたから。

 けど、違った。アリシアは待っていてくれたのではなくて、閉じ込められていただけだ。
 ギルバートはそんな彼女を、この小さい宮殿の小さい部屋に閉じ込めて、自分勝手に愛でていただけだった。

「あ……アリシア」

 その名を、早く声に出して呼びたくて、たくさん練習した。これは、過去の記憶。

 かつて、自分が独りぼっちで放置された建物に、同じように彼女をここに独りぼっちにした。
 だから、呆れて去ってしまったのか。何も言わずに、行ってしまったのか。

「……シア……?」

 胸が苦しくて、脈打つ心臓の音が頭の中まで響いていた。

『ギル』

 呼べば、返ってくる彼女の声。これも、過去の記憶。

「……ア。……シア……!」

 呼んでも応えてくれない。自分しかいない空間で、嗚咽する声しか響かないこの場所で、何度も彼女の名を呼んだ。



 ――生きているのか、死んでいるのかわからない……ずっと、生死の狭間をふらふらと彷徨っていた。
 目は、何も見えなくなっていた。耳は、ずっと耳鳴りがしていた。喉は、声が出なかった。体は、ずっと寒かった。

 苦しみと痛みだけが、生きていることを教えてくれた。
 つらくて生きていたくなかった。放っておくなら、いっその事息の根を止めて欲しかった。
 何のために生まれたのか、なぜ生きているのか意味もわからずに、流したくても一滴も出ない涙が込み上げて、胸を締め付けた。
 止まらない咳が、さらに胸を苦しめた。

 (助けてくれなくていい。お願いだから、誰か――)

 ふと、頬に何かが触れた。

 (――何?)

 気になっても、目が思うように開かないから、確認ができない。

「……てて」

 耳鳴りがしているせいで、うまく聞き取れなかったけど、誰かの声が聞こえた気がした。

 しばらくすると突然、ふわりと体が浮いた。驚きたくても、体力も気力もなくてされるがままだった。

 唇に冷たいものが触れて、口の中に液体がするりと流れ込んでくると、こくりと喉が動いた。無意識に水を飲んだ。
 冷たいものが通る感触が体中に染み渡ると、少しだけ咳が落ち着いた。

 それでもまた咳が出ると、今度は体を横向きにされた。
 背中を、誰かが擦っている。ゆっくり動く手の感触は小さかったけど、とても温かかった。
 咳が治まって、寒かった体が温もりで満たされていくと眠りに落ちた。

 時間の経過の判別ができなくて、今が何時なのかわからないまま起きると、また耳鳴りに混じって声が聞こえた。

「……ず……よ」

 おそらく、水と言ったのだと思う。体が浮いて、起き上がった体勢にされると、口の中に水を少し流し込まれた。それを素直に飲み込んだ。
 しばらくすると、今度はぬるい液体が流れ込んだ。味がわからないけど、飲み込んだ。
 またしばらくして、流し込まれた液体も飲んだ。

「……う……って」

 顔や体を温かい何かに撫でられていた。抵抗もできないので、よくわからないまま時間だけが過ぎていった。

 そんな時間をどのくらい過ごしたのか……口に与えられる物の味がなんとなくわかるようになってきた。
 水と食事のスープと、薬。これを交互に時間を置いて与えられた。

 咳が段々落ち着いてきて、ほとんど出なくなると、耳鳴りもしなくなった。

「……生きて」

 はっきりと聞こえるその声が、生死の狭間を彷徨っていた魂を呼んだ。
 視界は相変わらず真っ暗なのに、光が差し込んだようだった。

「きっと良くなるから、大丈夫。……大丈夫だよ」

 医者も乳母も侍従も、皆が「いつ死ぬかわからない」と言ってきた。そして、ここに閉じ込められた。

 (初めてそんなこと言われた。……本当に、大丈夫なのかな?)

