星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第1話 光る棚と、余白の魔法

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 翌日。
 まだ朝靄の残る時間に、リオンは馬車を降りた。

 隣町の市場は、王都より少し素朴だが、活気に満ちている。
 石畳の通りには露店が並び、呼び込みの声と香辛料の匂いが混じり合っていた。

 その一角に、噂の店はあった。

「ここか……」

 「星市前に話題の、楽しい市場」と評判の店。
 外観は、星灯グループの店舗に比べればささやかだ。看板も、特別目を引くわけではない。

 だが、扉をくぐった瞬間、リオンは空気の違いを感じ取った。

 ――明るい。

 天井に吊るされた照明は、特別強い光を放っているわけではない。
 なのに、店内の空気はどこかふわりと軽く、視界の奥まで澄んでいるように感じる。

 客の流れも、妙だった。

 必要な物だけを手早くカゴへ放り込んで去っていく――そんな動きではない。
 年配の夫婦が、棚の前で談笑しながら品物を眺めている。
 子どもを連れた母親が、ラベルを読みながら「これ、今度試してみようか」と笑っている。

(……確かに、滞在時間は長そうだ)

 商人としての視点でそう判断しながら、リオンはさりげなく通路を歩いた。

 しばらく観察していると、店の奥に、ひときわ空気の柔らかな一角があるのに気づく。

 瓶詰めや焼き菓子が並ぶ、さほど広くないコーナー。
 だが、その前を通る客は皆、一度足を止める。

 ぽん、と。
 瓶を一つ手に取って、ラベルを眺める。
 その間、通路に詰まりは生まれない。不思議なリズムで、人の流れが続いていた。

 棚の縁が、ふっと揺らめいた気がした。

(……光ったか?)

 一瞬、そう思って瞬きをする。
 見間違いかもしれない。だが、リオンの目には、棚の端がかすかな星の粉をまとうように見えた。

「いらっしゃいませ~! 本日おすすめの焼き菓子はこちらですよ」

 明るい声が響く。

 見ると、その一角には、口の達者そうな女性が立っていた。
 栗色の髪をゆるくまとめ、笑顔を絶やさず、客と楽しげに話している。

「このラベル、見やすいでしょう? うちの売場、ほんと工夫してるんです。なんでも聞いてくださいね」

 彼女――後にヴェラと知る女性は、身振り手振りも大きく、よく通る声で商品を説明していた。

 ぱっと見れば、彼女こそが売場の空気を作っている“主役”に見える。

 だが。

(違う。……ここじゃない)

 リオンの目は、自然と別の場所へ引き寄せられていた。

 ヴェラの背後。
 客が去ったあとに、そっと棚に近づく、小さな影。

 地味な灰色のエプロン。
 胸元には、少し擦り切れた名札。
 髪は後ろでひとつに結ばれ、表情は目立たない。

 だが、その指先だけが、驚くほど繊細に動いていた。

 瓶と瓶の間に空いている、わずかな隙間。
 高すぎて取りづらそうな場所に押し込まれた箱。
 並びの乱れ。

 そういったものを、彼女は一本一本、撫でるように整えていく。

 指が棚板に触れた瞬間、先ほど見えた星の粉が、またふわりと立ち上った。

(……やはり、光っている)

 リオンは思わず、通路の影からその様子を見つめた。

 彼女は、誰にも気づかれていないかのように静かだ。
 ヴェラが笑顔で客を捉え、売場の前にはいつも人だかりができている。

 その陰で、黙々と棚を整える少女。

「ミラ、そっち、もうちょっと華やかにして」

 ヴェラの声が飛ぶ。

「は、はい。どのあたりを……?」

「どこでもいいわよ、お任せするから。“いい感じ”にして」

 曖昧な指示に、少女――ミラは小さく頷いた。

「……“いい感じ”……」

 彼女は自分の胸に手を当て、一呼吸置く。
 それから、棚を見つめる目が、少し真剣な色に変わった。

 きゅっと、瓶の列を少し崩す。
 すべてを揃えすぎないよう、あえて段差をつける。
 目線の高さに、手書きの小さな札を差し込む。

『今日、ちょっと疲れていませんか?』

 可愛らしい字で書かれた一言。
 隣には、『このジャム、お湯で割るとほっとします』と続いている。

 客がそれを読んで、ふっと笑う。

「ねえ、これ、やってみようか」

「いいね、今晩」

 小さな会話が生まれ、カゴに瓶が入る。
 棚の星が、また一つ、また一つと増えていった。

(……やっぱり、ここだ)

 仕掛けは派手ではない。
 魔法の陣が描かれているわけでもない。
 けれど、“誰かの今日”を少しだけ楽にするような言葉と配置が、そこには息づいていた。

 リオンがじっと観察していると、ミラがふいに顔を上げる。
 視線が合いかけて、慌てて逸らされた。

(見られていると、思っているな)

