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3章
71話 嘘
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ルーカスは護衛の任務を終えると実家の邸宅に戻っていた。
翌日の昼過ぎに軍寮の部屋に戻ると、静かな室内に、微かな寝息があった。
リュクスは彼のベッドで眠っていた。
眠っていた、というより――雑誌を読んでいるうちに、そのまま力尽きたのだろう。
横向きに丸まり、ブランケットもかけず、
指先にはまだ、ページを追っていた名残が残っている。
ベッドボードの脇には小さな菓子の包み。
ルーカスの引き出しにあるものではなく、きっと、リュクスが自分で持ってきたものだ。
(……やはり)
本は勝手に読んでも、食べ物には手を出さない。勝手に食べていいと言っているにもかかわらず。
距離の詰め方を誤らない嗅覚――親しみと無礼の、ぎりぎりの境界を踏み越えない、その感覚。
ルーカスは寝顔を見下ろした瞬間、胸が詰まった。
無防備で、唇はわずかに開いている。
睫毛は長く、影が頬に落ちて――
可愛い。
その感想が、もはや思考を経由しないことが、彼自身を最も苦しめた。
どこから見ても可愛いと思うように、脳を作り変えられてしまったようだ、と。
だが、だからこそ苦しい。
昨夜の舞踏会。
光の中で、手の届かない存在に見えたリュクス。
陛下に腰を抱かれ、所有されるように連れられていた、その姿。
そして――
高級宿。陛下と同じ宿に泊まったのを、見てしまった。
(もしも、あの部屋で……)
想像は、喉の奥で砕けた。
考えることすら、耐えられない。
本当は、ずっと前からユリウス陛下のものだったのか。
自分だけの大切な存在だと信じていたリュクスは――誰のものなのか。
恐れ、怒り、不安、情愛。
それらすべてが絡み合い、胸を締めつける。
隣に座ることもできず、ルーカスは立ったまま見下ろしていた。
髪に触れたい。
唇に触れたい。
だが――
そのとき、控えめなノックが響いた。
「ルーカス、戻ったのか。少し話がある」
反射的に、ルーカスは外に出た。
廊下を少し進んだ先で、上官は声を落とす。
「……昨日の舞踏会を見てな。リュクスには、関わらない方がいい。
おそらく、陛下の気に入りだ。お前の身のためだ。うまくかわして、距離を置け」
ルーカスはしばらく押し黙ってから、
「……御意」
それだけ答え、踵を返す。
部屋に戻ると、リュクスはまだ眠っていた。
だが、扉の閉まる音にかすかに身じろぐ。
「ん……ルー兄?」
小さな声。
「……うん」
「今日、休み?」
「……うん」
「そっか。俺も公休もらった!」
嬉しそうに言って、目を細める。
「……どうしたの?来てよ」
だが、ルーカスは動けなかった。
「……行けない」
「え? 何で?」
リュクスは身体を起こし、不思議そうに首を傾げる。
ルーカスは青白い顔をしていた。
拳は強く握られ、いつものように頭を撫でようともしない。
「リュクス……」
絞り出すように、問いが落ちた。
「――昨日、陛下と同じ宿に入るのを見た。
……お前は、誰のなの」
その言葉に、リュクスは唐突に全てを悟った。
考えないようにしていたすべてのことを。
そっか。
そうだ。
俺は偽物だ。
何もしてないとしても、エドワードにユリウスの閨に入れといわれて関わったのは確かだ。
昨日、ユリウスは笑っていたが、全部がわかったら帝を狙った罪で殺されるのかもしれない。
ルーカスには何も言ってない。でもそれは、結果的にルーカスを騙してるのとおんなじだ。
あまりにも。
あまりにもここで暮らせるのが予想外のことで。
朝起きて仕事に行って、ご飯を食べて、夜になったら寝て。
