19 / 20
第14話 閉店後の星空と、ふたりだけのおつかれさま
しおりを挟む
星市から、数日が過ぎた。
王都支店の日々は、
少しだけ忙しさの形を変えながら、いつものリズムを取り戻しつつあった。
入口の看板には、もう「星市開催!」の文字はない。
けれど、下段に追加された一行だけは、そのまま残されている。
『――今日がどんな日でも、あなたはここに来ていい。』
(星市だけじゃなくて、いつもの日にも)
ミラは、出勤のたびにその言葉を見上げてから、
店内に足を踏み入れるようになっていた。
◇
その日も、星見の広場は、
いつも通りの優しい明るさに包まれていた。
「“星市の棚、まだ置いてないんですか?”って、今日も聞かれましたよ」
惣菜担当が、星型コロッケのトレイを並べながら笑う。
星市限定だったはずの「星型コロッケ」は、
あまりの人気に、王都支店だけ“週末限定”で継続することになった。
「“おつかれさま棚ありますか?”って聞く人もいました」
青果担当が、星型果実をかごに盛りながら言う。
「“あそこ見ると、ああ今日も生き延びたって思えて”って」
「……そうなんですね」
ミラは、胸の奥がじんとするのを感じた。
(“星市のおまけ”じゃなくて、
ちゃんと“ここにある棚”として見てもらえてる)
星見賞の表彰状は、まだバックヤードの棚の上に置かれたままだ。
本部から正式に額が届いたら、星見の広場のどこかに飾ることになっている。
「ミラさん」
カイが、メモを片手に近づいてきた。
「ちょっといいですか。“顔のメモ”、その後どうなりました?」
「あ、これです」
ミラはエプロンのポケットから、小さな手帳を取り出す。
星市の日にベンチで書き留めた「顔のメモ」は、
その後も少しずつ増え続けていた。
『“今日はなんでもない日”と言いながら、
“わたしへ”の棚の前で立ち止まる人は、だいたい帰りにパンも買う。』
『誰かのぶんを2つ持つ人は、
“いっしょに食べる時間”を作る余裕がある顔をしている。』
『POPを読むときに眉間にしわが寄る人は、
次に来たときに少しだけ柔らかくなっていることが多い。』
そんな断片が、ページいっぱいに並んでいる。
「いいですね、“顔の統計”」
カイは楽しそうにページをめくる。
「これ、そのうち“棚の配置の根拠メモ”にもなりますよ。
報告書にまとめるの、手伝います」
「ほ、報告書ですか?」
「もちろん。
星見賞をもらった売場が、“何を見ていたか”って、本部も知りたいはずですから」
ミラは、手帳をぎゅっと握りしめた。
(数字以外のものも、“見ていた”って言っていいんだ)
星市の日、ベンチで座りきった時間は、
ちゃんと形になっていく。
「……じゃあ、今日の分も書き足しておきます」
ミラは、星見の広場に戻りながら、
さっき通り過ぎた親子連れのことを思い出していた。
(“星が見えるところに行きたい”って言ってた子と、
“ここで、ちょっとだけ星見ようか”って言ってたお父さん)
星空のある売場は、
たぶん、そういう「ちょっとだけ」を受け止める場所なのだろう。
◇
その日の閉店時間。
店内の灯りが少しずつ落ちていき、
客の姿がほとんどなくなったころ。
「ミラ」
星見の広場で棚の埃を払っていたミラは、
自分を呼ぶ声に振り向いた。
リオンが、帳簿と紙束を小脇に抱えて立っている。
「今日は、もう一仕事付き合ってくれるか」
「も、もう一仕事……?」
ミラは、慌てて時計を見る。
閉店作業は、大体済んでいる。
普段なら、このあとは各自解散の時間だ。
「“顔の見える灯り”の報告書を作る。
父上と、本部用にな」
「それって……」
「俺ひとりだと、“数字の話”ばかりになる」
リオンは、あっさりと言った。
「昨日までで、星市とその後三日分の数字はまとめた。
だが、“顔のほう”は、俺より君が見ていた」
ミラは、胸の奥がじんわり熱くなる。
(……ちゃんと、“見ていた”って認めてもらえてる)
「星見の広場で、書こう」
リオンは、星見の広場のほうへ顎をしゃくった。
「せっかくだから、星空付きでな」
◇
閉店後の星見の広場は、
久しぶりに見る“星市前夜”のときの静けさを取り戻していた。
天井の魔法の星空だけが、
ゆっくりと瞬きながら、ふたりを照らしている。