 彼女はわずかに頬を赤らめ、瓶を抱えて別の棚へ移動していく。
 その後ろ姿を、リオンは目で追った。

 ――声の大きな人間が手柄を取る構図なら、星灯家の中でも見慣れている。

 だが、ここまで露骨だと、さすがに眉をひそめたくなる。

「……あそこにいるのは、誰だ?」

 気づけば、口から声が漏れていた。

「お客様、何かお探しですか?」

 すかさずヴェラが近づいてくる。
 営業用の笑顔を浮かべたまま、丁寧に頭を下げた。

「この棚の責任者は、あなたか?」

「ええ、そうですよ。わたし、ここの売場を任されています」

 すらすらと答えるその口ぶりに、一点の迷いもない。

「陳列も、POPも。ぜんぶ、わたしのアイデアなんです。おかげさまで、お客様からも評判で」

 リオンは視線だけで、ミラの方をちらりと見る。
 ミラは、少し離れた棚の影で、黙々と箱を積み替えていた。

 その指先のあとを追うように、棚の縁がまた小さく瞬いている。

(――違う)

 売場の空気を作っているのは、この笑顔の女ではない。

 そう確信しながらも、リオンはまだ名乗らないことにした。
 視察に来たことを告げれば、構えてしまうだろう。

「そうか。見事な売場だ」

 自分でも驚くほど愛想のない声になっていた。
 ヴェラはそれでも満足げに微笑む。

「でしょう? やっぱり、わかる人にはわかるんですね」

 その背後で、ミラが小さく俯いたように見えた。

 リオンは、それ以上ヴェラと話すのをやめる。
 通路を回り込んで、別の角度から、ミラの仕事ぶりを追った。

 開店から一刻ほど。
 客の波が一度引き、売場に短い静寂が訪れる。

 その隙に、ミラが棚全体を見渡すように立ち止まる。

「……ここ、ちょっと詰めすぎかな」

 自分にだけ聞こえる声の大きさでつぶやき、
 端のほうに押しやられていた小さな箱を、一歩前に出してやる。

 ぴ、と星の粉が弾けた。

 それは、魔法を専門に学んだ者なら見逃してしまうほど微かな光。
 けれど、商売の“手触り”を知っている者には、確かに空気の変化として伝わる。

 リオンは、わずかに目を見開いた。

(……これは、技術だ)

 感覚任せの勘ではない。
 客の動き、視線の高さ、手の長さ、歩幅。
 それらを全部見てきた者だけが積み上げられる、手入れの技術だ。

 それとも――魔法と言ってしまってもいいのかもしれない。

「……あの」

 ふいに声がかかり、リオンは我に返る。

 振り向くと、少し緊張した面持ちのミラが立っていた。
 手には、空の木箱が一つ。

「先ほどから、棚をじっと見ていらっしゃったので……。もし、見づらいところがあれば、お聞かせいただけますか?」

 意外にも、彼女の方から話しかけてきた。

 声は小さいが、逃げるような目ではない。
 自分のした仕事に、不安と責任を同時に抱いている者の目だ。

 リオンは一瞬だけ迷い、それから口を開いた。

「見づらいところは、ない」

「え?」

「むしろ、見やすい。立ち止まりたい位置に、ちょうど“余白”がある」

 ミラの目が丸くなる。

「……余白」

「そうだ。客が息をつける場所だ。お前は、それをわかってやっているのか?」

 問いかけると、ミラは少し考えてから、こくりと頷いた。

「わたし……買い物に来たとき、文字が多すぎたり、商品がぎゅうぎゅうに並んでいたりすると、すこし苦しくなってしまって」

 言葉を探しながら、ゆっくり続ける。

「だから、自分で並べるときは、“ここで息ができるかな”って考えて。……それだけです」

「それだけ、で済ませるには、よく出来すぎている」

「え?」

「上手い」

 思わず、率直な評価が口をついて出た。

 ミラの肩が、ぴくりと震える。
 頬に、にじむように赤みがさした。

「……ありがとうございます。もっと、頑張ります」

 その言葉は、喜びと同時に、どこか自分を追い込む響きも帯びていた。

 棚の縁が、その瞬間、ささやかに明るくなった。
 リオンはそれを見て、確信する。

(やはり、この店には“魔法使い”がいる)

 決して派手ではない。
 誰にも気づかれないほど小さな灯り。

 けれど、その灯りこそが――
 自分の店に足りない「何か」の正体かもしれない、と。

 リオンは名乗るタイミングを、慎重に見極めることにした。

 彼女の仕事ぶりを、もう少し。
 彼女という人間を、もう少し。

 見極めた上で、初めて口にすべき言葉があるような気がしていた。

 ――この売場から、静かな星を、一つ連れ出したい。

 胸の奥で、そんな考えが、まだ名前のない衝動として灯り始めていた。
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