14 / 20
第10話 前の店と、星灯のカウンター
しおりを挟む
星市まで、あと五日。
星見の広場の「おつかれさま棚」は、少しずつ形を変えながら育っていた。
“誰かといっしょ”側には、星型クッキーの詰め合わせに加えて、
星市限定の「流れ星マドレーヌ」が並び始めている。
“わたしへ”側には、
カイの言葉を借りた新しい小さなPOPも増えた。
『今日も、生き延びたあなたへ。
それだけでも、じゅうぶんです』
『今日は、がんばれなかった日でも。
ここに来てくれて、ありがとう』
ミラは、そのPOPをそっと棚に差し込んだ。
(……少し、軽くなったかもしれない)
「ちゃんと頑張った」という言葉が重く感じる誰かにとって、
ここが、すこしだけ息をつける場所になるようにと願いながら。
◇
「ミラさん、“流れ星マドレーヌ”、追加でお願いできます?」
惣菜担当の女性が、包装用のかごを抱えて声をかけてくる。
「はい。並べる位置、少し低めにしませんか?
子どもさんが自分で手に取りやすいように」
「いいですね。それ、いただきます」
そう言って笑い合ったところで、
星見の広場の入口付近から、少し聞き覚えのある――けれどあまり嬉しくない響きの声が聞こえてきた。
「……あれ? ここ、もしかして」
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
ミラは、ゆっくりと顔を上げた。
入口に立っていたのは、見慣れた制服ではなく、見慣れた顔――
前の店の、先輩だった女性だ。
口元に、いつもの「人当たりのいい笑顔」を浮かべている。
けれど、その目だけは、相変わらずどこか冷めた色をしていた。
「……ミラ?」
目が合った瞬間、先輩の笑顔が少し変わる。
「え、本当に? ここで働いてるの?」
「……はい」
喉が急に乾いて、声がかすれた。
(どうして、ここに)
頭の中で、あの日の光景が一気に蘇る。
――大きな発注ミスを押しつけられた日。
――「必要ない」と書かれた紙切れと、冷たい視線。
――“解雇通知”という言葉。
胸の奥で、こびりついた棘が一斉に疼き出した。
◇
「まあ~、びっくり」
先輩は、星見の広場に一歩足を踏み入れ、ぐるりと周囲を見回した。
「けっこう、立派な店じゃない。星灯バザールって、最近よく聞くわよね」
言葉だけ聞けば褒めているようにも聞こえる。
だが、その声色はどこか「品定めする側」のものだった。
「ここ、あなたの店?」
「い、いえ。ここは、星灯一族の……」
説明しようとして、うまく言葉が出てこない。
「ミラの『先輩』か」
そのとき、低い声が割って入った。
振り向くと、星見の広場の少し離れた場所から、
いつの間にか様子を見ていたリオンが歩いてくるところだった。
先輩の視線が、リオンへと移る。
「あら」
ほんの一瞬、彼女の目が値踏みするように細められた。
「こちらの店長さんかしら?」
「星灯バザール王都支店、店長のリオン・アストレアだ」
リオンは、簡潔に名乗る。
「あなたが――」
「前の店で、ミラを指導していた者です」
先輩は、すかさず会釈した。
「お世話になっております。
うちの店を辞めたあと、ちゃんと働けているようで、安心しました」
その言い方に、わずかな棘が混じっているのを、ミラは知っている。
――「やっと、居場所を見つけられたのね」。
そんな意味を含ませる話し方をする人だった。
(やめて)
心の中で、かすかに叫ぶ。
けれど、声にはならない。
◇
「ミラさん、“指導”してたってことは」
カイが、いつの間にか近くに来ており、柔らかな笑顔で口を挟んだ。
「売場づくりとか、一緒に担当されてたんですか?」
「そうですねえ」
先輩は、少し首を傾げてみせる。
「最初は、ほんの簡単なお手伝いレベルだったんですけど。
いつの間にか、“やりたがり”になってしまって」
ミラの心臓が、きゅっと縮こまる。
「POPだって、頼んだわけじゃないのにどんどん書いてしまうし。
お客様の動きとかも、勝手にメモしたりして」
一見、熱心さを語っているようでいて、
「勝手に」「やりたがり」という言葉だけがじわじわと滲む。
「まあ、若い子にありがちな“空回り”ですよね。
一度止めたほうがいいんじゃないか、って判断したんですけど――」
そこまで言いかけて、先輩は棚のPOPに気づいた。
『今日のわたしに、おつかれさま。
ちゃんと頑張ったあなたへ。』
「……あら」
彼女の口元が、わずかに吊り上がる。
「ここでも同じことしてるんだ」
「同じ……?」
「こういう、“自己完結型のポエムPOP”。
前の店でも、いっぱい書いてましたよ」
ミラの喉が詰まる。
たしかに、書いていた。
しかし、それは――
「お客様が立ち止まって、笑ってくれていたから」
思わず、言葉がこぼれた。
「POPを読んでくれて、
“疲れたからこれにする”って、選んでくれたり……」
「そうね」
先輩は、あっさりと頷く。
「ミラがいちばんよく知ってるでしょう?
“売上が伸びても、評価されるのは“数字を出す人の顔”だって」
胸の奥に、冷たい何かが落ちた。
――売場の雰囲気を作っても、
――POPを考えても、
最終的に「実績」として報告されるのは、
いつも店長や「表に立つ人」の名前だった。
(知ってる。わかってる)
だからこそ、その言葉が痛い。
「ここでも、“表に出る”人が決めるんじゃないんですか?」
先輩は、わざとらしく首を傾げる。
「ミラの“ポエム”だけで、店の方針を決めたりしてないですよね?」
視線が、リオンに突き刺さる。
◇
一瞬の沈黙のあと、
リオンの口元がごくわずかに動いた。
「その通りだ」
「……ですよね」
先輩の顔に、わずかな勝ち誇りが浮かぶ。
「店の方針は、すべて“責任者”が決めるべきですから」
「星見の広場の棚は、俺が“任せた”」
リオンは、淡々と続けた。
「どう並べるか、どんな言葉を添えるか。
どんな空気の場所にしたいか」
視線が、まっすぐミラへ向けられる。
「それを決める権限を、ミラに“渡した”」
先輩の表情が、ぴきりと固まった。
「も、もしかして……」
「君の言う“表に出る人”は、責任を取る人間のことだろう」
リオンは、わずかに首を傾げる。
「俺は、“任せた棚”に関する責任を取る。
だから、“任せた”と言った」
ごく当たり前のことを説明するような口調で。
「数字が良くても悪くても、その結果は店長である俺の責任だ。
だからこそ、“誰に任せるか”は俺が決める」
その言葉に、ミラの胸の奥で何かがほどけた。
――ここでは、「任せる」が、「押しつけ」ではない。
責任を取る覚悟とセットの「任せる」なのだ。
「……ずいぶん、甘いんですね」
先輩が、少し笑う。
「新人さんに、そんな大事な棚を任せるなんて」
「甘いかどうかは、星市の結果で判断しよう」
リオンは、さらりと言った。
「甘やかしかどうかを決めるのは、俺や前の職場じゃない。
この店に来てくれる客だ」
先輩の眉が、わずかにひくりと動く。
「それに」
リオンは、棚のPOPに視線を移した。
『今日のわたしに、おつかれさま。
ちゃんと頑張ったあなたへ。』
『今日も、生き延びたあなたへ。
それだけでも、じゅうぶんです』
「ここに書いてある言葉に、俺もカイも救われている」
「え……?」
思わず、ミラが声を上げてしまう。
「閉店後に数字を見ながら、つい自分を追い詰めそうになったときにだ」
リオンは、淡々と言葉を継いだ。
「“生き延びた”で十分だ、と書かれている棚が目に入る」
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「そのたびに、“今日はそれでいいか”と思える。
俺にとっても、あそこは“おつかれさま”を言ってもらえる場所だ」
先輩の顔から、ささやかな余裕が消えていく。
「……そうですか」
「そうだ」
リオンは決して声を荒げない。
ただ、静かに、はっきりと言い切る。
「だから、この棚は俺の店に“必要だ”。
棚精も、必要だ」
“必要”。
その言葉が、ミラの耳に届いた瞬間――
こびりついていた「必要ない」という言葉の棘に、
少しだけ別の色が混ざった気がした。
◇
先輩は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、棚を一瞥し、
「……ずいぶん、変わりましたね、ミラ」
そう呟いた。
褒め言葉か、皮肉か。
その境界は、少し曖昧だった。
けれど、以前のように、その一言ですべてを決めつけることはしなかった。
それが、かえって救いだった。
「星市、頑張ってくださいね」
最後にそう言い残し、先輩は星見の広場をあとにした。
背中が小さくなっていくのを見送りながら、ミラはようやく息を吐く。
「……すみません」
小さな声で、ぽつりとこぼれた。
「お客様の前で、変な空気にしてしまって」
「変ではなかった」
リオンは、いつも通りの調子で言う。
「“前の棘”が顔を出しただけだ」
そう言ってから、少しだけ表情をやわらげた。
「よく、逃げずに立っていた」
「……立つしか、なかったので」
