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11話
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平穏な隠居生活を邪魔するものは、何も王宮の騎士団だけではない。
ジャムの甘い香りが漂う午後のひととき。新調したばかりの頑丈な玄関扉を、遠慮のかけらもない力で叩く音が響いた。
「よぉ、地獄の番犬様!息災にしてるか。例の獲物はまだ逃げ出してねえだろうな」
扉を開けるよりも早く、聞き覚えのある軽薄な声が室内に滑り込んできた。そこに立っていたのは、無精髭を隠そうともしない、薄汚れたコートを羽織った男だった。
「バズ。あんた、連絡もなしに現れるんじゃねえよ。ここは俺の家だ、酒場じゃねえ」
ガンツは嫌悪感を隠さずに鼻を鳴らした。バズは傭兵時代の相棒であり、現在は裏社会に精通した情報屋だ。戦場では幾度となく背中を預け合い、泥水を啜りながら生き延びてきた腐れ縁である。
「相変わらず愛想のねえ面だな。お、いたいた。噂のキラキラ王子様だ」
バズの視線が、奥から顔を出したルカへと向けられた。
「ガンツ様、この方は?なんだか、とても……その、野生的な匂いがする方ですね」
ルカはおずおずと、ガンツの背後に隠れるようにしてバズを窺った。
「あぁ、昔の仕事仲間だ。気にするな、すぐに追い返す」
「冷てえこと言うなよ、相棒!わざわざ王都から最新の情報を持ってきてやったんだぜ」
バズは遠慮なく室内へ踏み込むと、我が物顔でテーブルの椅子にどっかりと腰を下ろした。そして、飾られていた野花と、並べられたジャムの瓶を見て、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。
「へぇ。あの『血塗れのガンツ』が、王子様とままごと遊びか。傑作だな」
その瞬間、室内の温度がわずかに下がった。ルカが、いつものヘタレた表情とは違う、どこか冷ややかな視線をバズに投げかけたからだ。
「ままごとではありません。ガンツ様は僕の命の恩人であり、今は僕を守る特別な騎士なんです。……部外者のあなたが、馴れ馴れしく彼の名前を呼ばないでいただけますか」
「おっと、これは失礼。王子様の独占欲はSSSランクってわけか」
バズは面白そうに肩をすくめると、ガンツの肩に親しげに腕を回した。
「おい、ガンツ。お前、こいつのどこがいいんだ?見てくれは最高だが、中身はただの泣き虫だろう。昔の女たちの方が、よっぽどお前の好みを分かってたぜ」
「バズ、余計なことを喋るな。……ルカ、あんたもそんなに睨むな。こいつは口が悪いだけだ」
ガンツはバズの腕を力尽くで振り払うが、ルカの機嫌は目に見えて悪化していた。金色の短髪を逆立てるかのように、ルカはガンツの隣に割り込み、バズを押し退けるようにして椅子に座った。
「ガンツ様の好みを分かっているのは、僕です!昨日の夜だって、彼は僕が淹れたお茶を美味しいと言ってくれたんです!」
「へぇ、お茶ねぇ。俺なんて、こいつと戦場で同じ寝袋に入って、一週間も風呂に入らずに温め合った仲だぜ。その絆に勝てるか?」
バズの挑発的な言葉に、ルカの顔が真っ赤に染まった。怒りか、あるいは嫉妬か。
「寝袋に、一緒に!?そ、そんなの!ガンツ様、本当なんですか!?」
「ただの暖取りだ。極北の戦場じゃ、そうしねえと凍死するからな」
ガンツは冷静に答えるが、ルカの耳には届いていないようだった。ルカは必死にガンツの腕にしがみつき、バズを強く指差した。
「でも、それは過去のことです!今のガンツ様は、僕の焼いた(少し焦げた)トーストを食べる毎日を選んだんです!あなたのような野暮な男とは、質が違います!」
「ははっ、トーストかよ。笑わせるな」
バズは腹を抱えて笑い、ガンツの古傷だらけの顔を突いた。
「お前、本当に変な奴に捕まったな。だが、まぁ……お前のその、少しだけ角が取れたような面を見てると、案外悪くないのかもな」
バズの声に、わずかながらの情が混じった。傭兵として死ぬことしか選べなかった男が、今は不器用ながらも誰かに愛され、平和を享受しようとしている。その変化を、バズは誰よりも早く感じ取っていた。
しかし、そんなセンチメンタルな空気はルカによって一瞬で破壊された。
「ガンツ様に触らないでください!」
ルカは叫びながらバズの手を叩き落とそうとしたが、案の定、自分の勢いでバランスを崩し、テーブルの上のジャムの瓶をなぎ倒した。
「あだっ!また、またやってしまった!」
「……おい!ジャムが!」
ガンツが慌てて瓶を受け止めるが、ルカはそのまま床に転がり、バズの足元に突っ込んでいた。
「情けねえ王子様だな。おいガンツ、こんなので本当に大丈夫か?」
「……俺が聞きたい」
ガンツは倒れ込んだルカを脇に抱え上げ、椅子に戻した。ルカは鼻の頭を赤くして、涙目でバズを睨み続けている。
「……悔しいです。僕がもっと強ければ、あなたのようにガンツ様と戦場で背中を預けられたのに。でも、僕は……僕は、今のガンツ様を幸せにすることだけは、誰にも負けませんから!」
ルカの宣言に、バズは一瞬だけ呆然としたが、やがて愉快そうに笑い出した。
「合格だ。お前、ヘタレだが根性はあるな。……ガンツ、こいつは本気だぜ。せいぜい食い殺されないように気をつけろよ」
バズは立ち上がり、懐から封筒を取り出してテーブルに置いた。
「これが今回の手土産だ。王宮の裏で、お前の隠居を快く思ってねえ連中が動いてる。宰相のレオンも苦労してるみたいだぜ。……じゃあな、王子様。次に来る時は、もう少しマシな茶を淹れられるようになっておけよ」
バズは風のように去っていった。
嵐が去った後の室内。ガンツは重い溜息を吐きながら、バズが残した封筒を手に取った。
「……ガンツ様。あの男、また来るつもりでしょうか」
ルカが不安そうに裾を掴んでくる。その手はまだ、嫉妬の余韻でわずかに震えていた。
「……あぁ、腐れ縁だからな。だが、あいつの言うことは気にしなくていい。俺にとって、戦場の寝袋より、この家のベッドの方がよっぽど寝心地がいいのは確かだ」
ガンツが何気なく放った言葉に、ルカの顔が再び一気に沸騰した。
「……ベッド!?それは、僕と一緒に、という意味でしょうか!」
「……寝言は寝て言え、バカ王子。ほら、こぼれたジャムを拭くぞ」
ガンツは顔を背け、耳の付け根が熱くなるのを必死に隠した。
静かに暮らしたいという願いは、こうしてまた一つ、賑やかな愛着によって塗り替えられていく。
ルカの猛烈な、そして一途な嫉妬心。それは、どんな強敵の刃よりも、ガンツの鋼の心を揺さぶる一撃となったのだった。
ジャムの甘い香りが漂う午後のひととき。新調したばかりの頑丈な玄関扉を、遠慮のかけらもない力で叩く音が響いた。
「よぉ、地獄の番犬様!息災にしてるか。例の獲物はまだ逃げ出してねえだろうな」
扉を開けるよりも早く、聞き覚えのある軽薄な声が室内に滑り込んできた。そこに立っていたのは、無精髭を隠そうともしない、薄汚れたコートを羽織った男だった。
「バズ。あんた、連絡もなしに現れるんじゃねえよ。ここは俺の家だ、酒場じゃねえ」
ガンツは嫌悪感を隠さずに鼻を鳴らした。バズは傭兵時代の相棒であり、現在は裏社会に精通した情報屋だ。戦場では幾度となく背中を預け合い、泥水を啜りながら生き延びてきた腐れ縁である。
「相変わらず愛想のねえ面だな。お、いたいた。噂のキラキラ王子様だ」
バズの視線が、奥から顔を出したルカへと向けられた。
「ガンツ様、この方は?なんだか、とても……その、野生的な匂いがする方ですね」
ルカはおずおずと、ガンツの背後に隠れるようにしてバズを窺った。
「あぁ、昔の仕事仲間だ。気にするな、すぐに追い返す」
「冷てえこと言うなよ、相棒!わざわざ王都から最新の情報を持ってきてやったんだぜ」
バズは遠慮なく室内へ踏み込むと、我が物顔でテーブルの椅子にどっかりと腰を下ろした。そして、飾られていた野花と、並べられたジャムの瓶を見て、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。
「へぇ。あの『血塗れのガンツ』が、王子様とままごと遊びか。傑作だな」
その瞬間、室内の温度がわずかに下がった。ルカが、いつものヘタレた表情とは違う、どこか冷ややかな視線をバズに投げかけたからだ。
「ままごとではありません。ガンツ様は僕の命の恩人であり、今は僕を守る特別な騎士なんです。……部外者のあなたが、馴れ馴れしく彼の名前を呼ばないでいただけますか」
「おっと、これは失礼。王子様の独占欲はSSSランクってわけか」
バズは面白そうに肩をすくめると、ガンツの肩に親しげに腕を回した。
