『急募:執事ごっこに付き合ってくれる方』 ーーお嬢様に憧れたわたくしと誰かの"役"になりたい俺

星乃和花

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第九話 新しい契約書、迷子の地図の先で

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〈新条案:ごっこ遊びの延長線上に、本当の願いを置く〉

 

 あの日以来、初めてだった。

 俺が、こんなに体温の変化を自覚しているのは。

 テーブルの上に置いた厚紙から、視線を上げる。
 リリーは、涙をこぼしながら、それでもこちらを見ていた。

「……それはわたくしにとって、都合が良すぎます」

 さっき彼女がそう言ったとき、胸のどこかが、ほっとした。

 ――“そんなの、迷惑です”と言われる覚悟もあったからだ。

 都合が良すぎる、は、拒絶ではない。
 戸惑いと、甘さと、諦めきれなさの混ざった言葉だ。

「お嬢様」

 ゆっくりと呼びかける。

「利害は、一致しているはずです」

 そう告げると、リリーは涙越しに、目を瞬いた。

「……利害?」

「はい。
 お嬢様は、夢の続きを少しだけ見たい。
 俺は、役割の続きを少しだけ持ちたい」

 言葉にしながら、自分の鼓動の速さを数える。
 戦場で走ったときとは、別種の緊張。

「最初の契約で掲げた“お嬢様ごっこにおける要望”は、三つでしたね」

 厚紙の端を指で押さえながら、続ける。

「一つ。優雅に。
 二つ。楽しく。
 三つ。対等で」

 リリーが小さく頷く。

「はい……」

「この三つは、俺にとっても、そのまま要望です」

「アッシュの?」

「はい」

 息を整え、言葉を選んだ。

「俺の“執事ごっこ”における要望は――
 一つ、優雅に。
 お嬢様が、急かされずに自分の歩幅を選べるように、隣で速度を調整したい」

 市場の喧騒、庭園の砂時計。
 雨やどりの軒下で、“降らせておく”と決めた時間。

「二つ、楽しく。
 笑いは零す。作らない。
 俺自身も、この役割を“仕事”以上のものとして感じていたい」

 噴水の水しぶきと、帳面に増えていく「笑い」の文字。
 彼女の「楽しいですわ」という申告。

「三つ、対等で。
 お嬢様だけが一方的に甘えている関係ではなく、
 俺もまた、お嬢様に“迷っていること”を預けられる関係でありたい」

 条零と、暫定条。
 “迷子の地図係”という言葉。

「……それは」

 リリーが、小さく息を吸った。

「それは、もはや“ごっこ遊び”の域を越えているのではありませんか?」

「そうかもしれません」

 正直に認める。

「だから、看板には“執事ごっこ”と書きました」

 厚紙に記された文字を指でなぞる。

「『急募:執事ごっこに付き合ってくれる方』
 ――これは、俺の側の“お嬢様願望”なのだと思います」

「お嬢様願望……?」

「はい。
 お嬢様に仕えたい、という願望ではなく。
 “誰かの願いを隣で整える役割”を、自分自身がもう一度、ちゃんと選びたいという願望です」

 以前の職場では、それは義務だった。
 誰かを守ること、戦況を整えることは、迷う余地のない命令だった。

「今度は、俺が選びたいのです。
 誰の地図を、一緒に描くのかを」

 それが、“利害一致”という言葉の正体だった。

 

「……でも」

 リリーが、小さな声で言う。

「わたくしは、まだ“ご要望未定”の状態です。
 条零のまま、途中のまま」

「はい」

「そんな迷子の地図に、これ以上アッシュを巻き込んでしまって、良いのでしょうか」

 涙のにじんだ瞳で、真っ直ぐに問われる。

「良いかどうかを決めるのは、俺のほうです」

 即答した。

「そして俺は、“迷子の地図係”の仕事を、自分の意志で続けたい」

 暫定条を指先で叩く。

「それに――」

 一度、視線を窓の外へ向ける。
 街路樹の葉が揺れ、行き交う人々の姿が映る。

「この契約には、明確な条件があります」

「条件?」

「はい」

 わざと、少しだけ間を置く。

「『そして、君が、学生を終えた時に、また別の契約書を持ってくるから』」

 リリーの瞳が、見開かれた。

「べ、別の契約書……?」

「はい」

 言葉にするのは、勇気が要った。
 けれど、ここで曖昧にすれば、この勇気は二度と戻ってこない気がした。

「今の契約は、『長期休暇中のお嬢様ごっこ』です。
 これは、あくまで“期間限定のごっこ遊び”として結びました」

「……はい」

「でも、君が学院を卒業したら。
 そのときは、“ごっこ遊び”ではなく、別の形の契約を、俺は提案したい」

 彼女は、息を呑んだ。

「別の、形」

「俺と一緒に迷い続けることを、
 “遊び”ではなく、“選択”として――どうか、検討してほしい」

 それが、今の俺にできる、最大限の踏み込みだった。

 恋や結婚といった言葉は、まだ早いのかもしれない。
 でも、“一緒に迷うことを選ぶ契約”なら、今の二人にも差し出せる。

「だから、今日提出するのは、“中継ぎの契約”です」

 厚紙の下に、薄い紙束を滑り込ませる。
 簡易な契約書。条文は少ない。

「『執事ごっこ中継ぎ契約書』」

 リリーが、小さな声で読み上げた。

「内容は、こうです」

 俺は一条ずつ、読み上げた。

「一、この契約は、今後の長期休暇および休日に限り、お嬢様ごっこ/執事ごっこを継続することを許可するものとする。
 二、お嬢様は、“ご要望未定”のままでいてもよい。
 三、執事は、“迷子の地図係”として、お嬢様の現在地の確認に協力する。
 四、本契約の有効期限は、『お嬢様が学生を終える日』までとする」

 最後の一行に、さらりと付け加える。

「五、その後については、お嬢様と執事、対等な立場で再交渉すること」

 リリーは、紙から目を離さなかった。
 涙の跡がまだ頬に残っている。

「……そんな契約、前例があるのでしょうか」

「ありません」

 即答すると、彼女は思わず笑った。

「前例が、ない」

「はい。
 ですから、“叙情的で真剣なわりに、内容が少しずれている契約”になると思います」

「……たしかに」

 彼女の笑い声が、少しだけ震えを失っていた。

「でも、わたくし、そういう“ずれた真剣さ”は嫌いではありません」

「光栄です」

 ふっと、肩の力が抜ける。

「アッシュ」

「はい」

「ひとつだけ、確認させてくださいませ」

「どうぞ」

「この『執事ごっこに付き合ってくれる方』の募集は――
 応募者がわたくし一人でも、成立しますか?」

 その問いに、思わず笑ってしまった。

「お嬢様以外の応募は、想定しておりません」

「では、競争率は?」

「ほぼ一人勝ちです」

「ずいぶんと、応募者に甘い募集ですわね」

「募集主が、お嬢様に甘いので」

 そう言った瞬間、耳が熱を帯びた。
 自分で自分の首を絞めている自覚はある。

 だが、リリーは、泣き笑いのような顔で頷いた。

「……わかりました」

 彼女は、テーブルの上のペンを取る。
 震えないように、指先に力を込めている。

「条零のまま、“ご要望未定”のままですが――
 この中継ぎ契約に、署名させていただきます」

 ペン先が、紙の上を滑る。

 『リリー・クロフォード』

 綺麗な筆致。その最後の一画まで、しっかりと見届ける。

「ありがとうございます、お嬢様」

 胸の奥で、何かが静かにほどけた。

 

「……アッシュ」

「はい」

「最後に、わたくしのほうからも、ひとつ要望を追加してよろしいでしょうか」

「要望?」

「はい。
 “迷子の地図係”としての、追加任務です」

 頷き、続きを待つ。

「いつか、わたくしが、本当に“街のため、国のため”の道を選ぶ日が来たとして。
 そのとき、アッシュが傍にいなかったとしても――」

 彼女は、少しだけ困ったように笑った。

「わたくしが、『あの時のわたしは、何を望んでいたのだろう』と迷ったときには。
 今日のこの契約書と、条文たちを、そっと思い出していてほしいのです」

「俺が、ですか」

「はい。
 そして心の中で、こう言ってください」

「……なんと?」

「『君はあのとき、“途中でいてもいい”と、ちゃんと自分に許可を出していたよ』と」

 胸が、じん、と鳴った。

「それは、俺への要望でありながら、お嬢様自身へのメッセージですね」

「はい。ずるい要望です」

「都合が良すぎますね」

「お互い様ですわ」

 二人して、同時に笑った。

 

 カップの紅茶は、いつの間にか、飲み頃の温度を少し過ぎていた。

 それでも、そのぬるさが、今は心地よい。

「アッシュ」

「はい」

「改めて、わたくしの夢に付き合ってくださって、ありがとうございました。
 そして、これからは――あなたの“執事ごっこ”にも、付き合って差し上げます」

「光栄です、お嬢様」

 そう答えてから、もう一度看板に目を落とす。

『急募:執事ごっこに付き合ってくれる方』

 その下に、小さく書き足した。

『応募者:リリー・クロフォード(一次選考通過)』

 リリーが、それを見て、くすりと笑う。

「二次選考は、いつごろでしょうか」

「君が学生を終えたときに、また別の契約書を持って伺います」

 それは、約束であり、宣言だった。

 彼女は、静かに微笑んだ。

「そのときまでに、わたくしも――少しだけ、わたしの“ご要望”を探しておきます」

「楽しみにしています」

 店の外では、風が街路樹を揺らしている。
 長期休暇は終わる。学院は始まる。

 けれど、“ごっこ遊び”で育てた条文と、迷子の地図は、消えてなくなったりはしない。

 ――契約終了は、関係の終わりと限らない。

 新しく書き加えられたその条文は、二人だけが知る、密やかな未来予告になった。

 優雅に。楽しく。対等で。
 そして、“途中のままでいてもいい”と、互いに許し合いながら。

 お嬢様と執事のごっこ遊びは、静かに、しかし確かに。
 次のページへと、続いていくのだった。
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