40 / 51
捨て去ったものと失くしたもの
しおりを挟む暗色に染められた部屋の片隅で。
コリーと私は、エイミーが去っていった扉を見つめていた。
窓を殴りつける雨音も、撫でてもらった温もりも。
全てが離れて……消えてゆく。
そして、きっとエイミーも離れてゆくのだろう。
私を置いてゆくのだろう。
こんな私を愛してくれた女の子。
優しくて。いい匂いがして。少しだけ泣き虫で。
私の……大好きな家族。
「最低だな……俺」
扉へと縋る視線を捻じ曲げたのは、耳を揺らした嘆きだった。
コリーは頭の上についた耳を伏せ、吐き捨てるように呟く。
「エイミーに当たり散らして、傷つけて。……自分は何もしないくせに」
褐色の頬を伝って雫がこぼれた。
その行方は自身の足。
埋め尽くされた毛のなかに、音もなく吸い込まれてゆく。
彼は後悔しているのだろう。
エイミーに心ない言葉を浴びせたことを。
暴力を振るってしまったことを。
苦々しく歪んだ顔が、のぞく歯茎が物語っている。
あれがコリーの本心じゃなかったことくらいわかってる。
昨日から引きずったどうしようもない不安が、私たちに根差す心的外傷が、そうさせたのだろう。
わかってる。
わかってる……それでも、私は許せなかった。
大好きなエイミーを傷つけたことが、理不尽に責め立てたことが許せなかった。
歪んだ愛情が言葉になって。
口は、それを送り出した。
「……本当だよ」
責め立てる言葉を吐く。
「……エイミーは誰よりも後悔してたよ。
“二人のすれ違いを止められなかったのは私のせいだ”……そう言って昨日、泣いてたんだよ?」
涙は出ないくせに鼻の奥が痛い。
歪まない眉根の代わりに、食いしばった歯が歪な声をあげる。
「……朝。コリーが起きてくるずっと前から、エイミーはいなくなった二人を探してた」
震える吐息を吐きだして。
思い返すのは、温もりが消えていたベッドのくぼみ。
誰より早く異変に気づいた彼女は、きっと一人で解決しようとしたのだろう。
私を……コリーを心配させないために。
私が見つけ出したとき、泣き崩れたエイミーの顔が。
胸を、心を絞めつける。
「……一番つらかったのはエイミー。一番、自分を責めてたのもエイミー」
なのに、
私は憎しみを籠めて継げる。
「……なんで、なんでっ! なんであんなこと言ったの!?」
「…………」
答えを求めた言葉は空を切る。
コリーは目を伏せて、血の気が引いた両手でこぶしを作るばかり。
褐色の肌が白く染まるほどに、力が籠められた手。
この手が……エイミーを傷つけた。
「……エイミー、本当は痛かったんだよ?」
憎い。
「……胸元のアザ、見たでしょ? ねぇ、どんな風にすればああなるのか知ってる?」
憎い。憎い。
「……ごりごり骨を押しやられて。呼吸さえ苦しくなって。怖くて、怖くて……ッ!!」
思い起こされるのは四角い鉄の檻の生活。
たくさんの男たちに責められ続けた私は、エイミーが受けた苦痛を知っている。
固い手の甲……骨で鎖骨を削られるのは本当に痛くて。
目の前に迫る顔が怖くて。
軋みをあげる骨が怖くて。
責め立てる怒号が怖くて。
女の力じゃ抗えない、圧倒的な暴力に晒されること。
その辛さは、言葉だけで伝えられるものじゃない。
だから悔しい。
同じ痛みを与えられないことが……たまらなく悔しい。
「…………ッ!!」
言葉を手放して胸元を掴みあげる。
座ったままのコリーに、少しでも痛みを伝えるために。
ねぇ、痛いでしょ?
エイミーはもっと痛かったんだよ?
なのに笑って、なぐさめてくれたんだよ?
ねぇ、ねぇ、ねぇ!!
