『星飴測候庁 — ときめき渋滞、ただいま観測中。—』

星乃和花

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第10話 飴職人の揺れる本音と、家族の空模様

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 星飴シャワー予報が出た、翌朝。

 星飴測候庁の受付カウンターに、
 見慣れない紙箱がひとつ、ちょこんと置かれていた。

「シュガールさん宛てのお荷物、届いてますよ」

 受付の女性に声をかけられて、
 ミレイユは慌てて駆け寄る。

「わ、わたしに、ですか?」

「はい。“郊外第七街区・シュガール菓子工房”より。
 差出人、“おとうさん&おかあさんより”」

「……っ」

 胸の奥が、きゅっと縮まった。
 箱の端には、見覚えのある小さなリボン結び。
 親指の跡のついた、懐かしい紙質。

「ありがとうございます……。
 休憩時間に、開けてもいいですか?」

「もちろん。楽しみねぇ」

 受付の女性が微笑む。
 ミレイユは、箱を胸に抱えて、
 そっと工房へと向かった。

 *

 星飴調整課の休憩室は、
 いつも甘い匂いがかすかに残っている。

 ポルカ課長と先輩たちは、
 ちょうど現場に出ている時間帯らしく、誰もいない。

(……今なら、深呼吸しても、泣いても大丈夫)

 ミレイユは、自分にそう言い聞かせてから、
 そっと箱のふたを開けた。

 中には、
 小さな焼き菓子がぎっしりと詰まっていた。

 星形のクッキー、
 角砂糖みたいなキューブケーキ、
 そして、彼女が子どもの頃から大好きだった、
 “雨上がりレモンパウンド”。

「……変わってない」

 思わず、こぼれる。

 その上に、一通の手紙が乗っていた。
 淡い水色の封筒。
 角のところが、ちょっとだけ粉砂糖で白くなっている。

 封を切る手が、すこし震えた。

 便箋には、見慣れた丸い字が並んでいる。

『ミレイ、

 王都で元気にしていますか。
 星飴測候庁で働き始めたと聞いてから、
 工房のみんなで、「もう立派な飴職人さんねぇ」と話しています。』

(……お母さん)

 続く行を、そっと目で追う。

『こちらは相変わらず、朝から晩までバタバタしています。
 最近は、王都からの観光客も増えてきて、
 “星飴っぽいお菓子はありませんか”なんて聞かれることもあります。

 あなたがいたら、新しいお菓子を一緒に考えられるのになぁ、と
 お父さんがぼやいていました。』

 行間から、工房のざわめきが聞こえてくるようだった。
 粉砂糖の舞う音、オーブンの扉の音、
 父の、少し不器用な笑い声。

『でも、これは「帰ってきなさい」という意味ではありません。
 いつでも帰ってきていい、
 でも、帰らなくてもいい。

 あなたが、自分で選んだ場所で、
 自分の手を好きでいられるなら、それがいちばんです。

 ただ、もし王都がつらくなったり、
 星飴が苦く感じる日があったりしたら、
 いつでも、この箱を思い出してください。

 あなたの帰りを待っている空が、ここにもあるということを。』

 最後の行は、父の字に変わっていた。

『たまには、工房の空模様も教えてくれ。
 おまえの描く“空の絵”、母さんが楽しみにしている。

 星飴シャワー、きっときれいだろうな。
 風邪をひかないように気をつけて。』

 ミレイユは、便箋を胸の前でぎゅっと抱きしめた。

(……工房の空模様)

 子どもの頃、
 よく父に頼まれて、
 その日の空を紙に描いた。

 “お客さんが少ない日は曇りマーク”
 “新しいお菓子が好評だった日は晴れマーク”
 “売り切れ続出の日は星マーク”。

 その横に、小さく家族の顔を描いて、
 それぞれの表情に合った天気をつけるのが、
 密かな楽しみだった。

(最近、描いてなかったな……)

 胸の奥に、
 懐かしさと、ちくりとした痛みが混ざる。

 便箋の端には、もう一行、小さな追伸があった。

『追伸:
 跡継ぎのこと、そろそろ真面目に考えなきゃね、と
 みんなで話すことが増えました。

 “ミレイに全部背負わせるつもりはないよ”と
 何度も言い合いながら。

 これも、空模様のひとつとして、
 頭の片隅に置いておいてくれると嬉しいです。』

 ――跡継ぎ。

 その単語に、胸の中の空が、
 急にざわつき始めた。

(そうだよね……
 いつまでも、“どこかよその空の話”みたいにしてるわけには、いかないよね)

