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第12話 黄昏ミニ観測と、ときめき一行予報
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黄昏交差点へ続く道は、
いつもより少しだけ、光の粒が多いように見えた。
――たぶん、明日の星飴シャワーのかけらが、
もう空のどこかで準備運動をしているのだ。
「今日は、人が多いですね」
交差点に着くなり、ユリウスがそっと言った。
仕事帰りの人、約束の待ち合わせをしている人、
星飴シャワー前夜の空気を、
それぞれのやり方で吸い込もうとしている人たち。
街灯に火がつき始めて、
空の色は、青と橙のあいだで、ゆっくり揺れている。
「“顔色天気図”、観測しがいがありますね……」
ミレイユも、自然と声を落とした。
ふたりは、いつものビルの階段を上り、
交差点を見渡せる高さの踊り場に腰を下ろす。
少しひんやりした石の感触。
そのすぐ隣に、彼の体温。
心臓が、星飴みたいにカラフルに脈を打ちはじめる。
「まずは、通常業務から」
ユリウスが、いつもの観測ノートを開いた。
「“星飴シャワー前夜における街の顔色天気図”。
シュガールさん、一緒に読み取りましょう」
「はいっ」
そう言われると、不思議と落ち着いてくる。
“黄昏観測チーム”としての仕事モードだ。
交差点を行き交う人たちを、
ふたりで一人ずつ眺めていく。
「向こうのベンチの人、どう見えますか?」
ユリウスが視線で示したのは、
少し緊張した面持ちで紙袋を抱えて座る青年だった。
「えっと……顔は強ばってるけど、目の奥がきらきらしてて。
紙袋の中、きっとプレゼントですよね。
“今夜渡そうか、それとも明日にしようか”で悩んでる顔です」
「なるほど、“期待をまとった高気圧”ですね」
ユリウスは、ささっとノートに書き込む。
「“プレゼント高気圧、一時緊張前線通過のち、明日に向けて継続見込み”」
「説明が細かいです……」
でも、なんだか楽しい。
「では、あの二人連れは?」
今度は、
少し言い合いをしながら歩いている男女。
「女性の方が、“星飴シャワーを一緒に見ようよ”って誘ってて、
男性の方が、“仕事があるから”って渋ってる顔です。
でも、本当はほっぺがちょっと赤いので、
誘われて嬉しいと思ってます」
「“素直じゃない低気圧と、諦めたくない高気圧のせめぎ合い”……ですね」
「どういう天気図なんですか、それ……」
そんな会話をしているうちに、
胸のざわざわが、少しずつほぐれていく。
(……やっぱり好きだな、この時間)
誰かの顔色を、
一緒に天気図にしていくこの感じ。
庁舎のロビーとは違う、
少し秘密めいた共同作業。
「――さて」
一通り、交差点をひと巡りしたところで、
ユリウスが静かにノートを閉じた。
「街の観測は、このくらいでよいでしょう」
「は、はい」
「ここからは、“個人の観測”の時間です」
その言い方が、いつもより少しだけ、
胸の奥に近く刺さってくる。
(……来た)
ポケットの中の星飴が、
さっきからそわそわと存在感を主張していた。
「その瓶が、“ご相談役”ですか?」
ユリウスが、ミレイユのポケットあたりに目をやる。
「はい……」
ごくりと唾を飲み込んで、
小さな瓶を取り出した。
今日のために、持ってきたものだ。
「暴風の日の、
“恋が加速する飴 試作3号”です。
課長と一緒に最終調整したばかりです」
「効能は?」
「“今日いちばんの、恋に関する本音が一行だけ出る”。
ただし、
“誰かに見せるかどうかは、自分で決める”こと、
“本音を行動に移す義務はない”こと、
その二つを先に星飴に約束してあります」
「……約束を?」
「はい。
星飴にも、“聞き方のルール”が必要なので」
自分で考えたルールを口にすると、
少しだけ心が落ち着いた。
「ですので、
今からこの星飴を一粒舐めて、
包み紙に出た一行を見ます。
それを見て、
“ときめき空プラン”の仮予約をどうするか、
わたしなりに決めたいです」
ユリウスは、真剣な目で頷いた。
「それが、シュガールさんの“選び方”なのですね」
「……はい」