 その声は、毎日同じように「大丈夫、生きて、頑張って」と魂を呼んで導いてくれた。生きたいと願うようになるまで、そんなに時間は掛からなかった。

「おはようございます」

「今日は晴れて暖かいので、窓を開けますね」

 返事がない相手に、その人はよく声を掛けた。
 話題がないときは、本を読み聞かせてくれた。朝と夜の挨拶をすることで、時間を教えてくれて、とにかく起きている間はずっと、声を聞かせてくれた。
 声は空気に消えて触れられないものなのに、温かく感じて不思議な気持ちだった。

 ある日、眠りから覚めたときに、瞼にぎゅっと力を入れることができたから、勇気を出して目を開けてみた。薄っすらと光が入り込んで、朝であることがわかった。カーテンの隙間から差し込む程度の光だったけど、視界に景色を移すには十分であった。
 始めは霞んだ視界が、瞬きを繰り返すと段々とはっきりとしてくる。

 ベッドの上で横向きの体勢に寝転んでいる自分に、向かい合うように眠る人がいる。女の子だ。

 (この子が、ずっと世話をしてくれていたのかな?)

 体を自分で動かすことができなくて、その人をじっと見つめていた。

 銀の睫毛が震えると、自分の鼓動が脈打つのを強く感じた。
 ドキドキと早くなる鼓動が、頭に響く。

 ゆっくりと開かれた瞼の向こうから、菫色の瞳が覗き込んで、こちらを見た。視線が交わると、向こうは驚いたようで、目をぱちぱちさせた。
 様子を伺うようにじっと見つめてくるので、瞬きをして見つめ返した。すると

「おはようございます」

 目を細めて微笑む彼女を、可愛いと思った。
 大丈夫だと言ってくれた声。生きてと願ってくれた声……いつも聞いていた声が、体中に染み渡って胸が震えた。
 
 彼女が望むなら、生きよう。生きたい、彼女のために、彼女と一緒に――その願いを瞳に込めて、アリシアを見つめた。



 ――いつの間にか、気を失っていたようだ。
 床に座り込んで、ベッドに寄り掛かった状態で、目を開けた。

 アリシアがいないこの状況が夢なのだと錯覚して、おもむろに起き上がって宮殿の中を探した。
 まるで、悪夢に閉じ込められたように彷徨い歩いた。

 かつての自分の部屋だった所も探した。厨房や、上の階の部屋にも行った。宮殿内を全て回った。
 それでも、いない。アリシアがどこにも。

 階段の踊り場に飾られた、全身鏡に映る自分の姿を眺めた。
 そこには、痩せ細った情けない、みっともない姿をした少年はいなかった。
 憧れた、逞しい姿、凛々しい顔立ちに、力の強そうな大きな手。

 この手で、アリシアを守りたかった。抱き締めて、胸に抱いて――幻想ばかり抱いて、彼女を傷付けた愚か者が、目の前に立っている。
 
 自分が生きる意味が、わからなくなった。
 過信していた、愚かな自分に腹が立った。

 鏡に頭を強く打ち付けた。生温かい血が額から滴り落ちる。

 床に散らばった割れた鏡の破片を拾って、腕に刺した。ぼたぼたと流れ落ちる血が、足元を赤黒く汚していくのを、虚ろな目で眺めた。

 アリシアが生かしたこの体は、一体どのくらいまで耐えられるのだろうか。
 どのくらい傷つけて、血を流せば――。
 今度は、太ももを刺した。痛みで膝が崩れ落ちて、血で濡れた床に膝をついた。それでも生きているから、次は脇腹を刺した。それでも、まだ生きていた。

 (やはり、心臓を貫かないと死なないのか……)

「……殿下!」

 宰相は、宮殿までギルバートを追いかけてきたものの、中に入らずに外で待機していた。
 皇太子妃となるはずだった女性の失踪に、心を痛めているだろうギルバートを少しの間一人にした。気配りの筈だった。
 この血塗れの光景を目にするまでは、そうだった。

 そこまで……こうなってしまうほどまでだなんて、思ってもなかった。ギルバートを一人にするべきでなかったと、後悔した。
 皇帝のときも、今も、宰相は己の無力さに絶望した。

 宰相が駆け寄ると、ギルバートは自身を傷つけることを止めた。

「いない……いないんだ。……どこにも」

 出血のせいなのか、朦朧としているギルバートがぼそぼそと言いながら、天を仰いで、そのまま倒れた。
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