乙女心が呪い扱いされて検査された結果、診断名が「恋」に変更されました

星乃和花

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第1話 赤面は呪い

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 王都魔法研究所――そこは、世の中のだいたいの「困った」を理屈と魔法で解決しようとする場所だ。

 ただし、恋だけは別である。

 リィナは朝から何度目かの深呼吸をしていた。白衣の襟を整え、髪を耳にかけ、目の前の資料を抱える腕に余計な力が入らないようにする。

(落ち着いて。今日は“普通の助手”として働くだけ。先生の顔を見ても、赤くならない。……なるな)

 そう念じながら、リィナは研究棟の奥にある執務室の扉をノックした。

「失礼します。今朝の薬草の仕分けと、昨日の実験記録を――」

「入って」

 低く落ち着いた声。瞬間、胸の奥がきゅっと鳴ってしまう。リィナはすぐに背筋を伸ばした。助手としての顔。仕事の顔。いつもの。

 扉を開けると、机に向かっている男がいた。クロード・ヴァルケイン。王都でも名の知れた天才魔法研究者だ。

 銀縁の眼鏡越しに、淡い色の瞳がちらりとこちらを見た。理性の塊みたいな表情で、でも、リィナだけは知っている。彼の集中しているときの眉間の僅かな癖。ペンを握る指の長さ。書き物をしているとき、袖が少しだけずり上がるところ。

(だめだめだめ……見るな、見たら……)

 見た。

 そして。

「……」

 頬が熱い。自覚した瞬間、もう終わりだった。リィナは資料を胸に押し当てるように抱えて、視線を紙に落とした。

 ――ばれてない。ばれてない。私は今、ただの助手。体温が上がってるのは部屋が暖かいから。多分。

 そう思ったのに。

「顔が赤い」

 クロードが淡々と言った。

「えっ……?」

 心臓が跳ねる。リィナは反射で「違います」と言いそうになって、ぎりぎり飲み込んだ。否定は不自然。冷静に。冷静に、助手。

「少し……暖房が効いていて……」

「研究所の室温は一定だ。二十三度。温度変化の要因ではない」

 即座に切り捨てられた。

(室温まで把握してるの、さすが先生……じゃなくて今それどころじゃ――!)

 クロードは椅子を引いて立ち上がり、机の端に置いてあった細い金属の棒を手に取った。魔力の流れを測る簡易器具だ。

「近づいて」

「……えっ」

「近づいて」

 繰り返された。命令ではない。彼の中では「必要な手順」なのだ。

 リィナはゆっくりと近づいた。心臓がうるさい。距離が縮むと、クロードの持つインクと薬草の匂いが混ざったような、落ち着くのに危険な香りがする。

「額を見せて」

「……はい」

 差し出した瞬間、クロードの指がリィナの額に触れた。ひやりとした指先。そこだけ世界が切り取られたみたいに鮮明になって、リィナの脳が危険信号を鳴らす。

(むり、近い、近い、近い……っ)

「熱はない。……脈拍」

 クロードは当然のように、リィナの手首を取った。

 握る、というより、正確に押さえる。逃げられないように、ではなく、脈を逃さないように。けれど結果として、リィナは逃げ場を失った。

 指先が触れているだけで、心臓が早鐘になるなんて――そんなの、呪いじゃなくて、恋だ。

 リィナは必死に「助手の顔」を貼り付ける。唇の端を引き上げすぎない。視線を逸らしすぎない。頬の熱を意識しない。

 なのに。

「速い」

 クロードが言った。

「……す、すみません。歩いてきたので」

「廊下の距離は短い。歩行の負荷でここまで上がることはない」

 全否定である。

 クロードは眼鏡の奥で瞳を細め、まるで難しい式を解くときみたいに真剣な顔になった。

「外部要因――もしくは内部要因。赤面、脈拍上昇。特定の刺激でのみ誘発される。……これは」

 嫌な予感がした。

 リィナは固まった。

 クロードが、はっきりと言い切る。

「呪いだ」

「……はい?」

 思わず声が裏返った。

 クロードは全く動じない。むしろ確信に満ちた顔で続ける。

「好意系の呪い。感情の揺れを利用して反応を引き出すタイプ。――最近、心当たりは?」

(好意系の呪いって何!? いや、好意はあるけど、それ呪いじゃないです!!)

 リィナの心の中は大混乱だった。しかし口から出るのは、助手としての冷静な返答だけ。

「……心当たりは、特に……」

「そうか」

 クロードは頷くと、机に置いてあるノートにさらさらと書き込んだ。

『対象:リィナ
症状:赤面・脈拍上昇
診断:好意系呪いの可能性大
対処:検査・隔離・解呪』

(隔離!?)

