乙女心が呪い扱いされて検査された結果、診断名が「恋」に変更されました

星乃和花

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第2話 脈拍測定が近すぎる(甘さ増し)

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 翌朝、リィナは研究所の廊下で一度立ち止まり、両手で頬を押さえた。

(落ち着いて。私は“呪いの疑いがある助手”。先生は“検査をする研究者”。ただそれだけ)

 言い聞かせるほど、昨日の「耳元で名前を呼ばれた音」が鮮明に蘇ってしまう。

(……だめだ。思い出すな。思い出すな)

 しかし、思い出すなと言って思い出さないのは不可能だった。

 執務室の隣――「保護のため」という名目で用意された小部屋は、実質的にクロードの私室の延長のような場所になっていた。机と椅子、簡易の薬棚、記録用のノート。窓際には、リィナが昨日持ち込んだ薬草茶の茶葉が並べられている。

 そして何より、扉一枚向こうにクロードがいる。

 リィナは深呼吸してからノックした。

「失礼します。今朝の薬草茶を――」

「入って」

 同じ声。やっぱり胸が跳ねる。跳ねるな。跳ねるな。跳ねるな。

 扉を開けると、クロードは机に向かっていたが、リィナの姿を視界に入れた瞬間、迷いなく立ち上がった。

「検査をする」

 挨拶より先にそれを言うのが、彼らしい。

「……おはようございます、先生」

「おはよう。……検査をする」

 繰り返し。

 リィナは笑いそうになって、必死で口元を引き締めた。笑ったら、たぶん次の検査が増える。

「はい。今日は、どの検査を……」

「脈拍、体温、魔力の揺れ。三項目」

(フルコース……)

 クロードは当然の顔で、椅子を引いた。

「座って」

 命令ではない。けれど、彼の言葉には不思議と逆らえない重みがある。リィナは素直に椅子に腰かけた。

 クロードが近づく。

 ――近い。

 昨日よりも自然に近い。つまり、リィナの耐久が試される。

 彼はリィナの手首を取った。昨日と同じ、正確で逃さない指。

 リィナの心臓が、裏切りみたいに速くなる。

(お願いだから、静かにして……! 今は検査……っ)

 クロードは眼鏡の奥で瞳を細め、少しだけ眉を寄せた。

「……やはり速い」

「……すみません」

「謝る必要はない。症状だ」

(症状じゃないです……恋です……)

 言えない。だから、リィナは薬草茶の入った小瓶をぎゅっと握った。

 クロードは手首を離さないまま、反対の手で細い金属棒を取り出した。魔力の揺れを見るための簡易器具。先端がほんのり光っている。

「少し冷たい」

 そう言って、器具をリィナの手の甲に触れさせた。

 ひやり、とした感触。そこに重なる、クロードの指の熱。

 冷たさと温かさが同時に来て、リィナの意識がふわっと浮く。

(だめ……これ、だめ……)

 クロードは真面目に観察しているだけなのに、触れ方が丁寧すぎる。手首を支える角度が優しすぎる。視線が真剣すぎる。

 リィナが言葉を失っている間にも、クロードは淡々と記録した。

「魔力揺れ、増加。脈拍上昇と連動。……やはり好意系呪いの特徴に一致する」

 リィナはついに耐えきれず、小さく呟いた。

「先生……好意系呪いって、具体的に何なんですか……」

「感情の“好意”に反応して発動する呪いだ」

「……はい」

(それ、恋です……)

 クロードは何も疑わず続ける。

「通常は対象が“好意を向けた相手”を利用して、対象を操る。あるいは、対象の判断力を落とし――」

「操る……」

 リィナは思わず自分の胸に手を当てた。

(操られてるの、私の方じゃなくて、先生の方……いえ、先生は操られてない。天然で……)

