異世界の孤児院より~やがて少女は旅に出る~

山なき鳥

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魔術という手段

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 私を占める記憶の大半は、真っ暗な狭い部屋の心的外傷トラウマだ。

 許された世界は本当に僅かで、そこには何もなかった。
 音も。温もりも。日の光も。
 ……ああ、何も見えない暗闇だけは、あるといえばある。

 たまに投げ入れられるぐちゃぐちゃとしたモノを口に運ぶことで、私はかろうじで死なないでいた。
 口に運ぶそれが何なのか、本当はわかっていたのかもしれない。
 けれども、暗闇しか映さない瞳は真実から目を背け続けた。

 何も見えない世界で私を呪っているように思えて。
 怖くて、怖くて。
 それでも死にたくなくて、私はそれを口に運び続けた。


 永遠に続くかに思えた暗闇の日々は、ある日唐突に終わりを迎える。
 私は自由になったのだ。
 それは突然に、何の前触れもなく。

 開け放たれた扉から差しこむ光は、闇に棲んでいた私にはとても強烈で。
 いつまでも目が眩んでいたことを覚えてる。
 閉じたまぶたを透過する光に、涙したことも。

 焦れた救いに期待を膨らませて、私は這いずって光へと進み――直後、視界を地面が埋め尽くした。
 追って、鋭利な痛みが教えてくれた。

 ――死を

 私は許されない罪を犯した。
 それでも、あの子は違うから。
 終わってしまう前に……せめて、証のリボンだけでも外へ。

 そう思って手を伸ばそうとするも、その手が持ち上がることは二度となかった。
 弛緩していく体は呼吸すらも満足に行えなくなっていく。

 完全に体が私の支配を拒む直前。
 焦れた想い人が優しく、私の頭を撫でてくれた。



 ◆



 目をつむっても何も見えなくなるわけじゃない。
 それは酷く理不尽なことだと、私は思う。

 閉じたまぶたの裏に想起される心的外傷は、いつも私の心に影を落とす。
 けれども、だからこそ。
 今の幸せを……この、暖かな場所を大事にしていきたい。

 それは私の新しい家族、エイミーも含めて。



 ◆



 書庫から何冊かの本を持ち出して、私たちは外の木陰へとやってきた。
 空は高く、鳥の羽のような雲がちらほら見える以外は淡青の世界が広がっている。
 秋の空気は澄みわたっていて、遠くの青も目に近い。

 瞳に色を満たしたあと。
 私はそこに、かたわらの少女の姿を描き出した。
 恐怖から目を背けず、受け止めたうえで立ち向かう勇ましい姿を。
 実際に見ることができたわけじゃない。
 でも、中の様子は、扉を隔てても伝わってきていたから。
 何が彼女を突き動かしたのかはわからないけれど、私はその変化を心から嬉しく思う。

 喜色の吐息をはいて、視線を下げる。
 青から黒へ。
 瞳が映すのは、空に描いた少女の実像だ。

「――さあ、それじゃあ始めましょうか」

 切り替えの言葉は自分のため。
 エイミーが異世界から来た『転移者』であることは知っている。魔術の存在しない世界からやって来たことも。
 だから、まずは基本的なことから教えることにした。

「エイミーが学ぼうとしている魔術は昨日話したとおり、魔法とは別のものなの。
 魔術は、神さまに愛されなかった人たちが魔法を模倣……真似して創り上げた学問よ」

「学問……ってことは、勉強すれば誰でも魔術師になれるの?」

 肩上に切りそろえた漆黒の髪を揺らし、エイミーは問いかける。
 表情は真剣そのもの。くりっとした黒目は、私をとらえて離さない。

「いいえ」

 これから魔術を学ぼうという彼女には酷な現実かもしれない。
 それでも私は、首を振って否定した。
 中途半端な期待は、人をより傷つけることを知っているから。

「原理を学び、鍛錬を積めば、誰でも魔術は使えるようになる。
 けれど、そこには才能とも言い換えられる『魔術適性』というものがあるわ」

 ふと、ある少女の幻影が視界をチラついた。
 真っ白な髪から覗く赤い瞳が印象的な、かつて誰よりも魔術に妄執したあの子の姿が。

「……高い適性に恵まれた人は、鍛錬を積めば、岩をも砕く魔術も扱えるようになる。
 反対に恵まれなかった人は、同じだけ頑張っても、吹けば消えるような火くらいしかおこせない」

