【R18】生贄の姫は皇子に喰われたい

あまやどんぐり

文字の大きさ
24 / 44

23.生きる意味

しおりを挟む
 箱を一つ開けてみると、アリシアが刺繍を施したハンカチが折り畳まれて、整理された状態で並べられていた。
 隣の箱も開けてみた。同じようにハンカチが入っていた。
 最後の箱も開けてみた。その中身も同じだった。
 ハンカチが何枚……いや、何十枚もあるそれに、眉を顰めた。

 (アリシアは、これをずっと作っていたのか?)

 アリシアはいつも、刺繍をしていた。ギルバートの隣で、ギルバートのシャツに一針一針丁寧に。
 それが好きだと笑って言っていたし、ギルバートはそんな彼女を見つめることが好きだった。

 ハンカチを一枚、手に取って広げてみると、隣り合った二羽の鳥が刺繍されていた。
 視線をもう一度部屋に移して、見回した。

 アリシアは、この小さい部屋で過ごしていた。一人で。
 刺繍をしていたのは、それしかやることがなかったから。無理もない。自由が許されていなかったのだから。

 ギルバートは、この部屋にアリシアがいてくれると信じていた。いつもそうだったから。いつも、彼女はここで待っていてくれたから。

 けど、違った。アリシアは待っていてくれたのではなくて、閉じ込められていただけだ。
 ギルバートはそんな彼女を、この小さい宮殿の小さい部屋に閉じ込めて、自分勝手に愛でていただけだった。

「あ……アリシア」

 その名を、早く声に出して呼びたくて、たくさん練習した。これは、過去の記憶。

 かつて、自分が独りぼっちで放置された建物に、同じように彼女をここに独りぼっちにした。
 だから、呆れて去ってしまったのか。何も言わずに、行ってしまったのか。

「……シア……?」

 胸が苦しくて、脈打つ心臓の音が頭の中まで響いていた。

『ギル』

 呼べば、返ってくる彼女の声。これも、過去の記憶。

「……ア。……シア……!」

 呼んでも応えてくれない。自分しかいない空間で、嗚咽する声しか響かないこの場所で、何度も彼女の名を呼んだ。



 ――生きているのか、死んでいるのかわからない……ずっと、生死の狭間をふらふらと彷徨っていた。
 目は、何も見えなくなっていた。耳は、ずっと耳鳴りがしていた。喉は、声が出なかった。体は、ずっと寒かった。

 苦しみと痛みだけが、生きていることを教えてくれた。
 つらくて生きていたくなかった。放っておくなら、いっその事息の根を止めて欲しかった。
 何のために生まれたのか、なぜ生きているのか意味もわからずに、流したくても一滴も出ない涙が込み上げて、胸を締め付けた。
 止まらない咳が、さらに胸を苦しめた。

 (助けてくれなくていい。お願いだから、誰か――)

 ふと、頬に何かが触れた。

 (――何?)

 気になっても、目が思うように開かないから、確認ができない。

「……てて」

 耳鳴りがしているせいで、うまく聞き取れなかったけど、誰かの声が聞こえた気がした。

 しばらくすると突然、ふわりと体が浮いた。驚きたくても、体力も気力もなくてされるがままだった。

 唇に冷たいものが触れて、口の中に液体がするりと流れ込んでくると、こくりと喉が動いた。無意識に水を飲んだ。
 冷たいものが通る感触が体中に染み渡ると、少しだけ咳が落ち着いた。

 それでもまた咳が出ると、今度は体を横向きにされた。
 背中を、誰かが擦っている。ゆっくり動く手の感触は小さかったけど、とても温かかった。
 咳が治まって、寒かった体が温もりで満たされていくと眠りに落ちた。

 時間の経過の判別ができなくて、今が何時なのかわからないまま起きると、また耳鳴りに混じって声が聞こえた。

「……ず……よ」

 おそらく、水と言ったのだと思う。体が浮いて、起き上がった体勢にされると、口の中に水を少し流し込まれた。それを素直に飲み込んだ。
 しばらくすると、今度はぬるい液体が流れ込んだ。味がわからないけど、飲み込んだ。
 またしばらくして、流し込まれた液体も飲んだ。

「……う……って」

 顔や体を温かい何かに撫でられていた。抵抗もできないので、よくわからないまま時間だけが過ぎていった。

 そんな時間をどのくらい過ごしたのか……口に与えられる物の味がなんとなくわかるようになってきた。
 水と食事のスープと、薬。これを交互に時間を置いて与えられた。

 咳が段々落ち着いてきて、ほとんど出なくなると、耳鳴りもしなくなった。

「……生きて」

 はっきりと聞こえるその声が、生死の狭間を彷徨っていた魂を呼んだ。
 視界は相変わらず真っ暗なのに、光が差し込んだようだった。

「きっと良くなるから、大丈夫。……大丈夫だよ」

 医者も乳母も侍従も、皆が「いつ死ぬかわからない」と言ってきた。そして、ここに閉じ込められた。

 (初めてそんなこと言われた。……本当に、大丈夫なのかな?)