ベンチには、帳簿とメモ用紙。
ミラの手帳も、広げられていた。
「じゃあ、“顔のメモ”からいきましょうか」
カイは遠慮してくれたのか、この場にはいない。
今日の“報告書づくり”は、リオンとミラのふたりだけだ。
「例えば――」
ミラは、手帳の一ページを指差した。
「“似合わない”って言っていた方が、
“図々しいわね”って言いながら買ってくれた件」
「うむ」
「数字で見たら、
“チョコが一個売れた”だけかもしれませんけど」
「“棘を一本抜いた”案件だな」
リオンは、さらりと言った。
「本部向け報告書にそう書くわけにはいかんが」
「……“棘一本分の売上”って、
新しい指標みたいですね」
ミラは、思わず吹き出す。
「では、もう一項目。
“来てもいい”の看板から入ってきた人たちの話」
「星市から三日間で、
“入口の言葉を見て来ました”と言った客は、八組あった」
リオンは、手元のメモを確認しながら言った。
「そのうち四組は、“今日は何も買う気なかったけど”と言いながら、
結局何か一つは買っていった」
「残りの四組は?」
「何も買わずに帰った」
リオンは、そこだけ、むしろ嬉しそうに口元を緩める。
「だが、“来ること自体が目的だった”と言っていた」
ミラは、胸があたたかくなる。
(“ここに来てもいい”って言葉が、
誰かの足を動かしてる)
「報告書には、こう書こう」
リオンは、ペンを走らせながら言った。
『入口の一行によって、“買う/買わない”の前に
“来る/来ない”の敷居が少し下がったと推測される。』
「……“推測される”って、便利ですね」
「数字になりきらないものは、全部“推測”にしておけば話が通る」
ミラは、くすくすと笑った。
「じゃあ、このメモも“推測”で書いていいですか?」
そう言って、別のページを開く。
『“今日はなんでもない日”と言う人ほど、
POPを黙って読む時間が長い。』
「うむ」
『“誰かといっしょ”用のお菓子を選ぶ人は、
帰り際の足取りが少し軽くなる。』
「良い観察だ」
『“わたしへ”の棚から買う人は、
会計のときに目を合わせてくれることが多い。』
「それは――」
リオンは、すこし考えてから言った。
「君が、“ありがとう”を言い慣れてきた証拠かもしれん」
「え……」
「星市の前の君は、
“すみません”のほうが先に出ていた」
言われてみれば、そうかもしれない。
(前の店では、“すみません”って言う癖しかなかった)
今は――
「来てくれてありがとうございます」と、
自然に言えるようになりつつある。
「店の空気は、棚の言葉と、
そこで飛び交う言葉で決まる」
リオンは、ベンチにもたれて星空を見上げた。
「星見の広場の“顔の見える灯り”は、
棚と君で半分ずつ作っている」
ミラは、胸がきゅっとする。
(“半分”って言ってもらえた)
“ただ居させてもらってるだけ”じゃなくて。
“ここにいる前提で動く”誰かとして。
◇
報告書の文章が、
ある程度まとまったところで。
「……休憩だ」
リオンがペンを置いた。
「甘いものでも食べるか」
「えっ」
「星市の残り物だがな」
立ち上がると、
バックヤードから小さな箱を持って戻ってくる。
中には、星型のクッキーと、
「流れ星マドレーヌ」がいくつか。
「余り分の処理は、店長の特権だ」
そう言って、ベンチの間に箱を置く。
「……いいのかなあ」
ミラは、おそるおそる星型クッキーを手に取った。
「お客様用だったのに」
「今日のお客様は、
この棚を作ったやつらだ。
ちゃんとカイの取り分は渡してある」
リオンは、同じように一つクッキーをつまむ。
すると一枚の紙が。
カイの文字だ。
『おつかれさま。
棚精と、バカ真面目な店長』
「ふっ」
ミラは、思わず吹き出した。
「誰がバカ真面目だ」
「じゅうぶん自覚があるでしょう」
「あるが、他人に言われると腹が立つ」
「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃなかったでしたっけ」
軽口を交わしながら、
ふたりでクッキーをかじる。
星空の下で食べる星型のお菓子は、
なぜかいつもよりも甘く感じられた。
「……ミラ」
ふと、リオンが真面目な声を出した。
「はい?」
「“忘れられない棘”のほうは、
少しは薄くなったか」
ミラは、一瞬だけ言葉を失う。
星市の夜、
「こびりついた言葉の棘がある」と言った自分に、
リオンは「その棘ごとここで生き延びろ」と言ってくれた。
「……完全には、たぶん消えません」
ミラは、自分の胸に手を置いた。
「でも、“必要ない”って言葉より、
“必要だ”って言葉を思い出す回数のほうが、
少しずつ増えてきてます」
星見賞のこと。
“ここで灯りを作ってほしい”と言われたこと。
そして――
「“未来永劫、働いてもらう予定だ”って言葉も、
けっこうこびりついてます」
そう言うと、
リオンの横顔が少しだけ固まった。
「それは……」
「ふふ。責任取ってくださいね」
ミラは、冗談めかして笑う。
「そんなこと言われたら、
図々しく、“ここにいたい”って思っちゃいますから」
沈黙が落ちる。
冗談と本音の境目が、
不思議と曖昧になる静けさだった。
「――責任、か」
リオンは、低く呟いた。
「俺は、“店の灯り”には責任を持つつもりだ」
星空を見上げる瞳が、
ゆっくりとミラのほうに向き直る。
「君が、“ここにいたい”と思うなら」
ひと呼吸、置いてから続けた。
「その“いたい場所”を、
ちゃんと守りたいと思う」
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。
(“守りたい”って)
仕事の話なのか。
居場所の話なのか。
それとも――それ以外の何かなのか。
全部を一度に聞き取るのは、
今のミラには、少しだけ難しかった。
けれど。
「……ここ、好きです」
こみ上げてきた言葉は、
驚くほどまっすぐだった。
「星見の広場も、“来てもいい”の看板も。
“おつかれさま棚”も。
この店の人たちも」
そして――
「リオン店長も」
最後の一言は、
自分でも驚くくらい小さな声になった。
それでも、
星空の下では、はっきり響いた気がする。
リオンは、しばらく何も言わなかった。
静かな時間が、ゆっくりと流れる。
やがて、
彼は小さく息を吐いた。
「……図々しいな」
いつもの言葉。
けれど、その響きには、
あきれた色よりも、どこか安堵に近いものが混じっていた。
「だが、悪くない」
リオンは、ベンチの背にもたれ、
同じように星空を見上げる。
「俺も、この店も、
君に“好きだ”と言われて、悪い気はしない」
ミラの頬が熱くなる。
「数字で表せるものじゃないが――」
リオンは、ぽつりと続けた。
「君が、“ここが好きだ”と言える限り。
ここは、“生き延びる価値のある場所”だ」
星見の広場の魔灯が、
静かに瞬く。
ふたりの間に落ちた沈黙は、
気まずさではなく、
ゆるやかに満ちていくものだった。
◇
報告書づくりを終えたころには、
店内の灯りはほとんど落ちていた。
「そろそろ帰るか」
リオンが立ち上がる。
「送っていくか?」
「いえ、大丈夫です。宿舎、近いので」
「“図々しく”頼んでもいいところだぞ」
さらりと言われて、
ミラは一瞬返事に詰まる。
(そういうふうに言われると……)
頼りたくなる。
寄りかかりたくなる。
でも今日は、
自分の足で歩いてみたい気持ちもあった。
「じゃあ――今日は、“図々しく”遠慮しておきます」
少し考えてから、そう答える。
「また、どうしても頼りたくなったときに、
ちゃんとお願いできるように」
リオンは、驚いたように目を瞬いたあと、
小さく笑った。
「それもまた、図々しいな」
「図々しいくらいが、ちょうどいいんですよね?」
「……ああ」
星灯の夜風が、
そっとふたりの間を抜けていく。
入口の看板には、
相変わらず一行だけが揺れていた。
『今日がどんな日でも、あなたはここに来ていい。』
その言葉はきっと、
これからも何度も、
誰かの足をここへ連れてくるのだろう。
その“誰か”の中には、
――きっと、自分たち自身も含まれている。
(明日も、あさっても。
ここに来ていいって、
この看板が言ってくれるから)
ミラは、最後にもう一度星見の広場を振り返った。
図々しいくらいの「ここにいたい」を胸に抱えながら、
彼女は星灯バザールをあとにした。
その背中を、
店内の魔法の星空と、
ベンチの上に置かれた一冊の手帳が、
静かに見送っていた。
王都支店の日々は、
少しだけ忙しさの形を変えながら、いつものリズムを取り戻しつつあった。
入口の看板には、もう「星市開催!」の文字はない。
けれど、下段に追加された一行だけは、そのまま残されている。
『――今日がどんな日でも、あなたはここに来ていい。』
(星市だけじゃなくて、いつもの日にも)
ミラは、出勤のたびにその言葉を見上げてから、
店内に足を踏み入れるようになっていた。
◇
その日も、星見の広場は、
いつも通りの優しい明るさに包まれていた。
「“星市の棚、まだ置いてないんですか?”って、今日も聞かれましたよ」
惣菜担当が、星型コロッケのトレイを並べながら笑う。
星市限定だったはずの「星型コロッケ」は、
あまりの人気に、王都支店だけ“週末限定”で継続することになった。
「“おつかれさま棚ありますか?”って聞く人もいました」
青果担当が、星型果実をかごに盛りながら言う。
「“あそこ見ると、ああ今日も生き延びたって思えて”って」
「……そうなんですね」
ミラは、胸の奥がじんとするのを感じた。
(“星市のおまけ”じゃなくて、
ちゃんと“ここにある棚”として見てもらえてる)
星見賞の表彰状は、まだバックヤードの棚の上に置かれたままだ。
本部から正式に額が届いたら、星見の広場のどこかに飾ることになっている。
「ミラさん」
カイが、メモを片手に近づいてきた。
「ちょっといいですか。“顔のメモ”、その後どうなりました?」
「あ、これです」
ミラはエプロンのポケットから、小さな手帳を取り出す。
星市の日にベンチで書き留めた「顔のメモ」は、
その後も少しずつ増え続けていた。
『“今日はなんでもない日”と言いながら、
“わたしへ”の棚の前で立ち止まる人は、だいたい帰りにパンも買う。』
『誰かのぶんを2つ持つ人は、
“いっしょに食べる時間”を作る余裕がある顔をしている。』
『POPを読むときに眉間にしわが寄る人は、
次に来たときに少しだけ柔らかくなっていることが多い。』
そんな断片が、ページいっぱいに並んでいる。
「いいですね、“顔の統計”」
カイは楽しそうにページをめくる。
「これ、そのうち“棚の配置の根拠メモ”にもなりますよ。
報告書にまとめるの、手伝います」
「ほ、報告書ですか?」
「もちろん。
星見賞をもらった売場が、“何を見ていたか”って、本部も知りたいはずですから」
ミラは、手帳をぎゅっと握りしめた。
(数字以外のものも、“見ていた”って言っていいんだ)
星市の日、ベンチで座りきった時間は、
ちゃんと形になっていく。
「……じゃあ、今日の分も書き足しておきます」
ミラは、星見の広場に戻りながら、
さっき通り過ぎた親子連れのことを思い出していた。
(“星が見えるところに行きたい”って言ってた子と、
“ここで、ちょっとだけ星見ようか”って言ってたお父さん)
星空のある売場は、
たぶん、そういう「ちょっとだけ」を受け止める場所なのだろう。
◇
その日の閉店時間。
店内の灯りが少しずつ落ちていき、
客の姿がほとんどなくなったころ。
「ミラ」
星見の広場で棚の埃を払っていたミラは、
自分を呼ぶ声に振り向いた。
リオンが、帳簿と紙束を小脇に抱えて立っている。
「今日は、もう一仕事付き合ってくれるか」
「も、もう一仕事……?」
ミラは、慌てて時計を見る。
閉店作業は、大体済んでいる。
普段なら、このあとは各自解散の時間だ。
「“顔の見える灯り”の報告書を作る。
父上と、本部用にな」
「それって……」
「俺ひとりだと、“数字の話”ばかりになる」
リオンは、あっさりと言った。
「昨日までで、星市とその後三日分の数字はまとめた。
だが、“顔のほう”は、俺より君が見ていた」
ミラは、胸の奥がじんわり熱くなる。
(……ちゃんと、“見ていた”って認めてもらえてる)
「星見の広場で、書こう」
リオンは、星見の広場のほうへ顎をしゃくった。
「せっかくだから、星空付きでな」
◇
閉店後の星見の広場は、
久しぶりに見る“星市前夜”のときの静けさを取り戻していた。
天井の魔法の星空だけが、
ゆっくりと瞬きながら、ふたりを照らしている。
ベンチには、帳簿とメモ用紙。
ミラの手帳も、広げられていた。
「じゃあ、“顔のメモ”からいきましょうか」
カイは遠慮してくれたのか、この場にはいない。