「…………」
必死に痛めつけているのに。
こんなにも憎んでいるのに。
コリーは唇を噛みしめたまま、何も言葉を紡がなかった。
変わらず、目と耳を伏せるだけ。犬歯が唇を抉って、汚い血を流すだけ。
だから私は、もういいやって思った。
こんなものいらないって、そう、思った。
「……コリーが代わりに、いなくなればよかったよ」
全ての思い出を打ち捨てて。
私は、言ってはいけない言葉を口にした。
最下位を争った貝合わせ。
エイミーをなぐさめ合ったコロッケ作り。
お互い正解を当てられなかった、雨の日の問題。
みんなで鍋を囲ったお月見。
協力して挑んだペンダント作り。
もらったミサンガを見せあいっこしたり、昨日は料理で言い争いもした。
――ぜんぶ、捨てた
私たちが家族に戻れなくなる一言を。
何もしてないのは私も同じなのに、そこから目を背けて……言ってしまった。
瞳に、かつてのお母さまの姿が蘇る。
白い髪、赤い瞳……紅蓮の魔女、アグニマズド・グラットンの姿が。
お母さまは私に最後。とても、とても汚い言葉を贈ってくれた。
そんなお母さまが憎かった。
お母さまと、私は違う。
そう思い込むために前髪を伸ばして、赤い瞳を隠していたのに。
……やっぱり、お母さまと私の血は繋がっていたんだ
腐った性根は同じだった。心を踏みにじる言葉を送りつけるところまで。
けれど、お母さまは凄まじく強かった。
人の枠を超えていると評されるほどに。
大魔術師だった、歪んだ心のお母さま。
何の取り柄も無い、歪んだ心のわたし。
無価値なのがどちらかなんて、考えるべくもないだろう。
エイミーは私を“重荷”だと言った。
私の身を案じて、涙をこらえて言ってくれたことは知っている。
顔に、そう書いてあったから。
それでも、私に力があったなら。
ラピスに負けない。エイミーにも、おじいちゃんにも負けない力があったなら。
私は……エイミーの隣で、支えることができたのかな。
寄り添うことが、できたのかな。
捨てたものの代わりに、何かを拾うことができたのかな。
殺されてしまった表情と同じ。
私の足は、死んでしまったかのように動こうとしない。
扉の向こうへと消えてしまったあの子を、追いかけることすらできない。
全ての家族が消えた食堂で。
私はただ、立ち尽くした。
◆
……どのくらい、意識を手放していただろう。
自己嫌悪に沈んだ心を揺り起こしたのは、肩に添えられた褐色の手だった。
「――ルシル」
誰かが私を呼んでいる。
いつも競い合っていた、優しい、大好きな、知らない人だ。
「俺さ、行くよ」
彼は笑っていた。
哀しい顔で、笑っていた。
「こんなことで許されるとは思わない。けど、全部エイミーに押しつけるなんて――」
震える手。
震える肩。
震える声。
「男らしく……ないもんな」
涙交じりの声で、明るく、彼は言った。
「……コ、リー?」
忘却から覚めた私の喉は、短い名前を送り出した。
私が大好きだった家族の名前を。
私が傷つけてしまった人の名前を。
彼は息を呑んで動きを止めた。
泣いていた。
どうしようもないくらい哀しい顔で、貼りつけた笑顔も涙に流されていた。
自分のせいでこうなった。傷つけてしまったのだと思うと、次の言葉が続かなかった。
怖かった。
何かを告げてしまえば、より深く傷つけてしまうのではないか。
そんな想いを、噛み千切った頬肉の痛みで断ち切って。
私は、死んだ足に鞭を打つ。
――けれども彼は、私の肩を突き放すように押して牽制した。
「必ず帰ってくる。……ごめんな」
剥げてしまった作り笑いを、もう一度顔に塗り込めて。
彼は、血を吐くように呟いた。
意識の薄い足は、よろめいた体を支えない。
一瞬の浮遊感。腰から床に接触し、両手を後ろ手について勢いを殺す。三点から伝わる衝撃は、混乱にかき消された。
彼は、倒れてしまった私を気遣う言葉を座らせて、扉の向こうへと消えてしまう。
「……行く?」
去りゆく姿を見つめながら、私はつぶやいた。
どこへ? 決まってる。街だ。
エルヴンガンドの街に獣人が立ち入るということ。
それは、確実な死を意味するのに?
殺されに行くのと同じことなのに?
「…………っ!」
止めないと……!
行動を遅らせた思考が呪わしい。
錆ついたように鈍い足が腹立たしい。
あんなことを言ってしまった自分が憎らしい。
けれど、悔やむのはあとだ!!
廊下の奥から言い争う声がする。
片方はエイミー、もう片方はコリー……何かを奪いあっていて、この瞬間、それは決したらしい。
遠ざかってゆく声を追いかけて、愚かな私は駆け出した。
◆
口内に満ちる鉄錆の味。
胸を焦がしてた怒りの炎。
止めどない後悔と、絶望の恐怖。
全てを置き去りにして、私は駆ける。
闇色に沈んだ床板を蹴って。
半開きになっていた扉を押し開けて。
礼拝堂の石床を穿って。
冷たい空気を、鼓膜を殴る雨音を、降り注ぐ雫を引き裂いて。
――私は前庭で、泥に伏したエイミーと合流した
コリーとの距離はもう僅か。
塀の切れ間。開かれた門を目前にしたコリーと、届かぬ彼へと手を伸ばすエイミー。
そこで私は、一瞬だけ迷った。
エイミーは転んでしまっただけだろう。
必死に家族の名を叫ぶ彼女が、指し示すゆびの先。
コリーの元へと駆けるのが正しいと、わかっているはずなのに。
……湧き出た迷いが、私の足を鈍らせた。
「――必ず帰るから!」
私たちを背にしたまま彼は叫ぶ。
迷いが作り出した時間に、滑り込ませるようにして。
「ごめんな、エイミー! ルシル!!」
行かないで。
叫びは、より強い叫びに掻き消されて届かない。
「今まで……ありがとう」
門を抜ける一瞬前、彼はこちらへと振り返った。
そこにあったのは作り笑い。
いつものコリーの、心を照らす笑顔じゃない。
横殴る雨のなか、それでも際立つ雫を湛えて。
引きつった頬は左右で吊り上がり方が違くて。
歪んだ眉が、どうしていいのかわからないと告げているようだった。
そんな顔が見えたのも一瞬。
彼は再び門へと向き直り、僅かな距離を詰めた。
地を蹴る足、抉られた土の音がやけに鮮明に聞こえた。
彼の姿が、また一歩遠ざかる。
立ち上がって、私の少しだけ前を駆けるエイミー。
意味不明な叫び声を上げながら、無様に駆ける私。
二人を置き去りにして、コリーの姿は敷地を越えた。
――刹那、彼の姿が 消えた
消えた。
一瞬の間もなく、何の痕跡も残さずに。
続く平原の景色から、彼の姿だけが忽然と。
理解不能な現象のなか、胸に湧いたのはひとつの言葉。
――魔法
消えた姿を追い求めて駆けるエイミー。
その片腕が敷地を越えた瞬間、私は、彼女の体を抱きとめた。
叫んだと思う。
服を掴んだのだと思う。
引き倒したのだと思う。
どうしてそうしたのかはわからない。
何もわからない、
わからないけれど、
引き倒したエイミーの腕は、
ぐちゃぐちゃに折れ曲がって、かたい白と、おびただしい赤色で彩られていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
【完結】嫌われ公女が継母になった結果
三矢さくら
恋愛
王国で権勢を誇る大公家の次女アデールは、母である女大公から嫌われて育った。いつか温かい家族を持つことを夢見るアデールに母が命じたのは、悪名高い辺地の子爵家への政略結婚。
わずかな希望を胸に、華やかな王都を後に北の辺境へと向かうアデールを待っていたのは、戦乱と過去の愛憎に囚われ、すれ違いを重ねる冷徹な夫と心を閉ざした継子だった。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる