異世界の孤児院より~やがて少女は旅に出る~

山なき鳥

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決意の朝

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 ――魔法は神さまから与えられる贈りもの

 でも、私は神さまに出会ったこともなければ、声を聴いたことすらない。
 私にとって魔法とは手の届かない存在……星空のようなものだと、昨日、話を思い返して悟った。

 神さまにすがり、あやふやな力をあてにすること。それ自体を悪いことだと決めつけられるほど、私は偉い人じゃない。
 けれど私は、神さまに縋るわけにはいかないのだ。
 自分以外の力を当てにするのであれば、私の手はそこへ向けられたままになる。
 何も掴むことはなく、ただ届かぬ空へと伸ばすだけ。

「……それじゃあ、みんなを守れないから」

 だから、私はもうひとつの可能性、“魔術”を求めることにした。
 声に出すのは自分に対する意思表示。
 左手は胸元に。跳ねる鼓動に合わせて息を吸って、吐き出して。
 やがて、浅い呼吸が鼓動を追い越すころ。
 雲を裂き、瀕死の私を救った魔術の使い手……おじいちゃんの部屋の扉をノックした。

 乾いた音が明け方の澄んだ空気にこだま・・・する。
 次いで古い木材のにおいが鼻を撫で、私の頭のなかを整とんしてくれた。

「どうぞ。……入るといい」

 香りで心を落ち着かせていると、一拍遅れて扉の向こうから声がかけられる。
 優しいしわがれた声。けれども、そこにはいつもと違って哀しげな響きが交じっていた。
 何か悲しい夢でも見てしまったのかもしれない。
 そんな子どもじみたことを考えながら、私は静かに扉を開けた。

「失礼します」

 排された呼気の代わりに、ほのかなおこう・・・の香りが出迎える。
 優しい匂いだ。
 芳香にゆるみかけた頬を引き締め、私は室内へと目を這わす。
 左手奥の窓から差し込む午前の陽は、シーツに染み込んで柔らかな色をつくっていた。
 そんなベッドの反対側。木机の前に座るおじいちゃんは、私を見つめて浅くうなずく。

「おはよう。エイミーがここに来るとは珍しいのう」

 彼はそう言って、口元にたくわえた白髭を撫でた。
 私をとらえていた深い青色の瞳は、次いでベッドへと向けられる。
 「座るといい」そう促してくれたおじいちゃんに、私はゆるく首を振る。

「ここで大丈夫。朝はやくにごめんなさい。……えっと、誰かが来る予定だったの?」

 伝えたのは謝罪と疑問。
 部屋に入る前にかけられた言葉には、たしかに哀しい響きが交じっていた。
 けれど、今は少しも感じない。
 だからこそ、それは私に向けられた言葉じゃなくて、ましてや夢のせいなんかじゃなくて。他の誰かへと向けた言葉だったのでは、と思ったのだ。
 おじいちゃんは視線を引き戻し、深くため息を吐いた。

「エイミーは鋭いな。朝は、ルシルがよく来るからの」

 彼は吐息に交えてつぶやき、目を伏せる。
 そんな様子を見て。私は、部屋に入る前に聞いた哀しい声は、ルシルへ向けられたものだったのだと理解した。
 無意識に自傷を繰り返してしまうルシル。
 彼女は未だに、痛みとともに目覚めを迎えているのだ。
 一緒に眠った夜が思い起こされ、引き裂かれた手の甲に痛みを錯覚する。
 ぎちぎちと肉を責め立てる血塗れの爪。あれが未だに彼女を抉っていると思うと、手の甲よりも胸が強く痛んだ。

 ――ルシルを助けたい

 胸の痛みを噛みしめ、私は決意を新たに口を開く。

「おじいちゃん、お願いがあります」

 心に宿すは“守る”覚悟と“寄り添う”意思。
 幼きを排し、腰を直角に曲げてう。

「……私に、魔術を教えてください」

 覚悟と意思を、現実とするための力を願う。
 この世界に来た初日のような浮ついた気持ちではない。
 物語の主人公のような素晴らしいものじゃなくていい。
 辛くても、苦しくてもかまわない。私の小さな手で、大切なものを守ることができるなら。

