帝は傾国の元帥を寵愛する

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4章

92話 チェックメイトだ

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セレスティアの兵士たちは、目の前を堂々と横切る非武装の敵に対し、手出しもできず立ち尽くすしかなかった。
まさに、完敗だった。
武力で勝りながら、ルールの隙を突かれた。
12名の重装歩兵が作るその通路は、物理的な壁である以上に、セレスティアのプライドを分断する心理的な壁として機能していた。

しかし、ゼフェルの策は石灰を巻き網を張るだけではない。  
鉄の回廊が開き、勝ち誇ったように非武装の補給兵たちがなだれ込んだその瞬間。

突破口の先に待っていたのは、セレスティアが誇る「最終防衛線」――ルーカス率いる遊撃部隊。
「……作戦開始!」
ルーカスの低い声を合図に雄々しすぎる雄叫びが響く。
遊撃隊の後ろに厳かに佇むのは岩肌……ではなく、岩そのものかと見紛う体躯の男たちだった。
セレスティア軍の精鋭にソル軍の猛者まで加わった、物理的に大きすぎる圧巻の集団だ。

その光景は、恐ろしく、普通の人間が数名を前にすると自らが小人になったように感じるだろう。
それもそのはず、選び抜かれた"精鋭"の体躯は岩か、獣か、そのどちらも兼ね備えるかの男だけが集まっている。

そして彼らは武器を抜かない。
彼らが持つのは、己の強靭な腕と、圧倒的な質量だ。
なだれ込んでくる補給兵たちの襟首を、あるいは腰を、巨大な熊のような手で鷲掴みにする。
「武装していない者を攻撃はしない」というルールの隙間を突き、彼らはただ物理的に、来た道を押し戻すという荒業に出たのだ。

「う、動かねえ! なんだこのデカブツは!」
「お帰り願おう!」  
「戻れ!チビ!」「お返し申すッ!」  
各自の掛け声で押し戻されてゆく光景はまるで全てを飲み込む雪崩、濁流のようでもあった。
この想定外の「力押し」に、鉄の回廊を作っていた12名の重装歩兵たちも動揺した。
内側から押し戻される味方の圧力と、ジリジリと間合いを詰めてくるルーカス隊の威圧感。
物理的な限界を超えた負荷が鉄の装甲にかかり、ガチガチと不吉な軋み声を上げる。
「押し返せ!」
ルーカスの合図とともに、岩のような男たちが一斉に肩を入れた。
12名の鉄塊たちは、その質量をもってしても、ソル国、セレスティアの意地を背負った男たちの推力には抗えなかった。
じり、じりと後退を余儀なくされ、ついにその「隙間」から全ての補給兵が吐き出される。
「――今だ!」
凄まじい金属音と共に、こじ開けられていた包囲網の「門」が再び閉じられた。
奪われた網の代わりに、新たな予備の防壁となる人員が並び展開され、穴は完全に塞がった。

前線の喧騒が一段落した本陣。
「……ゼフェル少佐、これを」
部下が差し出したのは、氷水でキンキンに冷やされた分厚い布だった。
ゼフェルは無言でそれを受け取ると、拍動を続けるこめかみと、熱を持った額に押し当てた。
「……はぁ……」
冷気がこめかみに染み渡るが、心のざわつきは収まらない。
布越しに伝わる冷たさが、かえってあの傭兵隊の異様さを際立たせていた。
「なんなんだ、あの傭兵隊は……」
ゼフェルは毒づくように独りごちた。
古代の定石を現代の乱戦に組み込み、ルールの穴を突く奇策を平然と実行する。
かと思えば、こちらの政治的事情を逆手に取り、精神的な揺さぶりまでかけてくる。
「金で動くだけの傭兵じゃあない。古今東西の戦場を知り尽くし、なおかつ……こちらの正義を嘲笑う、最悪の相手だ」
氷の布がすぐに温かくなっていく。
ゼフェルは手元の氷水に布を浸し乱暴に絞ると、顔全体を拭った。

それでも――なんとか、首の皮一枚で繋がったのだ。
閉じた瞼の裏で、憎き敵の指揮官の顔を想像する。

ゼフェルは細い指先で顎のラインを辿りながら、ルーカス達が敵を押し切る最後の一幕を目に焼き付ける。
盤面はすでに、彼の掌中に戻った。
勝利の雄叫びがこちらまで聞こえる。

彼は音もなく本幕へ引き返すと、簡易テーブルの地図を冷ややかな目で見下ろした。
勝利という名の幕引きを前に、最後の一手を確認するために。

「……なかなか面白い策だ。だが、大将キングを取られたらチェックメイトだ」

不意に背後から声をかけられ、ゼフェルは心臓が跳ね上がるのを感じた。
背中に、ひんやりとした冷たい鉄の感触が伝わる。
鋭利な刃が、薄い軍服越しに肌を威圧している。


天幕の外には衛兵を配していたはずだ。
物音ひとつ、悲鳴ひとつ聞こえなかった。いつの間にか、この空間には自分以外の気配が消えていた。

逃げ場はない。

「……っ」

ごくり、と唾を飲み込む。
ゼフェルは、死神に首筋を撫でられているような戦慄を覚えながら、ゆっくりと振り返った。  
  
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