星灯バザールの約束(次期頭首を目指す彼と健気な店員)

星乃和花

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第10話 前の店と、星灯のカウンター

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 星市まで、あと五日。

 星見の広場の「おつかれさま棚」は、少しずつ形を変えながら育っていた。

 “誰かといっしょ”側には、星型クッキーの詰め合わせに加えて、
 星市限定の「流れ星マドレーヌ」が並び始めている。

 “わたしへ”側には、
 カイの言葉を借りた新しい小さなPOPも増えた。

『今日も、生き延びたあなたへ。
 それだけでも、じゅうぶんです』

『今日は、がんばれなかった日でも。
 ここに来てくれて、ありがとう』

 ミラは、そのPOPをそっと棚に差し込んだ。

(……少し、軽くなったかもしれない)

 「ちゃんと頑張った」という言葉が重く感じる誰かにとって、
 ここが、すこしだけ息をつける場所になるようにと願いながら。



「ミラさん、“流れ星マドレーヌ”、追加でお願いできます?」

 惣菜担当の女性が、包装用のかごを抱えて声をかけてくる。

「はい。並べる位置、少し低めにしませんか?
 子どもさんが自分で手に取りやすいように」

「いいですね。それ、いただきます」

 そう言って笑い合ったところで、
 星見の広場の入口付近から、少し聞き覚えのある――けれどあまり嬉しくない響きの声が聞こえてきた。

「……あれ? ここ、もしかして」

 ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。

 ミラは、ゆっくりと顔を上げた。

 入口に立っていたのは、見慣れた制服ではなく、見慣れた顔――
 前の店の、先輩だった女性だ。

 口元に、いつもの「人当たりのいい笑顔」を浮かべている。
 けれど、その目だけは、相変わらずどこか冷めた色をしていた。

「……ミラ?」

 目が合った瞬間、先輩の笑顔が少し変わる。

「え、本当に? ここで働いてるの?」

「……はい」

 喉が急に乾いて、声がかすれた。

(どうして、ここに)

 頭の中で、あの日の光景が一気に蘇る。

 ――大きな発注ミスを押しつけられた日。
 ――「必要ない」と書かれた紙切れと、冷たい視線。
 ――“解雇通知”という言葉。

 胸の奥で、こびりついた棘が一斉に疼き出した。



「まあ~、びっくり」

 先輩は、星見の広場に一歩足を踏み入れ、ぐるりと周囲を見回した。

「けっこう、立派な店じゃない。星灯バザールって、最近よく聞くわよね」

 言葉だけ聞けば褒めているようにも聞こえる。
 だが、その声色はどこか「品定めする側」のものだった。

「ここ、あなたの店?」

「い、いえ。ここは、星灯一族の……」

 説明しようとして、うまく言葉が出てこない。

「ミラの『先輩』か」

 そのとき、低い声が割って入った。

 振り向くと、星見の広場の少し離れた場所から、
 いつの間にか様子を見ていたリオンが歩いてくるところだった。

 先輩の視線が、リオンへと移る。

「あら」

 ほんの一瞬、彼女の目が値踏みするように細められた。

「こちらの店長さんかしら?」

「星灯バザール王都支店、店長のリオン・アストレアだ」

 リオンは、簡潔に名乗る。

「あなたが――」

「前の店で、ミラを指導していた者です」

 先輩は、すかさず会釈した。

「お世話になっております。
 うちの店を辞めたあと、ちゃんと働けているようで、安心しました」

 その言い方に、わずかな棘が混じっているのを、ミラは知っている。

 ――「やっと、居場所を見つけられたのね」。

 そんな意味を含ませる話し方をする人だった。

(やめて)

 心の中で、かすかに叫ぶ。

 けれど、声にはならない。



「ミラさん、“指導”してたってことは」

 カイが、いつの間にか近くに来ており、柔らかな笑顔で口を挟んだ。

「売場づくりとか、一緒に担当されてたんですか?」

「そうですねえ」

 先輩は、少し首を傾げてみせる。

「最初は、ほんの簡単なお手伝いレベルだったんですけど。
 いつの間にか、“やりたがり”になってしまって」

 ミラの心臓が、きゅっと縮こまる。

「POPだって、頼んだわけじゃないのにどんどん書いてしまうし。
 お客様の動きとかも、勝手にメモしたりして」

 一見、熱心さを語っているようでいて、
 「勝手に」「やりたがり」という言葉だけがじわじわと滲む。

「まあ、若い子にありがちな“空回り”ですよね。
 一度止めたほうがいいんじゃないか、って判断したんですけど――」

 そこまで言いかけて、先輩は棚のPOPに気づいた。

『今日のわたしに、おつかれさま。
 ちゃんと頑張ったあなたへ。』

「……あら」

 彼女の口元が、わずかに吊り上がる。

「ここでも同じことしてるんだ」

「同じ……?」

「こういう、“自己完結型のポエムPOP”。
 前の店でも、いっぱい書いてましたよ」

 ミラの喉が詰まる。

 たしかに、書いていた。
 しかし、それは――

「お客様が立ち止まって、笑ってくれていたから」

 思わず、言葉がこぼれた。

「POPを読んでくれて、
 “疲れたからこれにする”って、選んでくれたり……」

「そうね」

 先輩は、あっさりと頷く。

「ミラがいちばんよく知ってるでしょう?
 “売上が伸びても、評価されるのは“数字を出す人の顔”だって」

 胸の奥に、冷たい何かが落ちた。

 ――売場の雰囲気を作っても、
 ――POPを考えても、

 最終的に「実績」として報告されるのは、
 いつも店長や「表に立つ人」の名前だった。

(知ってる。わかってる)

