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神さまの涙
しおりを挟む「……エイミー。起きて」
ひんやりとした木の感触。
ほっぺたを硬く受け止めるそれに身をゆだねていると、向かい側から声がかけられた。
「……もうごはんだよ。ね、起きて」
ちょっとおろおろとした可愛い声。
心地よいそれを子守歌にして、私はもう一度意識を手放し――
「ひゃあっ!?」
かけたところで、耳に吹かれた息に起こされた。
すっとんきょうな声を上げてしまった私は慌ててあたりを見回す。
席に着いたルシル、コリー、デンテル、おじいちゃん……と、
「ふふ。ほら、もう朝ごはんできてるわよ」
私の背後に立ち、口もとを手で隠して笑うラピスがいた。
どうやら犯人は彼女らしい。
朝食前にうたた寝してしまった私が悪いのはわかるけど、これはどうにも恥ずかしい。
頬を膨らませて不満を主張すると、
「ごめんなさい。えいっ」
彼女は謝りながら、私の頬を指先で突いた。
ぷひゅっ、と間抜けな音が響いて、ルシル以外のみんなの頬が緩む。
もー! と顔を熱くして怒る私に、ラピスは今度こそ普通に謝ってから席に着いた。
その足取りは軽やかで、まるでステップでも踏むかのよう。
「あれ? ラピス、今日は足の具合がいいみたいだね」
上機嫌の彼女に問いかけたのはデンテル。
彼とコリーは瞳の下に大きなクマをこさえている。
間違いなく、私とルシルが夜中に大声を出していたせいだろう。
あとで謝らないと。
申し訳ない気持ちで自然と視線が下を向く。
二人に挟まれたルシルも肩を小さくしていた。
「ええ。エイミーとルシルが治してくれたから」
もう痛みに縛られることはないの。
そう継げると、ラピスは私とルシルにウィンクを送った。
とてもまぶしい笑顔を添えて。
ラピスの短い言葉から何かを察してくれたのだろう。
二人は追及することなく、ただ「おめでとう」と、彼女の回復を祝ってくれた。
コリーは鼻をすすりながら。デンテルはゆったりと頷きながら。
昨日の夜。
ルシルとの一件のあと、私たちのもとを訪れたのはラピスだった。
彼女はルシルが何かを言い出すよりも先に、私たちを井戸へと連れて行った。
そして洗われて、朱に染まった水を見て血塗れだったことを思い出したのだ。
ラピスによって身を清められた私は、苔むした井戸のふちに腰かけて、二人のやり取りを見守っていた。
魔術による治癒が追いつかず、爪痕がむき出しになっている頬に包帯を巻くラピス。
何かを謝り、次いで抱きしめられるルシル。
……やがて私たちは三人揃って、朝焼けがにじむ空を見上げたのだった。
「――さあ、食べるとしよう。……もうわしは腹ペコでな」
ちょっとだけしんみりとした空気を、おじいちゃんがおどけた調子で塗り替える。
気を利かせて軽口を言ったのだろう。
そうあたりをつけていたら、本当におなかの鳴る音が響いた。
器からわき立つ湯気が鼻をくすぐる。
塩気の利いた干し肉と、もちもちしたパン系の主食。それと温かいスープ。
そんなご馳走に今日もありつけることに、私たちは目をつむって感謝した。
◆
洗った器の水気を除いて、食器棚へとしまいこむ。
あと片づけを済ませた私は、小さな音に導かれて外を見た。
「雨……?」
空には太陽が輝き、あたたかな日光を地上へと届けている。
けれども、細かいぽつぽつが窓を濡らしているのだ。
お天気雨は前の世界でも目にしたものだけど、私はその仕組みを知らない。
不思議だなあ。
ぼーっと外を見つめていると、
「何か、面白いものでも見えるの?」
少し高いところから声がかけられた。
振り返って視線を持ち上げてゆくと、そこにいたのは長身糸目の男の子。
「あ、デンテル。ほら……見て」
伸びをして大きな口を開けている彼に、窓を指さして促す。
やはり寝不足なのだろう。
狭い隙間のまぶたには、うっすら涙がにじんでいた。
「うん、“神さまの涙”だね」
目をこすりながら、何でもないふうに彼は言う。
意味がわからなかった私は、頭のうえに“?”マークを浮かべた。
聞いたことのない言葉。
だけど、その美しい響きは耳に残った。
そんな私に気づいたデンテルは、両手をポンと叩き、
「ごめんごめん。えっと、エイミーは前に虹を見たときのことを覚えてるかな?」
短い問いを継げた。
言葉の意味がわからないということは、きっと転移者は知りえない情報なのだろう。
仕組みがどうの、なんて疑問はどこへやら。
私の興味は今、その神秘的な言葉にのみ注がれていた。
「覚えてるよ。たしか虹を見てお願いをすると、光の神さまが叶えてくれるんだったよね」
教えてくれたのはルシルで、光の神さまの名前は“プルメリア”だったかな。
自分のなかの情報を整理しながら答えると、デンテルは片肘を畳んで持ち上げて、伸びをしながら続けた。
「そうだね。そういった言い伝えのひとつで、こういう雨を“神さまの涙”っていうことがあるんだ」
前の世界でいう“狐の嫁入り”みたいなものかもしれない。
涙というと、昨日たくさん泣いた私には思うところがある。
「――じゃあ晴れのときの雨だから、嬉し泣きだね」
そんな思ったままを言葉にして送り出した。
過去の想いが消えてしまった私は、ここに来て“嬉し泣き”というものを知った。
それは悲しい時の涙とまったく違う、素晴らしいものなのだ。
幸せな気持ちがトクトクと心の底からわき出て、心と体を満たしたあと、こらえきれずに外へとあふれ出ること。
それが嬉し泣きなんだって、私はもう胸を張って言える。
つい昨日どちらも体験した私は、そのときのことを鮮明に思い出していた。
「……そっか。そういう考え方もあるんだね」
私の想いは届いたらしい。
言葉を味わうように、彼は細い目をさらに細めてうなずいた。
ふとデンテルはどう思ったのか気になった私は、それを問いかけようとして――
「可愛いね」
一歩踏み出した彼の言葉に阻まれた。
面と向かって褒められることに慣れていない私は、どうしていいのかわからなくて。
顔を熱くして、両手でチュニックの裾を噛んでいると、結わえた髪の束が持ち上げられた。
「そのリボン、とっても似合ってるよ」
そして彼は付け加えてくれた。
とても、とても嬉しい言葉を。
「えへへ……そうかな?」
自分じゃなくて、リボンをくれたラピスが褒められているような気持ちになる。
それが嬉しくて。
私はもう一度言ってほしいなぁ、なんて思ってしまった。
「可愛いよ。コリーにも見せてくるといい」
そんな私の期待に、デンテルは笑みを交えてこたえてくれた。
ついでに一つ、すてきな提案も添えて。
「……ありがとう。畑のほう、行ってみるね!」
窓の外の天気雨、神さまの涙はもう止んでいた。
さっき裏口へと向かう彼を見たから、きっと外に出ているのだろう。
デンテルの「いってらっしゃい」という言葉を背に受けながら、私はわくわくを胸に駆け出した。
私から抜け落ちてしまった記憶。
誕生日に真珠色のペンダントをもらったときも、こんな気持ちだったのかもしれない。
そんなことを考えていたら雫が一筋こぼれ落ちた。
心と体がちぐはぐなこのかんじは、まるでさっきまでの空模様みたい。
……なんて想いは吐息に乗せてはきだして、私はぐいと目もとをぬぐった。
◆
裏口を抜け、ふわっと香る土の匂いに包まれてすぐ。
井戸のふちに腰かけているコリーと目が合った。
「コリー! あ……あのねっ!」
間髪を入れずに口を開いたものの、想いがつっかえて言葉にならない。
いや、言葉にはなっているのだけど、そのまま伝えることができない内容なのだ。
“可愛いって言ってほしい”……そんな想いが形になった言葉なのだから、それは当然といえるだろう。
「おう、どうしたんだ?」
そんな私に対し、コリーはひょうひょうとした様子で応じた。
いつものように耳をぴくぴくと動かして、私の姿を見つめている。
勢いだけで突っ込んできてしまった私は、とにかく慌ててしまって。
あわあわと動く口は意味のないうめきを漏らし、両手はせわしなく動いてしまう。
彼との温度差がどんどん開いていくなか、私は名案を思い付いた。
「いっ、いい天気だね!」
「ん? ああ、さっきまでは雨降ってたけどな」
直接口で伝えるんじゃない。
それとない仕草で気付いてもらえばいいのだ。
いつもの何気ない会話にまじえて、私は結わえたリボンをツンツンといじってみる。
「えっと……コリーは草むしりに来たの?」
ふりふり。ふりふり。
結わえた毛先で遊んでみた。
「いや、今の時期は作物を植えてない場所があるからな。耕して、土の掃除をしようと思ってな」
「え!? それなら私も手伝うよ?」
彼はそんな私の行動に気づくことはなかったけど、何やら大変な作業をしようとしていることがわかった。
土を耕す。
耕うん機を使って行うそれは知っているけれど、コリーの脇に置かれているのは鍬だ。
とても重そうだし、大変な作業に思える。
なんだか浮かれていた自分が恥ずかしくなってしまった。
彼はみんなのために重労働をしてくれているのに、私は自分のことばかりで。
だからせめて、今からでも手伝いたかったのだけど、
「これは俺の仕事だから。エイミーは気にすんな」
コリーはそう言って聞き入れてくれなかった。
断り方はやんわりしているけど、強い意思を感じる声音だ。
どうしてかはわからない。
けれど、絶対に手伝いをさせたくないらしい。
「そんなわけにはいかないよ」
でも、はいそうですかと引き下がるなんてあり得ない。
ラピスとの特訓は遅らせてもらって、今日はコリーの手伝いをしよう。
私はそう決めていたのだけど、彼は首をたてに振ってはくれなかった。
しばらく押し問答が続いたあと、コリーは観念したようにため息をひとつ。
そしてゆっくりと口を開いた。
「……エイミーはさ、魔術で俺たちを守ってくれるんだろ?」
問いかける彼はどこか居心地が悪そうに見える。
もちろんそのつもりだけど、いつ聞いたんだろう。
それを訊ねるのが先か、質問に答えるのが先か。
一瞬だけ迷った私は、続けられた言葉に置いていかれた。
「ルシルから聞いたんだ。本当は口止めされてたんだけど、俺、やっぱり隠し事とか苦手だから言うわ」
勢いよく膝を叩いて、コリーは井戸のふちから降り立った。
立ち上がった彼は私の方へと歩み寄る。
やがて一歩分の距離もなくなったころ、彼は再び声をあげた。
「それを聞いたとき、すっごい嬉しかったんだ」
瞳は真芯をとらえて離さない。
ひくついていた耳もピンと立ち、まとう空気が真剣さを訴える。
「上手く説明できないんだけど、なんかこう……腹の奥がぐわーってなった。
体が熱くなって、俺も何かしたいと思ったんだ」
だからさ、
彼は笑みを浮かべて継げる。
「せめて自分ができることくらいはしておきたい。守られるだけなんて男らしくないしな!」
ニッと釣り上げた口からのぞくのは白い犬歯。
光を反射して輝くそれが、彼の凛々しい決意を後押しする。
そんなコリーの表情を見ていると、私のお腹の奥にもあったかいものが満ちてきた。
じんわりと広がるそれが、私の心をわき立たせる。
「――ありがとう。コリー」
こういうときは“ごめんなさい”じゃなくて“ありがとう”。
私は、もう間違えることはない。
お礼の言葉にお辞儀を添えたあと、私は踵を返して、
「……リボン、似合ってるよ」
背を向けた直後に言葉が投げかけられた。
バッと振り向くと、そこにいたのは顔を背けたコリー。
頭の上の耳は赤く染まることはないけれど、代わりに取れて飛んで行ってしまいそうなくらいに動いていた。
……不意打ちはズルいと思う。
私は動かない代わりに赤くなる耳を隠して、足早にその場をあとにした。
去り際に「コリーもかっこよかったよ」と、一言告げて。
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