こんな生活を与えられたせいで、無防備に、
まるで普通の人間のように、誰かを好きになってしまったのだ。
リュクスの瞳から、先ほどまでの熱がスッと引いていく。
まるで舞台の幕が下りるように、あるいは、冷たい仮面を上書きするように。
「……なんだ。見ちゃったんだ」
リュクスはゆっくりと視線を流し、乱れた髪を無造作にかき上げた。
その仕草ひとつとっても、先ほどまでの「守りたくなるような無防備な少年」の面影はない。
そこにいるのは、ルーカスの知らない、どこか毒気を含んだ艶やかな男だった。
リュクスは、驚愕に凍りつくルーカスの視線を真っ向から受け止め、薄く笑った。
「陛下は独占欲が強くて。ルーカスと遊んでるのがバレちゃったんだ。
これ以上続けたら、お仕置きされちゃうんだよね」
嘘。
あれだけ、10年も演じ続けたのに。
この演技は、心臓が、喉を突き破りそうなほど痛い。
ルーカスの顔が絶望に歪んでいくのを見るたび、自分の魂が削り取られていく。
「……お前の、デカいから試してみたかっただけなんだ」
「……っ」
「期待させてごめんね?ルー兄、騙されやすいからハニートラップとか気をつけた方がいいよ?」
リュクスはベッドから降りると、一度も振り返ることなく、ドアへ向かって歩き出した。
すれ違いざま、ルーカスの拳が震えているのが見えた。
殴ってくれればいいのに。
罵ってくれればいいのに。
ルーカスはただ、絞り出すような声で言った。
「……全部、嘘だったの」
リュクスは足を止め、背中越しに冷たく言い放つ。
「――全部、完璧な演技だったでしょ?」
そう言って部屋を出る。
扉が閉まる音が響いた瞬間、リュクスは声を殺して呼吸を整えるしかなかった。
最後にもう一度、その言葉だけを残す。
「……ルーカス。俺を忘れて」
リュクスの頬に音も無く涙がつたり、最後に床に落ちる。
その音はボタ、ボタと、まるで、血を流しているようだった。
リュクスはそれを踏みつけ、歩き出す。
翌日の昼過ぎに軍寮の部屋に戻ると、静かな室内に、微かな寝息があった。
リュクスは彼のベッドで眠っていた。
眠っていた、というより――雑誌を読んでいるうちに、そのまま力尽きたのだろう。
横向きに丸まり、ブランケットもかけず、
指先にはまだ、ページを追っていた名残が残っている。
ベッドボードの脇には小さな菓子の包み。
ルーカスの引き出しにあるものではなく、きっと、リュクスが自分で持ってきたものだ。
(……やはり)
本は勝手に読んでも、食べ物には手を出さない。勝手に食べていいと言っているにもかかわらず。
距離の詰め方を誤らない嗅覚――親しみと無礼の、ぎりぎりの境界を踏み越えない、その感覚。
ルーカスは寝顔を見下ろした瞬間、胸が詰まった。
無防備で、唇はわずかに開いている。
睫毛は長く、影が頬に落ちて――
可愛い。
その感想が、もはや思考を経由しないことが、彼自身を最も苦しめた。
どこから見ても可愛いと思うように、脳を作り変えられてしまったようだ、と。
だが、だからこそ苦しい。
昨夜の舞踏会。
光の中で、手の届かない存在に見えたリュクス。
陛下に腰を抱かれ、所有されるように連れられていた、その姿。
そして――
高級宿。陛下と同じ宿に泊まったのを、見てしまった。
(もしも、あの部屋で……)
想像は、喉の奥で砕けた。
考えることすら、耐えられない。
本当は、ずっと前からユリウス陛下のものだったのか。
自分だけの大切な存在だと信じていたリュクスは――誰のものなのか。
恐れ、怒り、不安、情愛。
それらすべてが絡み合い、胸を締めつける。
隣に座ることもできず、ルーカスは立ったまま見下ろしていた。
髪に触れたい。
唇に触れたい。
だが――
そのとき、控えめなノックが響いた。
