トウジンカグラ

百川カサネ

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5話 邂逅編

32 学び舎の庭

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「おい! 置いてってンぞこいつ!」

 一切歩調を緩めることなく、三葉と小六太は肩越しにちらりと火群を振り返った。

「え~? ほむらが負ぶってくれるんでしょ?」

「あ゛!?」

「この辺、人気がなくて危ないから急いで通れって父ちゃんにいつも言われてんだよな。ほむらなんかでも一緒にいんなら安心だな!」

「あ゛ァ!?」

 火群はついに二人の肩を掴めるまでに距離を詰める。引き留めようと清佐を掴んでいない手を伸ばし、

「ほむらがいたら悪い大人もいい大人もみーんな勝手にいなくなるもんね」

「よし、もたもたすんなよほむら」

「ほー!」

「ハァ!?」

 逆に少年少女にがっちりと腕を取られた。
 半ば腕を抱え込み引きずるようにして進む子どもたちと、頭上で馬にでも乗るように頭を叩く幼子。火群には抗う術などない。
 もうすぐ実りを迎える水田には秋津が飛び交い、人の姿はとんと見えない。騒がしい子どもたちに引かれるがまま、火群の足は稲田沿いの道を抜け大通りの市街へと進んでいく。元々そういう一帯なのか少年少女が敢えて選んでいるのか、はたまた遠巻きに声や気配を察して退いたものか、人家や店が建ち並ぶあたりまで進もうと擦れ違う人影は一切なかった。

「オレは今日はさ、珠算の検定なんだ。合格したら次の桁にいけんの。ほむら珠算何桁までできる?」

「あたしはね、新しい漢字を習うんだよ。ほむらは漢字どれぐらい書ける?」

「かけるー?」

 店と店の隙間としか言えないような狭い路地を通りながら、ここに及んでまだ手を離さない小六太と三葉が振り返る。火群は頭上でゆらゆら揺れる清佐の尻を残された方の手で押さえながらにべもなく切り捨てた。

「お前らが何言ってるかわかんね」

「え~、わかんねぇの? ほんとに?」

「ほむら大人でしょ? 学び舎で勉強しなかったの?」

「のー?」

 通りに通じる木戸を押し開けながら、少年少女は不満そうに眉を下げ唇を尖らせた。

「ほむら、珠算も字もわかんなくて何してんの?」

「ねー。ぶらぶらしてるか落ちてるとこしか見ないよね」

「ねー」

 何も知らない。何をしているのか。
 そんなこと自分だって知らない。知るはずがない。

 ただ気に入らない女の言うがままに動いて、紅蓮を振るっている。紅蓮を振るっていなければ自分は――違う、紅蓮があればいい。火群という男には、唯一にして絶対の刀刃がある。それで十分だ。十分のはずだ。なのに。
 空を閉じ込めた色の刀刃と藍の男が、また脳裏をちらつき始める。

「……るせェ」

 低く這うように答えながら、火群は通り抜けた木戸を乱暴に閉めた。
 木戸の向こうの通りにはいかにも閑散として店が並んでいる。昼が近いせいだろう。小間物屋に蝋燭屋、傘屋など、飲み食いとは無縁な店ばかりが並ぶ通りは、昼餉に出ているのか暖簾を下ろしている店も多い。わずかな人影を残す店も火群と子どもたちの姿を認めては目を丸くし、奥へ引っ込むかそそくさと暖簾を下ろしていく。あるいは子どもたちに声をかけようとしたのか口を開きかける者もいたが、火群と目が合い途端に口を噤んでいた。
 小六太と三葉、そして恐らく頭上の清佐もそんな周囲を見回し、そして肩を竦めてまた歩き始める。

「なーんでそんなほむらのこと怖がるんだろ。確かに刀持ってるけどさあ」

「お侍様は七宝にはいないって父ちゃん言ってたし、お侍様は道に落ちてたりしないよねたぶん」

「ぶんぶん!」

 未だに火群の腕を捉えたまま、前を行く小六太が紅蓮を覗き込むように器用に振り返る。火群は無言で腰を引いた。視界の左右では清佐が機嫌良く両足をばたつかせている。

 火群とて、別に道に落ちている訳ではない。選んでそこにいただけである。しかしながら何かひとつでも口にしようものなら十にも二十にもなって返ってくることぐらいは火群にもわかっている。そもそもそんなことを伝えて何になるのか。必要もないと無言を貫いた。
 無言の火群に構うことなく小六太と三葉は視線を交す。肩に清佐さえ乗っていなければこのまま火群が立ち去っても気付かないのではないだろうか。

「父ちゃんも母ちゃんもほむらの話すると怒るしさあ」

「うちもそう! 顔色変えて口塞いでくるよ。父ちゃん母ちゃんだけじゃなくてさ――」

 小六太と三葉は二人揃って角を曲がった。土塀に沿って少しばかり歩けば小さな門があり、そこを二人は我が物顔でくぐっていく。門の向こうからは賑やかしい声が漏れ聞こえて、火群は渋い顔をしながら後に続いた。
 塀の内側には屋敷と呼ぶにはちゃちで、町屋と呼ぶには少々違和感のある建物が納まっている。大きな縁側を設え、その向こうには文机をいくつも並べた広間が覗いている。縁側は小さな松や梅の木を植えた庭に向かい、そこかしこに小六太たちと、あるいは清佐と同じような年頃の子どもたちがたむろしていた。
 半ばわかっていたことではある。それでも火群は思い切り顔を顰めた。図ったように頭の上から一際大きな声が上がる。

「すずめー!」

 縁側から庭から、あちこちにいた子どもたちが火群の方へ視線を向ける。同時に地べたにしゃがみ込んでいた子どもの中から、小袖に羽織姿の男がゆっくりと立ち上がる。

「先生! 来た!」

「雀先生、こんにちは!」

「清佐さん、小六太さん三葉さん、どうもこんにちっ……」

 朗らかに滑り出した言葉は、火群を認めた瞬間に凍りついた。
 火群の前で小六太と三葉が顔を見合わせて溜め息をつき、あるいは首を傾げた。

「……先生までこれだもんな」

「ねえ。何怖がってるんだろうね?」

「ねー?」

 雀先生、と呼ばれた男は若いとは言えず、さりとて年を食っているとまでは言えない風貌である。火群を目にしてしばらくは動きを止めていたが、やがて非常にぎこちなく笑みを浮かべてみせた。その装いと同じく落ち着いた振る舞いだが細められた目が若干泳いでいる。

「……こんにちは、皆さん。これから昼餉ですよ。お勉強はその後に」

「やったー!」

「やったー!」

「先生、まだ遊んでてもいいですか?」

 三葉の問いかけに雀がどうぞと頷く。答えは聞いたか聞いていないかの間で小六太と三葉は駆け出し、頭上の清佐も火群の頭をぺちぺちと叩いては足をばたつかせる。勝手に乗っておいてと腹立たしく思いながら手放す分には万々歳で、火群は清佐を肩から下ろしてやった。短い足で清佐は姉に追い縋る。
 地べたにしゃがみ込む三つの後ろ頭を眺め、火群は踵を返す。清佐を押しつけられ延々ついて行く羽目になったが、もう立ち去ってもいいだろう。火群の視界からそろそろと外れながら露骨に疎んじる気配を滲ませる雀のこともある。火群はするりと踵を返し、

「……あ゛?」

「ほむら! ほむらもやろうぜ!」

「今はなー、泥面子が熱いんだぞ!」

 その足を掴まれた。
 見下ろせば右足左足それぞれに、子どもたちが貼りついている。無視して進もうとすると引かれ、更に力を込めて踏み出せば重みが増える。左右の子どものその背中にわらわらとまた別の子どもたちが引っ付き、数珠繋ぎのように火群の足を引っ張っている。中には小六太と清佐の姿もあった。

「なあなあいいだろどうせ暇だろほむら」

「俺らが特別に教えてやるからさあ!」

「最近このへんにめっちゃ強いやつが出るんだよ! やっちゃんもへいちゃんも勝てなかったんだぜ!」

「だからみんなで特訓してんの! ほむらもやるぞ!」

 要らん知らんうるさい離せ、火群の呻きもわあわあと好き勝手に喋る子どもたちの前では無音に等しい。数の暴力で引きずられるがまま、気がつけば最初に雀が屈み込んでいた地べたの集団に火群は取り込まれていた。
 棒きれか何かで地面に引かれた枡目の前に座らされ、子どもたちが銭貨ほどの小さな焼き物――泥でできているので泥面子というらしい――を投げ入れては一喜一憂する様を眺めさせられた。小六太は他の子どもが投げた面子に狙って当てるのが上手かったし、三葉は枡目に投げ入れるのが上手い。清佐も投げていたが遊び方がわかっていないらしくてんで出鱈目で、それでも周りの子どもを含めて笑っていたので構わないらしい。やっちゃん、へいちゃんなる子どもは確かに他に抜きん出て上手い。が、二人してこれじゃ駄目だあいつにはまだまだと拳を握って呟いていた。何の話かは知らない。

 と、子どもたちの巧拙を読める程度には火群は観戦を強いられている。このまま見ているふりで居眠りを決め込もうとしたが目敏い子どもたちに叩き起こされたため仕方なくである。何度か面子を握らされたが適当に投げ入れればすぐに次に手番が回っていった点だけは幸いだった。もっとちゃんとやれだの面子師になれないぞだの言われた日にはさすがに紅蓮を握ったかも知れない。

 この時間はいつまで続くのか。何度目かの欠伸を噛み殺した頃に、遠く女の声が庭に入り込んできた。

「こんにちは、『こんこんや』でーす! お弁当持ってきました!」

「しぐれさん、お世話様です」

「今日は多いですね、足りると思いますけど」

 ちらりと肩越しに振り返る。門の前でしぐれが大きな包みをいくつか持ち、雀がそれを受け取る代わりに小袋を渡していた。しぐれの来訪に気付いた何人かの子どもたちも傍に寄り、数人がかりで包みをねだっている。
 しぐれは笑いながら子どもたちに包みを譲り、そこから一二の三のと子どもたちの頭数を数えている。地べたを囲む泥面子の集まりまで指を差し、そこで目を丸くした。

「火群くん? こんなとこで何してるの?」

「……オレも知りてェよ」

 子どもたちを挟んで向かい合う二人の間を、昼を告げる鐘が長閑に通り抜けていった。
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