「おい、ガンツ。お前、こいつのどこがいいんだ?見てくれは最高だが、中身はただの泣き虫だろう。昔の女たちの方が、よっぽどお前の好みを分かってたぜ」
「バズ、余計なことを喋るな。……ルカ、あんたもそんなに睨むな。こいつは口が悪いだけだ」
ガンツはバズの腕を力尽くで振り払うが、ルカの機嫌は目に見えて悪化していた。金色の短髪を逆立てるかのように、ルカはガンツの隣に割り込み、バズを押し退けるようにして椅子に座った。
「ガンツ様の好みを分かっているのは、僕です!昨日の夜だって、彼は僕が淹れたお茶を美味しいと言ってくれたんです!」
「へぇ、お茶ねぇ。俺なんて、こいつと戦場で同じ寝袋に入って、一週間も風呂に入らずに温め合った仲だぜ。その絆に勝てるか?」
バズの挑発的な言葉に、ルカの顔が真っ赤に染まった。怒りか、あるいは嫉妬か。
「寝袋に、一緒に!?そ、そんなの!ガンツ様、本当なんですか!?」
「ただの暖取りだ。極北の戦場じゃ、そうしねえと凍死するからな」
ガンツは冷静に答えるが、ルカの耳には届いていないようだった。ルカは必死にガンツの腕にしがみつき、バズを強く指差した。
「でも、それは過去のことです!今のガンツ様は、僕の焼いた(少し焦げた)トーストを食べる毎日を選んだんです!あなたのような野暮な男とは、質が違います!」
「ははっ、トーストかよ。笑わせるな」
バズは腹を抱えて笑い、ガンツの古傷だらけの顔を突いた。
「お前、本当に変な奴に捕まったな。だが、まぁ……お前のその、少しだけ角が取れたような面を見てると、案外悪くないのかもな」
バズの声に、わずかながらの情が混じった。傭兵として死ぬことしか選べなかった男が、今は不器用ながらも誰かに愛され、平和を享受しようとしている。その変化を、バズは誰よりも早く感じ取っていた。
しかし、そんなセンチメンタルな空気はルカによって一瞬で破壊された。
「ガンツ様に触らないでください!」
ルカは叫びながらバズの手を叩き落とそうとしたが、案の定、自分の勢いでバランスを崩し、テーブルの上のジャムの瓶をなぎ倒した。
「あだっ!また、またやってしまった!」
「……おい!ジャムが!」
ガンツが慌てて瓶を受け止めるが、ルカはそのまま床に転がり、バズの足元に突っ込んでいた。
「情けねえ王子様だな。おいガンツ、こんなので本当に大丈夫か?」
「……俺が聞きたい」
ガンツは倒れ込んだルカを脇に抱え上げ、椅子に戻した。ルカは鼻の頭を赤くして、涙目でバズを睨み続けている。
「……悔しいです。僕がもっと強ければ、あなたのようにガンツ様と戦場で背中を預けられたのに。でも、僕は……僕は、今のガンツ様を幸せにすることだけは、誰にも負けませんから!」
ルカの宣言に、バズは一瞬だけ呆然としたが、やがて愉快そうに笑い出した。
「合格だ。お前、ヘタレだが根性はあるな。……ガンツ、こいつは本気だぜ。せいぜい食い殺されないように気をつけろよ」
バズは立ち上がり、懐から封筒を取り出してテーブルに置いた。
「これが今回の手土産だ。王宮の裏で、お前の隠居を快く思ってねえ連中が動いてる。宰相のレオンも苦労してるみたいだぜ。……じゃあな、王子様。次に来る時は、もう少しマシな茶を淹れられるようになっておけよ」
バズは風のように去っていった。
嵐が去った後の室内。ガンツは重い溜息を吐きながら、バズが残した封筒を手に取った。
「……ガンツ様。あの男、また来るつもりでしょうか」
ルカが不安そうに裾を掴んでくる。その手はまだ、嫉妬の余韻でわずかに震えていた。
「……あぁ、腐れ縁だからな。だが、あいつの言うことは気にしなくていい。俺にとって、戦場の寝袋より、この家のベッドの方がよっぽど寝心地がいいのは確かだ」
ガンツが何気なく放った言葉に、ルカの顔が再び一気に沸騰した。
「……ベッド!?それは、僕と一緒に、という意味でしょうか!」
「……寝言は寝て言え、バカ王子。ほら、こぼれたジャムを拭くぞ」
ガンツは顔を背け、耳の付け根が熱くなるのを必死に隠した。
静かに暮らしたいという願いは、こうしてまた一つ、賑やかな愛着によって塗り替えられていく。
ルカの猛烈な、そして一途な嫉妬心。それは、どんな強敵の刃よりも、ガンツの鋼の心を揺さぶる一撃となったのだった。
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