 下げられた私の頭は視界を床に固定して、顔色をうかがうことを許さない。
 衣ずれの音も呼吸の音も、今は遠い。

「そう、か」

 彼は少しの間をおいてからつぶやいた。
 短い言葉には多くの想いが籠められていて、私には全てを読みとることができなかった。
 こぼれ落ちた感情もまた同じく。
 けれど、おじいちゃんは私が言い出す言葉をあらかじめ知っていたように思えた。

 まるで私を通して昔を懐かしむような。
 一度読んだ推理小説を再び読むときのような。
 震える空気は、そんな不思議な響きを含んでいたから。

「顔を上げなさい」

 未だ下げられたままの頭に対し、彼は言い放った。
 ぴしゃりと言い切られた言葉からは常ならぬ威厳があふれている。
 その命令的な語調が、まとう空気が。
 私が対しているのはおじいちゃんではなく、大魔術師アルダメルダ・ファーファレウスであると知らしめる。

 短い返事をして顔を上げると視線が交差した。
 私を見つめる瞳の色は青。いつもと変わらない、深い海を思わせる青色だ。

「魔術は力だ。人を、簡単に殺すことができる」

 だが、語る声音に温度は無い。
 甘さを排した言葉は途切れることなく襲い来る。

「才無き者の手になわわぬ異常。神を模倣し、近づかんとせん傲慢。――力を以て、お前は何を成すと誓う?」

 研ぎ澄まされた刃のような言葉は喉元に突きつけられた。
 息を吸うこと、吐くことさえも許さない威圧感の前に、唾液は喉の奥へと失せ、口のなかが干上がっていく。
 
 張り詰めた緊張感は心を揺さぶりかける。
 臆病な私はきっと、いつもなら泣きだすか謝るかしていたことだろう。
 だけど、今日は退くわけにはいかない。

 私はこの世界のことをほとんど何も知らない。
 種族のこと、差別のこと、神さまのこと、魔法のこと。
 少しだけの知識すら人から聞いた話で、私の経験ではない。

 この陽だまりのような場所で不自由のない生活を恵んでもらって、愛してもらって。
 幸せを受け取るだけに伸ばされる私の手は、きっと誰も守れない。
 ――だから、このままでは駄目なんだ。

「……私には、難しいことはわかりません」

 緊張を押し退け絶え絶えに。
 けれど、確実に喉を震わせる。

「怖がりだし。頭はよくないし。何の取り柄もない」

 自分の言葉で私を語る。
 寂しがりな心の弱さを。
 嫉妬深い心の脆さを。

「性格もよくないし。心も、体も弱い」

 “それでも”
 私は言葉を継げる。想いを、感情を伝えるために。

「私はみんなが好き。おじいちゃんも含めた、ここのみんなが好き」

 閉じたまぶたの裏。暗闇に浮かぶのはみんなの笑顔だけではない。
 雨の日に垣間見た心の闇もまた、私の心に刻まれているから。

「……でも、きっとこの世界は優しくない。だから私は、私が好きなみんなを守る」

 暗闇の中に光と闇を見て、瞳はもう一度青を映す。
 言葉からこぼれた感情を眼に籠めて、私の視線は彼を射抜く。

「大切なものを手のひらからこぼさないための力が。寄り添って守る力が、私は欲しい……です」

 声は震えていたかもしれない。
 緊張で上ずっていたかもしれない。
 ――だとしても、その弱さも含めて私の想いだ。

「…………」

 彼は何も言わなかった。
 代わりに瞳の青が語りかける。
 声なき声が、言葉にならない感情を伝えてくれた。

 幾度目かのまばたきのあと、彼は机の引き出しから一冊の本を取り出した。
 大図鑑のような分厚い本。はげた装丁には焼け跡と血痕が見受けられる。
 遠目に見ただけで底知れない不安を感じるそれを、ずいと私へ近づけた。

「――――っ!」

 両手で受け取ったそれは、本とは思えないほどに重かった。
 書庫の本と違って獣臭くない。けれど、パピルスとも思えない質感。
 不思議な材質の本を開こうとするも、それは微動だにしなかった。
 まるで閉ざされた状態が正しいと言わんばかりに黙している。

 本から漂う気配に、呼吸は自然と浅くなっていく。
 まるで、生きたまま全身の骨を粉々に砕いて、潰して、私だったものをぐにぐにと捏ね回されるような。
 明確な感触を伴った恐怖が、そこにあるのだ。

 噛み合わせた歯が知らせるのは警告。
 本を手放せと、私を強く責め立てる。

「――この本は開かない。来たるべきときまでは、決して」

 ここじゃない。どこか別の場所へとかいを漕いでいた私の意識は、取り上げられた本の喪失感によって引き戻された。

「相応しい実力をつけたとき、真に成長を遂げたとき。これをお前に授けよう」

 余韻を残すことなく失せた感覚は、戸惑いすら与えなかった。
 私の神経は今、紡がれる言葉にのみ向けられている。

「まずは力をつけよ。話の続きは、それからだ」

 彼は言葉を切り、パチン! と指を鳴らした。
 そして言葉を私ではなく、私の後ろの扉へと投げかける。

「入りなさい」

 小さく声をあげた扉に対し、私は一歩前へ出てから振り向いた。
 開いた隙間から身を滑り込ませるようにして入室した彼女は、長髪を後ろへとやりながら小さく返事をする。

「ラピス……」

 どうして? とは継げなかった。
 書庫で魔術の本を探す私を見て、察したのだと想像がついたから。

 彼女は首だけ向け、私の姿をちらと見てから姿勢を正し、

「この子は、私にお任せください」

「……ああ。頼んだぞ」

 二人は普段と違う口調で言葉を交わした。
 違和感の無い会話から理解した。
 私の知らない絆が、二人のあいだにはあるのだと。

「私の名と“空の魔法使い”の二つ名に懸けて」

 頭を垂れ、左手は胸に、右手は足に。ラピスは優雅に敬意を示す。

「――エイミー」

 次いで彼女は私に向き直り名を呼んだ。
 普段と変わらない、やわらかい笑みを添えて。

「私はあなたの想いを誇りに思うわ。けれど、感謝の言葉は今じゃない」

 語る彼女の指先は光を纏う。
 描き出される光の線は、いつかおじいちゃんが見せてくれたものと同じに見える。
 きっとラピスは“魔法使い”であり“魔術師”でもあるのだろう。

「偉そうな言い方になっちゃうけど、いつか私にお礼を言わせてね?」

 継げた彼女の指先からは光の玉が浮かび上がった。
 ひとつ、ふたつとそれは数を増してゆき、私の周りをふよふよとただよう。

「励め、エイミー。さすればいつか、わしが師事をする日も来るだろう」

 二人の言葉に籠められた想いは期待。
 私の言葉が空想ではなく現実になったとき、祝福すると約束してくれた。
 甘いだけじゃない、強さを含んだ優しさだ。
 じんわりと胸に熱いものが注がれる感覚が心を満たす。

「まかせて、よ!」

 不格好な私の返事。強い言葉は喉を通るとき、違和感を感じて裏返ってしまった。
 けれど、そんな私を二人は笑わない。
 細めた瞳で優しく、力強く見守ってくれていた。


 私はきっと大切なものを失った。失ったものが何なのか思い出せないほど、ごっそりと。
 一度失ったものは二度と戻らない。
 ならば、せめて今ある大切なものだけは失わないように。

 ――私は守り、寄り添う誓いを立てた


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