 工房には、年配の職人たちが多い。
 父と母も、もう若くはない。

 自分が王都に来たのは、
 “星飴を作ってみたい”という憧れと、
 少しの逃避心の混ざった選択だった。

(“わたしまでここにいなくなったら、工房はどうなるんだろう”って、
 本当はずっと、頭の隅にあった)

 でも、その考えにちゃんと向き合うのが怖くて、
 星飴のきらめきに、
 庁舎の賑やかさに、
 ユリウスの真剣な横顔に――

 甘やかされるように、目をそらしてきたのかもしれない。

 便箋を畳んで、
 小さく深呼吸をした。

(……めそめそしてる場合じゃないよね)

 机の引き出しから、
 ミニサイズの画用紙を一枚取り出す。

 鉛筆を握って、
 そっと線を引き始めた。

 ──“シュガール菓子工房・本日の空模様”。

 ・工房の上空:ちょっと忙しそうな、晴れ時々くもり。
 ・お父さんの頭上:少し眉間に皺のある晴れマーク。
 ・お母さんの周り:笑顔だけど、すこしハート型の雲が多め。
 ・古参職人さんたちのところには、小さな雨雲と湯気マーク。

 そして――。
 自分の頭上の空は、
 丸を描いてから、しばらくペン先が止まった。

(わたしの空は、今、何模様なんだろう)

 王都の星飴測候庁。
 おしゃべり席。
 黄昏交差点。
 ユリウスの「ありがとう」。

 全部を思い浮かべて、
 そっとマークを描く。

 自分の頭上には、
 小さな星飴マークと、
 その横に、三角の“未定”マーク。

「……ずるい絵だなぁ」

 苦笑しながらも、
 それが精一杯の正直さだった。

 *

 昼休みが終わる頃。

 ミレイユは、工房の隅で、
 ひとつの瓶を大事そうに抱えていた。

 瓶の中には、
 “家族向け星飴”として試作中の、小さな星たちが入っている。

「“離れていても同じ空を見ているよ飴”……」

 仮の名前を口の中で転がしてみて、
 自分で照れ笑いする。

 星飴シャワーに合わせて、
 遠くにいる家族や友人同士が、
 お互いの空模様を想い合える飴を作れたら――。

 そんな企画案を、こっそりメモしていた。

(今のわたしに、一番必要な飴でもあるんだけど)

 瓶から一粒だけ取り出す。
 淡いオレンジ色の、小さな星。

 “家族を思う気持ち”と“自分の道を願う気持ち”を、
 両方そっと封じ込めたつもりの配合。

「……試食、してみようかな」

 星飴測候庁の飴は、
 基本的に職員によるテストを経てから世に出る。
 自分で作った飴を、自分で試すことも多い。

(怖いけど……
 星飴に教えてもらわないと、
 わたし、多分また逃げちゃう)

 ミレイユは、目を閉じて、
 小さな星を舌の上に乗せた。

 すーっと溶けていく甘さは、
 レモンパウンドの柑橘と、
 星飴工房の砂糖の匂いを足したような味。

 胸の奥が、じんわり温かくなる。

 やがて、指先の包み紙が、
 ふわりと熱を帯びた。

 ゆっくり広げると、
 柔らかな文字が一行、現れていた。

『本当は、自分で選んだ空を、ちゃんと好きでいたい』

 息を呑んだ。

 “工房の空”でも、“王都の空”でもなく。
 “誰かに決められた空”でもなく。

 “自分で選んだ空”。

「……ずるいよ、星飴」

 笑いながら、目の奥が熱くなる。

「そうだよね……
 どっちにいても、“誰かのため”だけじゃ、きっと苦しくなる。

 ちゃんと、自分で選んだって言える場所じゃないと」

 家族の期待も、工房の空模様も大事だ。
 でも、“自分の空”を、ちゃんと好きでいたい。

 そう願っていいのだと、
 星飴はそっと教えてくれた。

 そのとき――。

「シュガールさん」

 背後から、控えめなノックの音とともに、声がした。

「ひゃっ……!」

 慌てて振り返ると、
 扉のところに、ユリウスが立っていた。

「そんなに驚かなくても」

「ご、ごめんなさい……!」

 包み紙を握りしめたままの手を慌てて背中に回し、
 変に不自然な姿勢になってしまう。

「少々お時間をいただけますか。
 星飴シャワー当日の配布リストの件で、調整課の意見を伺いたくて」

「あ、はいっ」

 (落ち着け、落ち着け)