膝は少し震えていた。
それでも、棚の前からは離れたくなかった。
「ここで背を向けたら、“あの日のまま”になっちゃう気がして」
自分でも驚くほど正直な言葉が、口から出た。
「……うん」
リオンは、短く頷く。
「なら、今日のところは“生き延びた”で十分だな」
「はい」
ミラは、少し笑った。
「“今日も、生き延びたあなたへ。
それだけでも、じゅうぶんです”」
カイのPOPの言葉を、自分に向けてそっと唱える。
胸の中の疼きは完全には消えない。
けれど、「ここ」に立っている自分が、少しだけ誇らしくもあった。
◇
その夜。
閉店後の星見の広場で、ミラは一人、棚の前に立っていた。
昼間の先輩の声が、まだどこかで反響している。
「勝手に」「やりたがり」「空回り」。
その言葉を受け取ってきた自分と。
「棚精」「任せた」「必要だ」。
今日、ここで掛けられた言葉たちと。
それぞれが、胸の中でせめぎ合っている。
「……前の店で、
“やりすぎ”だったことも、きっとあったと思います」
ふいに背後から声がして、振り返る。
カイが、レジ締めの帳簿を片手に立っていた。
「全部が全部、ミラさんが悪かったわけじゃないけど。
全部が全部、相手のせいでもないでしょうし」
「……はい」
ミラは素直に頷く。
「でも、ここでは、“やりたがり”でもいいですよ」
カイは、柔らかく微笑んだ。
「やりたいことを“全部ひとりでやろう”としなければ、ですけど」
「全部ひとりで……」
前の店で、何度も繰り返してきたやり方だ。
「『私がやらなきゃ』って思った瞬間に、
自分を追い詰めることになっちゃいますから」
カイは、棚の右側のPOPを指先で軽く叩いた。
『ここに来てくれて、ありがとう』
「これ、すごく好きです」
「え……」
「“買ってくれて”じゃなくて、“来てくれて”。
その言葉を先に置いたところが、ミラさんらしいなって」
ミラの胸の奥で、何かがじんわりと溶けていく。
(――ありがとう、って、先に言いたかった)
売上の数字よりも前に。
「来てくれて」「立ち止まってくれて」「見てくれて」。
それが、嬉しかったから。
「星市の日、ちゃんと“図々しく”座っててくださいね」
カイは、星見の広場のベンチを顎で指し示した。
「棚の前で走り回ろうとしたら、リオン店長と二人がかりで止めますから」
「……はい」
ミラは、笑いながら頷く。
(図々しく座る、って、なかなかの難題だな……)
でも、その難題を出してもらえることが、どこか嬉しかった。
◇
宿舎に戻る前、
ミラは星見の広場の天井を見上げた。
魔法の星空の向こうに、
本物の夜空の星が、ちらちらと瞬いている。
(“必要ない”って言われたことも、
“必要だ”って言われたことも)
どちらも、消えてなくなることはない。
でも、これからは――
(どっちの言葉を、何度思い出すかは、
自分で選べるのかもしれない)
そんな考えが、ふと浮かんだ。
「……今日も、生き延びた私へ」
自分にそっと、言葉を投げる。
「ここまで、よく来たね」
星灯バザールの屋根の魔灯が、
それに応えるように、小さく瞬いた。
星市まで、あと五日。
ミラと「おつかれさま棚」の物語は、
まだ続いていく。
星見の広場の「おつかれさま棚」は、少しずつ形を変えながら育っていた。
“誰かといっしょ”側には、星型クッキーの詰め合わせに加えて、
星市限定の「流れ星マドレーヌ」が並び始めている。
“わたしへ”側には、
カイの言葉を借りた新しい小さなPOPも増えた。
『今日も、生き延びたあなたへ。
それだけでも、じゅうぶんです』
『今日は、がんばれなかった日でも。
ここに来てくれて、ありがとう』
ミラは、そのPOPをそっと棚に差し込んだ。
(……少し、軽くなったかもしれない)
「ちゃんと頑張った」という言葉が重く感じる誰かにとって、
ここが、すこしだけ息をつける場所になるようにと願いながら。
◇
「ミラさん、“流れ星マドレーヌ”、追加でお願いできます?」
惣菜担当の女性が、包装用のかごを抱えて声をかけてくる。
「はい。並べる位置、少し低めにしませんか?
子どもさんが自分で手に取りやすいように」
「いいですね。それ、いただきます」
そう言って笑い合ったところで、
星見の広場の入口付近から、少し聞き覚えのある――けれどあまり嬉しくない響きの声が聞こえてきた。
「……あれ? ここ、もしかして」
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
ミラは、ゆっくりと顔を上げた。
入口に立っていたのは、見慣れた制服ではなく、見慣れた顔――
前の店の、先輩だった女性だ。
口元に、いつもの「人当たりのいい笑顔」を浮かべている。
けれど、その目だけは、相変わらずどこか冷めた色をしていた。
「……ミラ?」
目が合った瞬間、先輩の笑顔が少し変わる。
「え、本当に? ここで働いてるの?」
「……はい」
喉が急に乾いて、声がかすれた。
(どうして、ここに)
頭の中で、あの日の光景が一気に蘇る。
――大きな発注ミスを押しつけられた日。
――「必要ない」と書かれた紙切れと、冷たい視線。
――“解雇通知”という言葉。
胸の奥で、こびりついた棘が一斉に疼き出した。
◇
「まあ~、びっくり」
先輩は、星見の広場に一歩足を踏み入れ、ぐるりと周囲を見回した。
「けっこう、立派な店じゃない。星灯バザールって、最近よく聞くわよね」
言葉だけ聞けば褒めているようにも聞こえる。
だが、その声色はどこか「品定めする側」のものだった。
「ここ、あなたの店?」
「い、いえ。ここは、星灯一族の……」
説明しようとして、うまく言葉が出てこない。
「ミラの『先輩』か」
そのとき、低い声が割って入った。
振り向くと、星見の広場の少し離れた場所から、
いつの間にか様子を見ていたリオンが歩いてくるところだった。
先輩の視線が、リオンへと移る。
「あら」
ほんの一瞬、彼女の目が値踏みするように細められた。
「こちらの店長さんかしら?」
「星灯バザール王都支店、店長のリオン・アストレアだ」
リオンは、簡潔に名乗る。
「あなたが――」
「前の店で、ミラを指導していた者です」
先輩は、すかさず会釈した。
「お世話になっております。
うちの店を辞めたあと、ちゃんと働けているようで、安心しました」
その言い方に、わずかな棘が混じっているのを、ミラは知っている。
――「やっと、居場所を見つけられたのね」。
そんな意味を含ませる話し方をする人だった。
(やめて)
心の中で、かすかに叫ぶ。
けれど、声にはならない。
◇
「ミラさん、“指導”してたってことは」
カイが、いつの間にか近くに来ており、柔らかな笑顔で口を挟んだ。
「売場づくりとか、一緒に担当されてたんですか?」
「そうですねえ」
先輩は、少し首を傾げてみせる。
「最初は、ほんの簡単なお手伝いレベルだったんですけど。
いつの間にか、“やりたがり”になってしまって」
ミラの心臓が、きゅっと縮こまる。
「POPだって、頼んだわけじゃないのにどんどん書いてしまうし。
お客様の動きとかも、勝手にメモしたりして」
一見、熱心さを語っているようでいて、
「勝手に」「やりたがり」という言葉だけがじわじわと滲む。
「まあ、若い子にありがちな“空回り”ですよね。
一度止めたほうがいいんじゃないか、って判断したんですけど――」
そこまで言いかけて、先輩は棚のPOPに気づいた。
『今日のわたしに、おつかれさま。
ちゃんと頑張ったあなたへ。』
「……あら」
彼女の口元が、わずかに吊り上がる。
「ここでも同じことしてるんだ」
「同じ……?」
「こういう、“自己完結型のポエムPOP”。
前の店でも、いっぱい書いてましたよ」
ミラの喉が詰まる。
たしかに、書いていた。
しかし、それは――
「お客様が立ち止まって、笑ってくれていたから」
思わず、言葉がこぼれた。
「POPを読んでくれて、
“疲れたからこれにする”って、選んでくれたり……」
「そうね」
先輩は、あっさりと頷く。
「ミラがいちばんよく知ってるでしょう?
“売上が伸びても、評価されるのは“数字を出す人の顔”だって」
胸の奥に、冷たい何かが落ちた。
――売場の雰囲気を作っても、
――POPを考えても、
最終的に「実績」として報告されるのは、
いつも店長や「表に立つ人」の名前だった。
(知ってる。わかってる)
だからこそ、その言葉が痛い。
「ここでも、“表に出る”人が決めるんじゃないんですか?」
先輩は、わざとらしく首を傾げる。
「ミラの“ポエム”だけで、店の方針を決めたりしてないですよね?」
視線が、リオンに突き刺さる。
◇
一瞬の沈黙のあと、
リオンの口元がごくわずかに動いた。
「その通りだ」
「……ですよね」
先輩の顔に、わずかな勝ち誇りが浮かぶ。
「店の方針は、すべて“責任者”が決めるべきですから」
「星見の広場の棚は、俺が“任せた”」
リオンは、淡々と続けた。
「どう並べるか、どんな言葉を添えるか。
どんな空気の場所にしたいか」
視線が、まっすぐミラへ向けられる。
「それを決める権限を、ミラに“渡した”」
先輩の表情が、ぴきりと固まった。
「も、もしかして……」
「君の言う“表に出る人”は、責任を取る人間のことだろう」
リオンは、わずかに首を傾げる。
「俺は、“任せた棚”に関する責任を取る。
だから、“任せた”と言った」
ごく当たり前のことを説明するような口調で。
「数字が良くても悪くても、その結果は店長である俺の責任だ。
だからこそ、“誰に任せるか”は俺が決める」
その言葉に、ミラの胸の奥で何かがほどけた。
――ここでは、「任せる」が、「押しつけ」ではない。
責任を取る覚悟とセットの「任せる」なのだ。
「……ずいぶん、甘いんですね」
先輩が、少し笑う。
「新人さんに、そんな大事な棚を任せるなんて」
「甘いかどうかは、星市の結果で判断しよう」
リオンは、さらりと言った。
「甘やかしかどうかを決めるのは、俺や前の職場じゃない。
この店に来てくれる客だ」
先輩の眉が、わずかにひくりと動く。
「それに」
リオンは、棚のPOPに視線を移した。
『今日のわたしに、おつかれさま。
ちゃんと頑張ったあなたへ。』
『今日も、生き延びたあなたへ。
それだけでも、じゅうぶんです』
「ここに書いてある言葉に、俺もカイも救われている」
「え……?」
思わず、ミラが声を上げてしまう。
「閉店後に数字を見ながら、つい自分を追い詰めそうになったときにだ」
リオンは、淡々と言葉を継いだ。
「“生き延びた”で十分だ、と書かれている棚が目に入る」
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「そのたびに、“今日はそれでいいか”と思える。
俺にとっても、あそこは“おつかれさま”を言ってもらえる場所だ」
先輩の顔から、ささやかな余裕が消えていく。
「……そうですか」
「そうだ」
リオンは決して声を荒げない。
ただ、静かに、はっきりと言い切る。
「だから、この棚は俺の店に“必要だ”。
棚精も、必要だ」
“必要”。
その言葉が、ミラの耳に届いた瞬間――
こびりついていた「必要ない」という言葉の棘に、
少しだけ別の色が混ざった気がした。
◇
先輩は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、棚を一瞥し、
「……ずいぶん、変わりましたね、ミラ」
そう呟いた。
褒め言葉か、皮肉か。
その境界は、少し曖昧だった。
けれど、以前のように、その一言ですべてを決めつけることはしなかった。
それが、かえって救いだった。
「星市、頑張ってくださいね」
最後にそう言い残し、先輩は星見の広場をあとにした。
背中が小さくなっていくのを見送りながら、ミラはようやく息を吐く。
「……すみません」
小さな声で、ぽつりとこぼれた。
「お客様の前で、変な空気にしてしまって」
「変ではなかった」
リオンは、いつも通りの調子で言う。
「“前の棘”が顔を出しただけだ」
そう言ってから、少しだけ表情をやわらげた。
「よく、逃げずに立っていた」
「……立つしか、なかったので」
膝は少し震えていた。
それでも、棚の前からは離れたくなかった。
「ここで背を向けたら、“あの日のまま”になっちゃう気がして」
自分でも驚くほど正直な言葉が、口から出た。
「……うん」
リオンは、短く頷く。
「なら、今日のところは“生き延びた”で十分だな」
「はい」
ミラは、少し笑った。
「“今日も、生き延びたあなたへ。
それだけでも、じゅうぶんです”」
カイのPOPの言葉を、自分に向けてそっと唱える。
胸の中の疼きは完全には消えない。
けれど、「ここ」に立っている自分が、少しだけ誇らしくもあった。
◇
その夜。
閉店後の星見の広場で、ミラは一人、棚の前に立っていた。
昼間の先輩の声が、まだどこかで反響している。
「勝手に」「やりたがり」「空回り」。
その言葉を受け取ってきた自分と。
「棚精」「任せた」「必要だ」。
今日、ここで掛けられた言葉たちと。
それぞれが、胸の中でせめぎ合っている。
「……前の店で、
“やりすぎ”だったことも、きっとあったと思います」
ふいに背後から声がして、振り返る。
カイが、レジ締めの帳簿を片手に立っていた。
「全部が全部、ミラさんが悪かったわけじゃないけど。
全部が全部、相手のせいでもないでしょうし」
「……はい」
ミラは素直に頷く。
「でも、ここでは、“やりたがり”でもいいですよ」
カイは、柔らかく微笑んだ。
「やりたいことを“全部ひとりでやろう”としなければ、ですけど」
「全部ひとりで……」
前の店で、何度も繰り返してきたやり方だ。
「『私がやらなきゃ』って思った瞬間に、
自分を追い詰めることになっちゃいますから」
カイは、棚の右側のPOPを指先で軽く叩いた。
『ここに来てくれて、ありがとう』
「これ、すごく好きです」
「え……」
「“買ってくれて”じゃなくて、“来てくれて”。
その言葉を先に置いたところが、ミラさんらしいなって」
ミラの胸の奥で、何かがじんわりと溶けていく。
(――ありがとう、って、先に言いたかった)
売上の数字よりも前に。
「来てくれて」「立ち止まってくれて」「見てくれて」。
それが、嬉しかったから。
「星市の日、ちゃんと“図々しく”座っててくださいね」
カイは、星見の広場のベンチを顎で指し示した。
「棚の前で走り回ろうとしたら、リオン店長と二人がかりで止めますから」
「……はい」
ミラは、笑いながら頷く。
(図々しく座る、って、なかなかの難題だな……)
でも、その難題を出してもらえることが、どこか嬉しかった。
◇
宿舎に戻る前、
ミラは星見の広場の天井を見上げた。
魔法の星空の向こうに、
本物の夜空の星が、ちらちらと瞬いている。
(“必要ない”って言われたことも、
“必要だ”って言われたことも)
どちらも、消えてなくなることはない。
でも、これからは――
(どっちの言葉を、何度思い出すかは、
自分で選べるのかもしれない)
そんな考えが、ふと浮かんだ。
「……今日も、生き延びた私へ」
自分にそっと、言葉を投げる。
「ここまで、よく来たね」
星灯バザールの屋根の魔灯が、
それに応えるように、小さく瞬いた。
星市まで、あと五日。
ミラと「おつかれさま棚」の物語は、
まだ続いていく。
0
あなたにおすすめの小説
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件
水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる