帝は傾国の元帥を寵愛する

tii

文字の大きさ
71 / 104
3章

68話 そして帝都へ

しおりを挟む
劇場に鳴り響く万雷の拍手。
その中心で、リュクスは眩いスポットライトを浴びていた。
 支配人が「光り輝く原石」と称えたその美貌は、今や市井の熱狂そのものだった。
しかし、その実態はあまりに滑稽で、残酷な帳尻合わせだった。

「はい、今月の給与だ。……正確には、私の口座からサナトリウムへ振り込んだという『証明書』だがね」

一ヶ月、死に物狂いで舞台に立ち、喉を枯らし、虚構の笑顔を振りまいて得られる給与は、寸分違わず「二十万リュートル」に設定されていた。 それはリュクスの手元を素通りし、母の命を繋ぐための「返済」として、エドワードの懐へと還っていく。

舞台を降りたリュクスには、一銭の金も残らない。
母の治療費は払えても、自分の食事代すら、ましてやあの酒浸りの義父を黙らせるための小銭すら、舞台の上では稼げない仕組みになっていた。

生活を営むためには、舞台の「裏」へ回るしかなかった。

白檀の香りが立ち込める楽屋の奥。 観客の熱狂がまだ耳鳴りのように残る中で、リュクスはエドワードにその身体を差し出す。 不能の伯爵が、征服感と優越感に酔いしれながらリュクスの精をむしり取り、その魔性を蹂躙し尽くした後。

「……よく頑張ったね、リュクス。これは私からの、特別なご褒美だ」

ソファーの上に放られる十万リュートル。
リュクスは、かつて代筆で手にしたあの誇り高い「千リュートルの重み」を思い出そうとして、すぐに諦めた。
指先はもう、辱めと引き換えに紙幣を拾い集める動作に慣れきってしまっていた。

(……これで、今月も生きていける)

主役としての給料は母の命へ。 身体を売った端金は、自分の生計へ。
リュクスの日常は、エドワードという男が巧みに作り上げた、完璧な循環の中にあった。

金をせびりに来る義父に叩きつけるための酒代も、自分が飢え死にしないためのパン代も、すべては「伯爵に抱かれた報酬」でなければ賄えない。
リュクスは、かつて自分が「代筆」で手に入れたあの誇らしい千リュートルの重みを、もう思い出せなくなっていた。

そんな歪な生活が、十回も季節を巡らせた。
エドワードには幼い少年を好むという特異な性癖があったが、リュクスの喉仏が突き出し、声が低く変わっても、その鎖を解くことはなかった。
むしろ、男としての骨格が浮かび上がるほどに、伯爵の執着は病的に深まっていく。 
嗜好すら塗り替えてしまうほどの、狂った独占欲。
リュクスにとって、それは「飽きられない」という安堵などではなく、永遠に続くことが確定している、地獄の宣告でしかない。
  
だが、停滞していた彼の時間に、帝都の激動が牙を剥く。

長く帝の全権代理を務め、実質的な支配者であったユリウス・フォン・エーレンベルク。
彼が、ついにその頭上に真の冠を戴き、皇帝として即位したのだ。 

その政変と時を同じくして、もうひとつの「噂」が街を駆け抜けた。
皇帝の「寵愛」を一身に受け、その男娼とも、愛妾とも囁かれていたヴァルター名誉元帥が、帝都を去ったという。

権力の中枢に空いた、巨大な「穴」。 リュクスの生活が、義父への酒代とエドワードへの献身という閉じた地獄で回っている間に、世界は音を立てて作り変えられていた。

そして、その激動を虎視眈々と見つめる男が一人。エドワード伯爵だった。

「……大衆演劇など、もうどうでもいい」

エドワードは、稽古を終えたばかりのリュクスの顎を、震える指先で持ち上げた。その瞳には、かつてないほど禍々しく、病的な興奮が宿っている。

「リュクス。お前のその貌は、今や帝都の至宝だ。……あの皇帝ユリウスが、お前を見逃すはずがない。ヴァルター閣下の去ったあの空虚な椅子の隣に、お前を座らせる」

エドワードの脳裏には、最高傑作とも呼べる「愉悦のシナリオ」が描き出されていた。

皇帝ユリウス。
冷徹で峻厳なる若き支配者。
彼にリュクスという「毒」を献上し、その愛妾に仕立て上げる。

世界で最も高貴な男が、自分の磨き上げた魔性に溺れ、理性を溶かしていく様を特等席で眺めるのだ。

(皇帝が抱くその肢体を、私が先に知っている。皇帝が愛でるその声を、私が先に暴いた。至高の権力者が手にする至宝の、さらに奥の、最も汚れた部分を独占しているのは——この私なのだ!)

それは、もはや一貴族が抱くにはあまりに不敬で、あまりに巨大な、神をも恐れぬ優越感。
エドワードにとって、リュクスはもはや一人の人間ですらなかった。
皇帝という太陽を汚し、貶めるための、史上最高に美しい「泥」であった。

「リュクス、お前を皇帝に捧げる。……いいかい、これは君がかつて背負った百五十万や、月二十万などという瑣末な話じゃない。君が皇帝の寵愛を掴めば、母親の命どころか、この帝都のすべてが君の足元に跪く」

エドワードは狂ったように笑い、リュクスの耳元で白檀の香りを撒き散らしながら囁いた。

「そしてその時、君を一番深く、一番無様に『知っている』のは、私だけだ。……ああ、想像するだけで、精が尽き果てそうだ」

「もし陛下を堕とせたなら……お前を私の養子にしよう。私の死後は、すべてがお前のものだ」

耳元で撒き散らされる、白檀の香りと甘い餌。 だが、リュクスの心はどこまでも冷めていた。十年前なら縋ったかもしれない救いも、今となっては自分を嘲笑う風の音にしか聞こえない。

「……わかった」

リュクスは静かに頷いた。 どうせ断る術などない。ならば、このまま最後まで演じ切り、帝国の頂点で処刑されるのも悪くない。 そこから見下ろす景色は、少なくともこの薄暗い楽屋よりは、マシなはずだ。

(どうか、皇帝陛下とやらが……俺の嘘を、この演技を、暴いてくれる人であってほしい)

リュクスは鏡の中の自分に、冷ややかな微笑みを贈る。 
新しい「墓標」となるであろう豪華絢爛な城へ向けて、彼は主役としての仮面を、深く被り直した。  
  
(陛下、俺を愛して。そうじゃなきゃ、殺して……)


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

氷の檻に閉じ込められた月~兄上のすべては、私のもの~

春野ふぶき
BL
『兄上は私のものだ。魂も、肉体も。永遠に―—』 アーヴェント侯爵家の長男ライカは、妾腹として正妻に虐げられ続けてきた。 唯一の救いは、次期当主を目される異母弟カイエンの存在。 美しく聡明で、氷の騎士と呼ばれる彼だけは、常にライカの味方だった。 だが、その愛情は兄を守るものではなく、深く歪んだ執着だった。 母を排除し、兄を囲い込み、逃げれば鎖で捕らえる。 そしてついに、ライカの心身は限界に追い詰められていく。 ——カイエンが下す「最後の選択」とは。 ふたりが辿る結末は、幸福か、それとも狂気の果てか。

まおうさまは勇者が怖くて仕方がない

黒弧 追兎
BL
百年前に現れた魔王によって侵攻が行われたアルキドセ王国。 国土の半分を魔物の支配下とされてしまったアルキドセ王国の国王はやむなく、国土を分断した。 ------------- 百年後、魔王の座は孫へと譲られていた。 「あー、だる……座り心地悪すぎだろ、」 しかし、譲られた孫であるセーレに魔王の素質はなく、百年間城にも攻めに来ない勇者に驕りきっていた。 ------------- その日、魔王城に戦慄が走った。 勇者が魔王城まで攻め入ったのだ。 「ひ、ひっ……!、よ、よくきたなぁ、っゆうしゃ!」 血の滴る剣を持ち、近づく勇者に恐怖で震えるセーレに与えられたのは痛みではなく、獣の皮の温かな感触だった。 「っかわいい……俺のものにする、っ」 「ぁ、ぇひ!やだやだやだっ、ひ、ぃい……」 理解できない勇者の言葉は死に怯えるセーレを混乱させ、失神させた。 ___________________ 魔王に一目惚れで掻っ攫う溺愛勇者       × 言動が理解できない勇者が怖い卑屈な名ばかり魔王 愛をまっすぐ伝える勇者に怯える魔王のすれ違い、らぶらぶストーリー。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

病み墜ちした騎士を救う方法

無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。 死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。 死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。 どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……? ※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です

のろまの矜持 恋人に蔑ろにされすぎて逃げた男の子のお話

月夜の晩に
BL
イケメンエリートの恋人からは、雑な扱いばかり。良い加減嫌気がさして逃げた受けくん。ようやくやばいと青ざめた攻めくん。間に立ち塞がる恋のライバルたち。そんな男の子たちの嫉妬にまみれた4角関係物語です。

うちの魔王様が過保護すぎる

秋山龍央
BL
主人公・折本修司(オリモトシュウジ)は転生恩恵女神様ガチャにはずれて異世界に転生して早々、つんでいた。 「異世界で言葉が分かるようにしてくれ」と頼んだところ、相手の言葉は分かるが自分は異世界の言葉は喋れない状態となり、 「平和な国に転生したい」と頼んだところ、平和で治安のいい国に転生をすることはできたものの、そこは人間のいない魔族だけの国だったのである。 困っていた主人公の元に、異世界の"魔王"である紅の髪と角を持つ男があらわれて―― 「まさか――そっくりだとは思ってたけれど、お前、本当にシュウなのか?」 異世界転生魔王様×異世界転生主人公 幼馴染年下攻めだけど年上攻めです

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

処理中です...