 魔術も魔法も、結局は運なのだ。
 そして、その運に恵まれなかった者は、不遇な扱いを受けることもある。
 かといって、恵まれた者が幸せになれるわけでもないけれど。

 適性とは元素、言い換えればマナとの親和性に因って生じる不平等だ。
 まだエイミーには難しい話だろうから、詳しい話は省いた方がいいだろう。

「何にせよ、まずはエイミーの適性を見なければ始まらないわね」

「う……うん」
 
 不安の色を瞳に宿し、目の前の少女は浅くうなずく。
 才能という努力で覆せない要素が絡むと知って、物怖じしてしまったのだろう。
 無理もない。けれど、ここで優しくするのは違うと思う。

「多くの人は大した適性を持たないわ。適性がない人の努力は、無為なものよ」

 魔法使いであり魔術師という傍から見れば恵まれた立場から、その他を見下すように言い放つ。
 エイミーの適性が低く、魔術師になれる見込みが無かったとき。行き場のない苛立ちを私にぶつけられるように。

「あまり自分に期待しないで。魔術が駄目なら、他の道もあるのだから」

 耳元でささやくように告げる。
 言葉は毒。彼女の決意を踏みにじる、れる毒だ。

「…………」

「――さて、エイミーの適性を見てみましょうか!」

 黙りこくってしまった少女を瞳に映し。
 私は、あえて明るい口調で言ってのける。

 本当は適性なんてどうでもいい。
 結果なんて出なくても好きだって、私がエイミーを守るって伝えたい。
 そんな想いを圧しこめて。私は、黙りこくってしまった彼女に、しなをつくって微笑みかけた。



 ◆



「《しるし》は間違えないように、正確に描くのよ」

 魔術適性を見るには実際に魔術を使ってみるに限る。
 熟練の魔術師にはそれ以外に判断する方法があるらしいのだけど、私にそんなことはできないから。

 ――世界に満ちる元素、“マナ”は強い感情に呼応する。

 《しるし》はマナを感情に反応させるための触媒だ。
 “想い”や“願い”を魔術にするための道具と言い換えてもいい。
 起こす現象と結果を想像し、正しい《しるし》を描き、そこに想いを籠めることで魔術は発動される。

 想いの丈が強ければ強いほど。
 籠められた感情が鮮烈であるほどに魔術は強力なものになる……とは、おじいちゃんの言だ。
 
 エイミーにまず教えたのは《風》の《しるし》。
 単体では危険性が低く、基本的な元素を示すものである。

「まずは指先に意識を集中して、深呼吸……」

 落ち葉が敷かれた土のうえ。彼女はつぶやきながら、教えたとおりに目を閉じた。
 慣れれば一瞬で強い感情を引き出すこともできるけど、最初は集中のため五感情報を絞った方がいい。
 
 一拍の間を置いて、彼女は右腕を持ち上げる。
 深い呼吸。ピンと立った人差し指と中指の先に、ぼうっと仄明かりが灯った。
 それはマナを呼び寄せる“感情”という名の呼び水だ。

 姿勢を変えずに深呼吸。
 仄明かりは燐光をまとい、指先が淀みながらも動き出す。
 閉じた瞳は開かれた。視線の先、正確に描かれたのは《風》の《しるし》。

 魔術は、鍛錬を積まなければ結果をもたらさない。
 強く純粋な感情。現実と見まがう空想を描く想像力。そして一定以上の魔術適性が必要なのだ。
 私も風の魔術を使えるようになったのは、練習を始めてから半年後のことだった。
 だから、まずは指先にマナが集まるかを確認できればいい。

 ――そう考えていた私は、息を呑んだ


「わぁ…………!!」


 感嘆の声とともに生じたのは、可視できるほどに濃い風のマナ。
 薄い翠色の元素は指先でうねり、渦を巻き、空をんで音を生む。
 エイミーはただの一度で魔術を遣ってみせたのだ。
 体幹を揺るがせるほどの暴風に、黒髪は激しく躍り、同色の瞳は未知への興奮に震えていた。

