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35.交わす約束(上)
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拉致された被害者達は、全員無事に帝国軍に保護されて帝国軍の乗ってきた船の中で治療を受けたり、休んだりして過ごしていた。その中に、アリシアもメリアや団員と共にいた。
メリアの腫れた瞼に濡らしたハンカチを被せてあげると、アリシアの元に駆け寄った少女が「お姉さん」と声を掛けた。アリシアの膝の上で震えていた少女だった。
「……ありがとう」
恥ずかしそうに感謝を言う少女に、惜しみなく笑顔を向けて「無事で良かった」と返す。アリシアは、ラディとの約束はすっかり忘れていた。
それよりも、ギルバートの姿がまだ見えなくて心配だった。後でと言った彼の言葉を信じているけれど、不安で仕方なかった。
「妃殿下」
しばらくすると、一人の騎士に声を掛けられた。だけど、その呼び名に首を傾げた。
「……私?」
騎士の視線は疑問を投げかけるアリシアに向けられているから、人違いではなさそうだ。
伺うように見つめてくるアリシアの瞳に騎士は戸惑いながら頷いて「陛下がお呼びです」と伝えると、咳払いをして案内を始めた。
ギルバートは船内の自室に戻る前に、騎士にアリシアを連れてきてほしいと頼んだ。
アリシアとしばしの別れの後、アリシアを怖い目に合わせて傷つけた愚かな賊どもに制裁を下して汚れた姿を彼女に見せたくなかったし、他の被害者達も怖がってしまうだろうから、なるべく汚れのない騎士を選んだ。
バケツの中に衣類を投げ込むと、怪我をした脇腹や腕の血を拭った。出血は滲む程度に収まっていた。じきに傷口も塞がるだろうが、アリシアにそれを見せたくもなかったから包帯を巻いてからシャツに袖を通した。
部屋のドアをノックする音が聞こえて、開けるとそこにアリシアが立っていた。
「……アリシア」
迎えに行けなくてごめんねと、声を掛けるつもりだった。
ギルバートの姿を見るなり、青白い顔をしたアリシアに気付いてその言葉を飲み込んだ。
アリシアの視線の先には、ギルバートの後ろに見えるバケツがあった。
「ギル……怪我……」
アリシアの目に飛び込んだ光景――ギルバートは、袖を通したシャツのボタンを掛けずに、その下の包帯巻きの姿を晒したままアリシアを迎えた。その彼の後ろに、赤く染まった衣類や布切れが放り込まれたバケツが置いてある。
アリシアは、血の気が引いた。それだけの出血を伴う怪我をしたのだと、心配が勝って、再会を喜んでいる場合ではなかった。
「シア、大丈夫だよ」
バケツに放り込んだそれは、ほとんどが返り血だった。自分の血ではないからと、弁明しようとした。
「血……私の血……!」
すぐにアリシアを抱き寄せて、部屋に引き入れるとドアを閉めた。
アリシアは、自分の血を飲めばいいと、自身の体のことを言おうとしたのだろうが、ギルバートはそれを止めた。そんな形で彼女を抱き締めたくなかったけど、思わずそうしてしまった。
「……だめだよ。それは、私たちだけの秘密だから」
誰かにでも聞かれたら、アリシアの身に危険が及ぶことは明白だった。どんな病気も怪我も治るなんて妙薬、誰だって欲しくなる。
「……知って、いたの?」
ギルバートが抱き締める手を弱めると、見上げるアリシアの瞳が戸惑って揺れていた。
「なんとなく、気付いただけだよ」
生きたかった。彼女が望んだ生きる道を、自分も歩きたくて必死にリハビリをしたけれど、心の隅では常に死を覚悟していた。叶わない夢を描いて、なるべく長くアリシアと共に過ごせるようにと足掻いていただけなのに、自分を散々苦しめた病が突然、跡形もなく消えた。
そんな奇跡、起こるわけない。だけど起きた。現実に。
アリシアの体を味わったあの日に、起きた奇跡。
消えた傷跡。それと、鍛えれば強固になっていく体――元を辿ると、原因はアリシアの体しかなかった。
ただ、気付いただけでアリシアを問い詰めるつもりもなかったし、ギルバートにとってはそれよりも、彼女の平穏を守ることの方が大事だった。
大切にしたかった。アリシアの存在を、温もりを。それなのに――。
「……ごめん」
アリシアを見下ろすギルバートの口から、そんな言葉が出てきて、アリシアは困惑した。何を指して、どれのことに向けて謝罪をしているのか……わからなくて、もしかしたら聞きたくない言葉が吐き出されるかもしれないと、不安になった心が胸をざわつかせた。
「シアを、あの宮殿に独りにして、寂しい思いをさせた……」
独りで死を待つだけだった自分が誰よりも、その寂しさを知っていたのに。
「シアのことを誰の目にも触れさせたくなくて、声を聞かせたくなくて、独り占めしたかった……」
だから、閉じ込めた。自由にしてあげようと思えば、皇太子であるギルバートにはそれが出来た。なのに、しようとも思わなかった。
「シアは私の側にずっといてくれると、勝手に決めつけて……君の気持ちも考えずに、戦争から帰ったらアリシアを私の妃にする約束を、先皇としていた」
自分の隣に縛りつけたかった。大切にしたかった人を、そうやってでも自分の物にしたかった。それがどれだけ、彼女に不自由な思いをさせているのかなんて、少しも気にしないで。
「帰ったら、話す、つもりだった。……言う、つもり、だったんだ」
空っぽになった、アリシアのいない部屋が思い出されて、胸が苦しくて声がうまく出せなくなるとギルバートは口を閉じた。
メリアの腫れた瞼に濡らしたハンカチを被せてあげると、アリシアの元に駆け寄った少女が「お姉さん」と声を掛けた。アリシアの膝の上で震えていた少女だった。
「……ありがとう」
恥ずかしそうに感謝を言う少女に、惜しみなく笑顔を向けて「無事で良かった」と返す。アリシアは、ラディとの約束はすっかり忘れていた。
それよりも、ギルバートの姿がまだ見えなくて心配だった。後でと言った彼の言葉を信じているけれど、不安で仕方なかった。
「妃殿下」
しばらくすると、一人の騎士に声を掛けられた。だけど、その呼び名に首を傾げた。
「……私?」
騎士の視線は疑問を投げかけるアリシアに向けられているから、人違いではなさそうだ。
伺うように見つめてくるアリシアの瞳に騎士は戸惑いながら頷いて「陛下がお呼びです」と伝えると、咳払いをして案内を始めた。
ギルバートは船内の自室に戻る前に、騎士にアリシアを連れてきてほしいと頼んだ。
アリシアとしばしの別れの後、アリシアを怖い目に合わせて傷つけた愚かな賊どもに制裁を下して汚れた姿を彼女に見せたくなかったし、他の被害者達も怖がってしまうだろうから、なるべく汚れのない騎士を選んだ。
バケツの中に衣類を投げ込むと、怪我をした脇腹や腕の血を拭った。出血は滲む程度に収まっていた。じきに傷口も塞がるだろうが、アリシアにそれを見せたくもなかったから包帯を巻いてからシャツに袖を通した。
部屋のドアをノックする音が聞こえて、開けるとそこにアリシアが立っていた。
「……アリシア」
迎えに行けなくてごめんねと、声を掛けるつもりだった。
ギルバートの姿を見るなり、青白い顔をしたアリシアに気付いてその言葉を飲み込んだ。
アリシアの視線の先には、ギルバートの後ろに見えるバケツがあった。
「ギル……怪我……」
アリシアの目に飛び込んだ光景――ギルバートは、袖を通したシャツのボタンを掛けずに、その下の包帯巻きの姿を晒したままアリシアを迎えた。その彼の後ろに、赤く染まった衣類や布切れが放り込まれたバケツが置いてある。
アリシアは、血の気が引いた。それだけの出血を伴う怪我をしたのだと、心配が勝って、再会を喜んでいる場合ではなかった。
「シア、大丈夫だよ」
バケツに放り込んだそれは、ほとんどが返り血だった。自分の血ではないからと、弁明しようとした。
「血……私の血……!」
すぐにアリシアを抱き寄せて、部屋に引き入れるとドアを閉めた。
アリシアは、自分の血を飲めばいいと、自身の体のことを言おうとしたのだろうが、ギルバートはそれを止めた。そんな形で彼女を抱き締めたくなかったけど、思わずそうしてしまった。
「……だめだよ。それは、私たちだけの秘密だから」
誰かにでも聞かれたら、アリシアの身に危険が及ぶことは明白だった。どんな病気も怪我も治るなんて妙薬、誰だって欲しくなる。
「……知って、いたの?」
ギルバートが抱き締める手を弱めると、見上げるアリシアの瞳が戸惑って揺れていた。
「なんとなく、気付いただけだよ」
生きたかった。彼女が望んだ生きる道を、自分も歩きたくて必死にリハビリをしたけれど、心の隅では常に死を覚悟していた。叶わない夢を描いて、なるべく長くアリシアと共に過ごせるようにと足掻いていただけなのに、自分を散々苦しめた病が突然、跡形もなく消えた。
そんな奇跡、起こるわけない。だけど起きた。現実に。
アリシアの体を味わったあの日に、起きた奇跡。
消えた傷跡。それと、鍛えれば強固になっていく体――元を辿ると、原因はアリシアの体しかなかった。
ただ、気付いただけでアリシアを問い詰めるつもりもなかったし、ギルバートにとってはそれよりも、彼女の平穏を守ることの方が大事だった。
大切にしたかった。アリシアの存在を、温もりを。それなのに――。
「……ごめん」
アリシアを見下ろすギルバートの口から、そんな言葉が出てきて、アリシアは困惑した。何を指して、どれのことに向けて謝罪をしているのか……わからなくて、もしかしたら聞きたくない言葉が吐き出されるかもしれないと、不安になった心が胸をざわつかせた。
「シアを、あの宮殿に独りにして、寂しい思いをさせた……」
独りで死を待つだけだった自分が誰よりも、その寂しさを知っていたのに。
「シアのことを誰の目にも触れさせたくなくて、声を聞かせたくなくて、独り占めしたかった……」
だから、閉じ込めた。自由にしてあげようと思えば、皇太子であるギルバートにはそれが出来た。なのに、しようとも思わなかった。
「シアは私の側にずっといてくれると、勝手に決めつけて……君の気持ちも考えずに、戦争から帰ったらアリシアを私の妃にする約束を、先皇としていた」
自分の隣に縛りつけたかった。大切にしたかった人を、そうやってでも自分の物にしたかった。それがどれだけ、彼女に不自由な思いをさせているのかなんて、少しも気にしないで。
「帰ったら、話す、つもりだった。……言う、つもり、だったんだ」
空っぽになった、アリシアのいない部屋が思い出されて、胸が苦しくて声がうまく出せなくなるとギルバートは口を閉じた。
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