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出立の前夜
しおりを挟む空に敷かれた暗幕のうえ。
散りばめられた無数の星々が月光に導かれ、甘やかな輝きを放っていた。
「…………」
窓辺でたたずむ私は、そんな星を線で結んで遊んでいた。
描き出されるのはみんなの顔。
ルシル、ラピス、コリー、デンテル、おじいちゃん……《しるし》を刻むように、指でなぞって星座をつくる。
そうして、短くない時間が経ったころ。
出来上がったたくさんの星座に囲まれて、淡く光る星を見つけ出した。
それに自分の名前をつけて、幸せなため息をひとつ。
空は心を映す鏡だ、という言葉を聞いたことがある。
……私の心はきっと、みんなで満たされているのだろう。
――コンコン、コン
耳は、懐かしい響きを拾いあげた。この世界に来た日の夜と同じ三回のノック。
私は思わず笑みをこぼした。
かつて、お化けがいると怖がっていた自分を思い出してしまったから。
水瓶を持って息を荒げていた私は、いま思うとかなりおバカである。
笑い混じりに返事をして歩み寄り、私は扉を開け放つ。
「こんばんは、おじいちゃん」
そこにいたのはあの日と同じ姿の彼。
ゆったりとしたローブも、ほのかに香るおこうの匂いも変わらない。
でも、手首にのぞく白黒だけは違っていた。
「こんばんは、エイミー。……起こしてしまったかな?」
「ううん。そこで、星を見てたんだ」
気遣わしげな彼に首を振って告げる。
そして、作り上げた幸せを披露した。
想いを籠めた指先はマナをまとう。
たなびく光の糸で星を結んで、描き出されるかたちは おじいちゃんの星座。
私の大好きな、優しいお顔。
「……ほう」
口ひげを触りながら、おじいちゃんは小さな声をもらした。青い瞳が光の線を映して煌めく。
私は、そんなあたり前のことがたまらなく嬉しくて。作り上げたすべての星座を描き出した。
あれがルシル座で、こっちがデンテル座だよ。
とりとめもない話を、彼は熱心に聞いてくれる。
お顔のしわを深くして。
細めた瞳の愛色で、私の幸せを見つめてくれていた。
◆
どこまでも星が広がる空の下。
さくさくと枯葉を踏みならしていた私は、くるりと後ろを振り返る。
瞳が映すのは、白と青が基調となっている私たちの家。
花壇に咲き誇る花々も、ちょっと古ぼけた礼拝堂の石壁も、
「今日は冷えるのう。……さあ、こっちへおいで」
そして、優しく手を差し伸べてくれるおじいちゃんも、この世界で目覚めた日と何も変わらない。
変わったのは私の心と、冬色に染まる気温だけ。
澄んだ空気を吸い込んで。
私は、優しい彼のひざへと腰をおろした。
外で星を見よう。
彼がすてきな誘いをくれたのは、ほんの少し前のこと。
いつかと同じように毛布を脇に抱え、私たちは星空の世界へと踏み出したのだった。
冴えた月明かりは、あの日と違って世界を闇で隠さない。
ほほえむ彼に向けた私の笑顔も、きっと届いていたことだろう。
「…………」
言葉を生まずに空を見上げた。
瞳が映す幸せも、耳が拾う鼓動も。
全てが甘く……心を満たす。
「――なあ、エイミーや」
唇が開かれる薄い水音。
それとともに紡がれたのは私の名前だ。
おじいちゃんがくれた、宝物。
「明日から数日間……三、四日ここを留守にすることになる」
「うん。知ってるよ」
ためらいがにじむ言葉に、軽い調子で返答する。
「えへへ……実はデンテルから聞いてたんだ」
そうして私は、彼にネタばらしをした。
夕食後に教えてもらっていたこと。
おじいちゃんは言い辛いだろうから、気遣ってあげてほしいと言われたこと。
「買い出しなんだから気にしないで。私も、野菜だけのスープが続くのは嫌だよ」
冗談めかして付け加え、向き直った私は舌を、ちろっとのぞかせた。
本当はラピスみたいにウィンクをしたかったのだけど、私ではにらみつけるようになりそうだからやめておく。
「……そうか」
おじいちゃんは短い言葉を、夜空へ送り出すように言った。
口端をこぼれた吐息があとを追いかけて、白く弾んで、消える。
……明日は寒くなるだろう。
大魔術師でも、きっと風邪はひく。
ミサンガじゃなくて、もっと気が利いたものが作れたなら――そんな後悔を振り切って、私は体を強く押しつけた。
「…………」
体の温もりをぜんぶ与えるようにして。
強く、強く。
ローブを透過して伝える吐息も。
心臓が送り出す熱も、余すところなく。
「……はやく、帰ってきてね」
彼を温めるだけのつもりだったのに、私の唇はひとりでに動き出した。
それは言うつもりのなかった言葉。
星座を見てもらって、ミサンガをつけてもらって、それで満足だと言い聞かせていたのに。
心のなかの寂しさは素直だった。
「寄り道しないでね。雨の日の約束、お土産なんかいらないから……けが、しないでね」
あふれ出る感情は留まることを知らない。
言っちゃだめだって、おじいちゃんが気にしちゃうからって、口を閉じようとしているのに。
言葉になった想いは、あとからあとから追いかけてしまった。
彼は答えるよりも先に、私の腰へと腕を回す。両手の指を背でからめて引き寄せた。
