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10話
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特別騎士。そんな大層な肩書きを背負わされた初日の仕事が、まさかエプロンを締めて木べらを握ることになるとは思いもしなかった。
ガンツは台所に立ち、ルカが命がけで(正確には棘に絡まりながら)摘んできた野いちごを丁寧に洗っていた。瑞々しい果実はボウルの中で宝石のように輝いている。
「ガンツ様!僕、準備万端です。見てください、このやる気に満ちた姿を!」
振り返ると、そこには自分の身体よりも二回りほど大きいガンツの予備のエプロンを身に着けたルカが、鼻息荒く立っていた。丈が長すぎて裾を引きずりそうになっているが、本人は伝説の防具でも手に入れたかのような得意げな顔だ。
「やる気があるのは結構だが、あんたはまずその長い紐をどうにかしろ。踏んで転んだら今度こそ台所が爆発するぞ」
「あだっ。本当ですね。……えへへ、ガンツ様に結び直してもらってもいいですか?」
ルカは当然のように背中を向けてきた。
ガンツは舌打ちを一つ。だが、断ればまたあの泣き虫攻撃が始まると分かっている。無骨な指先で細い紐を器用に操り、ルカの腰にしっかりと結び目を作ってやった。至近距離から漂う、ルカの金髪が放つ微かな花の香りに、ガンツは無意識に息を止める。
「よし、離れろ。まずはヘタ取りだ。これは力加減が重要だぞ。握り潰したらただのジュースになっちまうからな」
「はい!優しく、丁寧に、ですね。……こうですか?」
ルカは椅子に座り、慎重に苺を手にとった。だが、元来の馬鹿力のせいか、指先に少し力が入った瞬間に果実が「ぷちり」と音を立てて潰れた。赤い果汁がルカの頬に飛び散る。
「あぁっ!ごめんなさいガンツ様。僕の指が、また暴走を!」
「……あんたは本当に期待を裏切らねえな。いいから、その手は止めて見てろ」
ガンツはルカの隣に腰を下ろすと、手本を見せるために苺を手にとった。岩のような太い指先が、信じられないほど繊細な動きでヘタを外していく。ルカはその様子を、まるで魔法使いの業でも見るかのように食い入るように見つめていた。
「すごい。あんなに大きな手なのに、どうしてそんなに優しい動きができるんですか?僕も、あなたのようになりたい」
「慣れだ。戦場じゃ、折れた剣の破片を抜いたり、傷口を縫ったりしなきゃならねえ時もあるからな。……ほら、次はあんたの番だ。俺が後ろから手を添えてやるから、感覚を覚えろ」
ガンツは何気なく、ルカの背後から手を回した。
ルカの小さな手を、自分の大きな掌で包み込む。
その瞬間、ルカの身体がびくんと震えた。
「ガ、ガンツ様?これ、ちょっと、距離が近くないですか?」
「あ?教えるにはこれが一番手っ取り早いだろうが。ほら、力を抜け。苺を赤ん坊だと思って持て」
ガンツはルカの動揺に気づかず、淡々と指導を続ける。しかし、包み込んだルカの手が熱を帯び、次第に震え始めていることに、ようやく違和感を覚えた。
ふと視線を上げると、目の前にあるルカの耳たぶが、茹で上がった海老のように真っ赤に染まっている。
「おい、ルカ。また熱でも出たのか?」
「ち、違います!違わないけど、違います!あぁ、もう、心臓が耳元で鳴っていて、苺どころじゃありません!」
ルカは突然立ち上がると、椅子を派手に倒しながら台所の隅へと退却した。
「……何なんだ」
ガンツは首を傾げたが、深く追求するのは時間の無駄だと判断した。結局、残りのヘタ取りはすべて自分で行い、砂糖をまぶした苺を大きな鍋に放り込む。
火にかけると、次第に甘く芳醇な香りが室内に広がり始めた。
ルカは少し落ち着いたのか、遠巻きに鍋を覗き込み、木べらで灰汁を取るガンツの背中を眺めている。
「ガンツ様。あなたは、どうしてそんなにジャム作りが好きなんですか?」
「……静かだからだよ」
ガンツは鍋を見つめたまま、低く答えた。
「戦場はうるさすぎる。怒号と、悲鳴と、鋼がぶつかる音。それしかない。だが、こうして火にかけて、じっくりと果物が溶けていく音を聞いていると、俺が俺でいられる気がするんだ」