 クロードはリィナの額に手を当てた。昨日と同じ、ひやりとした手。なのに今日は、ほんの少しだけ長い。

「体温は正常」

 そう言いながら、彼の手が離れない。

 リィナは指先に意識が吸い寄せられて、呼吸が浅くなる。

「……先生?」

「……」

 クロードは気づいていないのか、気づいていても気にしていないのか。真面目な顔のまま、リィナの表情を観察した。

「……赤い」

「……」

「苦しいか」

 まっすぐに問われて、リィナは言葉に詰まった。

 苦しい。甘すぎて苦しい。近すぎて苦しい。好きが胸に溜まって、逃げ場がなくて苦しい。

 だけどそれを言うわけにはいかない。

「……だいじょうぶ、です」

 リィナがそう答えると、クロードの眉間の皺が、ほんの少しだけ緩んだ。

「無理はするな」

 言い方は淡々としているのに、そこだけ柔らかかった。

 その瞬間、扉が控えめに開いた。

「失礼します。……朝の報告を――」

 セスが顔を出し、すぐに状況を理解したように目を細めた。

 クロードの手はまだリィナの額。リィナの頬は赤い。机の上には記録ノートと器具。

 セスは深く息を吸って、胃のあたりを押さえた。

「……先生。検査って言えば、何しても許されると思ってません?」

「許される範囲でしかしていない」

「その範囲、先生の中でしか存在しないやつです」

 セスのツッコミは、いつも通り正しかった。だがクロードは一切気にしない。

「朝の報告は後でいい」

「後で? 毎回後でにされると、報告の意味が……」

「リィナの安全が最優先だ」

 クロードはきっぱり言った。

 リィナの胸が、じんと温かくなる。

(……優しい。優しいのに、わかってないのが……ずるい)

 セスは口を開けて、閉じた。言い返す気力が削がれたらしい。

「……はいはい。胃薬、追加しておきます」

「必要ない」

「必要です」

 セスはそう言い捨てて扉を閉めた。

 その直後、机の上から「にゃ」と声がした。

 使い魔猫のモカが、どっかりとクロードのノートの上に座っている。昨日と同じ場所。昨日と同じ顔。――完全に察している顔。

 クロードが眉を寄せた。

「モカ。そこはだめだ」

 モカは動かない。その代わり、ゆっくりと尻尾を揺らし、リィナの方を見て「にゃ」と短く鳴いた。

(……うん。分かってる。私も、そこはだめって言いたい)

 リィナが困り顔になると、クロードが視線を上げた。

「……辛いか」

 またそれだ。

 クロードは、リィナが苦しいときだけ、やけにちゃんと気づく。

「……少し」

 リィナが認めると、クロードは真剣な顔で頷いた。

「分かった。刺激を減らす」

(ほんとに?)

 そう思った次の瞬間、クロードはリィナの手首を取ったまま、椅子を少しだけ引き寄せた。距離が、近い。近いのに。

「……先生」

「刺激を減らす。――君が動くと、症状が変動する。固定した方が安全だ」

(固定って何……!?)

 リィナの頭の中が白くなる。

 クロードは淡々と、まるで当たり前の処置のように言った。

「今日はこの距離で、薬草茶を淹れてくれ」

「……この距離で……?」

「うん」

 クロードは頷いた。恋が分からない顔で。

「君が淹れる茶は、落ち着く」

 ――落ち着く。

 たったそれだけの言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。

 リィナの目が、少しだけ熱くなる。

(……落ち着く、って……それ、私に言う言葉じゃ……)

 言えない。だからリィナは、笑ってしまわないように唇を噛んだ。

「……はい。淹れます」

 クロードの手が、ようやくリィナの手首を離した。

 ――離れたのに、名残が残る。

 リィナが立ち上がろうとすると、クロードがふと、リィナの指先を見た。

「……冷たい」

 そして当然のように、リィナの手を取った。

 今度は脈を測るためではなく、ただ温めるみたいに、両手で包む。

 リィナの思考が止まった。

「……先生……?」

「末端が冷えると、呪いの反応が乱れる。温める」

 理屈。理屈なのに。

 優しさだけが、手のひらから伝わってくる。

 リィナはそっと息を吐いた。

(……呪いじゃないよ。恋だよ)

 でも、今は言えない。

 代わりにリィナは、小さく頷いた。

「……ありがとうございます」

 クロードは頷き返し、真面目な顔のまま言った。

「当然だ。君は――」

 そこで言葉が途切れた。

 クロードは自分の口を一瞬止め、考えるように眉を寄せる。

 そして、やや遅れて結論を出す。

「……重要な研究員だ」

(そこ、そこで止まるんだ……!)

 リィナは喉の奥がくすぐったくなって、笑いが漏れそうになった。泣きそうにもなった。

 モカが「にゃ」と鳴いた。多分、笑っている。

 クロードは猫を見て、少しだけ眉を寄せた。

「何だ」

 モカは悠々と伸びをして、ノートの上で丸くなる。

 まるで言っているみたいだった。

 ――はいはい。今日も甘いね。

 リィナは薬草茶の準備をしながら、胸の奥の熱を必死で隠した。

 そして思う。

(私の恋心、今日も試されてる……)

 試されているのは、隠す技術ではなく――耐える心臓の方だった。
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