帝は傾国の元帥を寵愛する

tii

文字の大きさ
101 / 104
4章

96話 あなたの犬になる

しおりを挟む
窓外から差し込む斜光が、冷徹な大理石の床に長い影を落とす。
空気は重く、吐息ひとつさえも政治的な意味を帯びるような緊張感に満ちていた。

「はぁ……」

やがて、ユリウスは肺の底から深く長い溜息をついた。
その視線は鋭く、ルーカスの射貫くような眼差しを真っ向から受け止めている。

「……そもそもだ。返せ返せと、私が好き好んで奪ったように言うが、それは認識の誤りだ。
もとより、お前の帝国軍少将としての社会的地位、そして将来的な軍事的資産としての価値を危惧しての措置だろう」

ユリウスは吐き捨てるように言った。
その声には、冷徹な統治者としての判断と、一人の軍人としてルーカスを高く評価しているがゆえの、諦念に近い響きが混在していた。

「……それは、重々理解しております」

次の瞬間、ルーカスはその場に深く、重々しく膝を突いた。
軍人としての峻烈な矜持も、帝国の英雄として積み上げてきた輝かしい栄誉も、その膝が床に鳴った鈍い音と共に、潔く投げ捨てられた。
ルーカスは頭を垂れたまま、地を這うような、だが逃げようのない覚悟を言葉に乗せる。

「今後、私は一介の私兵として、生涯、国家ではなく陛下個人にお仕えいたします。暗殺、工作、あらゆる穢れた仕事――そのすべてを意のままに執行します。
……それで、許してはいただけませんか。私どもの……婚姻を」

婚姻――。
その単語が空間に放たれた瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚さえ覚えた。
男同士、さらには身分差を孕んだ歪な愛の形を、公的な制度として承認せよと迫っているのだ。

「……婚姻か」

ユリウスの双眸に、理知的な驚愕が走る。
国家の歯車として、秩序の維持に人生を捧げるべき少将が、一人の男を伴侶として迎え入れるために、帝国少将のという公的なアイデンティティを放棄し、皇帝の汚れた飼い犬という負の役割に甘んじると宣言したのだ。

「本当にそれでいいのか? 数ヶ月という短期間の情動に突き動かされ、積み上げてきた人生のすべてを捨てるというのか」

「私が持ちうる、あらゆる手段を尽くしたいと考えております」

ルーカスの背中は、かつてないほどに孤高で、そして鋼のように強固だった。
ユリウスは長く、重い沈黙を保った。その脳内では、帝国の法、宗教的倫理、そしてルーカスという駒を失うことの損失計算が、高速で、かつ冷徹に行われていたはずだ。

「……いいだろう」

やがて、ユリウスの薄い唇から、赦免の言葉が静かに零れ落ちた。

「……お前たちのその歪な婚姻は、この私が、帝国皇帝の名において直々に認可してやる」

「……!!」

ルーカスはさらに深く頭を下げた。床に押し付けられたその拳は、歓喜の震えと、これから足を踏み入れるであろう暗部への覚悟で、関節が白くなるほどに固く握りしめられていた。

「……面を上げろ、ルーカス」

その声は、冷徹な絶対君主の響きではない。ユリウスなりの不器用な情愛が込められていた。

「……婚姻は許す。だが、お前を私兵という日陰の存在に堕とすような真似は、私という統治者の美学が許さない」

「陛下……?」

「お前は帝都において、清廉潔白を象徴する騎士でなければならない。そして、私もまた、正しく、清廉潔白な皇帝だ。今の私、そしてこの帝国にとって、背後から刺すような汚れた刃も、私的な暗殺者も、必要ない」

ルーカスが驚きに目を見開くと、ユリウスは椅子を離れ、窓の外に広がる広大な帝都の版図――秩序と混沌が混ざり合うその光景を見渡しながら言葉を継いだ。

「……お前たちのような、既存の枠組みに収まらない異端も、これからの帝国には必要なのだろうな」

ユリウスはルーカスの肩に、そっと、だが確かな重みを持って手を置いた。

「表の舞台で、さらなる頭角を現すがいい。お前は、お前が信ずる道を行け。それが結果として帝国の利益に繋がるのであれば、私はそれを最大限に利用するまでだ」

「陛下……」

「勘違いするな。これは情けでも慈悲でもない。……リュクスという精神的支柱を得ることで、私を、そしてこの帝国を、さらなる高みへと導け。それが私との、真の取引の内容だ」

ルーカスの視界が、急激に熱を帯びて滲んだ。
この帝都において、この皇帝と対等に渡り合える者など存在しない。
ルーカスは元来、多弁な男ではなく、論理を武器にした口論を好む質でもない。
言葉足らずで、時に誤解を招くこともある。
それでも、彼はユリウスという巨大な存在に、己のすべてを賭けた取引を仕掛けなければならなかった。
だが、蓋を開けてみれば、ユリウスの度量はルーカスの想像を遥かに凌駕する広大さを持っていたのだ。

ルーカスは胸を突くような感動に震えていた。
この皇帝は、己の想像よりもずっと先を見据え、人智を超えた叡智に溢れている。
最愛のリュクスを傍に置き守り抜くこと。それと同時に、このセレスティアという国を、ユリウスの下で守り抜くこと。
その二つが、等しく重い責務として、彼の魂に刻み込まれた。

ルーカスもまた立ち上がり、ユリウスの隣で帝都の風景を見下ろした。
この理知的な主君に仕え、その覇道を支えられることは、軍人として、あるいは一人の人間として、至上の幸福であると痛感する。

深い沈黙が流れる中、ユリウスが一段声を低め、こらえきれない焦燥を滲ませて言った。

「…………それで、ヴァルターが何だというんだ。早く話せ」  
  
  

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

氷の檻に閉じ込められた月~兄上のすべては、私のもの~

春野ふぶき
BL
『兄上は私のものだ。魂も、肉体も。永遠に―—』 アーヴェント侯爵家の長男ライカは、妾腹として正妻に虐げられ続けてきた。 唯一の救いは、次期当主を目される異母弟カイエンの存在。 美しく聡明で、氷の騎士と呼ばれる彼だけは、常にライカの味方だった。 だが、その愛情は兄を守るものではなく、深く歪んだ執着だった。 母を排除し、兄を囲い込み、逃げれば鎖で捕らえる。 そしてついに、ライカの心身は限界に追い詰められていく。 ——カイエンが下す「最後の選択」とは。 ふたりが辿る結末は、幸福か、それとも狂気の果てか。

まおうさまは勇者が怖くて仕方がない

黒弧 追兎
BL
百年前に現れた魔王によって侵攻が行われたアルキドセ王国。 国土の半分を魔物の支配下とされてしまったアルキドセ王国の国王はやむなく、国土を分断した。 ------------- 百年後、魔王の座は孫へと譲られていた。 「あー、だる……座り心地悪すぎだろ、」 しかし、譲られた孫であるセーレに魔王の素質はなく、百年間城にも攻めに来ない勇者に驕りきっていた。 ------------- その日、魔王城に戦慄が走った。 勇者が魔王城まで攻め入ったのだ。 「ひ、ひっ……!、よ、よくきたなぁ、っゆうしゃ!」 血の滴る剣を持ち、近づく勇者に恐怖で震えるセーレに与えられたのは痛みではなく、獣の皮の温かな感触だった。 「っかわいい……俺のものにする、っ」 「ぁ、ぇひ!やだやだやだっ、ひ、ぃい……」 理解できない勇者の言葉は死に怯えるセーレを混乱させ、失神させた。 ___________________ 魔王に一目惚れで掻っ攫う溺愛勇者       × 言動が理解できない勇者が怖い卑屈な名ばかり魔王 愛をまっすぐ伝える勇者に怯える魔王のすれ違い、らぶらぶストーリー。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

病み墜ちした騎士を救う方法

無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。 死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。 死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。 どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……? ※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です

のろまの矜持 恋人に蔑ろにされすぎて逃げた男の子のお話

月夜の晩に
BL
イケメンエリートの恋人からは、雑な扱いばかり。良い加減嫌気がさして逃げた受けくん。ようやくやばいと青ざめた攻めくん。間に立ち塞がる恋のライバルたち。そんな男の子たちの嫉妬にまみれた4角関係物語です。

うちの魔王様が過保護すぎる

秋山龍央
BL
主人公・折本修司(オリモトシュウジ)は転生恩恵女神様ガチャにはずれて異世界に転生して早々、つんでいた。 「異世界で言葉が分かるようにしてくれ」と頼んだところ、相手の言葉は分かるが自分は異世界の言葉は喋れない状態となり、 「平和な国に転生したい」と頼んだところ、平和で治安のいい国に転生をすることはできたものの、そこは人間のいない魔族だけの国だったのである。 困っていた主人公の元に、異世界の"魔王"である紅の髪と角を持つ男があらわれて―― 「まさか――そっくりだとは思ってたけれど、お前、本当にシュウなのか?」 異世界転生魔王様×異世界転生主人公 幼馴染年下攻めだけど年上攻めです

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

処理中です...