帝は傾国の元帥を寵愛する

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4章

【20万字達成記念番外編】ゼフェルの災難な夜

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とある遠征任務終了後の夜。
ゼフェルは野営の天幕の中で、ようやく「個」の時間を取り戻していた。
眼鏡を外し、滴る銀の髪を布で無造作に束ねる。
指先に残る緊張を解きほぐしながら、束の間の休息を貪ろうとした、その時だった。

「あのぉ~~……」
「ゼフェル様ぁ……」
「ゼフェル少佐ぁ~……❤️」

天幕の隙間から、語尾にハートマークが透けて見えるような甘い声が滑り込んできた。
現れたのは、世にも可愛らしい、ソル軍の若き兵士が二人。
手には上質な酒瓶。上目遣いの瞳は、獲物を狙うそれというより、憧れのアイドルを前にした熱烈なファンのそれだ。

「貴方様の作戦、本当に素敵でしたぁ!」
「少し……お酒でもご一緒させていただけませんか?」

(……なるほど、そういうことか)

ゼフェルは内心で、深く、重い溜息をつく。
目の前の「青い果実」のような青年たちは、明らかに「そういう意味」で上層部から派遣されてきたのだ。

(本部は、僕の趣味を何だと思っているんだ? 若くてきゅるんとした目をした……しかも、二人同時だと?)

「……すまないが、いつ本部に呼び戻されるかわからない仮眠なんだ。君たちの気持ちだけ受け取っておくよ」

ゼフェルは極めて紳士的に、かつ鉄壁の距離感で微笑んだ。

「上には『頭を撫でていただいた』とでも報告しておきなさい」
「は、はいっ!」

覚悟を決めていたはずの兵士たちだったが、いざ本物を前にすると、その圧倒的なインテリ美丈夫オーラにあてられてしてしまったらしい。
「次はぜひッ!」と、名残惜しそうに、嵐のように去っていった。

「……ふう」

ようやく静寂が戻った。
今度こそ身体を横たえようと、簡易寝袋に手をかけた、その瞬間。

「失礼じまずッッッ!!!!」

地響きのような声が、天幕の空気をビリビリと震わせた。
幕の向こうに見えるシルエットだけで、その顔の造作まで予想がつくほどの威圧感。

「あ、あの……おらさ……少佐の天幕さ行げって言われただ……!」
「おら、こういうの初めてだ……! だけど、少佐みてぇに綺麗な人なら、掘られてもいいだ! 今決めただ!! お願いしますだ!!!」

「…………ん?」

ゼフェルは、寝袋の横に置いたばかりの眼鏡を、超高速でかけ直した。
そして、目の前の光景に絶句する。

そこにいたのは、ゼフェルの部下の中でも一番の巨漢よりも、さらに二倍はあろうかという肩幅の男。分厚い胸板はもはや円柱に近い。
青々とした坊主頭に、猛烈な地方訛り。

ゼフェルのこめかみが、ズキリと脈打った。

(……待て。さっきの二人の方が、まだマシだったんじゃないか?)
(僕が丁寧にお断りしたからといって、次は「これ」が好きだと思われたのか!? 極端すぎるだろう!)

「少佐ぁッ!! お願いしますだぁッ!!」
「……ッ!? やめろ、待て、来るな! ハウス!! ステイだッ!!!!!」  
  
怒涛の「刺客」たちを必死の思いで(文字通り命がけで)追い返し、ゼフェルは天幕の真ん中で膝をついた。
もはや、敵軍の本陣を落とすよりも体力を消耗している。

乱れた髪、はだけた襟元、そして極度の精神的疲労。
ようやく息を整え、三度めに寝袋に潜り込もうとしたその時――。

――スッ。

音もなく、しかし迷いのない手つきで天幕の入り口が引かれた。

(……また、か……?)

ゼフェルは眼鏡の奥の瞳から光を消した。
次はどんな「珍客」が来るというのか。
猛獣か? それとも未知の生物か?
半ば自暴自棄な心地で振り返ると、そこに立っていたのは――軍服を脱ぎ捨て、薄着になったルーカスだった。

だが、その顔色は凄まじい。
戦場でも見たことがないほど、真っ白に、あるいは青ざめている。

「……ルカ? どうした、その顔は」

ゼフェルが呆気に取られて問いかけると、ルーカスは幽霊でも見たような足取りでふらふらと歩み寄ってきた。

「……寝ていたら、岩に、押しつぶされそうになった……」
「岩?」
「あの……、岩のような男だ……。逃げてきた。」

あの「お願いしますだ!」の巨漢が、よほど強烈なインパクト(あるいは物理的な接触)をルーカスにも残したらしい。
  
まて、さすがに断られたからって回転寿司のように同じ奴を高官の天幕を回らせるなんて雑すぎないか?
誰かが"食べる"まで、上官の天幕を回り続けるのか?!
おそらくルーカスはあの若い二人は断ったのだろう。
いや、もしくはルーカスに届く前に他の天幕から手が伸びたのか。  

ゼフェルがソル国の手厚い”福利厚生”について考えているうちに、ルーカスは吸い込まれるようにゼフェルの寝袋へと潜り込んだ。

「ちょ、おい。ルカ、ここで寝るなと言って……」

言いかけたゼフェルだったが、隣で丸くなっている男の肩が、微かに震えているのに気づいた。
あのルーカスが、これほどまでに怯えている。

(……まあ、いいか。僕も正直一人で寝るのは怖い)

あの巨漢がまた「ステイ」を無視して戻ってくるかもしれない。
そう思うと、今の天幕には護衛(あるいは道連れ)が必要だった。

ゼフェルの長身に合わせて特注された少し大きめの寝袋は、男二人が入ると流石に窮屈だったが、その密着した体温が、荒れ狂った夜の記憶を少しずつ塗りつぶしていく。

結局、そのあとに天幕を訪れる者はいなかった。
深夜、二人の気配を察して引き返した兵士がいたかもしれないが、彼らは泥のように眠り続け、朝の光が差し込むまで一度も目を覚ますことはなかった。

翌朝。
軍靴が泥を弾く音と、大鍋から立ち上る湯気に混じって、やけに朗らかな笑い声が野営拠点に響き渡った。
ゼフェルは昨夜の寝不足と、ルーカスの「岩のトラウマ」から来る精神疲労を悟られまいと眼鏡のブリッジを押し上げながら、炊き出しの列に並んでいた。
すると、前方から眩いばかりの「光」が近づいてきた。
「おはよう、諸君! 今日も帝国の武威は健在だな!」
後方支援と補給を束ねるセレスティア軍の老齢な少佐だった。
齢六十を超えているはずのその肌は、朝露を浴びた果実のようにつやつやと輝き、内側から溢れ出す生命力でご機嫌そのものだ。
そして何より、ゼフェルの目を釘付けにしたのは、その少佐の両脇だった。

昨夜、ゼフェルの天幕へと送り込まれたあの「きゅるんとした美青年兵」二人が、まるで小鳥のように少佐の腕にすっぽりと収まり、甲斐甲斐しく朝食のトレイを運んでいるではないか。
(………………ほう)
ゼフェルの視線が、極寒の零度まで急降下する。
若手兵士たちの細く白い指先。
泥ひとつついていない清潔な軍服。
そして、戦場にはおよそ不釣り合いな、潤んだ瞳。
(こいつら……本当に剣など持てるのか。……いや、持てるはずがない。訓練といえば寝台の上でのことだけだろう)
彼らにとっての「戦場」は天幕の中であり、「戦果」は高官の寝覚めの良さなのだ。
ゼフェルの脳内の毒舌回路が、静かにフル回転する。

「少佐ぁ、あーんしてください❤️」
「これ、こら、人前だぞ。はっはっは、ソル軍の若者は実に素晴らしい!」
少佐のつやつやの秘訣が、昨夜の深い「交流」にあることは明白だった。
どうやら、ゼフェルとルーカスが必死で追い返した「ギフト」は、最終的にこの審美眼の鋭い老将が美味しくいただいたらしい。

「……おはようございます、少佐。大変お盛んなようで」
ゼフェルが氷のような声で挨拶すると、老少佐はこれ以上ないほど満足げに目を細めた。

「おお、ゼフェル少佐! いやあ、昨夜は素晴らしい差し入れを断ったと聞いたが……勿体ないことをしたな。
彼らの隊列はまことに素晴らしい。良い仕事をするぞ。今度、君の作戦でも——」
「……ご報告、痛み入ります。ええ、機会があれば(何の隊列だよ……)」

ゼフェルが事務的に応じていると、背後にルーカスが立っていた。
ルーカスは少佐の脇の美青年二人を一瞥し、それから少佐のつやつやした顔をじっと見つめ、最後にゼフェルの耳元でぼそりと呟いた。
「……フェル。あの人、昨日より若返ってないか?」
「ルカ、黙っていろ。……『吸い取った』んだよ。あらゆるものをな」

ゼフェルは、ルーカスの皿に山盛りのスープを叩きつけるように注いだ。
昨夜、自分たちが拒絶したものが、誰かの「活力」となって目の前で輝いている。戦場の倫理観と、ソル国の奔放な福利厚生。
その狭間で、ゼフェルは再びこめかみが疼くのを感じた。

なお、視界の端で、岩のような体躯の男が二人、腕を組んで満足そうにのしのしと歩いているのを——ゼフェルは断固として認識しないことにした。  
世の中には見なくて良いものもある、というものだ。  

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