 だからこそ、その言葉が痛い。

「ここでも、“表に出る”人が決めるんじゃないんですか?」

 先輩は、わざとらしく首を傾げる。

「ミラの“ポエム”だけで、店の方針を決めたりしてないですよね?」

 視線が、リオンに突き刺さる。



 一瞬の沈黙のあと、
 リオンの口元がごくわずかに動いた。

「その通りだ」

「……ですよね」

 先輩の顔に、わずかな勝ち誇りが浮かぶ。

「店の方針は、すべて“責任者”が決めるべきですから」

「星見の広場の棚は、俺が“任せた”」

 リオンは、淡々と続けた。

「どう並べるか、どんな言葉を添えるか。
 どんな空気の場所にしたいか」

 視線が、まっすぐミラへ向けられる。

「それを決める権限を、ミラに“渡した”」

 先輩の表情が、ぴきりと固まった。

「も、もしかして……」

「君の言う“表に出る人”は、責任を取る人間のことだろう」

 リオンは、わずかに首を傾げる。

「俺は、“任せた棚”に関する責任を取る。
 だから、“任せた”と言った」

 ごく当たり前のことを説明するような口調で。

「数字が良くても悪くても、その結果は店長である俺の責任だ。
 だからこそ、“誰に任せるか”は俺が決める」

 その言葉に、ミラの胸の奥で何かがほどけた。

 ――ここでは、「任せる」が、「押しつけ」ではない。

 責任を取る覚悟とセットの「任せる」なのだ。

「……ずいぶん、甘いんですね」

 先輩が、少し笑う。

「新人さんに、そんな大事な棚を任せるなんて」

「甘いかどうかは、星市の結果で判断しよう」

 リオンは、さらりと言った。

「甘やかしかどうかを決めるのは、俺や前の職場じゃない。
 この店に来てくれる客だ」

 先輩の眉が、わずかにひくりと動く。

「それに」

 リオンは、棚のPOPに視線を移した。

『今日のわたしに、おつかれさま。
 ちゃんと頑張ったあなたへ。』

『今日も、生き延びたあなたへ。
 それだけでも、じゅうぶんです』

「ここに書いてある言葉に、俺もカイも救われている」

「え……?」

 思わず、ミラが声を上げてしまう。

「閉店後に数字を見ながら、つい自分を追い詰めそうになったときにだ」

 リオンは、淡々と言葉を継いだ。

「“生き延びた”で十分だ、と書かれている棚が目に入る」

 ほんの少しだけ、口元が緩む。

「そのたびに、“今日はそれでいいか”と思える。
 俺にとっても、あそこは“おつかれさま”を言ってもらえる場所だ」

 先輩の顔から、ささやかな余裕が消えていく。

「……そうですか」

「そうだ」

 リオンは決して声を荒げない。
 ただ、静かに、はっきりと言い切る。

「だから、この棚は俺の店に“必要だ”。
 棚精も、必要だ」

 “必要”。

 その言葉が、ミラの耳に届いた瞬間――
 こびりついていた「必要ない」という言葉の棘に、
 少しだけ別の色が混ざった気がした。



 先輩は、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、棚を一瞥し、

「……ずいぶん、変わりましたね、ミラ」

 そう呟いた。

 褒め言葉か、皮肉か。
 その境界は、少し曖昧だった。

 けれど、以前のように、その一言ですべてを決めつけることはしなかった。

 それが、かえって救いだった。

「星市、頑張ってくださいね」

 最後にそう言い残し、先輩は星見の広場をあとにした。

 背中が小さくなっていくのを見送りながら、ミラはようやく息を吐く。

「……すみません」

 小さな声で、ぽつりとこぼれた。

「お客様の前で、変な空気にしてしまって」

「変ではなかった」

 リオンは、いつも通りの調子で言う。

「“前の棘”が顔を出しただけだ」

 そう言ってから、少しだけ表情をやわらげた。

「よく、逃げずに立っていた」

「……立つしか、なかったので」

 膝は少し震えていた。
 それでも、棚の前からは離れたくなかった。

「ここで背を向けたら、“あの日のまま”になっちゃう気がして」

 自分でも驚くほど正直な言葉が、口から出た。

「……うん」

 リオンは、短く頷く。

「なら、今日のところは“生き延びた”で十分だな」

「はい」

 ミラは、少し笑った。

「“今日も、生き延びたあなたへ。
 それだけでも、じゅうぶんです”」

 カイのPOPの言葉を、自分に向けてそっと唱える。

 胸の中の疼きは完全には消えない。
 けれど、「ここ」に立っている自分が、少しだけ誇らしくもあった。



 その夜。

 閉店後の星見の広場で、ミラは一人、棚の前に立っていた。

 昼間の先輩の声が、まだどこかで反響している。

「勝手に」「やりたがり」「空回り」。

 その言葉を受け取ってきた自分と。

「棚精」「任せた」「必要だ」。

 今日、ここで掛けられた言葉たちと。

 それぞれが、胸の中でせめぎ合っている。

「……前の店で、
 “やりすぎ”だったことも、きっとあったと思います」

 ふいに背後から声がして、振り返る。

 カイが、レジ締めの帳簿を片手に立っていた。

「全部が全部、ミラさんが悪かったわけじゃないけど。
 全部が全部、相手のせいでもないでしょうし」

「……はい」

 ミラは素直に頷く。

「でも、ここでは、“やりたがり”でもいいですよ」

 カイは、柔らかく微笑んだ。

「やりたいことを“全部ひとりでやろう”としなければ、ですけど」

「全部ひとりで……」

 前の店で、何度も繰り返してきたやり方だ。

「『私がやらなきゃ』って思った瞬間に、
 自分を追い詰めることになっちゃいますから」

 カイは、棚の右側のPOPを指先で軽く叩いた。

『ここに来てくれて、ありがとう』

「これ、すごく好きです」

「え……」

「“買ってくれて”じゃなくて、“来てくれて”。
 その言葉を先に置いたところが、ミラさんらしいなって」

 ミラの胸の奥で、何かがじんわりと溶けていく。

(――ありがとう、って、先に言いたかった)

 売上の数字よりも前に。
 「来てくれて」「立ち止まってくれて」「見てくれて」。

 それが、嬉しかったから。

「星市の日、ちゃんと“図々しく”座っててくださいね」

 カイは、星見の広場のベンチを顎で指し示した。

「棚の前で走り回ろうとしたら、リオン店長と二人がかりで止めますから」

「……はい」

 ミラは、笑いながら頷く。

(図々しく座る、って、なかなかの難題だな……)

 でも、その難題を出してもらえることが、どこか嬉しかった。



 宿舎に戻る前、
 ミラは星見の広場の天井を見上げた。

 魔法の星空の向こうに、
 本物の夜空の星が、ちらちらと瞬いている。

(“必要ない”って言われたことも、
 “必要だ”って言われたことも)

 どちらも、消えてなくなることはない。
 でも、これからは――

(どっちの言葉を、何度思い出すかは、
 自分で選べるのかもしれない)

 そんな考えが、ふと浮かんだ。

「……今日も、生き延びた私へ」

 自分にそっと、言葉を投げる。

「ここまで、よく来たね」

 星灯バザールの屋根の魔灯が、
 それに応えるように、小さく瞬いた。

 星市まで、あと五日。

 ミラと「おつかれさま棚」の物語は、
 まだ続いていく。
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