今日の“報告書づくり”は、リオンとミラのふたりだけだ。
「例えば――」
ミラは、手帳の一ページを指差した。
「“似合わない”って言っていた方が、
“図々しいわね”って言いながら買ってくれた件」
「うむ」
「数字で見たら、
“チョコが一個売れた”だけかもしれませんけど」
「“棘を一本抜いた”案件だな」
リオンは、さらりと言った。
「本部向け報告書にそう書くわけにはいかんが」
「……“棘一本分の売上”って、
新しい指標みたいですね」
ミラは、思わず吹き出す。
「では、もう一項目。
“来てもいい”の看板から入ってきた人たちの話」
「星市から三日間で、
“入口の言葉を見て来ました”と言った客は、八組あった」
リオンは、手元のメモを確認しながら言った。
「そのうち四組は、“今日は何も買う気なかったけど”と言いながら、
結局何か一つは買っていった」
「残りの四組は?」
「何も買わずに帰った」
リオンは、そこだけ、むしろ嬉しそうに口元を緩める。
「だが、“来ること自体が目的だった”と言っていた」
ミラは、胸があたたかくなる。
(“ここに来てもいい”って言葉が、
誰かの足を動かしてる)
「報告書には、こう書こう」
リオンは、ペンを走らせながら言った。
『入口の一行によって、“買う/買わない”の前に
“来る/来ない”の敷居が少し下がったと推測される。』
「……“推測される”って、便利ですね」
「数字になりきらないものは、全部“推測”にしておけば話が通る」
ミラは、くすくすと笑った。
「じゃあ、このメモも“推測”で書いていいですか?」
そう言って、別のページを開く。
『“今日はなんでもない日”と言う人ほど、
POPを黙って読む時間が長い。』
「うむ」
『“誰かといっしょ”用のお菓子を選ぶ人は、
帰り際の足取りが少し軽くなる。』
「良い観察だ」
『“わたしへ”の棚から買う人は、
会計のときに目を合わせてくれることが多い。』
「それは――」
リオンは、すこし考えてから言った。
「君が、“ありがとう”を言い慣れてきた証拠かもしれん」
「え……」
「星市の前の君は、
“すみません”のほうが先に出ていた」
言われてみれば、そうかもしれない。
(前の店では、“すみません”って言う癖しかなかった)
今は――
「来てくれてありがとうございます」と、
自然に言えるようになりつつある。
「店の空気は、棚の言葉と、
そこで飛び交う言葉で決まる」
リオンは、ベンチにもたれて星空を見上げた。
「星見の広場の“顔の見える灯り”は、
棚と君で半分ずつ作っている」
ミラは、胸がきゅっとする。
(“半分”って言ってもらえた)
“ただ居させてもらってるだけ”じゃなくて。
“ここにいる前提で動く”誰かとして。
◇
報告書の文章が、
ある程度まとまったところで。
「……休憩だ」
リオンがペンを置いた。
「甘いものでも食べるか」
「えっ」
「星市の残り物だがな」
立ち上がると、
バックヤードから小さな箱を持って戻ってくる。
中には、星型のクッキーと、
「流れ星マドレーヌ」がいくつか。
「余り分の処理は、店長の特権だ」
そう言って、ベンチの間に箱を置く。
「……いいのかなあ」
ミラは、おそるおそる星型クッキーを手に取った。
「お客様用だったのに」
「今日のお客様は、
この棚を作ったやつらだ。
ちゃんとカイの取り分は渡してある」
リオンは、同じように一つクッキーをつまむ。
すると一枚の紙が。
カイの文字だ。
『おつかれさま。
棚精と、バカ真面目な店長』
「ふっ」
ミラは、思わず吹き出した。
「誰がバカ真面目だ」
「じゅうぶん自覚があるでしょう」
「あるが、他人に言われると腹が立つ」
「図々しいくらいが、ちょうどいいんじゃなかったでしたっけ」
軽口を交わしながら、
ふたりでクッキーをかじる。
星空の下で食べる星型のお菓子は、
なぜかいつもよりも甘く感じられた。
「……ミラ」
ふと、リオンが真面目な声を出した。
「はい?」
「“忘れられない棘”のほうは、
少しは薄くなったか」
ミラは、一瞬だけ言葉を失う。
星市の夜、
「こびりついた言葉の棘がある」と言った自分に、
リオンは「その棘ごとここで生き延びろ」と言ってくれた。
「……完全には、たぶん消えません」