 その声は、毎日同じように「大丈夫、生きて、頑張って」と魂を呼んで導いてくれた。生きたいと願うようになるまで、そんなに時間は掛からなかった。

「おはようございます」

「今日は晴れて暖かいので、窓を開けますね」

 返事がない相手に、その人はよく声を掛けた。
 話題がないときは、本を読み聞かせてくれた。朝と夜の挨拶をすることで、時間を教えてくれて、とにかく起きている間はずっと、声を聞かせてくれた。
 声は空気に消えて触れられないものなのに、温かく感じて不思議な気持ちだった。

 ある日、眠りから覚めたときに、瞼にぎゅっと力を入れることができたから、勇気を出して目を開けてみた。薄っすらと光が入り込んで、朝であることがわかった。カーテンの隙間から差し込む程度の光だったけど、視界に景色を移すには十分であった。
 始めは霞んだ視界が、瞬きを繰り返すと段々とはっきりとしてくる。

 ベッドの上で横向きの体勢に寝転んでいる自分に、向かい合うように眠る人がいる。女の子だ。

 (この子が、ずっと世話をしてくれていたのかな?)

 体を自分で動かすことができなくて、その人をじっと見つめていた。

 銀の睫毛が震えると、自分の鼓動が脈打つのを強く感じた。
 ドキドキと早くなる鼓動が、頭に響く。

 ゆっくりと開かれた瞼の向こうから、菫色の瞳が覗き込んで、こちらを見た。視線が交わると、向こうは驚いたようで、目をぱちぱちさせた。
 様子を伺うようにじっと見つめてくるので、瞬きをして見つめ返した。すると

「おはようございます」

 目を細めて微笑む彼女を、可愛いと思った。
 大丈夫だと言ってくれた声。生きてと願ってくれた声……いつも聞いていた声が、体中に染み渡って胸が震えた。
 
 彼女が望むなら、生きよう。生きたい、彼女のために、彼女と一緒に――その願いを瞳に込めて、アリシアを見つめた。



 ――いつの間にか、気を失っていたようだ。
 床に座り込んで、ベッドに寄り掛かった状態で、目を開けた。

 アリシアがいないこの状況が夢なのだと錯覚して、おもむろに起き上がって宮殿の中を探した。
 まるで、悪夢に閉じ込められたように彷徨い歩いた。

 かつての自分の部屋だった所も探した。厨房や、上の階の部屋にも行った。宮殿内を全て回った。
 それでも、いない。アリシアがどこにも。

 階段の踊り場に飾られた、全身鏡に映る自分の姿を眺めた。
 そこには、痩せ細った情けない、みっともない姿をした少年はいなかった。
 憧れた、逞しい姿、凛々しい顔立ちに、力の強そうな大きな手。

 この手で、アリシアを守りたかった。抱き締めて、胸に抱いて――幻想ばかり抱いて、彼女を傷付けた愚か者が、目の前に立っている。
 
 自分が生きる意味が、わからなくなった。
 過信していた、愚かな自分に腹が立った。

 鏡に頭を強く打ち付けた。生温かい血が額から滴り落ちる。

 床に散らばった割れた鏡の破片を拾って、腕に刺した。ぼたぼたと流れ落ちる血が、足元を赤黒く汚していくのを、虚ろな目で眺めた。

 アリシアが生かしたこの体は、一体どのくらいまで耐えられるのだろうか。
 どのくらい傷つけて、血を流せば――。
 今度は、太ももを刺した。痛みで膝が崩れ落ちて、血で濡れた床に膝をついた。それでも生きているから、次は脇腹を刺した。それでも、まだ生きていた。

 (やはり、心臓を貫かないと死なないのか……)

「……殿下!」

 宰相は、宮殿までギルバートを追いかけてきたものの、中に入らずに外で待機していた。
 皇太子妃となるはずだった女性の失踪に、心を痛めているだろうギルバートを少しの間一人にした。気配りの筈だった。
 この血塗れの光景を目にするまでは、そうだった。

 そこまで……こうなってしまうほどまでだなんて、思ってもなかった。ギルバートを一人にするべきでなかったと、後悔した。
 皇帝のときも、今も、宰相は己の無力さに絶望した。

 宰相が駆け寄ると、ギルバートは自身を傷つけることを止めた。

「いない……いないんだ。……どこにも」

 出血のせいなのか、朦朧としているギルバートがぼそぼそと言いながら、天を仰いで、そのまま倒れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

密会~合コン相手はドS社長~

日下奈緒
恋愛
デザイナーとして働く冬佳は、社長である綾斗にこっぴどくしばかれる毎日。そんな中、合コンに行った冬佳の前の席に座ったのは、誰でもない綾斗。誰かどうにかして。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~

cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。 同棲はかれこれもう7年目。 お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。 合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。 焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。 何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。 美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。 私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな? そしてわたしの30歳の誕生日。 「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」 「なに言ってるの?」 優しかったはずの隼人が豹変。 「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」 彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。 「絶対に逃がさないよ?」

処理中です...