看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花

文字の大きさ
23 / 36

23:奪わない

翌朝、屋敷は静かだった。

社交の翌日は、空気が少しだけ重い。
当主が外で纏ってきたものが、まだ廊下に残っているみたいに。
香水の残り香、視線の残骸、言葉の棘。

リィナは台所で鍋の火を見ながら、昨夜の扉越しの呼吸を思い出していた。

(開けなくてよかった)

そう思う。
でも同時に、扉の向こうで荒かった呼吸が胸に刺さったままだ。

侍女長が、リィナの横に立った。

「守ったわね」

「……はい。少し、はみ出しましたけど」

「はみ出すのは、悪いことじゃない」

侍女長は淡々と言った。

「枠は“守るため”のもの。守るために動いたなら、枠の役割は果たしてる」

救われる言葉。

侍女長は火から目を離さずに続けた。

「当主は昨日、随分削られた。……そして、あなたは扉を開けなかった」

リィナは小さく頷いた。

「……開けたら、捕まる気がして」

侍女長は短く息を吐く。

「捕まるわね」

即答。
やっぱり。

侍女長はリィナを見る。

「でも、捕まるのが全部悪いわけじゃない。……問題は“誰が鍵を持つか”よ」

鍵。

リィナは胸の奥を押さえた。

「……私は、鍵を持ちたいです」

侍女長は頷いた。

「なら、今日のうちに“次の枠”を決めなさい」

次の枠。
社交の夜を越えた今、当主は次の手を打つ。
枠が必要だ。



昼過ぎ。

執事から呼び出しが来た。
当主が、昼に話したいと言っている。

リィナは息を吸って、当主の部屋へ向かった。
今日はお茶の枠の日ではない。
だから、これは“相談”になる。

扉を開けると、当主は机に向かっていた。
書類は少ない。
しかし、目が昨日より深い。

「来たな」

「はい……用件は」

当主はすぐに言った。

「昨日の件の確認だ」

確認。
また言葉遊びの匂いがする。

「お前は扉を開けなかった」

「はい」

「正しい」

当主は淡々と言った。
褒めるわけでもなく、当然の評価。

「だが、お前は“お茶を淹れるか”と言った」

リィナの頬が熱くなる。

「……言ってしまいました」

当主の目が細くなる。

「言っていい」

え?

リィナは目を見開いた。

当主は続ける。

「お前が“自分の意思で”言ったなら、それは枠の中だ」

彼は、枠を学んでいる。
リィナの言葉の“出どころ”を見ている。

当主は机の引き出しから紙を出した。
新しい白紙。

「次の枠を、更新する」

更新。
でも今日は、命令ではない。
相談の空気がある。

当主はペンを置き、リィナに差し出した。

「書け」

リィナはペンを取った。
手が少し震える。
でも、鍵は自分が持つ。

リィナは書いた。

次の枠:
・当主が社交などで“削られた夜”は、翌日の夕方に一度だけ“枠のお茶”を追加できる
・ただし、追加は最大月二回
・その場合も一時間、触れるのは手だけ
・夜に廊下へ来ない(確認もしない)

最後の一行を書いた瞬間、胸が痛んだ。
でも必要だ。

当主の目が、その行で止まる。

「……確認もしない」

「はい」

リィナは言った。

「灯りで十分です。扉の外に立たないでください」

当主は黙った。
それが、彼にとってどれだけきつい枠か分かる。

やがて当主は低く言った。

「代わりに」

やっぱり来る。
代わりに、が。

当主は淡々と書き足した。

・廊下に行きたくなったら、執事に止めさせる(命令する)

リィナは目を瞬いた。

「……そんな命令」

「俺は止まれない時がある」

当主は静かに言った。

「だから、止める役を作る」

役を作る。
設計。
でも今回は、自分を止める設計だ。

リィナの胸がきゅっとなる。

当主はペンを置き、リィナを見る。

「これで、お前は鍵を持てるか」

「……はい」

当主は一拍置いて、低く言った。

「俺は、お前の鍵を奪わない」

“奪わない”と明言した。
それが、少しだけ救いだった。

リィナは震える手で署名した。
当主も署名する。

紙は、引き出しへ。
大事なものの扱い。

当主は椅子にもたれ、少しだけ目を伏せた。
疲れている。
社交の残り。

リィナは静かに言った。

「……今日は、お茶は淹れません。枠ではないので」

当主の目が僅かに揺れる。
残念そう。
でも、頷いた。

「分かった」

その素直さが、胸に刺さる。

リィナは立ち上がり、頭を下げる。

「失礼します」

扉へ向かう。

背中に、当主の声が落ちた。

「……リィナ」

振り返る。

当主は淡々と、しかし少しだけ低く言った。

「昨日、助かった」

言葉で礼を言わない代わりに。
今、言った。

リィナは息を呑んだ。
返事は求めない。
でも、言葉が胸に落ちる。

リィナは小さく頷いた。

「……よかったです」

それだけ言って、扉を閉めた。

廊下は冷たい。
でも、鍵は自分の手の中にある。

そう思える日だった。

——そして、当主は知らない。

リィナが“追加枠”を作ったことで、
当主の社交の日が、彼女にとって“来る理由”になる危険も生まれたことを。

枠は続き方。
でも枠は、ときに、理由の形にもなる。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない

ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。 公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。 旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。 そんな私は旦那様に感謝しています。 無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。 そんな二人の日常を書いてみました。 お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m 無事完結しました!

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!

【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。

たまこ
恋愛
 公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。  ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。 ※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

「氷の公爵子息は、平凡令嬢を手放さない」

白瀬しおん
恋愛
ただぶつかっただけのはずだった。 なのに気づけば、氷の公爵子息は隣に座り、手を取り、名前を呼ぶ。 そして—— 「逃げてもいい。でも、逃げ切れない」 平凡令嬢を静かに囲い込む、逃げ場なしの溺愛。 最後に待つのは、拒否権のない婚約だった。 ※初投稿のため、至らない点があるかもしれませんが、温かく見守っていただけると嬉しいです。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花*Q−73@文フリ東京5/4
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

生贄として捧げられた「忌み子」の私、あやかし皇帝の薬膳料理番になります ~呪いで拒食症の白虎陛下は、私のおかゆに胃袋を掴まれたようです~

腐ったバナナ
恋愛
実家の「一条家」で霊力なしの忌み子として虐げられてきた凛。生贄としてあやかしの国・天厳国へ捧げられた彼女を待っていたのは、呪いによって食事がすべて「泥の味」に変わる孤独な白虎皇帝・白曜だった。 死を覚悟した凛だったが、前世で培った「管理栄養士」の知識は、あやかしの国では伝説の「浄化の力」として目醒める! 最高級の出汁、完璧な栄養バランス、そして食べる者を想う真心。凛が作る一杯の「黄金の粥」が、数年間不食だった王の味覚を劇的に呼び起こした。 「美味い。……泥ではない味がする」 胃袋を掴まれた皇帝の態度は一変。冷酷な暴君から、凛を誰にも触れさせたくない「超絶過保護な独占欲の塊」へと豹変してしまい……!? 嫌がらせをする後宮の妃や、手の平を返して擦り寄る実家を「料理」と「陛下からの愛」で一掃する、美味しくて爽快な異世界中華風ファンタジー。

【完結】ハメられて追放された悪役令嬢ですが、爬虫類好きな私はドラゴンだってサイコーです。

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
 やってもいない罪を被せられ、公爵令嬢だったルナティアは断罪される。  王太子であった婚約者も親友であったサーシャに盗られ、家族からも見捨てられてしまった。  教会に生涯幽閉となる手前で、幼馴染である宰相の手腕により獣人の王であるドラゴンの元へ嫁がされることに。  惨めだとあざ笑うサーシャたちを無視し、悲嘆にくれるように見えたルナティアだが、実は大の爬虫類好きだった。  簡単に裏切る人になんてもう未練はない。  むしろ自分の好きなモノたちに囲まれている方が幸せデス。