【完結】破滅フラグを回避したいのに婚約者の座は譲れません⁈─王太子殿下の婚約者に転生したみたいだけど転生先の物語がわかりません─

江崎美彩

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第四部 

16 王太子妃殿下付き筆頭侍女候補リリアンナの回想【サイドストーリー】

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 リリアンナは混乱していた。

(手紙をいただいたことがない? どういうこと?)

 すぐにでも夫であり王太子殿下の補佐官であるランスに事実を問い詰めたいところだったが、まだ隣国イスファーン王国の大使館設立についての会談が長引いているようで王城に戻っていない。

 健気な少女が泣くのを耐え、気丈に笑う姿を思い出すだけで胸が苦しくなる。
 リリアンナは自分の記憶をさかのぼった。



 ***



──去年の晩秋。

「冗談じゃないわ」

 苛立った様子を隠さないリリアンナの雑言を夫であるランスは気にすることなくにやけていた。

「毒にも薬にもならない家のご令嬢との婚約を勝手に決めてきた裏切り者のシリルが、わたしに何をさせようっていうのよ」

 リリアンナが腹を立てるのには理由があった。

 一千年の時を一つの王朝が治めるヴァーデン王国。
 大陸内にその名を轟かせる大国も、表面上は平和を保っているものの常に不穏な影がちらつく。

 国境近くの深淵の森には侵略の機を窺う北方の隣国ファルファウラの間諜が潜む。
 創世神と十二柱の神のためにあるはずの教会では聖女信仰を推す派閥が急進し、軍部はいま将軍である王弟公爵を旗印に以前西方の隣国リズモンドで起こったクーデターを起こそうと画策している。
 領主たちで構成される貴族院は自分たちの都合に良い議案ばかり通し、いまだ力のある王太后は義理の息子である国王を玉座から引きずり落とそうとしているなどと噂されていた。

 自分の主人あるじであるシリルがいくら王太子だといえど、いつ寝首をかかれてもおかしくない。
 代々使用人として王室に仕える宮廷貴族の娘であるリリアンナにとって、仕える主人は簡単に変えられるものではない。
 とはいえ兄のようにシリルと心中するまでの覚悟をリリアンナは持てなかった。

(前は「王族の婚姻などというものは外交や内政安定の切り札でしかない。国家安寧のためにも地盤を固めるに足る相手を娶り、謀反を企てる輩を排除せねばならない」なんて偉そうなこと言ってたくせに)

 その言葉を信じたリリアンナは貴族院を牛耳るシーワード公爵の娘が輿入れし地盤固めを始めるに違いないと考えた。
 リリアンナは、計算高い男が国家安寧を旗印に治世の世に謀反を企てた者たちを一斉粛清することに賭けをし、そしてその賭けに負けた。

 シーワード公爵家のご令嬢が婚約者候補から辞退してからというもの風向きは悪くなる一方であった。
 公爵家における家督争いが原因で辞退したはずが、王太子の能力に見切りをつけ公爵令嬢が辞退したことになっていた。
 王太子の人望が失われていくのは姦計を謀ろうとするもの達には都合が良いのだろう。周りは皆その噂を焚き付けるばかりで火消しもしない。

 市井ではシリルのよくない噂がはびこり、愚かな王太子の烙印が押されていた。

 その『見た目ばかりで中身は無能で不能な王太子』が選んだ婚約者もかっこうの噂話の餌食になった。

 幼い頃からシリルに仕えることが決まっていたリリアンナやランスは、シリルの幼馴染であるエリオットとも親しくしており、エレナと親交はなくとも、トワイン家の内情はよく知っていた
 トワイン家は侯爵家といえども二十年ほど前まで没落の危機に瀕していたため発言力もなく、権力争いの中でなんの後ろ盾にもならないような家だ。
 どの派閥も自分の都合の良い婚約者に挿げ替えようと色めき立つ。
 エレナがまだ「社交界に出ていないだけ」だったはずが「社交界に出せない」にいつのまにかすり替わり「小太りで醜女のわがままな癇癪持ちの侯爵令嬢」と噂されるまでに時間はかからなかった。

 みなこの機会をものにしようと謀ってばかりだ。

 王太子殿下付きなんて名誉もいまやいつ崩れてもおかしくない砂上の楼閣でしかない。
 崩れる前に逃げ出したいのに、兄も夫も仕える主人あるじを変えるつもりはないらしい。

 ランスはシリルからの頼まれごとだと、封がされていない手紙をリリアンナに渡した。

「何なのこれ」
「シリルが添削してくれだってさ」

 取り出した便箋に視線を落とす。
 リリアンナは手が震えそうになるのを必死に耐える。

「何なのこれ」
「シリルからエレナ様へ送る手紙だ」
「そんなの読めばわかるわよ。中身よ中身」

 鏡はなくとも、リリアンナは自分が目の前の夫と同じ表情になっていることは想像がついた。

「あの子ったら浮かれすぎてて、気味が悪いわ」

 普段他人に対して興味がないシリルが書いたと思えない叙情詩のような手紙は、幼い頃からシリルを知るリリアンナとランスからすれば気味が悪くも懐かしい奇妙な感覚に襲われるものだった。
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