帝は傾国の元帥を寵愛する

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3章

67話 大衆演劇

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「……あと、一回」

十五回目の、約束の日。リュクスは、大人の背丈ほどもある大きなベッドの端で、凪いだ湖のように静まり返っていた。
これまでの逢瀬で、彼は成人の男性ですら一生知らぬような秘事を、その小さな身体に存分に教え込まれた。
痛みが熱に変わり、熱が濁った感覚に変わる。
契約が終わることへの喜びも、解放感もない。
ただ、目の前の大きな時計が時を刻むのを眺め、「やっと終わるんだな」と、他人事のように思うだけだ。

彼にとって、自分の身体はもはや、母を救うための精巧な集金装置に過ぎなかった。
自分はもう、この白檀の香りに染まった部屋の備品なのだと、心に言い聞かせてきた。

しかし、最後の一回が終わった後。
脱ぎ捨てていた小さなシャツを拾おうとしたリュクスの細い腕を、エドワードの大きな掌が力強く掴んだ。

「……リュクス、提案がある」

エドワードの瞳には、契約終了を惜しむ焦燥ではなく、より深く、狡猾な光が宿っていた。

「君の母親だが……。今の家では養生もままならないだろう。ましてや、あの女は重い病気に加え『普通』ではないのだから」

リュクスの手が、震えて止まった。
エドワードの言う通りだった。母は時々、真夜中にふと正気に戻ったような顔をして呟くことがあった。
その異質な鋭さが、義父の恐怖と暴力を煽っていたのも事実だった。

「サナトリウムに入れたらどうだ。私の名義で、特別に枠を作らせた。そこなら、あの男は二度と立ち入れない。君の母は、あそこの清潔な白い部屋で、ただの『綺麗な病人』として守られる」

義父の拳から、そして母の理解不能な行動や言動が引き起こす混乱から、二人を切り離す。
その言葉は、リュクスの冷え切った胸の奥を鋭く突いた。

「費用は月額二十万リュートルだ」

二十万。 
十五回で百五十万だった。
ならば、月に二、三度、この男の白檀の香りに耐えれば、母は天使のような侍女たちに囲まれて平穏に暮らせる。 
「月額」という言葉が、結局は死ぬまで終わらない底なしの沼であることを、子供が気づけるはずもなかった。

「……いいよ。おじさん、それお願いする」

リュクスは、着ようとした服を再び床に落とした。
その身体はあまりに軽く、その決断もまた、抗いようのない運命に流されるままだった。



母をサナトリウムへと送り出した後、リュクスの心にはぽっかりと黒い穴が空いた。
朝、母の顔を拭き、粥を炊き、昼夜問わず徘徊する母を泥だらけになって追いかける日々。
あの過酷な労働こそが、リュクスが「自分はまだ生きている」と実感できる唯一の儀式だったのだ。

それが奪われた。広い伯爵の屋敷で、リュクスはただの「綺麗なだけの空き殻」になった。

「リュクス」

エドワードが背後から声をかける。
窓の外を眺めて時間を殺す少年の横顔は、絶望のあまりに透明で、よりいっそうエドワードの加害欲をそそった。

「君は綺麗だし……大衆演劇の舞台に立ってみないか」

「……演劇?」

エドワードは楽しげに、チェスの駒を進めるような手つきで続けた。

「演じている間は、自分が誰なのか、忘れていられるだろう?」

その言葉に、リュクスはかすかに眉を動かした。 
「自分を忘れる」それは、今の彼にとって、どんな贅沢な食事よりも魅力的な響きだった。

母のために自分を切り売りした事実を。
白檀の香りに咽せながら、金のために男に抱かれる自分を。
舞台の上の、誰か別の、幸せな主人公に塗りつぶしてしまえるのなら。

「……いいよ。やる」

しかしそれは、さらなる地獄への入口だった。 

「劇団からの給与は、すべて私の口座に入るよう手配してある。そこから毎月二十万リュートルを、母の入院費の『返済』として差し引く。……生活費は、今まで通り、私に一回抱かれるごとに十万リュートルの小遣いを与えよう。それでやりくりしなさい」

リュクスは愕然とした。
それは、自分の労働も、身体も、そのすべてがエドワードの掌の上で「転がされる金」に過ぎないことを意味していた。
舞台の上でどれほど喝采を浴びようと、彼の手元に残るのは、母の命を繋ぐために吸い上げられた後の「残りかす」だけなのだ。





劇場の幕が上がる。 スポットライトを浴びるリュクスの美貌は、子供とは思えぬ、暴力に近い輝きを放っていた。観客たちは息を呑み、少年の悲劇的な演技に酔いしれる。

エドワードは最前列で、そのすべてを全身に浴びながら、暗闇の中でねっとりと唇を歪めていた。

(見ろ、これが私の最高傑作だ。お前たちが喉から手が出るほど欲しがっているこの魔物は、私の鎖に繋がれているのだ)

「あれは、私のものだ……!」

しかし、真の儀式は、幕が降りた後に始まる。 
楽屋の扉が閉められ、華やかな喝采が遠のいた密室。
白檀の香りが立ち込める中、エドワードは衣装も脱ぎきらぬ小さなリュクスに襲いかかる。

「……今日もお見事だったよ、リュクス。だが、君の本当の姿を知っているのは、私だけだ」

エドワードの不能な肉体は、物理的な交わりを完遂することはできない。
だが、彼はその分、執拗な指先と舌で、リュクスの未成熟な身体から「精」をむしり取るように愛でた。
舞台で何百人もの心を奪った「主役」が、自分の腕の中で無様に声を漏らし、辱めに耐えているという事実。

その絶対的な支配の感覚こそが、エドワードの乾いた魂を潤す唯一の蜜だった。
リュクスは、逃げる術を知らない。
ただ、暗闇の中で白檀の香りに包まれながら、早く次の「役」に塗りつぶされる時間だけを待っていた。

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