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第9話 彼が本気になったなら
⑭ ヴィルバルト・グルムバッハ(Ⅱ)
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無茶苦茶なのは、今繰り広げられている戦いにも言えた。
剣戟が起きている。
見上げんばかりの巨体を誇る虎の、その鉤爪と。
大きいとはいえ、携帯武器の範疇を出ないサイズの大剣と。
本来であれば渡り合える筈の無い2つの得物が、幾度となくぶつかり合っている。
それも、信じられない速度でだ。
(遠目で見てるからなんとかなる、けども)
ラティナの動体視力をもってしても、目で追うのがやっとだった。
ズィーガの、その身体に似合わぬ敏捷性も驚嘆に値するものだが、目が釘つけになるのはヴィルの動きだ。
<炎身>により極まった身体能力を十全に発揮し、地を駆け空を跳んで神獣へと斬り付けている。
その立体機動のスピードは、幾つもの残像を残す程。
(実際に分身してても、もう驚かないぞ!)
その程度の技術は習得しているようにすら思う。
だから、青年が空中で徐に進行方向を変えても、斬撃が山を切り裂いても、平静を保つことにした。
炎虎が劣勢に立たされているなど、何をかいわんや、だ。
――そう。
戦いは、ヴィルが優勢であった。
ここまでかの将軍の能力に驚き続けてきたが。
ラティナの心の底では、それでも神獣と戦えるのかどうか、疑問が燻っていたのだ。
当然だろう、何せ相手は神。
人知の及ばない存在である。
どれだけ英雄ヴィルバルトが強くとも、その上を行かないとは限らない。
……だが、それは杞憂であった。
天を裂かんばかりの、強烈な斬り上げ。
大地を叩き割る、猛烈な斬り降ろし。
薙ぎ払いは周囲の森を、大地を、地形を吹き飛ばす。
ヴィルの放つ攻撃を、ズィーガは爪で、炎で、どうにか防御しているが、少しずつその身を削られていった。
逆に炎虎の繰り出す攻撃は、青年に危なげなく対処されている。
鉤爪は大剣で受け捌き。
炎は斬撃によってかき消し。
その巨躯で体当たりを仕掛けても、身をかわして華麗に回避。
稀に掠ることはあっても、鎧によって完全に防がれている。
『ぬ、あ、あ、あ、あ――!!』
苦し気な、それでいて苛立ちの籠った神獣の呻き声。
無理も無い、己が防戦一方になるなど、欠片も想像していなかっただろう。
(もうすぐ、決まる――!?)
この均衡は長く続かないと、ラティナは見積もった。
いや、この戦いを眺める者のほとんどがそう感じていることだろう。
じわじわと、確実にヴィルがズィーガを追い詰めている。
刻まれる傷は次第に深くなり、そのダメージによるものか動きも僅かに鈍くなってきた。
炎虎には、今の状況を維持し続けることすら難しい筈。
そんな思いは――
『がぁあああっ!!?』
――呆気なく実現した。
ヴィルによって腕を斬り飛ばされた神獣が、無様に大地をのたうち回る。
(や、やりやがった……!)
心で喝采を上げる。
ただの“人”が、“神”を地に伏せさせたのだ。
ラティナでなくとも、感極まるのは免れまい。
実際、聖女も魔女も、村長も老侍女も、他の村人たちも、程度の差こそはあれその表情から険しさが抜け始めている。
……訂正、聖女は最初からずっと顔が蕩けっ放しだった。
倒れたズィーガへ、ヴィルが一歩一歩近寄る。
その表情に油断は無い。
確実にトドメを指す気だ。
しかしその直前、巨虎が動く。
『……ま、待て!
我を殺すと、後悔することになるぞ!』
態度こそ尊大であるものの、それは紛れも無く命乞いだった。
“神獣”が、“人”相手に斯様な態度をとるとは――
「ほう。
お前が死ぬと、俺にどう不都合があるんだ?」
興を示したのか、ヴィルが会話に乗る。
『お前達は知るまい、何故神々が我を神獣としたのかを。
全ては、ある“存在”と戦うためなのだ。
神さえ容易く手出しできぬ“存在”を屠るため、我々神獣は存在している!』
「ふむ、その存在とは?」
『耳にしたことはあろう。
その名はベルトル――悪竜などという俗名でも呼ばれておるか。
この世界そのものを破滅させかねん、漆黒の邪悪よ!』
「…………」
青年が口をつぐんだ。
まあ、彼にしてみればそんな態度をとるしかないだろう。
しかしズィーガはそれを勘違いしたようで、饒舌に話を続ける。
『よいか? ここで我が居なくなれば、神獣を1柱欠いた状態で彼奴に挑むこととなる。
そうなれば、ベルトルに抗することは難しかろう。
その後待っているのは、人の世の終わりだ』
「…………」
ヴィルがなんとも言えない顔をしていた。
横から聞いているラティナでも、心中は察して余りある。
『そしてベルトルは近く復活するのだ!
となれば、如何に神とて代わりの神獣を用意は間に合わぬ。
よいか、小さき者よ。
我をここで殺してはならぬ。
滅びの道を歩みたくなければ――』
「殺したよ」
『――む?』
ぼそっとした一言に、神獣が台詞を止める。
その隙にヴィルは言葉を紡ぐ。
「ベルトルなら殺した。
もう3年も前の話だ。
今の話が本当だとしたら、神獣とは随分と怠けた連中だな。
俺はお前達から何の援助も貰った覚えはないぞ」
『――――え?』
炎虎の目が点になった。
そんな表情もできたのか。
ズィーガはしばし呆然とし、その後喚きたてる。
『馬鹿な! ありえん!
ベルトルは神を滅ぼすために生まれた殺神兵器!
ありとあらゆる武器、魔法で奴を傷つけることは不可能!
人がどうあがいたところで、そもそも勝負にすらならぬ!!』
「ああ、こっちが用意していた作戦が悉く無駄になってかなり焦った。
伝説の武器だの窮極の魔法だの、何をどう仕掛けてもかすり傷一つ付かんし。
仕方がないから、最終的にこう――首をきゅっと」
鶏の首を絞めるような仕草をするヴィル。
『―――――は?』
(―――――は?)
ズィーガと全く同じ反応を、ラティナもしてしまった。
周りをちらりと見れば、全員が同じ顔をしている。
(嘘だろ?)
あの男は。
ヴィルバルト・グルムバッハは。
武器を何も使わず、素手でベルトルを絞め殺したのか?
(は、は、ははは)
なんというか、もう笑うしかなかった。
完璧に理外の存在だ。
本当にアイツは同じ人間なんだろうか。
ラティナの頭が思考することを止め、ひたすら渇いた笑いを零し続ける。
『――――ひっ』
しかし、笑えない立場に居る者が、一人――いや、一柱いた。
そのヴィルバルトを敵に回している、ズィーガである。
『ひ、ひぃいいいいいっ!!?』
神獣は、逃げ出した。
恥も外聞もかなぐり捨て、敵である青年に背を向けて全力疾走で逃げ出したのだ。
『嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!!』
木々を薙ぎ倒し、丘を跳び越し、山を駆け抜け。
凄まじい速度で逃げていく。
あっという間に、姿が小さくなる。
そう遠くないうちに、こちらの視界から消えることだろう。
……だが。
「良くないな、それは。
生き延びたいのであれば、お前は降伏しなければならなかった。
戦術的撤退は敵意の維持有りとみなさざるを得ない」
ヴィルは、ズィーガの逃亡を良しとしなかった。
彼は腰を深く沈め、大剣を大きく振りかぶる。
まるで肉食獣が獲物へ飛びかかる直前のように。
まるで弓の弦を限界まで引き絞っているかのように。
限界まで、力を溜めていく。
「ふっ!」
吐き出される息。
<炎身>によって噴出する炎。
射出される身体。
ヴィルは正しく弾丸のような速度で一足飛びにズィーガへ迫る。
そして――
(――え? ブレた?)
空駆けるヴィルの姿に、上手く焦点が合わなくなる。
魔法で強化したラティナ視覚をもってしても、どこかズレたように見えるのだ。
察するに、
(“振動”している、のか?)
それも恐ろしい程の高速で。
……聞いたことがあった。
それは、“帝国”の名門グルムバッハ家に伝わる破壊技法。
それは、攻撃時に生じる“力の流れ”を敢えて歪ませることで、物質を崩壊させる“破壊振動”を生み出す奥義。
――即ち“震撃”。
「おおああああっ!!!」
響く、雄叫び。
<炎身>によって極限まで高まった身体能力で生み出された超振動を、<輝具>によって創られた最強の武具に乗せて撃ち放つ。
いかなる結果が、それによって生じるか?
『――――っ!!?』
“断末魔”は、無かった。
何か、甲高い共鳴音のようなものが耳に響くだけ。
(う、そ……)
ラティナもまた、言葉が出せなかった。
こんな“光景”、初めて見る。
(……消えていく)
ヴィルを中心として。
いや、彼が振り下ろした大剣を中心として、物質が消滅していった。
土も、木も、岩も――大地も山も。
果ては、神獣ズィーガまで。
ありとあらゆる全ての存在が、姿を無くしていった。
(いや、違う。
消えたんじゃなくて――)
――正確には、塵に還っているのだ。
超振動により分解されて、塵々になったのだ。
余りにも細かく。
余りにも美しく粉々に砕けたので。
ラティナの目には、消えたように見えただけ。
炎虎は、何も残さず、何も残せず。
遺言も怨嗟の叫びすら許されず。
極小の粒子となって、この世から去った。
「……さらばだ、ズィーガ」
周囲に何も無くなった“クレーター”の中心。
そこには黒い鎧を纏った青年が、一人静かに佇んでいる。
「――あれが、本当の“震撃”なのですね」
三度、聖女が呟く。
しかし今度ばかりはその顔に“おふざけ”は欠片も存在しなかった。
感慨深げに、それでいて心底嬉しそうな視線で、青年を見つめている。
彼女だけでは無い。
今日、この戦いを目にした全ての者が、あの青年の雄姿を目に焼き付けようとしていた。
自分達は今、“伝説”の生き証人となったのだから。
ラティナも、隣にいるイーファもそれは同じだった。
ヴィルから視線を外さないまま、2人は震える唇で同時に言葉を零す。
「……震撃って、エロい技じゃないかったんですね」
「……あんなもの、ボクの中にぶち込んでたのか、アイツ」
俄かに信じられなかった。
あんな超破壊を齎す必殺技を、あの男は女体の最も敏感な場所へ撃ち放ったのである。
常軌を逸している。
まともな思考でできる発想じゃない。
どうしたら、長く受け継いできた誇り高き技をエロに転用しようと思えるのか。
技を開発した祖先に申し訳が立たないとは、考えなかったのか?
(……変態だ。
紛うこと無き、変態だ――!!)
確信する。
神獣を倒し、なんか格好良い雰囲気出しているあの男が、どうしようもない変態であることをラティナは確信する。
実際、自分がアヘアヘになっても責めの手を全然緩めてくれなかったし。
あそこまでの痴態を人に見せたのは、アレが初めてである。
何故、彼程の英雄が“帝国”を出奔しているのか不思議でならなかったが、きっとこの性癖が原因なのだろう。
(ヴィルバルト・グルムバッハ――なんて恐ろしい男! 色んな意味で!!)
ラティナは、この男だけは決して敵に回してはならないと心に決める。
その“果てしない勘違い”にツッコミを入れてくれる人物は、残念ながらこの場に居なかった!
剣戟が起きている。
見上げんばかりの巨体を誇る虎の、その鉤爪と。
大きいとはいえ、携帯武器の範疇を出ないサイズの大剣と。
本来であれば渡り合える筈の無い2つの得物が、幾度となくぶつかり合っている。
それも、信じられない速度でだ。
(遠目で見てるからなんとかなる、けども)
ラティナの動体視力をもってしても、目で追うのがやっとだった。
ズィーガの、その身体に似合わぬ敏捷性も驚嘆に値するものだが、目が釘つけになるのはヴィルの動きだ。
<炎身>により極まった身体能力を十全に発揮し、地を駆け空を跳んで神獣へと斬り付けている。
その立体機動のスピードは、幾つもの残像を残す程。
(実際に分身してても、もう驚かないぞ!)
その程度の技術は習得しているようにすら思う。
だから、青年が空中で徐に進行方向を変えても、斬撃が山を切り裂いても、平静を保つことにした。
炎虎が劣勢に立たされているなど、何をかいわんや、だ。
――そう。
戦いは、ヴィルが優勢であった。
ここまでかの将軍の能力に驚き続けてきたが。
ラティナの心の底では、それでも神獣と戦えるのかどうか、疑問が燻っていたのだ。
当然だろう、何せ相手は神。
人知の及ばない存在である。
どれだけ英雄ヴィルバルトが強くとも、その上を行かないとは限らない。
……だが、それは杞憂であった。
天を裂かんばかりの、強烈な斬り上げ。
大地を叩き割る、猛烈な斬り降ろし。
薙ぎ払いは周囲の森を、大地を、地形を吹き飛ばす。
ヴィルの放つ攻撃を、ズィーガは爪で、炎で、どうにか防御しているが、少しずつその身を削られていった。
逆に炎虎の繰り出す攻撃は、青年に危なげなく対処されている。
鉤爪は大剣で受け捌き。
炎は斬撃によってかき消し。
その巨躯で体当たりを仕掛けても、身をかわして華麗に回避。
稀に掠ることはあっても、鎧によって完全に防がれている。
『ぬ、あ、あ、あ、あ――!!』
苦し気な、それでいて苛立ちの籠った神獣の呻き声。
無理も無い、己が防戦一方になるなど、欠片も想像していなかっただろう。
(もうすぐ、決まる――!?)
この均衡は長く続かないと、ラティナは見積もった。
いや、この戦いを眺める者のほとんどがそう感じていることだろう。
じわじわと、確実にヴィルがズィーガを追い詰めている。
刻まれる傷は次第に深くなり、そのダメージによるものか動きも僅かに鈍くなってきた。
炎虎には、今の状況を維持し続けることすら難しい筈。
そんな思いは――
『がぁあああっ!!?』
――呆気なく実現した。
ヴィルによって腕を斬り飛ばされた神獣が、無様に大地をのたうち回る。
(や、やりやがった……!)
心で喝采を上げる。
ただの“人”が、“神”を地に伏せさせたのだ。
ラティナでなくとも、感極まるのは免れまい。
実際、聖女も魔女も、村長も老侍女も、他の村人たちも、程度の差こそはあれその表情から険しさが抜け始めている。
……訂正、聖女は最初からずっと顔が蕩けっ放しだった。
倒れたズィーガへ、ヴィルが一歩一歩近寄る。
その表情に油断は無い。
確実にトドメを指す気だ。
しかしその直前、巨虎が動く。
『……ま、待て!
我を殺すと、後悔することになるぞ!』
態度こそ尊大であるものの、それは紛れも無く命乞いだった。
“神獣”が、“人”相手に斯様な態度をとるとは――
「ほう。
お前が死ぬと、俺にどう不都合があるんだ?」
興を示したのか、ヴィルが会話に乗る。
『お前達は知るまい、何故神々が我を神獣としたのかを。
全ては、ある“存在”と戦うためなのだ。
神さえ容易く手出しできぬ“存在”を屠るため、我々神獣は存在している!』
「ふむ、その存在とは?」
『耳にしたことはあろう。
その名はベルトル――悪竜などという俗名でも呼ばれておるか。
この世界そのものを破滅させかねん、漆黒の邪悪よ!』
「…………」
青年が口をつぐんだ。
まあ、彼にしてみればそんな態度をとるしかないだろう。
しかしズィーガはそれを勘違いしたようで、饒舌に話を続ける。
『よいか? ここで我が居なくなれば、神獣を1柱欠いた状態で彼奴に挑むこととなる。
そうなれば、ベルトルに抗することは難しかろう。
その後待っているのは、人の世の終わりだ』
「…………」
ヴィルがなんとも言えない顔をしていた。
横から聞いているラティナでも、心中は察して余りある。
『そしてベルトルは近く復活するのだ!
となれば、如何に神とて代わりの神獣を用意は間に合わぬ。
よいか、小さき者よ。
我をここで殺してはならぬ。
滅びの道を歩みたくなければ――』
「殺したよ」
『――む?』
ぼそっとした一言に、神獣が台詞を止める。
その隙にヴィルは言葉を紡ぐ。
「ベルトルなら殺した。
もう3年も前の話だ。
今の話が本当だとしたら、神獣とは随分と怠けた連中だな。
俺はお前達から何の援助も貰った覚えはないぞ」
『――――え?』
炎虎の目が点になった。
そんな表情もできたのか。
ズィーガはしばし呆然とし、その後喚きたてる。
『馬鹿な! ありえん!
ベルトルは神を滅ぼすために生まれた殺神兵器!
ありとあらゆる武器、魔法で奴を傷つけることは不可能!
人がどうあがいたところで、そもそも勝負にすらならぬ!!』
「ああ、こっちが用意していた作戦が悉く無駄になってかなり焦った。
伝説の武器だの窮極の魔法だの、何をどう仕掛けてもかすり傷一つ付かんし。
仕方がないから、最終的にこう――首をきゅっと」
鶏の首を絞めるような仕草をするヴィル。
『―――――は?』
(―――――は?)
ズィーガと全く同じ反応を、ラティナもしてしまった。
周りをちらりと見れば、全員が同じ顔をしている。
(嘘だろ?)
あの男は。
ヴィルバルト・グルムバッハは。
武器を何も使わず、素手でベルトルを絞め殺したのか?
(は、は、ははは)
なんというか、もう笑うしかなかった。
完璧に理外の存在だ。
本当にアイツは同じ人間なんだろうか。
ラティナの頭が思考することを止め、ひたすら渇いた笑いを零し続ける。
『――――ひっ』
しかし、笑えない立場に居る者が、一人――いや、一柱いた。
そのヴィルバルトを敵に回している、ズィーガである。
『ひ、ひぃいいいいいっ!!?』
神獣は、逃げ出した。
恥も外聞もかなぐり捨て、敵である青年に背を向けて全力疾走で逃げ出したのだ。
『嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!!』
木々を薙ぎ倒し、丘を跳び越し、山を駆け抜け。
凄まじい速度で逃げていく。
あっという間に、姿が小さくなる。
そう遠くないうちに、こちらの視界から消えることだろう。
……だが。
「良くないな、それは。
生き延びたいのであれば、お前は降伏しなければならなかった。
戦術的撤退は敵意の維持有りとみなさざるを得ない」
ヴィルは、ズィーガの逃亡を良しとしなかった。
彼は腰を深く沈め、大剣を大きく振りかぶる。
まるで肉食獣が獲物へ飛びかかる直前のように。
まるで弓の弦を限界まで引き絞っているかのように。
限界まで、力を溜めていく。
「ふっ!」
吐き出される息。
<炎身>によって噴出する炎。
射出される身体。
ヴィルは正しく弾丸のような速度で一足飛びにズィーガへ迫る。
そして――
(――え? ブレた?)
空駆けるヴィルの姿に、上手く焦点が合わなくなる。
魔法で強化したラティナ視覚をもってしても、どこかズレたように見えるのだ。
察するに、
(“振動”している、のか?)
それも恐ろしい程の高速で。
……聞いたことがあった。
それは、“帝国”の名門グルムバッハ家に伝わる破壊技法。
それは、攻撃時に生じる“力の流れ”を敢えて歪ませることで、物質を崩壊させる“破壊振動”を生み出す奥義。
――即ち“震撃”。
「おおああああっ!!!」
響く、雄叫び。
<炎身>によって極限まで高まった身体能力で生み出された超振動を、<輝具>によって創られた最強の武具に乗せて撃ち放つ。
いかなる結果が、それによって生じるか?
『――――っ!!?』
“断末魔”は、無かった。
何か、甲高い共鳴音のようなものが耳に響くだけ。
(う、そ……)
ラティナもまた、言葉が出せなかった。
こんな“光景”、初めて見る。
(……消えていく)
ヴィルを中心として。
いや、彼が振り下ろした大剣を中心として、物質が消滅していった。
土も、木も、岩も――大地も山も。
果ては、神獣ズィーガまで。
ありとあらゆる全ての存在が、姿を無くしていった。
(いや、違う。
消えたんじゃなくて――)
――正確には、塵に還っているのだ。
超振動により分解されて、塵々になったのだ。
余りにも細かく。
余りにも美しく粉々に砕けたので。
ラティナの目には、消えたように見えただけ。
炎虎は、何も残さず、何も残せず。
遺言も怨嗟の叫びすら許されず。
極小の粒子となって、この世から去った。
「……さらばだ、ズィーガ」
周囲に何も無くなった“クレーター”の中心。
そこには黒い鎧を纏った青年が、一人静かに佇んでいる。
「――あれが、本当の“震撃”なのですね」
三度、聖女が呟く。
しかし今度ばかりはその顔に“おふざけ”は欠片も存在しなかった。
感慨深げに、それでいて心底嬉しそうな視線で、青年を見つめている。
彼女だけでは無い。
今日、この戦いを目にした全ての者が、あの青年の雄姿を目に焼き付けようとしていた。
自分達は今、“伝説”の生き証人となったのだから。
ラティナも、隣にいるイーファもそれは同じだった。
ヴィルから視線を外さないまま、2人は震える唇で同時に言葉を零す。
「……震撃って、エロい技じゃないかったんですね」
「……あんなもの、ボクの中にぶち込んでたのか、アイツ」
俄かに信じられなかった。
あんな超破壊を齎す必殺技を、あの男は女体の最も敏感な場所へ撃ち放ったのである。
常軌を逸している。
まともな思考でできる発想じゃない。
どうしたら、長く受け継いできた誇り高き技をエロに転用しようと思えるのか。
技を開発した祖先に申し訳が立たないとは、考えなかったのか?
(……変態だ。
紛うこと無き、変態だ――!!)
確信する。
神獣を倒し、なんか格好良い雰囲気出しているあの男が、どうしようもない変態であることをラティナは確信する。
実際、自分がアヘアヘになっても責めの手を全然緩めてくれなかったし。
あそこまでの痴態を人に見せたのは、アレが初めてである。
何故、彼程の英雄が“帝国”を出奔しているのか不思議でならなかったが、きっとこの性癖が原因なのだろう。
(ヴィルバルト・グルムバッハ――なんて恐ろしい男! 色んな意味で!!)
ラティナは、この男だけは決して敵に回してはならないと心に決める。
その“果てしない勘違い”にツッコミを入れてくれる人物は、残念ながらこの場に居なかった!
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