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一章 女神と花冠の乙女

42 修行をしよう!5

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私達はメロンの網目の様な小路を抜け、海が見渡せる小高い丘に出た。

その丘の上にはポツン、と白い建物。
賑わう繁華街からここだけ隔離されているような、白い建物の周りには何も無い。草原が広がるばかりで、後は海しか無いのだから、淋しい感じがする。
良く見れば、建物の前で白くはためいてるのは、干されている手拭いだろうか。
ロウはそのまま建物の方へと進む。
私の目には、白い頭巾と、白いワンピースにエプロンを着た女性が手慣れた様子で縄に掛けて留めていくのが見えてきた。

とても嫌な予感に手の平が汗ばんでくる。
どうしてかーーーあの建物に、行きたくない。

自然と足の進みが遅くなる私に、ロウが振り向く。

「フィア様に会って頂きたい人間がここにいます」

哀しい様な、困ったような顔で、あの白い建物を指差した。

近付くに連れて、潮の香りに混ざって鼻を刺激するのは消毒液として使うアルコールの匂いだ。

「ここは、ーーー病、院?」

唇が震えて、上手く発音が出来てない言葉が出てくる。

「はい。もう直ぐ橋を渡る方の為のーーーです」

喉が乾く。真っ先に浮かんだのは孤児院の院長先生の顔だ。
暑いくらいの陽気なのに、手足が急に冷えた様に感覚が無くなる。
聞きたくない。でも否定の言葉を聞きたくて、必死に声を絞りだす。
歩みが止まる。

「カタル、のーーー孤児院に、いた?」
「ーーーはい」

先を行くロウが振り向いた。

「院長、先生、が?ここ、に?」

ーーーはい。ここに、います。

私は、ロウのその言葉で、絶望と言うものが、どの様に足を忍ばせてやって来るのかを知った。






案内された病室は、三階の陽当りの良い、風の通りが良い部屋だった。

記憶にある院長先生はいつも穏やかな笑みを浮かべて、少しぽっちゃりしているが、目の前のベッドで眠る婦人はーーー。
窶れて艶のない肌はカサついて、水を飲む力すらもう無いのか、綿に水を含ませて唇を拭うだけだと言う。

「院長先生ーーー」

変わり果てた姿に言葉が出ず、ただ呼んだだけになってしまった。
それでも何か、通じたの瞼が重くゆっくりと上がった。
濁った瞳は見えていないのか視線が定まらず、彷徨う。

「ーーーフィア?フィア、ね?そこにいるのかしら?」

枯れ枝の腕がシーツから出て私を探す。
私はラインハルトに握られた手ごと院長先生の手を包む。
この手で頭を撫でてもらうのが好きだった。ふくふくの手で、擦りむいても、この手で撫でてもらうと不思議と痛く無くなるのだ。

「フィア、良く顔を見せてちょうだい、お隣は恋人さんかしら?不思議ね、もう見えなくなっていたと思ってたのに、今はぼんやりとでも、見えるのよ。ああ、声も久しぶりに出した気がするわ」

「院長先生、フィアはここにいます」

「すっかり娘の顔になって。恋人は紹介してくれないの?」

「ラインハルト、と申します」

恋人じゃないよ、って私が否定する前に、ラインハルトが直ぐ様返事をした為に、誤解を解くタイミングを失ってしまった。

「良かったわ、フィアを守ってくれる人が現れて。心残りだったのよ、貴女は、色々と。それから、火の精霊さんはいないのかしら。最後くらいはご挨拶したいわ」

スッと何も無い空間から現れたカリンが驚いている。見られた事は無かった筈なんだけどなって、頭をかいている。

「カリン、って言います。フィアには僕も、他の友達も仲間も付いてるよ。安心して」

院長先生とは、それから少しだけ話が出来た。
浜に倒れいていた私が着ていた服を失くしてしまったこと、カリンがいる気配を感じていた事。最後にこうして会えて良かったと。

ーーーそれから。

「院長先生?それから、って?」

それからの先が永遠に聞けなくなった瞬間だった。






院長先生の遺体は柩に収められ、神殿の裏側にある、神に仕える者の墓地へと埋葬されるようだった。

「悲しいですか?」

唐突なそのロウの言葉に、カッとなって言い返そうとして息を飲む。
当たり前でしょう!?って言葉が喉の奥で萎んだ。
なんでロウがそんな傷ついた顔をするの?やり切れない想いと、哀しさと。まるで自ら傷口を開いた様な。

「フィア様、貴女の意識は、まだ人、なのでしょう。だから人のーーー肉体の死に、これ程悲しむ」

ロウは感情を乗せない声で、淡々と語る。傷ついた瞳はそのままなのに。

「神から見れば、肉体が滅んだだけなのですよ。寿命で。魂はまた新たに、生きていくのです。その準備をする為に、人の肉体は滅ぶ。私達の言う【死】とは、魂の消滅なのです」

「生まれ変わるって事?輪廻転生。それでも、院長先生として産まれる訳じゃ無いもの。別の人で別の人格でーーー院長先生じゃないんだよ?」

「忘れられた時に、本当の死が訪れる。そう聞いた事はありませんか?貴女が憶えていれば良いのです」

神は魂でみると言う。
例え再び出会って別の人格、好み、性別すら違っても、またその存在を愛するのだと。過去の存在も、今の存在も、全てをそのままに受け入れて。

「悲しまない訳ではありません。親しい人間が亡くなれば泣きもします。それでも、何時でも見送る側の我々にとっては一瞬の別れでしかないのです」

次に出逢う迄の僅かな間を、慈しんだ者を哀しみで縛るのではなく。

「どうか、ご自分が女神である事を否定なさらないで下さい。受け止めていらっしゃる事は存じております。ですが、知る事と識る事が違う様に、否定しない事とはーーー認める事にはならないのです」

元々人としての生を経験してから、神として誕生した為に、人間に寄り添う意識が強かったらしいけど、長く、永く時を歴て、幾度も見送って。人間と神とーーー異なる存在であると学んだのだと。

胸の奥でカチっと音が鳴った。無かったパズルのピースが薄く、薄くはまる感じだ。
ティティも、ランジ神官も。花屋のおっちゃんも、パン屋の女将さんも。
関わった人間はいずれ居なくなる。死という別れで。置いていかれる恐怖に、見送る側であると言う事を無意識に考えないようにしていた。

「泣いてもいいんです」

そう言って、大振りの袖の中に隠す様にロウが抱き締めてくれた。

「フィア、見送ったならば、今度は待っていてやれば良い」

認めたとか、納得したのか、私の心の動きは、自分でも正直な所、わからないけど、この時を切っ掛けに私の力の使い方がスムーズになったのは確かだった。





夕方前に、王家の所有する別荘から豪華な馬車が大通りを通って、大型の船舶が停泊している波止場へと向かった。

「カリン、姿と気配を消してますね?あの白い帆船が王家所有の船です。明日の早朝に大神殿のある西大陸と東大陸の間、ボルサ半島ーーーこの中央大陸の反対側ですねーーーに向かうそうです」

姿を偽り隠す私達の前を、馬車がゆっくりと通り過ぎて行く。
フィリアナが、馬車のカーテンを開け道行く人に手を降っている。隣に座っているのはハルナイト王子だ。

「さぁ、【敵】の顔もじっくり見れた事ですし、私達も帰りましょうか」


そう言ったロウの口元は酷薄な笑みを履き、頷くフロースの目は人を殺せそうな冷たさだ。技芸神は瞳に焼き切りそうな熱を湛えて淡く微笑んでいる。

ラインハルトはーーーあ、駄目だ。私と手を繋いで無かったらペシャンってしに行ってたかも知れない。

冷然として、見るもの全てを凍てつかせるような、一瞬で心臓を焼かれそうな、神々の眼差しに、ティティが額に玉のような汗を滲ませている。

やがて馬車が見えなくなり、大通りにもいつもの喧騒が戻った。


「公爵達も帰っているそうじゃの。報告が聞けるぞな」

カリンの肩から私の肩に移ったチュウ吉先生がこっそりと教えてくれる。
そうだった。ティティにはまだ聞かせられない事もあるけど、進展があったから、直接の報告に帰って来たんだよね?いつもは書簡だもの。


私は何となく、ティティと手を繋ぎたくなって、ラインハルトとは反対の手をティティと繋いで、ガレール領に帰った。


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