帝は傾国の元帥を寵愛する

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2章

46話 訓練じゃない

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コン、コン──。

 扉を叩く音に、リュクスは薄く目を開けた。
 まだ夜の冷気が残っている時間だ。
 誰が来るはずもないと思いながら、ぼんやりと体を起こしたその時──。

「……リュクス」

 鍵が開く微かな音とともに、ルーカスが部屋へ入ってきた。
 リュクスは寝起き特有の反射で、跳ねるように上体を起こす。

「ん……早くない……?」

 寝ぼけ声のまま問いかけると、
 ルーカスは迷いなくベッドの縁まで歩み寄った。

「任務に出る。今日は訓練じゃない」

 その言葉の意味がすぐには理解できなかった。
 胸の奥で何かがきゅ、と縮む。

「……っ」

 気づいたときには、鈍い痛みが胸の中心に走っていた。

(……訓練じゃ、ない……?
 じゃあ──何か間違いがあったら……こいつ死ぬのか?)

 理解が心に追いついた瞬間、
 ルーカスは俯くリュクスの唇に、そっと触れるだけのキスを落とした。
 一瞬の触れ合い。
 そのあと、額にも温度が降りる。

 胸が痛む。
 これは焦りか、恐怖か──自分でも分からない。

「お、おい……」

 リュクスは言葉を探し、ようやく絞り出した。

「……気をつけろよ……」

 それがどれほど切実な願いか、リュクス自身が一番分かっていた。
 ルーカスは驚いたように瞬き、それからふっと表情を緩める。

「……うん。気をつける」

 素直すぎる返事だった。
 その声音は、思った以上に伝わってしまった気配を伴っていた。

 ルーカスは腰を落とし、
 リュクスをそっと抱き寄せた。
 朝の微かな冷気とは対照的に、その腕は温かい。

「もう馬車で出るよ。……リュクス」

「ん……?」

 顔を上げた瞬間、思いもよらぬ言葉が落ちてきた。

「いい子でいろよ」

「……は?」

 リュクスは瞬きをした。
 寝起きのせいかと思ったが、どうやら聞き間違いではない。

 ルーカスはリュクスの頭をそっと撫で、
 もう一度、額に口付けてから立ち上がった。

「行ってくる」

 そう言って部屋を出ていく背中は、
 昨日より少し遠く見えた。

 扉が閉まる。

 静寂の中で、
 リュクスはゆっくりと布団へ倒れ込んだ。

「……俺は犬じゃない」

 心臓はまだ落ち着かない。
 荒くなる息も止められない。

 そして、小さく呟いた。
「ちゃんと戻ってきて、俺のルーカス……」




  
 リュクスはなんとなく浅い眠りを繰り返し、どうにか朝食だけは喉に通した。
 味は、ほとんど覚えていない。
 朝の軍寮の食堂はひどく静かで、人影もまばらだった。
 配膳台に並ぶ料理の量も、いつもより明らかに少ない。
……やっぱり軍事的な予定が、すでに組み込まれてるんだ。
 そんなことなら。
(別にルーカスも、俺に教えてくれてたってよかったじゃないか)
 不満が、胸の奥で転がる。
 教えられなかった理由も、理解はできる。
 それでも、置いていかれたような感覚だけが、しつこく残った。


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