「先生、隔離って……」

「研究所の規定だ。呪いの感染性を否定できない。安全が確認できるまで、君の行動範囲を管理する」

 落ち着いた声で、さらっと恐ろしいことを言う。

「……管理……」

「君が危険な目に遭う可能性がある」

 その言葉だけは、妙に強く響いた。クロードが本当に嫌がっているのは「手順が狂うこと」ではなく、リィナが傷つくことだと分かってしまう。

 分かってしまうから、困る。

 リィナの頬がまた熱くなる。

 クロードがすぐに気づいて、目を細めた。

「ほら。今だ」

「今……?」

「今、反応が出た。原因刺激が近くにある」

 クロードは真剣な顔で、リィナを見つめて言った。

「誰だ」

 ――誰だ、じゃない。あなたです。

 でも言えない。言ったら死ぬ。

「……分かりません」

「分からないなら、再現する」

「再現……?」

「刺激を変えながら検査し、反応を比較する。原因を特定する」

 クロードは机の上の小さな砂時計をひっくり返した。なぜか彼はこういう時だけ、律儀に時間を区切る。

「まず距離。今の距離から一歩離れて」

 リィナは言われるまま一歩下がった。

 クロードは観察するようにリィナの頬を見た。

「反応、軽減」

(そりゃそうです……)

「次、距離を詰める」

「えっ」

 クロードが一歩近づいた。リィナの心臓が跳ねた。

「反応、増加」

(そりゃそうです……!!)

 クロードはさらに真剣になった。

「次、声」

 彼はいつも通りの落ち着いた声で言った。

「リィナ」

 名前を呼ばれただけで、胸の奥がきゅうっと縮む。リィナの頬が熱くなる。

「反応、増加」

 クロードは淡々と記録する。

「次、声の距離」

 そして彼は――少しだけ顔を近づけた。

「リィナ」

 耳元に落ちる声。柔らかくて、低くて、ずるい。

 リィナの思考が真っ白になった。

 頬どころか首筋まで熱くなる。息が詰まる。目の前が眩む。

(しぬ……っ)

 クロードはその反応を見て、確信したように言った。

「確定だ」

(確定しないで……! 今確定しちゃだめ……!)

「先生、それ以上は……」

 リィナが絞り出すと、クロードは一瞬だけ、困ったように眉を動かした。

「苦しいか」

「……く、苦しいです」

 恋で、とは言えない。

 クロードは真剣な顔で頷いた。

「なら、対処を急ぐ」

 そして、なぜか落ち着いた声で宣言した。

「今日から君は、僕の執務室の隣で働く。監視……いや、保護のためだ」

 その瞬間、執務室の扉がノックもなく開いた。

「失礼しま――」

 入ってきた先輩研究員のセスが、部屋の空気を見て固まった。机の上には砂時計、クロードの手には記録ノート、リィナの頬は真っ赤。

 セスの視線が二人を往復する。

「……何してるんですか」

「検査」

「……それ、検査に見えませんけど」

 セスは胃のあたりを押さえた。

「またですか。……また、“規定”で囲い込みを……」

「囲い込みではない。保護だ」

 クロードはまっすぐに言い切った。

 セスは天井を仰いだ。リィナは消えたかった。

 そして、床をとてとてと歩く足音。

 使い魔猫のモカが、いつの間にか部屋に入り込み、当然のようにリィナの足元で鳴いた。

「にゃ」

 ――察している顔だ。完全に察している。

 モカは、リィナのスカートにすり寄ってから、クロードの靴先にわざと尻尾を当てた。

「……にゃあ」

 クロードが少しだけ眉を寄せた。

「モカ。邪魔をするな」

 モカは悠々と机の上に飛び乗り、クロードのノートの上にどっかり座った。

 セスが乾いた声で言う。

「……猫の方が空気読めてますよ」

「猫に空気は関係ない」

「先生、関係あるのは先生です」

 リィナは耐えきれず、資料をぎゅっと抱いた。

(呪いじゃない。恋です。恋なんです。でも――)

 クロードはノートを取り返そうとしながら、まるで大切な研究対象を守るように、リィナに視線を向ける。

「安心していい。必ず原因を突き止める」

 その真面目さが、優しさが、いちばん危険だった。

 リィナは小さく笑ってしまいそうになるのを、必死で堪えた。

「……はい。よろしくお願いします」

(お願いだから、原因を突き止めないでください)

 恋する乙女の願いは、研究所の規定よりもずっと弱かった。
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