「では、そのプロセスのあいだ、私は“観測者”に徹します」
「観測者……?」
「星飴を舐めるところは見ません。
包み紙を覗き込むこともしません。
ただ、もしシュガールさんが“見せたい”と思ったときに、
受け取る準備だけはしておきます」
そう言って、
彼は少し視線を外し、
遠くの空に意識を向けた。
「……ずるいです、その距離感」
「広報官ですので」
少し前にも聞いた気がする台詞に、
思わず笑ってしまう。
(よし)
黄昏の風が、
頬をやさしく撫でて通り過ぎた。
ミレイユは、
小さな瓶から一粒の星飴を取り出す。
ほんのりピンクがかった、透き通るような星。
“恋加速飴”よりも、少し淡い色をしている。
「……いただきます」
呟いてから、
そっと舌の上に乗せた。
星飴は、すぐには溶けない。
最初は、ほとんど味のない、
少し冷たい砂糖のような感触。
やがて、
胸の奥にしまっていた、いろんな場面が
パラパラとめくれはじめる。
――暴風の日、
いっしょに考えようと言ってくれた。
――星飴おしゃべり席で、
何度も「ありがとう」を練習した時間。
――黄昏交差点で見下ろした、
笑ったり泣いたりしている人たちの小さな空。
それから。
――星飴シャワーの夜を想像したとき、
ふと浮かんだ、“誰かの横顔”。
(あ……)
ピンクの光が、
じんわりと胸のあたりに集まってくる感覚。
星飴の甘さが、
最後にひとさじだけ濃くなったと思った瞬間――
手元の包み紙が、ふわりと熱を帯びた。
そっと広げる。
そこに、
柔らかな一行が浮かび上がっていた。
『本当は、星飴シャワーの夜、あなたのとなりで“ただいま”って言いたい』
胸が、きゅうっとなった。
“好き”とか“愛してる”とかいう言葉じゃない。
でも、“あなたのとなり”で、
“ただいま”って言いたい――。
それはきっと、
この街と、この人と、この空を、
“自分で選んだ場所”として、
受け止めたいという願いに、
いちばん近い言葉だった。
(……そっか)
星飴シャワーの夜、
告白をするとか、何か劇的なことをするとか、
そういうことよりも。
“普通に”、
でも、“特別に”。
仕事を終えて、「お疲れさま」と言い合って。
「ただいま」と「おかえり」を、
この人と言葉にしてみたい。
そのシンプルな願いが、
胸の真ん中に、そっと座っていた。
ぎゅっと包み紙を握りしめる。
(見せる? 見せない?)
心臓が、うるさい。
でも、さっき庁長に、
“締切”を告げられたときよりも、
ずっと落ち着いている自分がいた。
星飴に一度だけ相談して、
出てきた答えなのだ。
――逃げるのは、やめたい。
そう思ったときには、
もう身体が動いていた。
「……ユリウスさん」
そっと呼びかけると、
彼はすぐに視線をこちらに戻した。
「はい」
「相談結果、
見てもらってもいいですか」
「よろしいのですか?」
「はい。
“星飴測候庁に預ける本音”として、
観測してほしいです」
自分で言っておいて、
あまりの恥ずかしさに、
耳まで熱くなる。
でも、
ユリウスは、その言葉を笑わなかった。
ただ、深く頷いて、
両手を見せる。
「では、受け取ります」
ミレイユは、
震える指先で、包み紙をそっと渡した。
ユリウスは、それを両手で丁寧に受け取り、
静かに開く。
黄昏の光と、街灯の光。
それから、星が生まれかけの空の色。
その全部を、
包み紙の一行が受け止める。
『本当は、星飴シャワーの夜、あなたのとなりで“ただいま”って言いたい』
ユリウスのまつげが、
かすかに震えた。
彼は、一度だけ目を閉じて、
深く息を吸う。
それから、そっと視線を上げた。
「……観測結果、受信しました」
「う、うう……」
穴があったら、星飴ごと入りたい。
でも、
それと同じくらい、
どこかがふわっと軽くなる。
“もう隠していない”場所が、ひとつできたからだ。
「これは、非常に重要なデータです」
ユリウスは、ゆっくりと言った。
「“星飴シャワーの夜、
あなたのとなりで、“ただいま”と言いたい”。
――それはつまり、
“この場所を、自分の帰り先のひとつとして選びたい”という意思表示ですね」
言葉にされると、
余計に恥ずかしい。
「い、今のは観測結果の解説ですか、それとも……」
「解説です。
