あなたが私を手に入れるまで

青猫

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第四章

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「フェアクロフ。協議の末、判決が出たそうだ。会場に戻るぞ」
 警備兵がそう言って、レオンを留置していた部屋の扉を開けた。
 やっと裁きを言い渡されることになって、むしろレオンはホッとする。どんな結末が待ち受けるのかあれこれ思い悩みながら待つ時間は苦痛で、ただ部屋に閉じ込められて何もできないという状況には疲弊させられた。セリーナがああして追いかけてくれた、という事実がなおさら、早く己に下される罰を知って次の一手を模索したいと、レオンを急かしていた。
 裁判の行われる部屋に戻ると、マットもそこにいて、隣に座らされた。どうやら一緒に判決を言い渡されるらしい。
「よお。疲れた顔してんな」
 マットがニヤリと口端をあげて小声で話しかけてくる。レオンも声をひそめた。
「いろいろあって……。セリーナと接見した」
 目を見開いたマットはこちらに顔を向けたが、警備兵の存在を気にしてすぐに姿勢を戻す。
「セリーナさん、あの怪我で王都に?」
「そうなんだ。俺の気も知らないで、彼女は……」
 レオンの胸の中には、つい数時間前に彼女が告げた言葉がまだ鳴り響いている。それに耳をすますたびに、仄暗く染まっていた自分自身が救われていく気がする。
「彼女は俺に、愛していると言ってくれた」
 自分で確かめるようにレオンはそう言って、強張っていた肩から力を抜く。その事実に身を浸すように。
 ふと隣を見ると、なぜかマットは目を潤ませていた。
「うわ、俺、なんでこんな感動してんだ。自分の身の話でもないのに。おい、他の奴に言うなよ」
 慌てて目を擦るマットは、何かを弁明するようにまくし立てる。今まで言葉を交わしている二人を見ないふりしていてくれた警備兵も、ギロリと睨みつけてきた。
 レオンとマットは慌てて口をつぐみ、姿勢を正す。
「……ありがとう、マット」
 ささやき声で言うと、隣のマットが荒息で鼻を鳴らす。少し間をおいて「おう」という低い声が返ってきた。
 その時、部屋の重々しい扉が外から開かれ、裁判員が入廷してくる。
「被告人二人は起立!」
 号令に従い、レオンとマットは椅子から立ち上がった。正面の壇上に腰を下ろした軍幹部や議員から、また値踏みするような視線が注がれる。
「審議によって、マット・サーヴァンとレオン・フェアクロフへの判決が決定した。この裁判は兵士による私刑という事案にとどまらず、地方の行政腐敗や軍の捜査権の議論にまで及ぶ、難しいものとなった」
 ゆっくりとそう告げるのは、この場で一番年長である国防大臣だ。
「この裁判においては、アイゼンシュタイン卿がフェアクロフ夫人を誘拐した経緯、また卿が手を染めていた犯罪が審議の上で重要な項目である。今一度確認しておきたい」
 そこで別の軍検察官が、現時点で判明しているアイゼンシュタインの悪行を確かめるように、書類を読み上げ始める。
 アイゼンシュタインは地方行政の貴族院議員だったが、麻薬の密売を行っていた。その麻薬は下町の治安悪化の原因となり、彼は犯罪者集団とも強い繋がりができていたことが判明している。
 その犯罪者集団の人員の中には、下町の貧しい子供たちも多く含まれ、少年犯罪で裁かれた子供を監獄ではなく隔離された開拓団や孤児院に送ってしまうフランク・ブランソンは、かなり邪魔な存在だったようだ。そして少年法を設立しようと各方面に働きかける彼に、犯罪集団とアイゼンシュタインは危機感を抱き、土砂崩れを装っての殺害にまで至った。
 レオンは今一度、影から見ていた生前のフランク・ブランソンの姿を思い出していた。穏やかそうな、柔和な紳士だった。セリーナと並んで歩く姿や、裁判所を威厳を持って歩く姿が思い出される。セリーナを妻とした同じ男として、彼の無念が痛いほどよくわかる。
 レオンが思考を沈ませている間にも、裁判は佳境に差し掛かり、判決に至った主文が読み上げられ始めた。
「また、アイゼンシュタインへの襲撃の経緯は、何時間もの聴取と調査によって明らかになっている。フェアクロフとその部下は、セリーナ・フェアクロフを拷問から救い出すために屋敷に突入し、死傷者を多数出した。軍の治安維持隊として手続きが踏まれなかったのは問題であるが、判決にはその事件の緊急性も考慮された。しかし武装をしていなかったアイゼンシュタインへの意図的な攻撃は、一個隊を預かる隊長にはふさわしくない、理性を失った凶暴な行為だったことは否めない」
 そして、裁判員はそれぞれが確認し合うかのように視線を交わす。レオンは静かに息を吸い込み、隣のマットの固唾を呑む気配を感じていた。
「それでは、判決を言い渡す。被告人レオン・フェアクロフは階級降格の処分と、勤務地の変更である。兵士としての更生のため、監督者をアーノルド・ベリオ・ヴェネット総隊長とし、所属を王都軍本部の一番隊とする」
 レオンは下された裁きの内容を理解するなり、はじかれたように目線を壇上のヴェネット総隊長に向けた。しかし彼の表情からは何も読み取れない。ほとんど恩赦とも取れるこの決定は、絶対に総隊長によるものなのに。
「続いて、マット・サーヴァン。この者にも降格と勤務地の変更による処罰をくだす。王都軍本部の三番隊測量局への異動を命じる。各種手続きや住居の確保による期間は一ヶ月とし、詳細はまた追って沙汰を出す」
 マットもぽかんとした顔になって、レオンと顔を見合わせた。そんな二人を置いてけぼりにして、国防大臣が木槌を振り下ろす。
「これにて閉廷する。二人の拘束は解除される。直ちにヴェネット総隊長の執務室へと向かうように」
 一体なぜこんなことになったのか。レオンとマットは訳がわからないまま立ち尽くす。そんな二人にはもう興味を失ったかのように、軍の高官や議員は退場していった。

 レオンとマットは普段以上に背筋を一直線にして、ヴェネット総隊長の執務室に直立していた。目線さえ宙に固定して、目の前に座る上官からの言葉を待つ。
「まず、お前らの暴走とも言えるこの襲撃事件だが」
 なんの前置きもなく、総隊長は二人を見据えて切り込んできた。
「俺の監督下となる今後は、いかなる理由があろうとも、手順を無視した捜査などは一切許されない。それをもう一度肝に銘じておけ。お前らの失敗は、アイゼンシュタイン卿への疑惑を持った時点で、上層部にその情報を上げなかかったことだ。以前から、地方都市に新設された若い部隊が良い働きをしていると報告を受けていただけに、遺憾だ」
 謝罪の言葉が喉までこみ上げてきたが、レオンはそれをぐっと飲み込んで、叱責の言葉を受け止めるだけにした。まだ発言は許されていない。
 ヴェネット総隊長は椅子に深く腰掛けながら足を組み替えた。どこまでも鍛え抜かれたような空気をまとった彼の表情からは、怒りも同情も読み取れない。
「フェアクロフの階級は三士官まで落とされる。一番隊の中では最下級だ。まずは俺の周りの雑用、武器の手入れ、軍部内の情報伝達、遠征の場合は従者としての仕事を命じる。もちろん、隊の訓練への参加も義務付ける」
 つまりレオンは、総隊長の命じることなら荷物持ちから使いっぱしりまで、なんでもこなさなくてはならなくなるのだろう。築き上げた階級が全て崩される無念さと、今までは雲上の人と思っていた総隊長のそばで働ける喜びで、何をどう考えればいいか分からない。
 マットも同じような降格と三番隊での仕事内容を言い渡されている間、レオンはさらに目まぐるしく考え込んでいた。
 この階級で得られる俸給はどのくらいだろうか。自分は王都に身を置くことになるが、住む場所は兵舎だろうか。セリーナを呼び寄せて一緒に生活をすることは可能なのか。
 いや、三士官という身分では、物価の高い王都で妻帯の生活はかなり苦しい。単身で兵舎に住み、セリーナに送金する方が現実的だ。いつか彼女の元に帰りたいと願ったが、それはかなり先のことになりそうだと、レオンはこっそりと肩を落とす。
「ああ、言い忘れていた」
 総隊長の声がレオンの思考を遮った。彼は机に肘をついて、少し身を乗り出している。
「フェアクロフ夫人も、先ほど軍本部の六番隊に採用された。軍職が多い世帯の場合は、家族宿舎への入居が許される。これが申請書だ」
 総隊長の言う内容が、よくわからない。レオンはますます理解の遅くなっている自分の頭を搔きむしりたくなってきた。
「セリーナが……六番隊に?」
 まだ発言は許されていないのに、レオンはその言葉を繰り返す。総隊長は叱責もせず、一つ頷いた。
「医療部だ。前々から薬草の研究を始めたいと六番隊長が言っていたので、ハーブに詳しいらしいフェアクロフ夫人を助手としてどうかと打診したら、あっさり採用となった」
「ま、待ってください。まさか、俺へのこの恩赦と、セリーナが軍に身を置くことは、なんらかの思惑の末の、」
 レオンがさらに声をあげようとするのを、総隊長の冷たい目が遮った。
「恩赦? 思い上がるな。しかもフェアクロフ夫人に軍職を与えるのは、保険のようなものだ。恋に染まると規範も何も忘れてしまうバカ者へのな。これからせいぜい、剥奪された階級を挽回するために身を粉にして軍に仕えることだ」
 レオンは「は」とだけ返事をして、また姿勢を堅苦しいものに戻す。
 規律に支配された冷たい沈黙が部屋を満たし、レオンとマットには再び、抗えない序列の高嶺から見定めるような視線が注がれた。
 ふと、レオンは耳に、ヴェネット総隊長がかすかに喉の奥で笑うような気配を拾った。そっと視線だけを動かすと、彼の口角がわずかに上がっている。
「問答はここまでだ。一ヶ月で全てを整え、王都での任務を開始せよ。解散」
 そう言い渡され、反射的に敬礼をして部屋を出る。
 人影が少ない廊下で、レオンとマットは顔を見合わせ、今まで以上に途方にくれた。
「えっと、これで終わりか?」
 と、最初に確認したのはマットだ。
「終わり、というか……拘束は、もうされないみたいだな」
「つまり、これから一ヶ月で王都に引越しして新しい任務につけ、と」
「いろいろやることはあるが、まず。……まず、セリーナはどこだ」
 彼女を探すために、二人は一緒に駆け出した。
 
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