帝は傾国の元帥を寵愛する

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4章

番外編・執務室のバレンタイン

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この時期の帝都は、正気ではない。
右を向けばピンク、左を向けば赤。
菓子屋が仕掛けた「甘い罠」という名の集団催眠に、帝都中が足並みを揃えて踊っている。

だが、経済が回るのは良いことだ。
不肖レオン、帝都の消費拡大を喜ぼうではありませんか。

……さて。
私の懸念はただ一点。
あの、孤高・気高く・美しいの三拍子が揃ったヴァルター閣下は、ユリウス殿下に「チョコ」などという軟弱な代物を贈るのだろうか?

ふふふ……いや、まさかな。あのお二人に限って。だが、もし万が一ということもある。

私は用意した。一粒で平民の食費が吹き飛ぶ、宝石のような極上チョコレート3粒入りボックスを。
これを閣下の目の前で殿下に献上し、「気が利く側近」としての格の違いを見せつけてやろうという算段だ。

当日。執務室。
私は満を持して、その小箱を差し出した。
「殿下、日頃の感謝を込めまして。お好きな銘柄のチョコレートでございます」
口角をこれでもかと吊り上げ、「ニチャア」という擬音が相応しいドヤ顔を浮かべる。
さあ、どうだ閣下! これが都会的な洗練された贈り物ですよ!

「……ありがとう。毎年悪いな」
殿下は苦笑しつつ受け取ってくれた。ちなみにホワイトデーには、殿下の意志が1ミリも介在していないであろう帝都屈指の高級菓子「モディバ」が返ってくるのだが……別にそれが食べたいわけじゃないんだからね!?

私は横目で閣下を伺った。
殿下も、どことなく閣下の反応を気にしている。
だが、ヴァルター閣下は。

(……読書に夢中だと!?)

ピクリとも動かない。興味すら示さない。チッ、鋼のメンタルか。
結局、殿下と閣下は連れ立って昼食へ向かわれた。
私は一人、宮廷食堂で日替わりスープを啜りながら溜息をつく。

まあ、あの閣下がリボンのかかった箱を持つ姿なんて、想像する方が無理があったか……。
スープに浮かんだパセリが、私の心のように虚しく揺れていた。


執務室に戻ると、空気が一変する。
ヴァルター閣下が、側に控えていた侍女にスッと合図を送ったのだ。
侍女が恭しく捧げ持ってきたのは……「男の手のひら二つ分」はある、異様に存在感を放つ箱。

包装紙は、網膜を焼くようなショッキングピンク。
そこに、鮮血のように真っ赤なリボン。

閣下は恥じ入る様子もなく、自らの机にそれを置くと、360度から角度を確認し、リボンを「きゅっ」と丁寧に結び直した。
……なんだその、無駄に繊細な指の動きは。いや、そこじゃない。私からも殿下からも丸見えですけど!?

そして、閣下はすっくと立ち上がった。
私の脳が理解を拒否する中、閣下は叙勲式か何かのような重々しい礼をとった。
「殿下」
「ど、どうした……?」
ユリウス殿下の声が上ずっている。無理もない。目の前には、「ピンク×赤」という暴力的なまでに甘いパッケージを掲げた、帝都最恐の美形が立っているのだから。

「こちらをどうぞ」
「あ、あぁ……。まさか、その、バレンタインの……チョコレート……なのだろうか?」
殿下が狼狽えている! あの冷静沈着な殿下が、未知のオーバーテクノロジーを見るような目で箱を見ている!
一方の閣下は、どこまでも偉そうに、どこまでも格好をつけて言い放った。
「あぁ」


殿下は震える手で、そのどぎつい包装を解いた。蓋が開けられる。
「…………これは」

中に入っていたのは、箱の容積限界ギリギリまで攻められている、巨大なハート型のチョコレート(塊)。
繊細さ? 三粒の高級感? そんなものは知らんと言わんばかりの、圧倒的な愛の質量。
殿下は冷や汗を流しながら、掠れた声で言った。

「あ、ありがとうヴァルター。……これは、既製品ではないな?」

「あぁ。カーチャ様と作ったんだ。彼女も兄上に作っていたからな。ついでに教わった」

……今、なんとおっしゃいました?
カーチャ様と? 二人で? 厨房で? ボウルを!?
私の脳内を、恐ろしい地獄絵図が駆け巡る。

あの厳格なカーチャ様が、巨大なボウルを抱え、
「ヴァルターさま! もっと腰を入れて混ぜて! ユリウス殿下への愛が分離していますわよ!」
と叱咤激励し、閣下が無言で、しかし必死な形相で泡立て器を高速回転させる姿……。

(……尊すぎて死ぬっ!!)

「これは……食べるのが勿体ないな(物理的に硬そうで歯が折れそうだが)」
殿下の精一杯のフォローが室内に響く。
私は震えが止まらなかった。

負けた。完敗だ。
一粒で平民の食費が飛ぶチョコなど、閣下の「手作り(with 鬼軍曹カーチャ様)」という重すぎる愛の前では塵に等しい。

「レオン、何を震えている」
「いえ……閣下のエプロン姿を想像して、宇宙の真理に触れた気がしまして……」

ピンクの箱を大事そうに(そして少し重そうに)抱える殿下と、満足げに鼻を鳴らす閣下。
今年のバレンタイン、帝都で一番「濃い」チョコは、間違いなくこの部屋に存在していた。

……まあ、ほんの少し、毒見という名目で一口だけ食べてみたい気もしたが。
あの「鉄の味」がしそうなほどの情熱と、カーチャ様のスパルタ指導が練り込まれた結晶は、世界でただ一人、殿下だけが味わえる特権なのだろう。

殿下、世界で一番不器用で、世界で一番重くて、そして世界で一番愛の詰まったチョコレートを贈られて……本当によかったですね。

羨ましくなんてないんだからね? 

「失礼いたします、殿下。お荷物(チョコ)のお届けです!」

扉が開くと同時に、帝都中の名店、令嬢、果ては隣国の賓客から贈られたチョコレートの箱が、雪崩のように運び込まれてくる。

さっきまでの甘い空気はどこへやら。
執務室の一角は、瞬く間に「高級菓子の見本市」と化した。

「ふう……。この処理こそが、”本番”なんですよ……」

私は袖をまくり、ペンを構える。
送り主の家柄、贈られたチョコの銘柄、その市場価格。

閣下の放った「重すぎる愛(塊)」は、殿下のデスクの特等席に。
そして、それ以外の「山」のようなチョコレートの群れは――私の辣腕によって一つ残らず、完璧に、そして事務的に捌いて差し上げましょう。

「本日出勤の侍女諸君。これは殿下からの……そう、日頃の過酷な労働に対する『特別甘味ボーナス』だ。遠慮なく受け取りたまえ」

私の宣言に、侍女たちの瞳がキラリと輝く。
これぞ適材適所。殿下の健康(糖分過多)を守り、職場の満足度を爆上げし、ついでに私のデスクも片付く。これぞ三方良しの精神だ。

愛(物理)の重さに驚かされ、事務処理の山に燃える、帝都の長い一日。

今日も帝都は平和です。

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