私自身も、似たような観測をしていましたので」
「似たような……?」
「ええ」
ユリウスは、包み紙を両手の間で、大切そうに挟んだまま続けた。
「星飴シャワーの夜に、
“誰の隣で空を見たいか”。
それを考えたとき――
私の中の天気図は、
とっくに“ひとつの方向”を指していました」
「……」
「ただ、
私は、“相手の空模様”を、
勝手に決めてしまうのが怖かったのです」
あの日、“希望増幅飴”で傷ついた人たちの顔が、
きっと今も彼の中に残っているのだろう。
「ですから、
今日のこの観測結果を、
私は、何よりも優先される“本人の予報”として受け取ります」
そう言って、
彼はゆっくりと微笑んだ。
「――シュガールさん」
「は、はい」
「星飴シャワーの夜。
もし、“ときめき空プラン”の仮予約を本予約に変えるなら――
その隣で、“おかえりなさい”と言わせていただけますか?」
胸の奥で、
星飴が一斉に弾けたような気がした。
“好き”という言葉は、そこにはない。
でも、“ただいま”と“おかえり”を
同じ空の下で交わしたいという願いが、
確かに重なっている。
「……っ」
喉の奥が、じんわり熱くなる。
それでも、
今は泣きたくない。
ちゃんと、笑って言いたい。
「その……」
深呼吸をひとつしてから、
ミレイユは、
ほんの少しだけ顎を上げて言った。
「“ときめき空プラン”、
本予約に、したいです」
言えた。
星飴に相談して、
自分で選んだ空として。
ユリウスの目が、
ふっとやわらかくなる。
「承りました」
彼は、胸ポケットから自分のペンを取り出した。
「では、明日の朝一番で、
“庁長の仮予約”を“正式申込”に書き換えましょう」
「わ、わたしも行きます」
「もちろんです。
“二人で選んだ空”ですから」
その言葉が、
“好きです”よりずっとまっすぐに、
胸に刺さる気がした。
*
黄昏交差点の上空では、
いつの間にか、
星がひとつ、またひとつと顔を出していた。
「――シュガールさん」
「はい」
「“ときめき空プラン”の注意書きに、
ひとつだけ項目を追加してもよろしいですか」
「ちゅ、注意書き?」
「“星飴シャワーの夜、ペアでの参加者は――
できれば、“ありがとう”と“ただいま”と“おかえり”の
どれかひとつは、口に出すこと”」
ミレイユは、思わず笑ってしまった。
「それ、広報官さんのさりげない策略ですよね……?」
「広報官ですので」
何度目かのやりとりなのに、
今まででいちばん甘く聞こえる。
「じゃあ、わたしからも追加していいですか」
「どうぞ」
「“星飴シャワーの夜、ペアでの参加者は――
できれば、“ちゃんと選んでよかった”って思えるように、
隣の人の空模様を、大事に見てあげてください”」
ユリウスは、その言葉を聞いて、
ほんの少しだけ目を伏せた。
「……それは、
広報官としても、個人としても、
全力で遵守したい注意書きですね」
顔を上げたとき、
その目には、
明日の星飴シャワーの光が少しだけ宿っていた。
*
交差点を見下ろす踊り場に、
しばらくふたりで座っていた。
行き交う人々の頭上に、
それぞれの“明日の空模様”が揺れている。
恋の予報も、
家族の予報も、
ひとりごほうびの予報も。
「……シュガールさん」
「はい?」
「明日の夜は忙しくなりますから、
そろそろ戻りましょうか」
「ですね。
星飴を溶かす前に、わたしたちが溶けちゃいそうです」
「それは業務上よろしくないですね」
そんな冗談を言い合いながら、
ふたりは立ち上がった。
階段を降りる前に、
ミレイユはもう一度だけ空を見上げる。
(――“自分で選んだ空を、ちゃんと好きでいたい”)
その願いは、
もうひとり分の“ただいま”と“おかえり”を
抱きしめられるだけの強さになりつつある。
明日の星飴シャワーが、
どんな本音を降らせても。
その真ん中で、
この人の隣で笑いたい。
そう思いながら、
ミレイユは、小さく心の中で宣言した。
――“ときめき空プラン、本予約確定”。
それは、
星飴測候庁の一企画であると同時に。
飴職人ミレイユ自身の、
ささやかだけれど確かな“恋の一行予報”でもあった。
いつもより少しだけ、光の粒が多いように見えた。
――たぶん、明日の星飴シャワーのかけらが、
