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第3話 解呪茶(ただのリィナ特製)
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その日から、リィナの朝は“検査”で始まるようになった。
起床。身支度。深呼吸。
(今日は赤くならない)と誓う。
そして――赤くなる。
なぜなら、扉一枚向こうにクロードがいるからだ。
リィナは小部屋の薬棚を整えながら、昨日から増えた備品を見て呆然とした。
茶器一式。高級そうな茶葉用の保存缶。温度計。計量スプーン。
さらに、棚の端には「解呪茶」と書かれた紙が貼られている。
(……解呪茶って、先生が勝手に名前付けただけなのに)
リィナがただの薬草茶を淹れただけで、クロードは本気で「呪い反応を抑える効果がある」と信じたらしい。
そして信じた結果――
「リィナ」
隣室から呼ばれる。
昨日と同じ、低い声。
リィナの心臓が跳ねる。
「……はい、先生」
扉を開けると、クロードは机の前に立っていた。眼鏡の奥の瞳が、いつもより僅かに鋭い。
「今朝の症状は」
(症状……恋です……)
言えない。だから、助手の顔。
「……朝からは、まだ……」
「まだ?」
「……先生が今呼んだので、これからかもしれません」
言った瞬間、リィナはしまったと思った。
クロードは、そこだけ妙に素直に受け取る男だ。
「僕が原因刺激の可能性があるということか」
「……」
(そうです。そうですけど。そんなふうに言わないでください……!)
クロードは深く頷き、机の上のノートを開いた。
「よし。では今朝も“解呪茶”を先に入れる。反応を抑えた状態で検査をすれば、原因刺激の特定が容易になる」
彼は淡々と言い切った。
それはつまり。
「……先生、私の茶を飲むの、毎日になってませんか」
「毎日だ」
即答だった。
リィナは一瞬、言葉を失った。毎日だと言い切るの、重すぎる。
「……えっと、先生は研究に集中すると食事も忘れるので、茶があると助かるとは思いますが……」
「助かる」
また即答だった。
クロードは、必要と判断したことに関してだけ異様に素直だ。そこに乙女心の配慮がない。
リィナは内心で膝から崩れ落ちつつ、茶器を抱えて執務室に入った。
机の端に、昨日と同じ位置に椅子が二つ並んでいる。
――並び方が、妙に“対面”じゃなく“隣”寄りだ。
(先生、椅子の配置まで合理性でやってる顔して、何で“隣”に寄せるの……)
「ここ」
クロードが、当然のように隣の椅子を指した。
リィナの心臓が嫌な音を立てる。
「……はい」
座る。隣。近い。終わり。
リィナは茶葉を取り出し、湯を沸かし、香りを整える。手順はいつも通り。
ただし、隣にクロードがいる以外は。
「……香りが安定している」
クロードがぼそりと言った。
リィナは危うく手元を滑らせるところだった。
(香りが安定……褒め方が研究者……!)
リィナが何とか平静を保って湯を注ぐと、クロードが唐突に言った。
「昨日からの変化として、“茶を淹れている時間”は症状が緩和している」
「えっ」
「君が作業に集中すると、感情の揺れが抑えられるのだろう」
(違います。揺れてます。むしろ揺れてます。けど“手元が忙しいから隠せてる”だけです)
クロードはさらに続ける。
「つまり、この茶は“解呪”だけでなく、“集中による緩和”の補助にもなる」
彼は机に置かれた紙束を取り、真剣な顔で言った。
「そこで、配合案を作った」
リィナの目が点になった。
「……配合案?」
クロードが紙を広げた。そこには、恐ろしいほど細かい字でこう書いてある。
『解呪茶:配合案
①鎮静:ミント+レモンバーム+微量の月桂葉
②安定:カモミール+ラベンダー(香気調整)
③結界強化:ローズマリー(※ただし刺激が強い可能性)
④観察用:あえて刺激を残す配合(比較検査)』
リィナは、紙を見ながら固まった。
(“観察用”って何……!? 刺激を残すって、何……!?)
クロードは真顔で言う。
「今日は④を試す」
「やめましょう!?」
声が出た。
リィナは慌てて口を押さえた。
「……失礼しました……」
クロードは驚きもせず、むしろ納得したように頷いた。
「苦しいのか」
「……その、ええと……刺激が残ると……」
「症状が出る」
クロードが言った。
「……はい」
「なら観察できる」
「そうじゃなくて!」
リィナはうっかり身を乗り出してしまった。
隣でクロードが首を傾げた。
「では、何が問題だ」
(乙女心が……乙女心が……!)
リィナは言えずに、結局こう言うしかなかった。
「……研究所が燃えます」
「燃えない」
「私が燃えます」
クロードが少し考え込み、真剣な顔で結論を出した。
「……それは困る」
(困るのそこ!?)
クロードは紙束を戻し、淡々と言った。
「では②にする。鎮静と安定を優先」
その変更理由が“リィナが燃えるから”になってしまったことに、リィナは眩暈がした。
(先生、お願いだから“恋心が燃える”って意味で言ったんじゃないの、分かって……)
分かるはずがない。乙女心が分からない男なのだから。
リィナが茶を淹れて差し出すと、クロードは受け取って一口飲んだ。
そして、ほんの僅かに目を細めた。
「……良い」
それは、研究者がデータに満足した顔ではなかった。
リィナの胸が、ふわっと軽くなる。
(……今の“良い”、好き……)
危ない。好きが増える。
リィナは自分の分の茶を取ろうとした。するとクロードが、さらっと言った。
「君も飲め」
「……え?」
「君が飲むと、さらに安定する」
(安定って何!?)
リィナが固まっていると、クロードは淡々と続けた。
「昨日、君が飲んだときの方が、症状が抑えられていた。相互作用だ」
相互作用。
言い方だけは完全に研究である。
しかしそれはつまり、毎朝ふたりで同じ茶を飲む、ということだ。
リィナは静かに自分の分を手に取った。
指先が少し震える。
クロードの視線が、すぐにそれを拾う。
「手が震えている」
「……熱いので」
「熱いなら、こうする」
クロードは、当たり前のようにリィナの手を取った。
そして、カップを持つ指の位置を直し、熱が伝わりにくい持ち方を“丁寧に”教えた。
近い。手が重なる。指が触れる。
リィナの頬がじわっと熱くなる。
クロードが目を細める。
「……反応が出た」
(出ました……出ましたけど……その反応、先生のせいです……)
クロードは真剣に記録しようとしたが――机の上で「にゃ」と短い声がした。
モカだ。今日もいる。今日も察している。
モカはクロードのノートに前足を置き、紙をくしゃっと押した。
「モカ。やめろ」
「にゃ」
まるで言う。
――記録してる場合じゃないでしょ。
リィナは息を飲んだ。
クロードは猫を見て、少しだけ眉を寄せ――そして、リィナの手からそっと離れた。
「……刺激を減らす」
昨日と同じ言葉。
リィナは内心で「やっと学習した」と思いかけた。
しかしクロードの“減らし方”は、いつも斜め上だ。
「今日から、茶を飲む時間を固定する」
「……固定?」
「毎朝、同じ時間、同じ環境。変数を減らす」
クロードは淡々と頷いた。
「君の行動予定表も作る」
「……私の予定表……?」
「呪い対策だ」
リィナは笑いそうになった。泣きそうにもなった。
(呪い対策じゃない。恋対策だよ……私の……)
そのとき、扉が開いてセスが顔を出した。
「失礼します。――あ、今日も並んでますね」
セスは二つのカップと、隣り合う椅子を見て、虚無の目になった。
「先生、あの。研究所の“規定”って、いつから“朝の茶会制度”になりました?」
「規定ではない。必要な手順だ」
「その必要、先生の中でしか発生してないんですよ」
セスは胃のあたりを押さえた。
「……で、今日は何の検査です?」
クロードは即答した。
「解呪茶による安定化と、相互作用の確認」
「相互作用……」
セスは遠い目をした。
「……はい。相互作用ね。相互作用。……胃薬、増やしておきます」
「必要ない」
「必要です」
セスは昨日と同じやり取りを残して消えた。
静かになった室内で、クロードがリィナを見た。
「……君の表情が柔らかい」
唐突だった。
リィナの心臓が跳ねた。
「えっ……」
「茶の効果か」
クロードが真剣に分析する。
「……多分、そうです」
(違う。先生が“良い”って言ったから)
リィナはカップを口元に運び、香りを吸い込んだ。
――落ち着く。
それは茶のせいだけじゃない。
クロードがいるからだ。
でも言えない。
だからリィナは、笑ってしまいそうになるのを堪えて、助手として言った。
「……今日も、検査、頑張りましょう」
クロードは頷き、まっすぐに言った。
「君が苦しくないようにする」
その言葉が、温かすぎて。
リィナはまた、恋心を隠すのが下手になっていく気がした。
モカが「にゃ」と鳴いた。
――はいはい。今日も甘いね。
起床。身支度。深呼吸。
(今日は赤くならない)と誓う。
そして――赤くなる。
なぜなら、扉一枚向こうにクロードがいるからだ。
リィナは小部屋の薬棚を整えながら、昨日から増えた備品を見て呆然とした。
茶器一式。高級そうな茶葉用の保存缶。温度計。計量スプーン。
さらに、棚の端には「解呪茶」と書かれた紙が貼られている。
(……解呪茶って、先生が勝手に名前付けただけなのに)
リィナがただの薬草茶を淹れただけで、クロードは本気で「呪い反応を抑える効果がある」と信じたらしい。
そして信じた結果――
「リィナ」
隣室から呼ばれる。
昨日と同じ、低い声。
リィナの心臓が跳ねる。
「……はい、先生」
扉を開けると、クロードは机の前に立っていた。眼鏡の奥の瞳が、いつもより僅かに鋭い。
「今朝の症状は」
(症状……恋です……)
言えない。だから、助手の顔。
「……朝からは、まだ……」
「まだ?」
「……先生が今呼んだので、これからかもしれません」
言った瞬間、リィナはしまったと思った。
クロードは、そこだけ妙に素直に受け取る男だ。
「僕が原因刺激の可能性があるということか」
「……」
(そうです。そうですけど。そんなふうに言わないでください……!)
クロードは深く頷き、机の上のノートを開いた。
「よし。では今朝も“解呪茶”を先に入れる。反応を抑えた状態で検査をすれば、原因刺激の特定が容易になる」
彼は淡々と言い切った。
それはつまり。
「……先生、私の茶を飲むの、毎日になってませんか」
「毎日だ」
即答だった。
リィナは一瞬、言葉を失った。毎日だと言い切るの、重すぎる。
「……えっと、先生は研究に集中すると食事も忘れるので、茶があると助かるとは思いますが……」
「助かる」
また即答だった。
クロードは、必要と判断したことに関してだけ異様に素直だ。そこに乙女心の配慮がない。
リィナは内心で膝から崩れ落ちつつ、茶器を抱えて執務室に入った。
机の端に、昨日と同じ位置に椅子が二つ並んでいる。
――並び方が、妙に“対面”じゃなく“隣”寄りだ。
(先生、椅子の配置まで合理性でやってる顔して、何で“隣”に寄せるの……)
「ここ」
クロードが、当然のように隣の椅子を指した。
リィナの心臓が嫌な音を立てる。
「……はい」
座る。隣。近い。終わり。
リィナは茶葉を取り出し、湯を沸かし、香りを整える。手順はいつも通り。
ただし、隣にクロードがいる以外は。
「……香りが安定している」
クロードがぼそりと言った。
リィナは危うく手元を滑らせるところだった。
(香りが安定……褒め方が研究者……!)
リィナが何とか平静を保って湯を注ぐと、クロードが唐突に言った。
「昨日からの変化として、“茶を淹れている時間”は症状が緩和している」
「えっ」
「君が作業に集中すると、感情の揺れが抑えられるのだろう」
(違います。揺れてます。むしろ揺れてます。けど“手元が忙しいから隠せてる”だけです)
クロードはさらに続ける。
「つまり、この茶は“解呪”だけでなく、“集中による緩和”の補助にもなる」
彼は机に置かれた紙束を取り、真剣な顔で言った。
「そこで、配合案を作った」
リィナの目が点になった。
「……配合案?」
クロードが紙を広げた。そこには、恐ろしいほど細かい字でこう書いてある。
『解呪茶:配合案
①鎮静:ミント+レモンバーム+微量の月桂葉
②安定:カモミール+ラベンダー(香気調整)
③結界強化:ローズマリー(※ただし刺激が強い可能性)
④観察用:あえて刺激を残す配合(比較検査)』
リィナは、紙を見ながら固まった。
(“観察用”って何……!? 刺激を残すって、何……!?)
クロードは真顔で言う。
「今日は④を試す」
「やめましょう!?」
声が出た。
リィナは慌てて口を押さえた。
「……失礼しました……」
クロードは驚きもせず、むしろ納得したように頷いた。
「苦しいのか」
「……その、ええと……刺激が残ると……」
「症状が出る」
クロードが言った。
「……はい」
「なら観察できる」
「そうじゃなくて!」
リィナはうっかり身を乗り出してしまった。
隣でクロードが首を傾げた。
「では、何が問題だ」
(乙女心が……乙女心が……!)