しなだれかかっていた私を抱きしめ、おじいちゃんは上体を後ろへと倒す。
浮遊感は感じなかった。
壊れものを扱うようなていねいさが、肌に思い遣りを伝えてくれた。
そうして彼は、抱いた私を優しく揺らす。
一定の間隔で伝わる振動が、たかぶった感情を落ちつけてくれる。
鼓動が、近い。
やがて、乱れた息が整うころ。彼は私の髪を、くしゃくしゃに撫で上げた。
まるで犬や猫にするみたいに力強く。でも、愛おしさがにじむ指遣いで。
ほどいた髪が右へ左へとひっぱられて、口からは変なうめきが漏れてしまう。
「――帰ってくるよ。必ず、の」
遅れて紡がれた言葉は、心の中にすとんと落ちた。
“必ず”……言い切る語調はとても力強くて。
私は、それを疑うことをしなかった。
◆
血の繋がらない我が子が、古井戸のとなり、裏口の扉の前で手を振っている。
大好きだよ、おやすみなさい。……そんな親愛の言葉に目を細めて返し、
「……大好き、か」
告げられた言を反芻する。
呟きは彼女の耳に届くことはなく、夜の闇に腐すばかり。
年甲斐もなく寂しさを感じてしまったわしは、届かない言葉の代わりに視線を追わせた。
小さな肩。
肩上に切り揃えられた黒髪は淡く揺れ、月光に照らされて輝いていた。
口端から伝う吐息が、髪にからんで白を添える。
無垢で可憐な笑みを残し、少女の姿は扉の向こうに消えた。
……この世界に来た日から、彼女は成長し続けている。
抜け落ちてしまった想いを取り戻すことはできないが、心は新たな想いに満たされているのだろう。
いつかのような怯えるばかりの目ではない。
瞳の奥には、幸せを守るという確かな意思が宿っていた。
エイミーには意思を実現させるだけの力がある。
それは非常に高い魔術適性に加え、ひたむきな努力を続けた結果ではない。
もちろん才や努力も一要素ではあるが、直接的な要因は別にあるのだ。
――彼女は特別だった
一度教えた《しるし》をエイミーは違えなかった。
普段の記憶力は人並みであり、特筆すべき点はない。
だが、こと魔術になると、あらゆる情報を吸収してしまうのだ。
それは単なる暗記に留まらず、彼女は教わった全ての魔術を、ただの数回使っただけで会得していた。
魔術の難度も、《しるし》の複雑さも関係ない。
凡百の魔術師が一年かけて習得する技術を、エイミーは半日もかからずに修めてみせる。
才能や努力を超越した、それはもはや『異常』だった。
……もっとも、そんな異常を伝えることはないけれど。
エイミーが本当は転移者ではなかった……などということはないだろう。
ありえない。それはわしが、誰よりもよく知っている。
説明のつかない現象ではあるが、それも、結局は些末な問題なのかもしれん。
力とは目標を成すための道具。道具は、使い手が間違わなければ害を及ぼさないのだから。
優しい彼女は、自分が傷つく覚悟はあっても人を傷つける覚悟はない。
それは美徳だと思う。
弱さと断ずる者もいるだろうが、ここは閉じた世界。
わしが許さない限り、彼女らを脅かす者は立ち入れん。
だから、そんな悲壮な覚悟はいらないのだ。
みんなの心を導くための、優しい心だけあればいい。
力なんて見せかけで十分。使わなくて済むのなら、それに越したことはないのだから。
「…………」
愛娘をのんだ扉から視線を外し、わしは、骨と皮ばかりになってしまった手を握り締めた。
温もりは既に絶え、閑寂たる空気を噛むばかり。
ため息ひとつ。老骨に染み入る風に急かされ、わしもまた裏口へと足を進めた。
家の外周を囲う、花壇の花々は冬枯れを知らない。
咲き誇る色のうえ。
何か余計なものが見えてしまう前に、扉の内へと滑り込んだ。
後ろ手に裏戸を閉め、見なれた廊下を歩く。
自室に入ると《しるし》を刻んで、空間に厳重な鍵をかけた。
胸元の湿り気にこぼれる笑みも。
与えられた想いも、感情も、全てを排して開くのは魔法の本。
「……グ、ぶ」
五つの負担は老いさばらえた肉体には重すぎて。
苦痛に歪む顔を押し留め、手放してしまいたくなる弱きをねじ伏せる。
乱れた呼吸で酸素を取り込むと、口端を伝う赤に気付かされた。
……肉体の終わりが近いことを。
あと一度だけなら大丈夫。
何度となく繰り返した自己暗示をかけ、震える手で頁をめくる。
視線でたどるのは、無数の歴史。
ラピス、ルシル、コリー、デンテル……そしてエイミーの、真なる名を越えて。
組み上げられた嘆きの道を歩みながら、心は過去へと馳せていた。
――花は嫌いなんです
そう言って花を愛した、優しい少女の追憶へと。
彼女の気持ちが今ならわかる。
痛いほどに。
やがて栞を挟み、全ての作業を終えたあと。
口を開けたままになっている引き出しを閉めると、懐かしい響きが耳を揺らした。
もう一度開き、音色の主――浅葱色の巾着を取り出す。
「あ、ぁぁ……」
内にのぞくは虹色の貝殻。
託された心の残滓。
大切なそれにこぼれる雫を拾いながら。
声なき声で、消え去った家族の名を呼んだ。
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