165 / 276
第四部
15 エレナと王太子付き侍従控室での密談
しおりを挟む
わたしはリリィさんに連れられて王宮の西棟から中央棟に向かう。
ストールの隙間から様子を窺う。制服姿の役人達は減りお仕着せを着た使用人が増えていく。
王宮内で公的な役割を担うのが官吏や女官といった役人達だとしたら、私的な役割は従者や侍女達それに召使いなどの使用人が担う。
従者が多いということは……
リリィさんが扉の前で立ち止まりノックをする。
誰何の声がないのを気にも止めずに扉を開く。
「どうぞ」
本当に勝手に入っていいの?
リリィさんに招き入れられ、おずおずと部屋に入りまわりを見渡す。
あまり広くない部屋には備え付けの棚に机と椅子の応接セット、あとは小ぶりなベッドが置かれている。
ティーポットやカップといった給仕用品や、身だしなみを整えるためのブラシなどが置かれたワゴンが並ぶ。
整理された物から部屋の主を想像する。
「ここって……」
「兄の控室です」
やっぱり。やっぱりそうだよね。
リリィさんの兄は、殿下の侍従であるウェードだ。
「ウェードの控室ってことは隣は……」
「シリル王太子殿下の私室ですね。兄は王太子殿下の侍従ですから」
リリィさんはこともなげにそう言って、わたしに椅子に座るように促し、棚やワゴンの物色を始める。
お茶を入れる用意を始めたかと思うと、入ってきた扉を開けて廊下に立つ使用人にお湯の用意を頼んでいる。
何もすることがないわたしは隣室に続く扉を見つめる。
この扉の向こうに殿下の私室が……
想像しただけで緊張して変な汗が出る。
「いまは王立学園の寮にご在籍されていることになっていらっしゃいますので、よほどのことがない限り私室に戻られることはありませんけどね」
だとしても、幼い頃から大好きな殿下の部屋が扉ひとつ隔てた向こうにあるっていうのは、なんとも言い難い気持ちになる。
「兄ほどうまく淹れられませんが」
いつのまにか届いたお湯でいれたハーブティーが目の前に置かれる。
「ありがとうございます」
わたしのお礼に「ここでは未来の王太子妃殿下とその侍女でございますから、お礼など不要でございます」とリリィさんがお辞儀で答える。
「未来の王太子妃殿下なんて……」
「シリル王太子殿下のご婚約者であらせられるエレナ様を従者の控室などにお通しして申し訳ないことにございます。ただ、内密にすべき話かと存じましたが、いち女官のわたくしには王宮内に個人的に使える控室などないものですからこちらの場所を選ばせていただきました」
かりそめの婚約者すら相応しくないわたしは、慇懃な態度のリリィさんに恐縮してしまう。
「気を使わせてしまったわ」
「気を使ったなんてとんでもないことにございます。いくら身分を伏せて女官見習いとしてご出仕いただいているとはいえ、エレナ様のお心を痛ませるような出来事が起きたのであれば、エレナ様をお守りするべき立場であるわたくしめの、不徳の致すところでございます」
「リリィさんは何も悪くないのよ。頭を上げて」
「どこの官吏がエレナ様に感じの悪い態度をとったんですか? 文書室の無能どもですか? それとも特設部署に選ばれた自己顕示欲の塊みたいな男達ですか?」
「大丈夫よ! 誰からもいじわるなんてされていないもの! わたしはわかったつもりになっていただけで、何もわかっていなかっただけなの! ただ、それだけだから!」
わたしは必死に否定する。
「エレナ様。わたくしにわかるように教えていただけませんか?」
リリィさんはそう言ってわたしの前にひざまずく。見上げる瞳は優しい。
また涙が込み上げる。
「わたし、殿下のお役に立ちたかっただけなの。なのにわたしは、小太りで醜女のわがままな癇癪持ちの侯爵令嬢だなんて呼ばれてるのも知らずに、殿下が幼いころに妹のように可愛がってくださっていたのをいいことに婚約者の座に図々しく居座って……市井で嫌われているのも気がつかないわたしなんかが婚約者だなんて、殿下のお役に立つどころか、ご迷惑になっていたんでしょ?」
「……さようなことございません。シリル王太子殿下がエレナ様にご迷惑だなんておっしゃることはないはずです」
「殿下はお優しいもの。わたしに直接そんなこと言ったりなんてしないわ」
「ええ。さようでございます。シリル王太子殿下がエレナ様におっしゃるわけございませんのに、なぜさようなことをお考えに……」
「だって、殿下のお気持ちなんてわたしは知りようがないもの」
「ご婚約者に内定されたあと、シリル王太子殿下から手紙など送られていたのでは?」
「手紙なんて一度もいただいていないわ」
「そんなこと……」
リリィさんは驚いた顔でわたしを見つめる。