リィナは言えずに、結局こう言うしかなかった。
「……研究所が燃えます」
「燃えない」
「私が燃えます」
クロードが少し考え込み、真剣な顔で結論を出した。
「……それは困る」
(困るのそこ!?)
クロードは紙束を戻し、淡々と言った。
「では②にする。鎮静と安定を優先」
その変更理由が“リィナが燃えるから”になってしまったことに、リィナは眩暈がした。
(先生、お願いだから“恋心が燃える”って意味で言ったんじゃないの、分かって……)
分かるはずがない。乙女心が分からない男なのだから。
リィナが茶を淹れて差し出すと、クロードは受け取って一口飲んだ。
そして、ほんの僅かに目を細めた。
「……良い」
それは、研究者がデータに満足した顔ではなかった。
リィナの胸が、ふわっと軽くなる。
(……今の“良い”、好き……)
危ない。好きが増える。
リィナは自分の分の茶を取ろうとした。するとクロードが、さらっと言った。
「君も飲め」
「……え?」
「君が飲むと、さらに安定する」
(安定って何!?)
リィナが固まっていると、クロードは淡々と続けた。
「昨日、君が飲んだときの方が、症状が抑えられていた。相互作用だ」
相互作用。
言い方だけは完全に研究である。
しかしそれはつまり、毎朝ふたりで同じ茶を飲む、ということだ。
リィナは静かに自分の分を手に取った。
指先が少し震える。
クロードの視線が、すぐにそれを拾う。
「手が震えている」
「……熱いので」
「熱いなら、こうする」
クロードは、当たり前のようにリィナの手を取った。
そして、カップを持つ指の位置を直し、熱が伝わりにくい持ち方を“丁寧に”教えた。
近い。手が重なる。指が触れる。
リィナの頬がじわっと熱くなる。
クロードが目を細める。
「……反応が出た」
(出ました……出ましたけど……その反応、先生のせいです……)
クロードは真剣に記録しようとしたが――机の上で「にゃ」と短い声がした。
モカだ。今日もいる。今日も察している。
モカはクロードのノートに前足を置き、紙をくしゃっと押した。
「モカ。やめろ」
「にゃ」
まるで言う。
――記録してる場合じゃないでしょ。
リィナは息を飲んだ。
クロードは猫を見て、少しだけ眉を寄せ――そして、リィナの手からそっと離れた。
「……刺激を減らす」
昨日と同じ言葉。
リィナは内心で「やっと学習した」と思いかけた。
しかしクロードの“減らし方”は、いつも斜め上だ。
「今日から、茶を飲む時間を固定する」
「……固定?」
「毎朝、同じ時間、同じ環境。変数を減らす」
クロードは淡々と頷いた。
「君の行動予定表も作る」
「……私の予定表……?」
「呪い対策だ」
リィナは笑いそうになった。泣きそうにもなった。
(呪い対策じゃない。恋対策だよ……私の……)
そのとき、扉が開いてセスが顔を出した。
「失礼します。――あ、今日も並んでますね」
セスは二つのカップと、隣り合う椅子を見て、虚無の目になった。
「先生、あの。研究所の“規定”って、いつから“朝の茶会制度”になりました?」
「規定ではない。必要な手順だ」
「その必要、先生の中でしか発生してないんですよ」
セスは胃のあたりを押さえた。
「……で、今日は何の検査です?」
クロードは即答した。
「解呪茶による安定化と、相互作用の確認」
「相互作用……」
セスは遠い目をした。
「……はい。相互作用ね。相互作用。……胃薬、増やしておきます」
「必要ない」
「必要です」
セスは昨日と同じやり取りを残して消えた。
静かになった室内で、クロードがリィナを見た。
「……君の表情が柔らかい」
唐突だった。
リィナの心臓が跳ねた。
「えっ……」
「茶の効果か」
クロードが真剣に分析する。
「……多分、そうです」
(違う。先生が“良い”って言ったから)
リィナはカップを口元に運び、香りを吸い込んだ。
――落ち着く。
それは茶のせいだけじゃない。
クロードがいるからだ。
でも言えない。
だからリィナは、笑ってしまいそうになるのを堪えて、助手として言った。
「……今日も、検査、頑張りましょう」
クロードは頷き、まっすぐに言った。
「君が苦しくないようにする」
その言葉が、温かすぎて。
リィナはまた、恋心を隠すのが下手になっていく気がした。
モカが「にゃ」と鳴いた。
――はいはい。今日も甘いね。
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