「ルーカス、戻ったのか。少し話がある」
反射的に、ルーカスは外に出た。
廊下を少し進んだ先で、上官は声を落とす。
「……昨日の舞踏会を見てな。リュクスには、関わらない方がいい。
おそらく、陛下の気に入りだ。お前の身のためだ。うまくかわして、距離を置け」
ルーカスはしばらく押し黙ってから、
「……御意」
それだけ答え、踵を返す。
部屋に戻ると、リュクスはまだ眠っていた。
だが、扉の閉まる音にかすかに身じろぐ。
「ん……ルー兄?」
小さな声。
「……うん」
「今日、休み?」
「……うん」
「そっか。俺も公休もらった!」
嬉しそうに言って、目を細める。
「……どうしたの?来てよ」
だが、ルーカスは動けなかった。
「……行けない」
「え? 何で?」
リュクスは身体を起こし、不思議そうに首を傾げる。
ルーカスは青白い顔をしていた。
拳は強く握られ、いつものように頭を撫でようともしない。
「リュクス……」
絞り出すように、問いが落ちた。
「――昨日、陛下と同じ宿に入るのを見た。
……お前は、誰のなの」
その言葉に、リュクスは唐突に全てを悟った。
考えないようにしていたすべてのことを。
そっか。
そうだ。
俺は偽物だ。
何もしてないとしても、エドワードにユリウスの閨に入れといわれて関わったのは確かだ。
昨日、ユリウスは笑っていたが、全部がわかったら帝を狙った罪で殺されるのかもしれない。
ルーカスには何も言ってない。でもそれは、結果的にルーカスを騙してるのとおんなじだ。
あまりにも。
あまりにもここで暮らせるのが予想外のことで。
朝起きて仕事に行って、ご飯を食べて、夜になったら寝て。
こんな生活を与えられたせいで、無防備に、
まるで普通の人間のように、誰かを好きになってしまったのだ。
リュクスの瞳から、先ほどまでの熱がスッと引いていく。
まるで舞台の幕が下りるように、あるいは、冷たい仮面を上書きするように。
「……なんだ。見ちゃったんだ」
リュクスはゆっくりと視線を流し、乱れた髪を無造作にかき上げた。
その仕草ひとつとっても、先ほどまでの「守りたくなるような無防備な少年」の面影はない。
そこにいるのは、ルーカスの知らない、どこか毒気を含んだ艶やかな男だった。
リュクスは、驚愕に凍りつくルーカスの視線を真っ向から受け止め、薄く笑った。
「陛下は独占欲が強くて。ルーカスと遊んでるのがバレちゃったんだ。
これ以上続けたら、お仕置きされちゃうんだよね」
嘘。
あれだけ、10年も演じ続けたのに。
この演技は、心臓が、喉を突き破りそうなほど痛い。
ルーカスの顔が絶望に歪んでいくのを見るたび、自分の魂が削り取られていく。
「……お前の、デカいから試してみたかっただけなんだ」
「……っ」
「期待させてごめんね?ルー兄、騙されやすいからハニートラップとか気をつけた方がいいよ?」
リュクスはベッドから降りると、一度も振り返ることなく、ドアへ向かって歩き出した。
すれ違いざま、ルーカスの拳が震えているのが見えた。
殴ってくれればいいのに。
罵ってくれればいいのに。
ルーカスはただ、絞り出すような声で言った。
「……全部、嘘だったの」
リュクスは足を止め、背中越しに冷たく言い放つ。
「――全部、完璧な演技だったでしょ?」
そう言って部屋を出る。
扉が閉まる音が響いた瞬間、リュクスは声を殺して呼吸を整えるしかなかった。
最後にもう一度、その言葉だけを残す。
「……ルーカス。俺を忘れて」
リュクスの頬に音も無く涙がつたり、最後に床に落ちる。
その音はボタ、ボタと、まるで、血を流しているようだった。
リュクスはそれを踏みつけ、歩き出す。
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