不器用な独白だった。
最強の傭兵として名を馳せた男が求める、あまりにも小さな、けれど切実な平穏。
ルカはその言葉を噛み締めるように聞き入り、やがて静かに歩み寄って、ガンツの太い腕にそっと自分の手を重ねた。
「これからは、僕もその音を一緒に聞きます。三ヶ月だけじゃありません。いつか、この契約が終わっても、僕があなたの隣を一番賑やかで、それでいて一番安心できる場所にしてみせますから」
ルカの青い瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
いつもはヘタレで、すぐに転んで泣き喚く王子。だが、時折見せるこの真っ直ぐな意志の強さに、ガンツは抗えない何かを感じていた。
「口だけは達者だな。ほら、もうすぐ出来上がりだ。味見してみろ」
ガンツはスプーンですくった熱いジャムを、ふうふうと息を吹きかけて冷まし、ルカの口元へ運んだ。
ルカは待ってましたと言わんばかりに、あーんと口を開けてそれを受け止める。
「……んんっ!美味しい!甘くて、ちょっと酸っぱくて、ガンツ様の優しさが詰まった味がします!」
「だから、変な感想を言うんじゃねえ」
言いながら、ガンツはルカの頬に、先ほど跳ねた赤い果汁がまだ残っているのに気づいた。
指先を伸ばし、その汚れを拭い去る。
ルカは一瞬だけ息を呑み、金色の短髪を揺らして、嬉しそうに目を細めた。
「えへへ、ありがとうございます」
その笑顔に、ガンツの胸の奥が再び妙な熱を持った。
静かに暮らしたいという願いは、確かに壊された。
だが、煮詰まっていくジャムの甘い香りに包まれながら、自分の指先に触れるルカの温もりを感じるこの時間は、かつてのどの戦場よりも、そしてどの孤独な休日よりも、充実しているように思えてならなかった。
「おい、出来上がったぞ。瓶に詰めるから、あんたは瓶を消毒して並べろ。……割るなよ、絶対にだぞ!」
「任せてください!……あだっ、床が滑る!?」
「転ぶなと言った側からこれか!」
台所に響き渡るガンツの怒号と、ルカの情けない悲鳴。
甘いジャムの香りに混じって、二人の騒がしくも穏やかな時間は、ゆっくりと、しかし確実に深まっていくのだった。
ガンツは台所に立ち、ルカが命がけで(正確には棘に絡まりながら)摘んできた野いちごを丁寧に洗っていた。瑞々しい果実はボウルの中で宝石のように輝いている。
「ガンツ様!僕、準備万端です。見てください、このやる気に満ちた姿を!」
振り返ると、そこには自分の身体よりも二回りほど大きいガンツの予備のエプロンを身に着けたルカが、鼻息荒く立っていた。丈が長すぎて裾を引きずりそうになっているが、本人は伝説の防具でも手に入れたかのような得意げな顔だ。
「やる気があるのは結構だが、あんたはまずその長い紐をどうにかしろ。踏んで転んだら今度こそ台所が爆発するぞ」
「あだっ。本当ですね。……えへへ、ガンツ様に結び直してもらってもいいですか?」
ルカは当然のように背中を向けてきた。
ガンツは舌打ちを一つ。だが、断ればまたあの泣き虫攻撃が始まると分かっている。無骨な指先で細い紐を器用に操り、ルカの腰にしっかりと結び目を作ってやった。至近距離から漂う、ルカの金髪が放つ微かな花の香りに、ガンツは無意識に息を止める。
「よし、離れろ。まずはヘタ取りだ。これは力加減が重要だぞ。握り潰したらただのジュースになっちまうからな」
「はい!優しく、丁寧に、ですね。……こうですか?」
ルカは椅子に座り、慎重に苺を手にとった。だが、元来の馬鹿力のせいか、指先に少し力が入った瞬間に果実が「ぷちり」と音を立てて潰れた。赤い果汁がルカの頬に飛び散る。
「あぁっ!ごめんなさいガンツ様。僕の指が、また暴走を!」
「……あんたは本当に期待を裏切らねえな。いいから、その手は止めて見てろ」
ガンツはルカの隣に腰を下ろすと、手本を見せるために苺を手にとった。岩のような太い指先が、信じられないほど繊細な動きでヘタを外していく。ルカはその様子を、まるで魔法使いの業でも見るかのように食い入るように見つめていた。
「すごい。あんなに大きな手なのに、どうしてそんなに優しい動きができるんですか?僕も、あなたのようになりたい」
「慣れだ。戦場じゃ、折れた剣の破片を抜いたり、傷口を縫ったりしなきゃならねえ時もあるからな。……ほら、次はあんたの番だ。俺が後ろから手を添えてやるから、感覚を覚えろ」
ガンツは何気なく、ルカの背後から手を回した。
ルカの小さな手を、自分の大きな掌で包み込む。
その瞬間、ルカの身体がびくんと震えた。
「ガ、ガンツ様?これ、ちょっと、距離が近くないですか?」
「あ?教えるにはこれが一番手っ取り早いだろうが。ほら、力を抜け。苺を赤ん坊だと思って持て」
ガンツはルカの動揺に気づかず、淡々と指導を続ける。しかし、包み込んだルカの手が熱を帯び、次第に震え始めていることに、ようやく違和感を覚えた。
ふと視線を上げると、目の前にあるルカの耳たぶが、茹で上がった海老のように真っ赤に染まっている。
「おい、ルカ。また熱でも出たのか?」
「ち、違います!違わないけど、違います!あぁ、もう、心臓が耳元で鳴っていて、苺どころじゃありません!」
ルカは突然立ち上がると、椅子を派手に倒しながら台所の隅へと退却した。
「……何なんだ」
ガンツは首を傾げたが、深く追求するのは時間の無駄だと判断した。結局、残りのヘタ取りはすべて自分で行い、砂糖をまぶした苺を大きな鍋に放り込む。
火にかけると、次第に甘く芳醇な香りが室内に広がり始めた。
ルカは少し落ち着いたのか、遠巻きに鍋を覗き込み、木べらで灰汁を取るガンツの背中を眺めている。
「ガンツ様。あなたは、どうしてそんなにジャム作りが好きなんですか?」
「……静かだからだよ」
ガンツは鍋を見つめたまま、低く答えた。
「戦場はうるさすぎる。怒号と、悲鳴と、鋼がぶつかる音。それしかない。だが、こうして火にかけて、じっくりと果物が溶けていく音を聞いていると、俺が俺でいられる気がするんだ」
不器用な独白だった。
最強の傭兵として名を馳せた男が求める、あまりにも小さな、けれど切実な平穏。
ルカはその言葉を噛み締めるように聞き入り、やがて静かに歩み寄って、ガンツの太い腕にそっと自分の手を重ねた。
「これからは、僕もその音を一緒に聞きます。三ヶ月だけじゃありません。いつか、この契約が終わっても、僕があなたの隣を一番賑やかで、それでいて一番安心できる場所にしてみせますから」
ルカの青い瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。
いつもはヘタレで、すぐに転んで泣き喚く王子。だが、時折見せるこの真っ直ぐな意志の強さに、ガンツは抗えない何かを感じていた。
「口だけは達者だな。ほら、もうすぐ出来上がりだ。味見してみろ」
ガンツはスプーンですくった熱いジャムを、ふうふうと息を吹きかけて冷まし、ルカの口元へ運んだ。
ルカは待ってましたと言わんばかりに、あーんと口を開けてそれを受け止める。
「……んんっ!美味しい!甘くて、ちょっと酸っぱくて、ガンツ様の優しさが詰まった味がします!」
「だから、変な感想を言うんじゃねえ」
言いながら、ガンツはルカの頬に、先ほど跳ねた赤い果汁がまだ残っているのに気づいた。
指先を伸ばし、その汚れを拭い去る。
ルカは一瞬だけ息を呑み、金色の短髪を揺らして、嬉しそうに目を細めた。
「えへへ、ありがとうございます」
その笑顔に、ガンツの胸の奥が再び妙な熱を持った。
静かに暮らしたいという願いは、確かに壊された。
だが、煮詰まっていくジャムの甘い香りに包まれながら、自分の指先に触れるルカの温もりを感じるこの時間は、かつてのどの戦場よりも、そしてどの孤独な休日よりも、充実しているように思えてならなかった。
「おい、出来上がったぞ。瓶に詰めるから、あんたは瓶を消毒して並べろ。……割るなよ、絶対にだぞ!」
「任せてください!……あだっ、床が滑る!?」
「転ぶなと言った側からこれか!」
台所に響き渡るガンツの怒号と、ルカの情けない悲鳴。
甘いジャムの香りに混じって、二人の騒がしくも穏やかな時間は、ゆっくりと、しかし確実に深まっていくのだった。
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