 胸の中の“自分で選んだ空”の一行が、
 まだじんじんと響いているのを感じながら、
 ミレイユは、なんとか平静を装って立ち上がった。

 *

 廊下を歩きながら、
 資料の説明を受ける。

「……というわけで、
 “星飴シャワー記念セット”の試作配分について、
 調整課の意見を反映させたいのです」

「“家族向け星飴”を入れる案も、
 候補にあるんですよね?」

「ええ。“遠く離れた誰かを思うための飴”として」

 ユリウスは、手元の紙をめくりながら頷いた。

「シュガールさんが出してくれたメモ、
 庁長が気に入っていましたよ」

「ほ、本当ですか」

「“離れていても同じ空を見上げられる飴”――
 なかなかに、星飴測候庁らしいテーマです」

 嬉しさと照れくささで、胸が忙しくなる。

 そうして一通りの打ち合わせを終え、
 切りの良いところで、廊下の窓際に差しかかった。

 窓の向こうには、
 少し厚みを増した雲と、
 その隙間からのぞく、淡い青空。

「……ユリウスさん」

 ふと、言葉がこぼれた。

「はい?」

「家族って、“空模様”に例えるとしたら、
 どんな感じだと思いますか」

 自分でも、唐突な質問だと思う。
 でも、聞かずにはいられなかった。

 ユリウスは、ほんの少しだけ目を細め、
 窓の外を見上げた。

「そうですね……」

 彼が、空に向かって“観測モード”に入るときの顔だった。

「“毎日見ているのに、
 つい“いつもそこにある”と勘違いして、
 意識することを忘れがちな空”――でしょうか」

「……」

「晴れている日も、曇っている日も、
 気づかないうちに、自分の呼吸や気分に影響を与えている。

 だけど、忙しいときほど、
 わざわざ窓を開けて“今日はどんな空だろう”と
 見上げることを忘れてしまう。

 そういう意味では、
 家族も、空も、似ているかもしれません」

 ミレイユは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

「……わたし、今朝、工房から手紙が届いたんです」

 自分から話し始めていた。

 逃げるのは、
 さっき星飴と約束したばかりだ。

「“いつでも帰ってきていい、
 でも帰らなくてもいい”って書いてあって。

 跡継ぎのことも、そろそろ考えなきゃねって」

 ユリウスは、驚いた様子は見せず、
 ただ静かに耳を傾けてくれる。

「王都の空も好きだし、星飴も好きで。
 でも、工房の空も、家族のことも大事で。

 どっちかを選んだら、
 もう片方を裏切るみたいな気がして……
 頭の中の天気図が、ぐるぐるしてます」

 そこまで言って、
 半ば冗談めかして付け足した。

「測候庁の広報官さんなら、
 こういう時の“空模様コメント”って、
 どうつけますか?」

 ユリウスは、少しだけ考えた。

 そして、いつもの真面目な声で言う。

「“前線がいくつも交差しており、
 しばらくはぐるぐる状態が続く見込み。

 ただし、地表付近の温度は十分にあたたかく、
 晴れ間のポテンシャルは高い”――でしょうか」

「ポ、ポテンシャル……」

 思わず笑ってしまう。

「つまり、今は“選ぶための雲”が多いだけで、
 どちらの空も、
 決して“悪天候”ではない、ということです」

「……」

「どちらを選んでも、誰かにとっては寂しく、
 そして、誰かにとっては嬉しい。

 そういうとき、
 私がいつも市民に伝えるのはひとつだけです」

 ユリウスは、窓ガラスに映る自分たちの姿を、
 ちらりと見つめた。

「“せめて、選ぶときだけは、自分の空を見上げてください”」

 その言い方は、
 どこか自分自身にも言い聞かせているようだった。

「“誰かの涙の予報”だけを見て決めてしまうと、
 あとから自分の中で、嵐になりますから」

「……誰かの涙の予報」

「もちろん、“誰かを悲しませたい”という意味ではありません。

 ただ、
 “自分はどんな空の下で、息をしたいのか”を、
 最後に確認してほしいのです」

 ミレイユは、胸の中の“一行”を思い出す。

『本当は、自分で選んだ空を、ちゃんと好きでいたい』

(……やっぱり、星飴って、ずるい)

 ユリウスの言葉と、
 包み紙の一行が、
 ぴたりと重なってしまう。

「……ユリウスさんには、“帰ってきてほしい空”ってありますか?」

 今度は、彼に尋ねる番だった。

「私に、ですか」

「はい。
 “いつでも戻ってきていいんだよ”って言ってくれる場所とか」

 ユリウスは、少しだけ視線を泳がせた。

「……難しい質問ですね」

 苦笑してから、
 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「物理的な意味での“帰る場所”は、
 正直、あまり明確には思い浮かびません。

 ただ――」

 そこで、一瞬だけ迷い、
 意を決したように言った。

「星飴測候庁の、一階ロビーの一角。
 星飴おしゃべり席と、その隣に立つ人たちの姿は、
 “戻ってきてよかった”と思える風景のひとつです」

「……っ」

「黄昏交差点から見える街の空も、
 私にとっては、そうかもしれませんね」

 胸の奥が、星飴シャワーみたいにざぁっと光った。

「ですから」

 ユリウスは、窓の外から、
 目の前の彼女に視線を戻した。

「どんな空を選ぶにしても――
 星飴測候庁のこの場所は、
 シュガールさんにとって、“戻ってきてもいい空”でありたいと思います」

「……ずるいです、その言い方」

「広報官ですので」

 ふたりで、くすりと笑う。

 けれど、笑いの奥で――
 ミレイユの胸には、
 ひとつの輪郭が浮かび始めていた。

(わたし、王都の空を、
 “戻ってきてよかった”って思える場所にしたいんだ)

 家族の空も大事。
 工房の空も、きっといつか真正面から向き合わなければならない。

 でも、同じくらい、
 今ここで、自分の手で作っている空を、
 ちゃんと好きでいたい。

 その空の中には、
 星飴のきらめきと、
 おしゃべり席と、
 黄昏交差点と――

 そして、
 広報官の少し不器用な「ありがとう」が、
 確かに含まれているのだ。

 *

 その夜。

 部屋の机の上に、
 レモンパウンドと便箋と、
 小さな星飴の瓶が並んでいた。

 ミレイユは、ペンを持って、
 ゆっくりと文字を綴る。

『お父さん、お母さんへ。

 お菓子とお手紙、ありがとうございました。
 雨上がりレモンパウンド、
 王都の窓辺でも、ちゃんと“ふるさとの味”がしました。

 跡継ぎの話、読んで、
 正直に言うと、胸がぎゅっとなりました。

 “戻ってきてほしい”と言われてもいないのに、
 勝手に、責任を押し付けられたような気持ちになっていた自分と、

 “戻らない言い訳”に使ってしまいそうな自分がいて、
 どちらにも、少しだけ罪悪感があります。』

 一度、ペンを止めて息を吐く。

 それから、
 さっき星飴が教えてくれた一行を、
 自分の言葉に置き換えて、書き加えた。

『でも、星飴に、
 “本当は、自分で選んだ空を、ちゃんと好きでいたい”って言われました。

 だから、すぐに答えを出すことはできません。
 星飴シャワーが終わって、
 少し心と空が落ち着いたら、

 改めて、自分の望みと、
 工房の空模様を、一緒に天気図に描いてみたいです。

 そのとき、
ちゃんと自分の足で、“帰る”か“残る”かを決めたいと思います。』

 最後に、
 少しだけ照れくさいけれど、
 どうしても書きたかった一行を足した。

『ひとつだけ、今言えるのは、
 王都の空も、星飴測候庁も、
 わたしはとても好きだということです。
 そこで出会った人たちにも、もう少し、
 「ただいま」と「おかえり」を重ねてみたいです。』

 書き終えて、便箋をぐっと抱きしめた。

 窓の外の空は、
 少し雲が多いけれど、
 ところどころ、星の予感がにじんでいる。

「……さて」

 机の端に置いてある、小さな瓶に目をやる。

 ピンクの恋加速飴は、
 まだそこで静かに光っていた。

「星飴シャワーの夜までには、
 “空のこと”と同じくらい、
 ちゃんと自分の気持ちも見つめられますように」

 誰にともなくお願いしてから、
 ミレイユは、そっと瓶の蓋を撫でた。

 遠く離れた工房の空と、
 王都の空。

 そして、
 星飴測候庁のロビーの一角と、
 黄昏交差点の空。

 ――二日後、星飴シャワーが降る夜、
 それらの空は、きっと同じ星を見上げている。

 そのとき、自分はどの空の下で、
 誰の隣で息をしているのか。

 まだわからないけれど――

 少なくとも今は、
 “自分で選んだ空を、ちゃんと好きでいたい”という本音を、
 胸の真ん中にそっと掲げておくことにしたのだった。
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