そうよね。婚約者なのに手紙の一通ももらってないなんておかしいわよね。
わたしだっておかしいと思うわ。
だから記憶がないだけで、本当は手紙を貰ってるんじゃないかって探したけれど、見つからない。
去年ずっと一緒に領地で過ごしていたユーゴだって、殿下からエレナへ贈り物も手紙もなかったって言っていた。
「手紙もいただけないような関係なのに、かりそめの婚約者としてお役に立てているなんて思い上がりもいいところだったの」
「かりそめだなんておっしゃらずに……」
励まそうとしてくれているだろうリリィさんに笑いかける。
「わたし自身が周りにどう思われてるかしっかりと理解しましたから大丈夫よ。それに、女官見習いとしてきちんと仕事をすれば、殿下に婚約破棄されたとしても女官として王宮で働かせてもらえるかもしれないでしょう? 立場をわきまえてきちんと仕事をしますから安心してくださいね。これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」
わたしのお辞儀にリリィさんは頭を抱えていた。
ストールの隙間から様子を窺う。制服姿の役人達は減りお仕着せを着た使用人が増えていく。
王宮内で公的な役割を担うのが官吏や女官といった役人達だとしたら、私的な役割は従者や侍女達それに召使いなどの使用人が担う。
従者が多いということは……
リリィさんが扉の前で立ち止まりノックをする。
誰何の声がないのを気にも止めずに扉を開く。
「どうぞ」
本当に勝手に入っていいの?
リリィさんに招き入れられ、おずおずと部屋に入りまわりを見渡す。
あまり広くない部屋には備え付けの棚に机と椅子の応接セット、あとは小ぶりなベッドが置かれている。
ティーポットやカップといった給仕用品や、身だしなみを整えるためのブラシなどが置かれたワゴンが並ぶ。
整理された物から部屋の主を想像する。
「ここって……」
「兄の控室です」
やっぱり。やっぱりそうだよね。
リリィさんの兄は、殿下の侍従であるウェードだ。
「ウェードの控室ってことは隣は……」
「シリル王太子殿下の私室ですね。兄は王太子殿下の侍従ですから」
リリィさんはこともなげにそう言って、わたしに椅子に座るように促し、棚やワゴンの物色を始める。
お茶を入れる用意を始めたかと思うと、入ってきた扉を開けて廊下に立つ使用人にお湯の用意を頼んでいる。
何もすることがないわたしは隣室に続く扉を見つめる。
この扉の向こうに殿下の私室が……
想像しただけで緊張して変な汗が出る。
「いまは王立学園の寮にご在籍されていることになっていらっしゃいますので、よほどのことがない限り私室に戻られることはありませんけどね」
だとしても、幼い頃から大好きな殿下の部屋が扉ひとつ隔てた向こうにあるっていうのは、なんとも言い難い気持ちになる。
「兄ほどうまく淹れられませんが」
いつのまにか届いたお湯でいれたハーブティーが目の前に置かれる。
「ありがとうございます」
わたしのお礼に「ここでは未来の王太子妃殿下とその侍女でございますから、お礼など不要でございます」とリリィさんがお辞儀で答える。
「未来の王太子妃殿下なんて……」
「シリル王太子殿下のご婚約者であらせられるエレナ様を従者の控室などにお通しして申し訳ないことにございます。ただ、内密にすべき話かと存じましたが、いち女官のわたくしには王宮内に個人的に使える控室などないものですからこちらの場所を選ばせていただきました」
かりそめの婚約者すら相応しくないわたしは、慇懃な態度のリリィさんに恐縮してしまう。
「気を使わせてしまったわ」
「気を使ったなんてとんでもないことにございます。いくら身分を伏せて女官見習いとしてご出仕いただいているとはいえ、エレナ様のお心を痛ませるような出来事が起きたのであれば、エレナ様をお守りするべき立場であるわたくしめの、不徳の致すところでございます」
「リリィさんは何も悪くないのよ。頭を上げて」
「どこの官吏がエレナ様に感じの悪い態度をとったんですか? 文書室の無能どもですか? それとも特設部署に選ばれた自己顕示欲の塊みたいな男達ですか?」
「大丈夫よ! 誰からもいじわるなんてされていないもの! わたしはわかったつもりになっていただけで、何もわかっていなかっただけなの! ただ、それだけだから!」
わたしは必死に否定する。
「エレナ様。わたくしにわかるように教えていただけませんか?」
リリィさんはそう言ってわたしの前にひざまずく。見上げる瞳は優しい。
また涙が込み上げる。
「わたし、殿下のお役に立ちたかっただけなの。なのにわたしは、小太りで醜女のわがままな癇癪持ちの侯爵令嬢だなんて呼ばれてるのも知らずに、殿下が幼いころに妹のように可愛がってくださっていたのをいいことに婚約者の座に図々しく居座って……市井で嫌われているのも気がつかないわたしなんかが婚約者だなんて、殿下のお役に立つどころか、ご迷惑になっていたんでしょ?」
「……さようなことございません。シリル王太子殿下がエレナ様にご迷惑だなんておっしゃることはないはずです」
「殿下はお優しいもの。わたしに直接そんなこと言ったりなんてしないわ」
「ええ。さようでございます。シリル王太子殿下がエレナ様におっしゃるわけございませんのに、なぜさようなことをお考えに……」
「だって、殿下のお気持ちなんてわたしは知りようがないもの」
「ご婚約者に内定されたあと、シリル王太子殿下から手紙など送られていたのでは?」
「手紙なんて一度もいただいていないわ」
「そんなこと……」
リリィさんは驚いた顔でわたしを見つめる。
そうよね。婚約者なのに手紙の一通ももらってないなんておかしいわよね。
わたしだっておかしいと思うわ。
だから記憶がないだけで、本当は手紙を貰ってるんじゃないかって探したけれど、見つからない。
去年ずっと一緒に領地で過ごしていたユーゴだって、殿下からエレナへ贈り物も手紙もなかったって言っていた。
「手紙もいただけないような関係なのに、かりそめの婚約者としてお役に立てているなんて思い上がりもいいところだったの」
「かりそめだなんておっしゃらずに……」
励まそうとしてくれているだろうリリィさんに笑いかける。
「わたし自身が周りにどう思われてるかしっかりと理解しましたから大丈夫よ。それに、女官見習いとしてきちんと仕事をすれば、殿下に婚約破棄されたとしても女官として王宮で働かせてもらえるかもしれないでしょう? 立場をわきまえてきちんと仕事をしますから安心してくださいね。これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」
わたしのお辞儀にリリィさんは頭を抱えていた。
8
あなたにおすすめの小説
[完結]7回も人生やってたら無双になるって
紅月
恋愛
「またですか」
アリッサは望まないのに7回目の人生の巻き戻りにため息を吐いた。
驚く事に今までの人生で身に付けた技術、知識はそのままだから有能だけど、いつ巻き戻るか分からないから結婚とかはすっかり諦めていた。
だけど今回は違う。
強力な仲間が居る。
アリッサは今度こそ自分の人生をまっとうしようと前を向く事にした。
【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。
【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。
なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。
本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!
【完結】悪役令嬢は何故か婚約破棄されない
miniko
恋愛
平凡な女子高生が乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった。
断罪されて平民に落ちても困らない様に、しっかり手に職つけたり、自立の準備を進める。
家族の為を思うと、出来れば円満に婚約解消をしたいと考え、王子に度々提案するが、王子の反応は思っていたのと違って・・・。
いつの間にやら、王子と悪役令嬢の仲は深まっているみたい。
「僕の心は君だけの物だ」
あれ? どうしてこうなった!?
※物語が本格的に動き出すのは、乙女ゲーム開始後です。
※ご都合主義の展開があるかもです。
※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。
お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です>
【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】
今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
悪役令嬢?いま忙しいので後でやります
みおな
恋愛
転生したその世界は、かつて自分がゲームクリエーターとして作成した乙女ゲームの世界だった!
しかも、すべての愛を詰め込んだヒロインではなく、悪役令嬢?
私はヒロイン推しなんです。悪役令嬢?忙しいので、後にしてください。
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる