帝は傾国の元帥を寵愛する

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3章

66話 契約成立

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「は? そんなのヤだよ。ずっとじゃん」

リュクスは即座に吐き捨てると、纏っていたシーツをバサリと脱ぎ捨てた。 
あらわになった肢体に、エドワードが浮かべていた「大人の余裕」を孕んだ笑みが、ピキリと凍りつく。

「一回で十万、十五回。それで終わり。百五十万ポッキリ。……ね、おじさん、いいでしょ? 俺の『はじめて』を奪ったんだから」

リュクスは裸のままベッドの上に膝立ちになると、エドワードの首に細い腕を絡ませた。
湿り気を帯びた瞳でじっと見つめ、耳元に顔を寄せる。
その一連の仕草は、つい先ほど教わったばかりの快楽を、すでに己の武器として使いこなしていた。

「今、一気に払ってよ。そしたらおじさんが好きなこと、なんでもさせてあげる」

エドワードの背筋に、戦慄にも似た快感が走った。 
このガキは……。何もわかっていない子供だと思っていたが、自分の価値をこれ以上ないほど冷酷に理解している。 一回十万。
場末の娼婦が一生かかっても稼げないような法外な単価。
それを平然と提示し、この少年は自らの美貌という暴力で、伯爵であるエドワードを屈服させようとしているのだ。

「……君は、恐ろしい子だね」

エドワードは掠れた声で笑った。 
狡猾な投資家としての脳が、「損だ」とけたたましく警報を鳴らしている。一気に払えば、この子は十五回目が終わった瞬間に風のように消えてしまうだろう。
いや、今すぐにでも金を持って逃げ出す可能性だってある。

だが、目の前の魔性の眼差しが、それを良しとさせない。 
『今すぐ百五十万払わなければ、私は別の馬車に乗り換えるだけだ』
 そんな無言の脅しが、エドワードの理性をねじ伏せる。
彼は震える手で、ベッド脇のサイドテーブルからチェックブックを取り出した。

「いいだろう……。契約成立だ、リュクス。百五十万リュートル、今ここで書こう」

ペンを走らせながら、エドワードの瞳にはドロリとした執着が宿り始めていた。 
(たった十五回か……。ならばその十五回で、君の精神をズタズタに作り変え、百五十万などどうでもよくなるほど、私に依存させてやろう)

「はい、約束」

書き終えた小切手を奪い取るように受け取ると、リュクスは満足げに、そして残酷なほど無邪気に笑った。 その笑顔は、エドワードがこれまで蒐集してきたどんな宝石よりも美しく、そして破滅の予感に満ちていた。





何度目の情事だったろうか。 
リュクスは約束通り、決められた日時に、決められた場所でその馬車に乗り込んだ。

「ねえ、聞いてよ。義理の父親に掘られて、小遣いもとられたんだ」

事もなげに、リュクスは乱れたシーツに背を預けながら言った。

リュクスにとって、肌を触れ合わせること自体にさほど特別な意味はなかった。
 約束の金は既に手に入れている。
だから最近のリュクスは、契約外のささやかな楽しみ――帰りのお菓子や、一つも持っていない玩具のコマ――を理由にして、エドワードから小銭をせびるようになっていた。
 そうして得た金で、病床の母に少しでもマシな飯を食わせる日々だった。

そのさなか、金の出所を鋭く嗅ぎつけた義父に組み伏せられ、理不尽に暴かれたのだ。 
『この間馬車に乗るのをみたぞ、あの爺さんにヤらせて稼いでるんだろ? 俺にも貸せ』 
見知った者に覆い被されるその「嫌悪」だけは、腹の底に冷たくこびりついている。
だがそれすらも、繰り返される日常の一部になれば、殺意を抱く気力すら失せるほどに慣れてしまっていた。

普通なら、愛妾がそんな目に遭っていたら少しは同情するのではないだろうか。
 だが、この伯爵様は違うらしい。

「……なんだと?」

エドワードの顔は嫌悪で歪んでいたが、同時に説明のつかない「悦び」に満ちていた。 彼はリュクスの過酷な生い立ちを、極上のスパイスとして味わう悪趣味なきらいがあったのだ。

「……薄汚い男が……ッ」

エドワードは吐き捨てるように言った。 声には、神聖な聖域を泥靴で踏みにじられたような激しい拒絶が混じっている。
しかしその一方で、彼の視線はリュクスの肢体を這い回り、その瞳の奥には隠しきれない熱が灯っていた。

「それで、どんなふうにされたんだ……」
 「……おじさん、顔が赤いよ。興奮してるの?」

リュクスはすべてを見透かしたように、くすりと笑った。 自分の悲劇を切り売りして、目の前の怪物をさらに「飼い慣らす」。

エドワードは耐えきれなくなったのか、リュクスの細い手首を掴み、ベッドへと押し倒した。
「君はなんて罪深いんだ……!」
リュクスは、自分を押し伏せるエドワードの肩越しに、ぼんやりと天井を眺めた。

実のところ、あんな話をさらけ出したのは、単なる挑発だけが理由ではなかった。 心のどこか、ほんの爪の先ほどに残っていた「こども」の部分が、淡い期待を抱いていたのだ。 これほどまでに自分を「愛している」と言うのなら。この凄惨な過去を聞いて、「可哀想に」と憤り、自分をこの泥沼から掬い上げてくれるのではないか。この男なら、あるいは——。

けれど、耳元に届くエドワードの荒い呼吸と、自分を凝視するその充血した瞳が、すべての答えだった。

(やっぱり、この世界の誰も俺のことをわかってくれない)

悲劇すらも、こいつにとっては自分を美味しくいただくための「調味料」に過ぎないらしい。

リュクスの中で、小さな灯火がふっと消えた。 期待した自分が馬鹿だったのだ。この男は救世主などではない。ただの、金を持ったクズで変態の伯爵だ。

「……おじさん、もっと強くしていいよ」 
(いっそ、壊してくれればいいのに)

リュクスは、エドワードの背中に回した手に力を込め、冷え切った瞳で微笑んでみせた。 慈悲を求めるのはもうやめだ。この男から引き出せるだけの金を、情熱を、狂気を、すべて搾り取ってやる。

エドワードは、リュクスの微笑みにさらに理性を狂わせ、獣のようにその肌に噛みついた。 その熱に浮かされた姿を、リュクスはどこか遠い場所から見下ろしている。

自分を抱きしめる白檀の香りは、やはり、吐き気がするほどに不快だった。 けれど、吐くことはできない。 リュクスにできるのは、ただ、すべてを吞みこむことだけだった。


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