帝は傾国の元帥を寵愛する

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4章

86話 幼馴染

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セレスティア兵へ貸し出された一室。  
ルーカスは副官の姿をみつけると、いつも通りの声色で呼び慣れた名を呼んだ。  
「フェル」
同時に、ルーカスは手にしていたクリスタルの瓶を、思い切り放り投げた。
放物線を描き、真っ直ぐに副官ゼフェルの後頭部へと向かう凶器。
パシッ、と。
乾いた音と共にゼフェルが振り向き、長い指先がその瓶を空中で完璧に静止させた。
瓶の中の琥珀色の液体が激しく揺れる。

「……わ、これ。酒瓶じゃないですか。下手したら死ぬかせっかくの高級な酒が粉々ですよ? 全くあなたって人は。少しは手加減というものを覚えてください」

ゼフェルは眼鏡を指先で押し上げ、大袈裟に肩をすくめて見せた。だが、その呼吸一つ乱れてはいない。

「お前が受け取れないわけがない」
「やだなぁ、こんなにひ弱で、美丈夫な僕が……。そんな無茶を言わないでいただきたい」

ゼフェルがわざとらしく芝居がかった溜息をつき、長い前髪を揺らした瞬間だった。

――シュッ。
空気を切り裂く鋭い音が響く。
次に飛んできたのは、卓上のアイスケースに刺さっていた鉄のマドラーだった。
ゼフェルは表情一つ変えず、首をわずか数センチだけ傾けてそれを避けた。
銀色の閃光が彼の長い髪を一筋かすめ、背後の柱に深く突き刺さる。

「……」
その光景を背後で見守っていた部下たちは、一様に顔を青ざめさせ、息を呑んだ。
マドラーは、避けなければ確実にゼフェルのこめかみを貫いていたはずだ。

この二人――ルーカスとゼフェルは同じ軍事貴族の家に生まれ、競い合うように育った幼馴染。
傍から見れば、それはいつ殺し合いに発展してもおかしくない、危うい均衡の上に成り立つ遊戯に見えた。
仲が良いのか、それとも憎み合っているのか。
ルーカスの放つ容赦のない「信頼」と、それを軽やかに、かつ毒を持って受け流すゼフェルの「献身」。

ゼフェルは、柱に深々と突き刺さったマドラーを事もなげに抜き取った。
そのまま、にこやかな笑みを湛えたまま、卓上へ静かに返す……周囲の誰もがそう思った、次の瞬間だった。

ゼフェルが踏み込んだ「間合い」の詰め方は、異常だった。

鋭い呼気と共に、手にしたマドラーが武器と化す。
目にも留まらぬ速さの刺突が、ルーカスの喉元、心臓、そして眼球を正確に狙って放たれた。

無論、無策で貫かれるルーカスではない。
彼はその全てを紙一重で回避してみせる。だが、ゼフェルの真の狙いはそこではなかった。

「……っ!」

刺突を回避し、反撃に転じようとしたルーカスの死角から、ゼフェルの右脚がしなやかに、かつ容赦なく跳ね上がった。

純粋な力ではなく、重心を刈り取るような鋭い蹴り。
直撃こそ免れたものの、予期せぬ角度からの追撃に、流石のルーカスも回避を乱され、その巨躯の重心が大きく崩れる。

「やれやれ。……隙だらけですよ、少将閣下」

ゼフェルは勝ち誇ったような、あるいは慈しむような溜息をつくと、倒れゆくルーカスの体を左腕で力強く支え、自らの懐で受け止めた。

――どさっ。

「……離せ」

至近距離。
ゼフェルの腕の中に抱きとめられた格好のルーカスが、底冷えのする声で睨みつける。
だが、ゼフェルはその視線を真っ向から受け止め、眼鏡の奥の瞳を三日月のように細めた。

「はははっ! これは失礼。あまりに危なっかしい倒れ方をするもので、つい手が動いてしまいました」

周囲の部下たちは、石化したようにその光景を凝視していた。
剣技最強と名高いルーカスを、あの「ひ弱」と目されていたゼフェル少佐が、あろうことか肉弾戦の末に組み伏せている。

「ぜ、ゼフェル少佐が……ルーカス少将を……」
「今、何が起きたんだ……?」

戦慄する部下たちの視線を余所に、ゼフェルは楽しげに笑い続ける。
幼少期から、幾千、幾万と繰り返してきた「遊び」。
ルーカスの圧倒的な剛剣を、ゼフェルのしなやかな知略とスピードが絡め取る。この異常なまでの関係性こそが、二人の絆の正体だった。

「言われなくても離しますよ。貴方は見かけによらず、重過ぎる」

ゼフェルは皮肉げに口角を上げると、支えていた腕をすんなりと引いた。
抱きとめられた格好のまま、ルーカスは屈辱に喉を鳴らす。
だが、その瞳で射殺さんばかりに睨みつけることしかできなかった。
重心を奪われ、完全に虚を突かれたのだ。
この「ひ弱な少佐」の、計算され尽くした体術に。  



ーーーその「軍人たちの戯れ」を、高みの特等席から見下ろす影がひとつ。

闇に紛れたバルコニーで、その者は乱れる呼吸を隠そうともせず、眼下の情景を凝視していた。熱を孕んだ吐息が、冷たい夜気に白く溶けていく。
まるで愛しい者の肢体をなぞるかのような、執拗で、熱を帯びた視線だった。





最新鋭のオペラグラスを握りしめ、カーテンの隙間から階下を覗き見ているのは、第二皇女モモであった。

「あ……あ、あ……っ」

頬を林檎のように染め、あろうことかその場に腰を抜かしている。
あまりに濃密な、殺気と信頼が入り混じった男たちの交錯。その一部始終を網膜に焼き付けた彼女の心臓は、早鐘のように打ち鳴らされていた。

「モモ、もしかしてルーカス少将を見ていたの?」

背後から、穏やかで気品に満ちた声が響く。
現れたのは第一皇女。彼女は妹の尋常ならざる様子を見て取り、優雅にその隣へ腰を下ろした。

「ち、ちが……! 姉様、見て、あっち! 隣にいる方!」

モモは震える指で、ルーカスの影に控える男を指差した。
第一皇女は促されるままに視線を向け、わずかに目を見開く。

「あらぁ……。なんて、綺麗な方なの」

そこにいたのは、帝国の軍服を優雅に着崩し、長く美しい銀の髪を揺らした男。

「あのような軍人の方は珍しいわね。中性的でいて、その立ち姿はひどく知的……それでいて、これほど優雅だなんて。あんな方がルーカス少将の傍にいたのね」

「……っ!」

モモは言葉にならず、何度も激しく頷いた。
眼鏡の奥に潜む冷徹な知性と、主君を組み伏せるほどの手練れ。
その圧倒的な「ギャップ」が、世間知らずな皇女の心に、回避不能な一撃を叩き込んでいた。

第一皇女は、妹の熱病のような視線を見て取り、意味深に唇を綻ばせた。

「面白いわ。……彼のこと、詳しく調べてみましょうか?」
「姉様、お願い!」

(性悪インテリ眼鏡……! しかも、あんなにお強いなんて……! 性癖に刺さりすぎるッッ!!!)

新たな「獲物」を見定めた皇女たちの好奇心が、静かに、しかし情熱的に動き出そうとしていた。


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