もう空のどこかで準備運動をしているのだ。
「今日は、人が多いですね」
交差点に着くなり、ユリウスがそっと言った。
仕事帰りの人、約束の待ち合わせをしている人、
星飴シャワー前夜の空気を、
それぞれのやり方で吸い込もうとしている人たち。
街灯に火がつき始めて、
空の色は、青と橙のあいだで、ゆっくり揺れている。
「“顔色天気図”、観測しがいがありますね……」
ミレイユも、自然と声を落とした。
ふたりは、いつものビルの階段を上り、
交差点を見渡せる高さの踊り場に腰を下ろす。
少しひんやりした石の感触。
そのすぐ隣に、彼の体温。
心臓が、星飴みたいにカラフルに脈を打ちはじめる。
「まずは、通常業務から」
ユリウスが、いつもの観測ノートを開いた。
「“星飴シャワー前夜における街の顔色天気図”。
シュガールさん、一緒に読み取りましょう」
「はいっ」
そう言われると、不思議と落ち着いてくる。
“黄昏観測チーム”としての仕事モードだ。
交差点を行き交う人たちを、
ふたりで一人ずつ眺めていく。
「向こうのベンチの人、どう見えますか?」
ユリウスが視線で示したのは、
少し緊張した面持ちで紙袋を抱えて座る青年だった。
「えっと……顔は強ばってるけど、目の奥がきらきらしてて。
紙袋の中、きっとプレゼントですよね。
“今夜渡そうか、それとも明日にしようか”で悩んでる顔です」
「なるほど、“期待をまとった高気圧”ですね」
ユリウスは、ささっとノートに書き込む。
「“プレゼント高気圧、一時緊張前線通過のち、明日に向けて継続見込み”」
「説明が細かいです……」
でも、なんだか楽しい。
「では、あの二人連れは?」
今度は、
少し言い合いをしながら歩いている男女。
「女性の方が、“星飴シャワーを一緒に見ようよ”って誘ってて、
男性の方が、“仕事があるから”って渋ってる顔です。
でも、本当はほっぺがちょっと赤いので、
誘われて嬉しいと思ってます」
「“素直じゃない低気圧と、諦めたくない高気圧のせめぎ合い”……ですね」
「どういう天気図なんですか、それ……」
そんな会話をしているうちに、
胸のざわざわが、少しずつほぐれていく。
(……やっぱり好きだな、この時間)
誰かの顔色を、
一緒に天気図にしていくこの感じ。
庁舎のロビーとは違う、
少し秘密めいた共同作業。
「――さて」
一通り、交差点をひと巡りしたところで、
ユリウスが静かにノートを閉じた。
「街の観測は、このくらいでよいでしょう」
「は、はい」
「ここからは、“個人の観測”の時間です」
その言い方が、いつもより少しだけ、
胸の奥に近く刺さってくる。
(……来た)
ポケットの中の星飴が、
さっきからそわそわと存在感を主張していた。
「その瓶が、“ご相談役”ですか?」
ユリウスが、ミレイユのポケットあたりに目をやる。
「はい……」
ごくりと唾を飲み込んで、
小さな瓶を取り出した。
今日のために、持ってきたものだ。
「暴風の日の、
“恋が加速する飴 試作3号”です。
課長と一緒に最終調整したばかりです」
「効能は?」
「“今日いちばんの、恋に関する本音が一行だけ出る”。
ただし、
“誰かに見せるかどうかは、自分で決める”こと、
“本音を行動に移す義務はない”こと、
その二つを先に星飴に約束してあります」
「……約束を?」
「はい。
星飴にも、“聞き方のルール”が必要なので」
自分で考えたルールを口にすると、
少しだけ心が落ち着いた。
「ですので、
今からこの星飴を一粒舐めて、
包み紙に出た一行を見ます。
それを見て、
“ときめき空プラン”の仮予約をどうするか、
わたしなりに決めたいです」
ユリウスは、真剣な目で頷いた。
「それが、シュガールさんの“選び方”なのですね」
「……はい」
「では、そのプロセスのあいだ、私は“観測者”に徹します」
「観測者……?」
「星飴を舐めるところは見ません。
包み紙を覗き込むこともしません。
ただ、もしシュガールさんが“見せたい”と思ったときに、
受け取る準備だけはしておきます」
そう言って、
彼は少し視線を外し、
遠くの空に意識を向けた。
「……ずるいです、その距離感」
「広報官ですので」
少し前にも聞いた気がする台詞に、
思わず笑ってしまう。
(よし)
黄昏の風が、
頬をやさしく撫でて通り過ぎた。
ミレイユは、
小さな瓶から一粒の星飴を取り出す。
ほんのりピンクがかった、透き通るような星。
“恋加速飴”よりも、少し淡い色をしている。
「……いただきます」
呟いてから、
そっと舌の上に乗せた。
星飴は、すぐには溶けない。
最初は、ほとんど味のない、
少し冷たい砂糖のような感触。
やがて、
胸の奥にしまっていた、いろんな場面が
パラパラとめくれはじめる。
――暴風の日、
いっしょに考えようと言ってくれた。
――星飴おしゃべり席で、
何度も「ありがとう」を練習した時間。
――黄昏交差点で見下ろした、
笑ったり泣いたりしている人たちの小さな空。
それから。
――星飴シャワーの夜を想像したとき、
ふと浮かんだ、“誰かの横顔”。
(あ……)
ピンクの光が、
じんわりと胸のあたりに集まってくる感覚。
星飴の甘さが、
最後にひとさじだけ濃くなったと思った瞬間――
手元の包み紙が、ふわりと熱を帯びた。
そっと広げる。
そこに、
柔らかな一行が浮かび上がっていた。
『本当は、星飴シャワーの夜、あなたのとなりで“ただいま”って言いたい』
胸が、きゅうっとなった。
“好き”とか“愛してる”とかいう言葉じゃない。
でも、“あなたのとなり”で、
“ただいま”って言いたい――。
それはきっと、
この街と、この人と、この空を、
“自分で選んだ場所”として、
受け止めたいという願いに、
いちばん近い言葉だった。
(……そっか)
星飴シャワーの夜、
告白をするとか、何か劇的なことをするとか、
そういうことよりも。
“普通に”、
でも、“特別に”。
仕事を終えて、「お疲れさま」と言い合って。
「ただいま」と「おかえり」を、
この人と言葉にしてみたい。
そのシンプルな願いが、
胸の真ん中に、そっと座っていた。
ぎゅっと包み紙を握りしめる。
(見せる? 見せない?)
心臓が、うるさい。
でも、さっき庁長に、
“締切”を告げられたときよりも、
ずっと落ち着いている自分がいた。
星飴に一度だけ相談して、
出てきた答えなのだ。
――逃げるのは、やめたい。
そう思ったときには、
もう身体が動いていた。
「……ユリウスさん」
そっと呼びかけると、
彼はすぐに視線をこちらに戻した。
「はい」
「相談結果、
見てもらってもいいですか」
「よろしいのですか?」
「はい。
“星飴測候庁に預ける本音”として、
観測してほしいです」
自分で言っておいて、
あまりの恥ずかしさに、
耳まで熱くなる。
でも、
ユリウスは、その言葉を笑わなかった。
ただ、深く頷いて、
両手を見せる。
「では、受け取ります」
ミレイユは、
震える指先で、包み紙をそっと渡した。
ユリウスは、それを両手で丁寧に受け取り、
静かに開く。
黄昏の光と、街灯の光。
それから、星が生まれかけの空の色。
その全部を、
包み紙の一行が受け止める。
『本当は、星飴シャワーの夜、あなたのとなりで“ただいま”って言いたい』
ユリウスのまつげが、
かすかに震えた。
彼は、一度だけ目を閉じて、
深く息を吸う。
それから、そっと視線を上げた。
「……観測結果、受信しました」
「う、うう……」
穴があったら、星飴ごと入りたい。
でも、
それと同じくらい、
どこかがふわっと軽くなる。
“もう隠していない”場所が、ひとつできたからだ。
「これは、非常に重要なデータです」
ユリウスは、ゆっくりと言った。
「“星飴シャワーの夜、
あなたのとなりで、“ただいま”と言いたい”。
――それはつまり、
“この場所を、自分の帰り先のひとつとして選びたい”という意思表示ですね」
言葉にされると、
余計に恥ずかしい。
「い、今のは観測結果の解説ですか、それとも……」
「解説です。
私自身も、似たような観測をしていましたので」
「似たような……?」
「ええ」
ユリウスは、包み紙を両手の間で、大切そうに挟んだまま続けた。
「星飴シャワーの夜に、
“誰の隣で空を見たいか”。
それを考えたとき――
私の中の天気図は、
とっくに“ひとつの方向”を指していました」
「……」
「ただ、
私は、“相手の空模様”を、
勝手に決めてしまうのが怖かったのです」
あの日、“希望増幅飴”で傷ついた人たちの顔が、
きっと今も彼の中に残っているのだろう。
「ですから、
今日のこの観測結果を、
私は、何よりも優先される“本人の予報”として受け取ります」
そう言って、
彼はゆっくりと微笑んだ。
「――シュガールさん」
「は、はい」
「星飴シャワーの夜。
もし、“ときめき空プラン”の仮予約を本予約に変えるなら――
その隣で、“おかえりなさい”と言わせていただけますか?」
胸の奥で、
星飴が一斉に弾けたような気がした。
“好き”という言葉は、そこにはない。
でも、“ただいま”と“おかえり”を
同じ空の下で交わしたいという願いが、
確かに重なっている。
「……っ」
喉の奥が、じんわり熱くなる。
それでも、
今は泣きたくない。
ちゃんと、笑って言いたい。
「その……」
深呼吸をひとつしてから、
ミレイユは、
ほんの少しだけ顎を上げて言った。
「“ときめき空プラン”、
本予約に、したいです」
言えた。
星飴に相談して、
自分で選んだ空として。
ユリウスの目が、
ふっとやわらかくなる。
「承りました」
彼は、胸ポケットから自分のペンを取り出した。
「では、明日の朝一番で、
“庁長の仮予約”を“正式申込”に書き換えましょう」
「わ、わたしも行きます」
「もちろんです。
“二人で選んだ空”ですから」
その言葉が、
“好きです”よりずっとまっすぐに、
胸に刺さる気がした。
*
黄昏交差点の上空では、
いつの間にか、
星がひとつ、またひとつと顔を出していた。
「――シュガールさん」
「はい」
「“ときめき空プラン”の注意書きに、
ひとつだけ項目を追加してもよろしいですか」
「ちゅ、注意書き?」
「“星飴シャワーの夜、ペアでの参加者は――
できれば、“ありがとう”と“ただいま”と“おかえり”の
どれかひとつは、口に出すこと”」
ミレイユは、思わず笑ってしまった。
「それ、広報官さんのさりげない策略ですよね……?」
「広報官ですので」
何度目かのやりとりなのに、
今まででいちばん甘く聞こえる。
「じゃあ、わたしからも追加していいですか」
「どうぞ」
「“星飴シャワーの夜、ペアでの参加者は――
できれば、“ちゃんと選んでよかった”って思えるように、
隣の人の空模様を、大事に見てあげてください”」
ユリウスは、その言葉を聞いて、
ほんの少しだけ目を伏せた。
「……それは、
広報官としても、個人としても、
全力で遵守したい注意書きですね」
顔を上げたとき、
その目には、
明日の星飴シャワーの光が少しだけ宿っていた。
*
交差点を見下ろす踊り場に、
しばらくふたりで座っていた。
行き交う人々の頭上に、
それぞれの“明日の空模様”が揺れている。
恋の予報も、
家族の予報も、
ひとりごほうびの予報も。
「……シュガールさん」
「はい?」
「明日の夜は忙しくなりますから、
そろそろ戻りましょうか」
「ですね。
星飴を溶かす前に、わたしたちが溶けちゃいそうです」
「それは業務上よろしくないですね」
そんな冗談を言い合いながら、
ふたりは立ち上がった。
階段を降りる前に、
ミレイユはもう一度だけ空を見上げる。
(――“自分で選んだ空を、ちゃんと好きでいたい”)
その願いは、
もうひとり分の“ただいま”と“おかえり”を
抱きしめられるだけの強さになりつつある。
明日の星飴シャワーが、
どんな本音を降らせても。
その真ん中で、
この人の隣で笑いたい。
そう思いながら、
ミレイユは、小さく心の中で宣言した。
――“ときめき空プラン、本予約確定”。
それは、
星飴測候庁の一企画であると同時に。
飴職人ミレイユ自身の、
ささやかだけれど確かな“恋の一行予報”でもあった。
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昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。
エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し?
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