『急募:執事ごっこに付き合ってくれる方』 ーーお嬢様に憧れたわたくしと誰かの"役"になりたい俺

星乃和花

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第一話 仕立て屋へ、身支度の条

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〈条一補:身支度は“間に合う優雅さ”で〉

 

 契約書にサインをした翌日。

 午前中の仕事を終え、俺はひとまず前の職場に顔を出してから、王都の中央広場へ向かった。

 正確には、もう「職場」ではない。
 平和条約が結ばれ、国境の緊張が解けてからというもの、俺の部署の仕事は激減した。かつて一日二十通以上あった命令書が、今では週に数通。午前中で片づけられる程度だ。

 長い廊下を歩く自分の足音が、やけに軽く感じられる。
 必要とされる回数が減ると、身体も本当に軽くなるらしい。

 そうして空いた午後を、最初の数日はもてあましていた。
 手持ち無沙汰のまま、家の床を磨き、棚を整理し、それでも手が余る。

 ――誰かのために動くほうが、性に合っているのだろうな。

 そんなことを考えながら歩いていたときに見つけたのが、『執事急募』の看板だった。

 看板ごときの角度が気になって仕方がない時点で、俺は相当重症なのかもしれない。

 広場に着くと、昨日と同じ場所に、リリーが立っていた。
 今日は看板を持ってはいない。代わりに、淡いクリーム色のワンピース姿で、きちんと揃えた足先を石畳の上に置いている。

「アッシュ」

 俺の姿に気づくと、彼女は少しだけほっとしたような顔をした。
 昨日は終始「わたくし」と名乗っていたが、その言葉遣いは、訓練されたものというより、長年の憧れを真面目に身につけようとしている最中――そんな印象だ。

「お待たせしました、お嬢様」

 自然と、その呼び方になっていた。
 リリーは一瞬だけ身じろぎして、すぐに小さく笑った。

「いえ、今来たところです。……今日は、どこから始めましょうか」

「まずは、装備を整えましょう」

「装備?」

「身支度です。役割は、見た目から入るものですから」

 俺がそう言うと、リリーは素直に頷いた。
 全身で「真剣に、ごっこ遊びをするつもりです」という空気を出している。そこが妙におかしくて、同時に愛おしい。

「では、お嬢様と俺の衣服を。身軽なほうが、日々の任務も遂行しやすい」

「任務……」

 小さく繰り返して、彼女は口元に笑みを浮かべる。

「“お嬢様ごっこ”の、ですね」

「もちろんです」

 言ってから、自分でも少し笑った。
 平和になったとはいえ、語彙の選び方がまだ戦時中のままなのは、俺の悪い癖かもしれない。

「仕立て屋を、いくつか知っています。質と予算に合わせてご提案できますが……」

 そう切り出すと、リリーは腰に下げた小さな巾着をぎゅっと握った。

「予算は、こちらの中に収まる範囲でお願いしたいです。……ただ、今回のプロジェクトには、わたくしなりに全力を尽くしてきましたので」

「プロジェクト」

 また、新しい言い方が出てきた。
 討論大会と珠算大会で得た賞金。その数字を親に見せて説得した話を、昨日聞いたときから、俺は彼女のことを少しだけ尊敬している。

「承知しました。では、『プロジェクトお嬢様』の予算内で、最適解を」

「お願いします」

 彼女が軽く会釈をする。
 その動きに合わせて、クリーム色のスカートがふんわり揺れた。

 人混みの中を歩くとき、俺は自然と半歩前に出た。
 肩が触れない程度の距離を保ちつつ、行列の切れ目を見計らい、リリーに向かって手を差し出す。

「ここ、少し段差があります」

「あ、ありがとうございます」

 彼女はためらいながらも、その手に自分の手を預けた。
 指先が、少し冷たい。人前で「お嬢様」を演じることに、まだ緊張しているのかもしれない。

 ――その緊張ごと、支えるのが、執事の仕事だ。

 そう自分に言い聞かせながら、俺は仕立て屋の扉を押した。

 

 王都でも評判の、老舗の仕立て屋だ。
 控えめな看板と、磨き込まれたガラス。中からは、柔らかな布地の香りがする。

「いらっしゃいませ」

 老舗の主人が、俺の顔を見るなり目を細めた。

「これは、アッシュさん。今日はお一人ではないのですね」

「ええ。お嬢様のお仕度をお願いしたくて」

 そう言うと、主人の視線がリリーへと移る。
 リリーは、緊張を飲み込むように喉を鳴らしてから、一歩前へ出た。

「はじめまして。リリー・クロフォードと申します。……本日、執事を一人雇いましたので、そのプロジェクトに相応しい服装のご相談を」

 主人の眉が、愉快そうに上がった。

「それはまた、面白いご関係で」

「ごっこ遊びです」と俺が補足すると、主人は声を立てて笑った。

「なるほど。でしたら、本気でやらねばいけませんね」

 その一言が頼もしくて、俺は少しだけ肩の力を抜いた。

 

 まずは、リリーの服から決めることにした。
 主人が差し出してきた布見本の束を、リリーと並んで覗き込む。

「どのような“お嬢様”でありたいと、お考えですか」

 俺が尋ねると、彼女はしばらく黙り込んだ。

「……めいっぱい優雅で。けれど、近づきがたい人にはなりたくありません」

「なるほど」

「歩いているだけで周囲が緊張してしまうような、そういう方ではなくて。
 なんというか、その……一緒にいる人たちが、少しだけ背筋を伸ばしたくなるような」

 言葉を探しながら、彼女は布に指を這わせる。
 それは、自分の中の理想像を引き出そうとする、誠実な動きだった。

「でしたら、光沢の強すぎない生地が良さそうです。
 色は、今お召しのクリームも似合っていますが……少しだけ淡い灰青を混ぜるのはどうでしょう。柔らかさを残しつつ、静かな芯が通る感じになります」

「灰青……」

 俺は布見本から、ほどよい厚みと落ち感のあるものを選び出した。
 リリーの顔立ちと髪色を見ながら、襟元や袖口の形を頭の中で組み立てていく。

「スカート丈は、動きやすさを考えると、ふくらはぎの中ほどがよろしいかと。
 お嬢様ごっこで市場を歩く予定もありますし」

「市場……そうでしたね。人目、ありますよね」

 リリーは少し頬を赤くして、うつむいた。

「……あの、アッシュ。わたくし、こういうお店に来るのは初めてなので。すべてお任せしてしまっても?」

「光栄です」

 即答すると、彼女はわずかに目を丸くした。
 それから、安心したように微笑む。

「では、わたくしは“優雅で楽しく対等なお嬢様”に見えるような服を、お願いします」

 難易度の高い注文だ。
 だが、腕が鳴る。――いや、実際に針を持つのは主人だが、設計図を描くのは嫌いではない。

 

 リリーの採寸が済むと、次は俺の番だった。

「アッシュさんのほうは、いつものように動きやすさ優先ですか?」

「多少は」

「多少は?」

「今回は、ごっこ遊びの『執事』ですので」

 主人は眼鏡の奥で目を光らせた。

「でしたら、肩と背中にだけ少し余裕を持たせましょう。お嬢様の荷物を持ち、扉を開け、椅子を引く動作が増えますから」

「……よくご存じで」

「昔、そういう仕事をしていたもので」

 主人の言葉に、リリーが興味深そうにこちらを見た。
 俺は軽く肩をすくめる。

「前職も、似たようなものです。
 ただ、今は世界が平和になったので、少し仕事が余りました」

「だから、執事になってくださったのですか」

 リリーの問いに、俺は少し考えてから答えた。

「そうですね。……役が、少しばかり余りまして」

 彼女は、いたずらを見抜いた教師のように、しかし優しく微笑んだ。

「では、余った役を、わたくしが預からせていただきますわね」

 その言い方があまりにも真面目で、思わず笑いそうになる。
 笑ってしまえば、彼女の誠実さを軽んじることになる気がして、喉の奥でなんとか飲み込んだ。

 

 数日後、仮縫いの日。

 仕立て屋の奥の試着室から、そっとカーテンが開いた。
 淡い灰青のドレスに身を包んだリリーが、少しだけ戸惑ったような、しかし誇らしげな顔で立っている。

「……どう、でしょうか」

「問題ありません」

 口から出たのは、あまりにも事務的な言葉だった。
 本当は、もう少し何かあったはずなのに。

 リリーは不安そうに鏡を見て、自分の裾をつまむ。

「どこか、おかしなところがあれば、遠慮なく教えてください。これは、ただの“ごっこ遊び”ではありますけれど、わたくしにとっては重大な――」

「お嬢様」

 言葉を遮るように、俺は一歩近づいた。
 鏡越しに、彼女と視線がぶつかる。

「とても、お似合いですよ」

 それだけ告げて、彼女の髪飾りに手を伸ばした。
 試しにつけてみたリボンの位置が、少しだけずれている。

「少し失礼します」

 指先でそっと、リボンの位置を整える。
 柔らかな髪が、指の甲をかすめた。香りの弱い、けれど清潔な石鹸の匂いがした。

 鏡の中で、リリーの頬がゆっくりと赤くなっていく。

「……本当のお嬢様になれたみたい、です」

 小さく、そう呟いた。
 その声には、長いあいだ心の中で温めてきた憧れと、今ようやくそれに触れた戸惑いとが、同時に混ざっていた。

「ごっこでも、本気にすれば、だいたい本物になります」

 俺が言うと、主人が奥から「名言ですね」と笑った。
 リリーも、緊張の中で、少しだけ肩の力を抜く。

 

 採寸と仮縫いが終わると、主人が納期を告げた。
 そのあいだに、俺は小さな帳面を取り出す。

「では、お嬢様。長期休暇のあいだの“任務計画”を立てましょう」

「任務計画?」

「はい。一週間に何度お嬢様ごっこを行うか、市場散策の日、庭園に行く日、美術館に行く日――」

 項目を挙げていくと、リリーは目を輝かせた。

「そんなにたくさん、よろしいのですか?」

「“期待に添える働き”をしたいので」

 俺がそう答えると、彼女は眉尻を下げて、少し困ったように笑った。

「……わたくしも、あなたの期待に応えられるようにしないと、ですね」

「お嬢様の期待は、俺が勝手に膨らませているだけですから」

「それはずるいですわ」

 帳面のページに、いくつもの小さな予定が並んでいく。
 市場、庭園、噴水、美術館。

 どれもただの「ごっこ遊び」のはずなのに、その文字列は、妙に愛おしく見えた。

 ――これは、執事としての仕事の工程表だ。

 そう言い聞かせながらも、俺は気づいている。

 この表をいちばん楽しみにしているのは、おそらく、俺のほうだということに。
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