 ……才能、なんて生易しい次元の話じゃない。
 これは異常だ。素質や資質を超越した、明確なる異常。白昼夢を見ているようにさえ思えてしまう。
 けれど、これは夢じゃない。
 舞い落ちる木の葉が、梢のそよぎが、私に目の前の光景を現実と思い知らせた。
 木々は声を上げて笑う。まるで彼女を祝福するように。

「ラピス……その、これ」

 しばらくは高揚感に浸っていたエイミーだが、無言でいる私に違和感を覚えたらしい。
 高揚は鳴りを潜め、不安へと移ろう。
 彼女は眉根の尾を下げ、指先に留めたままになっている魔術の処理を訊ねてきた。

「空に向かって放ちなさい。……決して、余計なことは考えないで」

 眉間にしわが寄る。険しい口調になったことを反省する余裕はない。
 全く駄目だったときは私が悪者になればいいと思っていた。傷つかない程度に罵って、悔しさを吐き出してもらえれば、それでいいと。
 ……だが、これは完全に想定外だ。

 よくやく返された反応に、エイミーは深くうなずいてから従った。
 彼女は両手を大きく振り上げる。集っていたマナは与えられた指示に歓喜し、空の彼方へと旅立った。
 空に溶ける風を想うのもつかのま、一瞬遅れて反動の風が地を撫でる。
 それは地上の落ち葉を押し退けて、彼女を中心とした円を描き出した。

「…………」

 眼前の少女を見やり、教える《しるし》を違えなくてよかったと嘆息する。
 多少の時間がかかったとはいえ、エイミーが寄せ集めたマナは大魔術師――おじいちゃんのそれ・・に匹敵する。
 これが《火》や《闇》で、そこに《圧縮》や《切断》を加えていたならば。人どころか、どんな魔獣だって簡単に殺せてしまうだろう。

 私はかけるべき言葉を探し始めた。
 力がもたらすのは幸福とは限らない。大きすぎる力は、正しく扱わなければ災いとなってしまう。
 それに彼女のことだ。異常を知らせたならば、自分の力に怯えてしまうかもしれない。

「……まあまあ、ね」

 所在なさげに立ち尽くす少女へ、無感動に嘘を告げてやる。
 事実を伝えるには、エイミーはまだ幼すぎるから。体だけでなく、精神的にも。
 あの子のこともあるのだから、こと魔術に関して褒め讃えるのは無しだ。

「これからの努力次第では上達するわ。さ、もう一度《しるし》を描きなさい」

 子どもは特有の万能感を持つものだ。
 何もかもが自分の思い通りになり、空さえも飛べてしまうような思い込み。
 それは成長とともに薄れてゆくものだけど、エイミーくらいの年齢ではまだ残っていることが多い。
 魔術に関心を寄せていた少女が、期待通り、あるいは期待を超えた現象を引き起こしてしまった。
 その特異性を否定されたのだから、嫌悪感を覚えるのが普通だと思うのだけど、

「はい!」

 エイミーは顔をパッと明るくし、勇ましく返事をしてくれた。
 薄く潜んでいた不安や甘えは消え失せ、瞳は今や目覚めたばかりの太陽のように輝いている。
 才を否定されたことによる苛立ちや、迷いなんて微塵もない。
 ただただ魔術を習えることが嬉しい。そんな純粋な想いが、見ているだけで伝わってきた。

 私の動揺を置き去りに、彼女の指先は次々と《しるし》を描き出す。
 まるで初めて貰ったプレゼントの包装を解くような。
 そんな高揚と喜びをほとばしらせながら、小さな指先は軽やかに動き続けた。

 絶えず空へと放たれる暴風。はためく黒髪を見やりながら、私はどうするべきかを考える。
 エイミーの才能を伸ばすべきか、否か。
 魔術はマナを集めるだけで出来上がるものではない。
 数多に存在する《しるし》の暗記。それを同時に描く鍛錬。発展的な魔術では、性質の違う元素を混合させて、制御する技能も必要になってくる。
 私が手を抜けば、成長の芽を摘むことも――と、一瞬浮かんだ考えは噛み殺して飲み込んだ。
 ここにはおじいちゃんがいるのだ。エイミーが悪意に利用される心配なんて、必要ないのだから。

「――ラピス先生! どうですか!?」

「え?」

 意識を逸らしていた私は、唐突に投げかけられた言葉に反応できなかった。
 呆気にとられてしまった私に気付いたエイミーは、照れ笑いを浮かべながら言葉を継げる。

「その、ラピスは私よりも年上だし。せめて魔術を教わるときは敬語を使いたいと思って……」

 後半に行くにつれて声はか細く、消え入るように小さくなっていった。
 考えていたことを勢いで口に出してしまったのだろう。ふと冷静になって、気後れしてしまったのかもしれない。
 そんな遠慮しいな彼女の様子はとても可愛くて、胸の奥がきゅっとすぼまった。

 私の世界が暗闇に閉ざされる前。貴族の子弟に師事したことは数あれど、良い思い出など一つもなかった。
 誰もが私を『先生』と呼び慕っていたが、その裏で苛烈な嫉妬に身を焦がしていたことを知っている。
 瞳と魔術を見れば、私は心の内を垣間見ることができるから。

 魔術は心を映す鏡だ、と私は思う。
 憎しみや苛立ちを込めて《しるし》を描いても魔術は発動する。
 けれど、歪んだ想いは歪んだ結果を引き起こすものだ。

 しかし、エイミーの魔術はどうだろう。
 指先から生み出される風は大地を撫で、草木を撫で、その種子を彼方へと運び行く。
 少女の心を表すは春の日差しのような、あたたかい、穏やかなマナの流れだった。

「――先生の言うことは絶対。それでいいなら、私が教えられる全てを授けるわ」

 右手を口元に添え、片目を閉じてほほえみかける。
 優しい、穏やかな心を持った少女へと。
 私を先生と仰いでくれる、血のつながらない妹へと。

「……っはい! 先生!」

 冗談めかして言ったのに、彼女はビシッと姿勢を正して答えてくれた。
 先生なんて呼ばれて嬉しくなるのは初めてだ。
 添えた右手は釣り上がる口角を隠すため。先生がニヤついてたら、締らないものね。

「ほら、手が止まってるわよ。次は風を手に集めて、細く打ち出しなさい」
 
「はい!!」

 先生らしく、少し偉そうに指示をしてみた。
 エイミーはそれに対し嫌な顔一つせず、言われたままに《しるし》を描き出す。

 これだけ高い能力を持つのだから一段飛ばしで教えても問題ないだろう。
 魔術の鍛錬では、マナを集めることが最も肝要とされている。
 先立つものがなければ技術も何もないのだから、本来はそれで間違いない。

 けれど、そこを既にクリアしているエイミーには不要な段階だ。
 私が教えることができない上位魔術ならいざ知らず、普通の魔術に膨大なマナは必要ない。
 細やかな力のコントロール。マナの圧縮と解放。《加護》の習得。
 実践的な項目だけでも、まだまだ先は長い。

 もしかしたらそれすらも易々とこなしてしまうのでは。……などという心配は杞憂だったようで、苦戦している様子だった。
 集まるマナの量が膨大すぎて、制御することが難しいのだろう。風は空へと放たれるも、それは拡散するばかり。
 それでも休むことなく《しるし》を描き続ける彼女に、私は手を止めるように言ってから歩み寄った。

「エイミーは優しすぎるの。おじいちゃんが言っていたとおり、魔術は力。もっと強引にやらないと上手くいかないわ」

「わかりました。……強引、かぁ」

 告げるも、やっぱり言葉だけではよくわからないようだ。
 エイミーは自分の両手を見つめ、何度か結んで開いたあと、ゆっくりとこちらへ視線を這わせた。
 私に訊ねたいけれど、言われたことが理解できない駄目な子だと思われたくない……そう、顔に書いてある。
 そんな彼女を見てこぼれそうになる笑みは、胸の奥へとしまっておいた。真面目に悩んでいるのに笑ってしまったら失礼である。
 私は瞳を見つめたあと、エイミーの背後へと回り込み、

「手、握るわね」

 言いながら右手首を掴みあげた。
 「え?」という声とともに揺らいだ肩は、左腕で抱きとめる。
 こういったことは実際にやってみるが早い。身体で覚えた方が効率的なのだ。

「空気を握りしめる感覚で行うのよ。……ほら、目を閉じて」

「は、はい」

 上気した頬。赤みを帯びた耳へとささやく。
 魔術の興奮が残っているのか、心臓の音は少しだけ早かった。
 無理もない。私も初めて魔術を成功させたときは、大いにはしゃいだものだ。
 遠い過去を想いながら、掴んだ右手を宙へと運び、握る手には力を籠める。

「ゆっくり、ゆっくり、風が指先に集まってくる」

 小さな指先がまとうは仄明かり。
 そこにマナが集まって、燐光で存在を主張する。
 私の力ではない。エイミーのみの力で元素は凝り、集まった。

「それをひとつまとめに握りしめて、一か所にだけ穴を作りましょう」

 ぽつり。明確なイメージを告げ、閉じたまぶたの裏に描かせる。
 目をつむった彼女の代わりに、《しるし》を刻むのは私の仕事。

「穴は力の捌け口。絞り出すように圧をかければ、風は細く、強く駆ける」

 重ねた右手を導いて、空に描くは《風》の《しるし》。
 青塗りの世界に光の線がたなびいて、連なって。それはひとつの魔術となった。

「さあ、目を開けて。魔術はいま、あなたの手のなかに」

「――はいっ!」

 生気に満ちた返事とともに、魔術は空へと放たれる。
 私には扱えない莫大量のマナが凝り、一直線に空へと向かう。
 鋭い風切り音。反動をもたらさないそれは、大気を引き裂いて駆け抜けた。

 ……あとに残るのは散ったマナの余韻だけ。
 空を見上げたまま。私は、握りしめていた右手を手放した。
 肩を抱いていた左手も下ろすと、エイミーはくるりとこちらを向き直る。
 そして、自由になった両手で私の肩をつかみ、満面の笑みで口を開くと、

「先生、ありがとうございます」

 細めた瞳に私を映し、無上の感謝を伝えてくれた。 
 まるで花が開くような笑顔。
 口に出したなら、陳腐な表現だと揶揄されてしまうかもしれないけれど、エイミーの笑顔は他にたとられないほど可愛らしかった。

 彼女の笑顔に照らされて、私は思い至ったことがある。
 エイミーは、どうして私の言葉に疑問を抱かなかったのか。才を否定されることを受け入れられたのか。……それはきっと、魔術なんてどうでもよかったからなんだ。
 “私が好きなみんなを守る”そう誓った彼女は、そのための手段として魔術を選んだだけのこと。
 だからこそ、人と比べて優れている、劣っている。そんなことに興味はなくて、意味はなくて。
 どこまでも真っすぐに、この家のみんなを愛してくれているのだと理解した。
 胸に熱いものがこみ上げて、瞳が湿り気を帯びるなか、

「これからもっと、もっとたくさん特訓して、先生も守れるようにがんばります!」

 彼女は笑みの余韻を残しながらも、きゅっと眉をつりあげて言い切った。
 決意を湛える瞳に、私は思わず息を呑む。
 光が見えたのだ。黒い虹彩の奥に、私たちを導こうとする優しい光が。

「そうね。……楽しみにしているわ」

 今にも飛び跳ねてきそうな様子の彼女へと告げながら、私は額を、彼女の額に重ね合わせた。
 不自由な足は中腰の姿勢を嫌がるけれど、心で不満をねじ伏せる。
 行動の意図は自分でもわからない。ただ、どうしようもなく愛おしい気持ちがそうさせたのだ。

 本当はわかっている。エイミーは、私とは違う“特別”だって。
 きっと私なんかすぐに追い越されてしまうだろう。
 それでも、私は“先生”だから。強きをかたって余裕ぶる。
 自身の異常に気付いて、彼女が怯えてしまわないように。孤独になってしまわないように。

「――さ、休憩はおしまいにしましょう。言ってくれたとおり、今日からは毎日特訓よ!」

 名残惜しさを振り切って額を剥がし、私は晴れやかに宣言した。
 返されるのは真っすぐな視線と言葉。
 軽く背を叩くと、エイミーは再び《しるし》を描き始めた。
 


 ◆



 遠く、山々の向こうへと日が沈んでゆく。
 朱を含んだ夕空はまだ明るくて、完全に日がおちるまでの猶予を教えてくれた。
 弱まる陽光に少しだけ寂しさを感じていたところ、視線は声に導かれた。

「ラピス、これで平気かな?」

 隣で座るエイミーが、髪をおさえながら問いかける。
 「手がじゃまでわからないわ」そう告げると、小さな手は離れるのだけど、耳元のひと房がぴょこんとあとを追った。

 特訓を終えた私たちはいま、木蔭に隣り合って腰を下ろし、髪を整えている。
 エイミーは日に陰りが見えるまで、ひたすら《しるし》を描き続けた。
 マナを集束させるには高い集中力が必要だ。初めて魔術に触れたのだから、もしかしたら疲労で倒れてしまうかもしれない。
 そんな予測を、彼女は良い意味で裏切ったのだ。

「ここ、跳ねてるわよ」

「えっと、ここ?」

 自分の耳元の髪をひと掴み。跳ねている個所を指摘するも、エイミーは逆の方を手で押さえ、照れまじりに問いかける。
 残念、反対だ。

「こっちよ」

 なかなか正解を引けないでいる彼女の黒髪に、指先をすっと通す。
 ルシルは髪に頓着しないし、自分以外の髪を梳くことなんてなかったから、なんだか新鮮な感覚だ。
 
「……えへへ」

「ん? どうしたの?」

 膝を折り曲げて、内股に座ったエイミーの後ろに回って梳いていると、頬がほころんでいることに気がついた。
 すん、と鼻を働かせれば、香り立つのはせっけんの匂いと甘やかな女の子の香り。名前のとおり花のようないい匂いだ。

「ううん、なんでもないの」

 緑の絨毯のうえ、足と腕をもぞもぞと動かしながら少女ははにかむ。
 少しくすぐったそうに。
 そして、とても気持ちよさそうに。

「そう」

 自然と私の声音も弾んでいた。
 何気ないやり取りが、今は心から愛おしい。

 暗闇の心的外傷は強大で、今の私には目を背けることで精一杯だ。
 だけど、この子が居てくれるならいつの日か乗り越えられる。
 そんな根拠のない自信を、エイミーは私に与えてくれた。

「ねえ、ラピス?」

 顔だけくるりとこちらに向けたエイミーが問いかける。
 まん丸のお目目いっぱいに、私を映して。

「ラピスの髪も跳ねてるよ?」

 ……しまった。エイミーを気にするあまり、自分の確認がおろそかだったようだ。
 「今度は私が梳いてあげるよ」そう言って彼女は立ちあがり、私の後ろへと移動した。

「いいわよ。どこが跳ねてるのか教えてくれれば」

 やんわりと断る言葉を、エイミーは頑として聞き入れてくれない。
 おそらく退く気はないのだろう。
 私はリボンをほどいて、されるがままになった。

 気弱で優しい子という印象だったのだけど、おじいちゃんの威圧に耐えたり、魔術を使い続けても疲れない集中力を持っていたり。
 雨の日には高い感受性を。そして今は、ちょっぴり頑固な一面を見せてくれた。
 きっとこれからも、私の知らない姿を見せてくれるのだろう。
 それが私は、とても楽しみでしかたない。

 初めて出会った日、私はエイミーを快く思っていなかった。
 歩み寄ってくれたコリーを避け、怯えたことが気に入らなくて。
 転移者という立場を考えれば仕方のないことだと理解しながらも、家族を差別された怒りの方が勝ってしまった。

 けれど翌日、コリーは嬉しそうに私に話してくれたのだ。
 「エイミーが謝ってくれた。俺を“人だ”って認めてくれた」って。
 普通、人間は一度決めた価値観を簡単に変えることはできない。
 ましてや精神的に幼い彼女が自分の非を認めて悔いるなんて難しいと、無理だと思い込んでいた。

 そんな私の古い価値観を、エイミーは壊してくれた。
 差別を嫌う私が、いつの間にか人間を枠に当てはめて差別していたことに気付かせてくれた。
 そして、苦しむコリーの心に寄り添ってくれた。

 “ありがとう”は、いま言うべき言葉じゃない。
 だから私は代わりに、

「これからもずっとよろしくね。エイミー」

 いつか訪れる、その言葉を伝える時を予約しておいた。
 

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