帝は傾国の元帥を寵愛する

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4章

94話 追うルーカス

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ルーカスは泥を撥ね飛ばしながら必死に駆けたが、人間の足で軍馬の速度に抗えるはずもなかった。

遠ざかる蹄の音に歯噛みしながら、彼は道中で軍馬を一頭、半ば強引に徴用する。

頭の中に叩き込まれた周辺の地図を展開し、標的の足取りを予測した。
どこかに拠点があるはずだ。

一度麓の露店街へ引き返した彼は、深いフードの付いた無骨な外套を買い求めた。
釣銭を懐にしまい込み、上機嫌な店主から情報を引き出す。

「そういえば、国境沿いを北上した先に、ベルカの連中が羽を伸ばす隠れ里のような村があると聞く」

確信を得たルーカスは、付近を歩いていた公休中のセレスティア兵の首根っこを無造作に掴み上げた。

「ひっ……!?」
「ゼフェル少佐に伝えろ。俺はこれより特別秘匿任務に就くと」
「と、特秘……!? は、はい!」

兵が呆然と頷くのを待つ猶予さえ惜しみ、最低限の水と乾パンを胸元にねじ込む。
帳が下り始めた街道を、ルーカスは一心不乱に北へと突き進んだ。


◇◇◇


寄せ集めの傭兵隊は、一ヶ月に及ぶ死闘をくぐり抜けた。
一ヶ月前、ベルカ公国は、ボロ布のような旗を掲げて短期の傭兵任務の参加者を募った。
集まったのは、五体満足とは言い難い者まで含むわずか二十名だった。
脱落者や行方不明者を除き、最終日まで生き残ったのは十七名。
しかし、この一団の戦果は正規軍の本隊を凌駕した。
手にした報酬は僅かであったが、明日の食い扶持もない者たちには十分すぎる大金だった。

日当、金貨二枚。
かつてユリウスが、帳簿も介さず昼食代としてヴァルターに渡していた額。
それが今では、一日中命を懸けて働く報酬と同じだというのだから、皮肉としか言いようがない。
夕闇が迫るころ、一行は列をなしその給金を受け取ると、駅馬車の停留所近くにある古い酒場へ流れ込んだ。
ひび割れた看板、湿った木扉、埃の匂い。
帝都の磨き上げられた石廊とは、何もかもが違っていた。

「エールを十七杯だ!」

壮年の騎士崩れが声を張り上げる。
粗末なテーブルにジョッキが次々と置かれ、泡がこぼれ、笑い声が弾けた。
ヴァルターもまた、その喧騒の端に静かに腰を下ろした。

喉に流し込んだエールは、麦酒を薄めて酒精の臭みだけを強めたような安価な代物だ。
香りは粗雑で、舌に残る渋みは不快でさえある。
だが――唯一喉越しだけは、悪くなかった。

ここには、ユリウスと共に味わった冷えたシャンパンも、主君の好みに合わせて温度まで合わされたティーセットも、黒檀の卓に揺れる蝋燭の影もない。
そしてあの高貴な声に呼ばれることも――二度とない。
だが、それでいい。

「おい、お前……大活躍だったじゃねえか。昔、軍にでもいたんだろ?」
「見様見真似だ」
ヴァルターが短く返すと、また笑いが起こった。
誰も彼に深く踏み込まない。戦場を共にした仲間の絆は軽く、だがそれは妙に心地よかった。

ふざけ半分で背後から手が伸び、ヴァルターのフードが不意に捲り上げられた。
安酒場の鈍い明かりが、金と銀を織り交ぜたような、柔らかな髪を照らし出した。
白磁のように滑らかな頬に落ちる影。それは人の手による造形とは思えぬほどに繊細で、神々しいまでに美しかった。

「……うわ、なんだよ。色男なんてレベルじゃねえぞ」
「どこぞの貴族様のおちぶれか? こんな掃き溜めにいちゃ勿体ねえなぁ」

軽い冗談が飛び交うが、そこに悪意はない。ヴァルターは気にした様子もなく、静かにフードを戻した。

酒場の片隅。
エールとつまみの隙間から、その「美貌」を凝視している男がいた。

ルーカスだ。
彼の読みは当たっていた。
街道を北へ急ぐ途中、件の傭兵隊の合流に鉢合わせたのだ。
ルーカスは外套のフードを深く引き下げ、気配を殺しながらその後を追った。
流れ込んだ先が、この酒場だった。

かつて憧れ、崇拝し、そしてセレスティアを捨てて消えた「閣下」。
だが、ルーカスの眼差しは、以前とは違った。

(陛下に、ヴァルター閣下の居場所を伝えれば、あるいは……)

思案に暮れていたその時、酒場の空気が凍りついた。
場違いなほど洗練された女が踏み込み、一直線にヴァルターの前に立った。
ベルカ公国の使者を名乗るその女は、単刀直入に「元帥」としての抜擢を告げた。

(まさか。あのような国の元帥など――いくらなんでもありえない)

「断る」

(――やはり)
ルーカスは静かに息を吐いた。

だが、女が放った次の言葉が空気を変えた。

「……あなたが受諾してくださるなら、ここにいるお仲間を全員、我が国の正規兵として迎え入れましょう。終身の身分を保証します」

(……本当に下衆な国だ)

周囲の傭兵たちの目が、一瞬で変わった。

女は「明日、宿まで迎えに行く」と言い残して去った。

残された仲間たちは、一人、また一人と席を立ち、ヴァルターにそれぞれの「事情」を、未来を、哀願するように残して去っていった。

最後に一人残されたヴァルターもまた、夜の闇へと店を出た。
ルーカスは音もなくその後を追い、暗い路地へと足を踏み入れる。

その瞬間――。

視界が反転し、冷たい感触が首元に走る。背後を取られた。

「は……」
「……ルーカス少将じゃないか」

低く、聞き慣れ、忘れられぬ声。

「閣下……」
「あのまま走って追いついたわけではないだろうな」
「……まさか」

ヴァルターはゆっくりとナイフを下ろした。ルーカスは姿勢を正し、敬礼をとる。

「ご無沙汰しております。不躾ながら、お一人になるのを待たせていただきました」

「その配慮はありがたいが、気配が暗殺者のようだったぞ」

「……」
ルーカスは沈黙を貫き、そして本題を切り出した。




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