ミラは、自分の胸に手を置いた。
「でも、“必要ない”って言葉より、
“必要だ”って言葉を思い出す回数のほうが、
少しずつ増えてきてます」
星見賞のこと。
“ここで灯りを作ってほしい”と言われたこと。
そして――
「“未来永劫、働いてもらう予定だ”って言葉も、
けっこうこびりついてます」
そう言うと、
リオンの横顔が少しだけ固まった。
「それは……」
「ふふ。責任取ってくださいね」
ミラは、冗談めかして笑う。
「そんなこと言われたら、
図々しく、“ここにいたい”って思っちゃいますから」
沈黙が落ちる。
冗談と本音の境目が、
不思議と曖昧になる静けさだった。
「――責任、か」
リオンは、低く呟いた。
「俺は、“店の灯り”には責任を持つつもりだ」
星空を見上げる瞳が、
ゆっくりとミラのほうに向き直る。
「君が、“ここにいたい”と思うなら」
ひと呼吸、置いてから続けた。
「その“いたい場所”を、
ちゃんと守りたいと思う」
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。
(“守りたい”って)
仕事の話なのか。
居場所の話なのか。
それとも――それ以外の何かなのか。
全部を一度に聞き取るのは、
今のミラには、少しだけ難しかった。
けれど。
「……ここ、好きです」
こみ上げてきた言葉は、
驚くほどまっすぐだった。
「星見の広場も、“来てもいい”の看板も。
“おつかれさま棚”も。
この店の人たちも」
そして――
「リオン店長も」
最後の一言は、
自分でも驚くくらい小さな声になった。
それでも、
星空の下では、はっきり響いた気がする。
リオンは、しばらく何も言わなかった。
静かな時間が、ゆっくりと流れる。
やがて、
彼は小さく息を吐いた。
「……図々しいな」
いつもの言葉。
けれど、その響きには、
あきれた色よりも、どこか安堵に近いものが混じっていた。
「だが、悪くない」
リオンは、ベンチの背にもたれ、
同じように星空を見上げる。
「俺も、この店も、
君に“好きだ”と言われて、悪い気はしない」
ミラの頬が熱くなる。
「数字で表せるものじゃないが――」
リオンは、ぽつりと続けた。
「君が、“ここが好きだ”と言える限り。
ここは、“生き延びる価値のある場所”だ」
星見の広場の魔灯が、
静かに瞬く。
ふたりの間に落ちた沈黙は、
気まずさではなく、
ゆるやかに満ちていくものだった。
◇
報告書づくりを終えたころには、
店内の灯りはほとんど落ちていた。
「そろそろ帰るか」
リオンが立ち上がる。
「送っていくか?」
「いえ、大丈夫です。宿舎、近いので」
「“図々しく”頼んでもいいところだぞ」
さらりと言われて、
ミラは一瞬返事に詰まる。
(そういうふうに言われると……)
頼りたくなる。
寄りかかりたくなる。
でも今日は、
自分の足で歩いてみたい気持ちもあった。
「じゃあ――今日は、“図々しく”遠慮しておきます」
少し考えてから、そう答える。
「また、どうしても頼りたくなったときに、
ちゃんとお願いできるように」
リオンは、驚いたように目を瞬いたあと、
小さく笑った。
「それもまた、図々しいな」
「図々しいくらいが、ちょうどいいんですよね?」
「……ああ」
星灯の夜風が、
そっとふたりの間を抜けていく。
入口の看板には、
相変わらず一行だけが揺れていた。
『今日がどんな日でも、あなたはここに来ていい。』
その言葉はきっと、
これからも何度も、
誰かの足をここへ連れてくるのだろう。
その“誰か”の中には、
――きっと、自分たち自身も含まれている。
(明日も、あさっても。
ここに来ていいって、
この看板が言ってくれるから)
ミラは、最後にもう一度星見の広場を振り返った。
図々しいくらいの「ここにいたい」を胸に抱えながら、
彼女は星灯バザールをあとにした。
その背中を、
店内の魔法の星空と、
ベンチの上に置かれた一冊の手帳が、
静かに見送っていた。
0
あなたにおすすめの小説
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件
水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる