甘灯の思いつき短編集

甘灯

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18 氷の宰相と恐れられるシルヴァリオ。星告げが導いた出会いは、王暗殺を阻止するがそれは始まりに過ぎなかった

星告げと氷の宰相【前編】

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『今宵、獅子王が死ぬ』

 薄いベールの向こう――艶やかな唇が、流れるようにその言葉を紡いだ。

 シルヴァリオは、不覚にも息を呑んだ。

 それほどまでに、その言葉は軽々しく口にしてよいものではない。

 この瞬間、一般市民の皮を剥ぎ取り、この国の宰相として――
 この不届き者に不敬罪を言い渡すこともできる。

 だが、シルヴァリオはぐっと唇を引き締めた。

 今の自分は、しがない一般市民。
 ここにはお忍びで来ている身だ。

 ――シルヴァリオ=アルトーン。

 貴族から、『氷双の裁定者』
 国民から、『氷の双剣』

 呼び名が異なれど、共通して囁かれる評がある。

 ――その氷の刃のような双眸を向けられた者は、すでに逃げ場を失っている。

 剣を振るうことなく、理の刃で人を裁つ。
 それがシルヴァリオ=アルトーンという男だった。


 そんな彼には、誰にも語らぬ密かな趣味がある。

 ――それが、星告占ほしつげうらないだ。

 シルヴァリオは、憶測で語らない。
 数多ある情報から真実のみを抜き出し、相手を射竦めるような鋭さで言葉を放つ。
 冷えきった灰の瞳は、相手の一切の隙を逃さず、妥協を赦さない。

 国王に言わせれば、『脳みそに合理だけを詰め込んだ、堅物』らしいが。

 兎にも角にも、シルヴァリオという男は、目に見えるものしか信じない、現実主義者。
 ――周囲は、そう信じきっている。

 そんな彼は今、最も縁遠いはずの場所。
 いや、相容れぬはずの場所にいた。
 
 王都・星告ほしこく通り
 占星師せんせいしに占ってもらっている最中だった。

 これが表沙汰になれば、今まで氷の刃と評された自分の立場に、一瞬で亀裂が生じ、粉々に砕け散るだろう。
 ――それだけは、是が非でも避けねばならない。

 シルヴァリオは小さく咳払いし、占星師を見据えた。

 薄く黒いベールが目元を覆っている。
 蝋燭の灯りに照らされた肌は、陶器のように白い。
 覗く頬のラインは、流れるように美しい。
 形の整った薄い唇は朱に彩られ、今は一直線に結ばれていた。

「…具体的には、何で死ぬというのですか?」

 冷たい眼差しを保ったまま、シルヴァリオは問い返す。
 彼女の微動だにしない仕草を、一つも見逃さぬよう注意深く見据えながら。

『…王に紅き果樹酒が運ばれる』
『…それは心臓を突き立てる刃』
『…身体は凍えるように冷え切り』
『そして、二度と動くことは叶わぬ』

(毒…ということか…?)

 シルヴァリオは、顎に手を添えた。

「今宵というのは、間違いないのですね?」

『今宵は――星が散る』
『空が、星を喰らう…特別な日…そう――』

「星喰いの日…」

 思わず、シルヴァリオはその言葉を口にしていた。

 占星師は、言いかけた言葉を飲み込むように静かに口を閉ざし、わずかに頷いた。

「闇に紛れるには…これ以上ない条件ですね…」

 シルヴァリオの独り言に、占星師は沈黙を貫いた。

「ちなみに…場所……」

『獅子を冠した王』
『――眠る場所は、静謐のみに満ちて』
『王の足元…音もなく絡みつく』
『二つの舌は、甘い偽りと冷たい真実をもたらす』
『そして……盃を重ねることはない』

「星のお告げはここまでです」

 予言を告げる声より――やや高い声。
 占星師は、そう言葉を締めくくった。

「……ありがとうございました」
 
 礼を述べると、シルヴァリオは席から立った。
 占星師もまた、反射的に立ち上がる。

 そして歩き出した、その次の瞬間――かすかな抵抗が足元に伝わった。
 
 シルヴァリオは、迂闊にも占星師のローブの裾を踏みつけていた。
 占星師は体勢を崩し、その拍子に、長いベールがふさっと落ちる。
 
 ――蠟燭の灯火が、大きく揺れた。

 シルヴァリオは、咄嗟に彼女を支える。
 その瞬間、彼女の素顔が露わになった。
 
 ――息をするのも忘れ、その黄金色の瞳に魅入られる。
  
 占星師は彼の胸元を強く押し退け、咄嗟に距離を取った。
 そして袖で顔を隠しつつ、足元に落ちたベールを拾い上ると、すぐ被り直す。

「し、失礼!」

 シルヴァリオが慌てて謝罪するが、

「……もう、お帰りください」

 彼女の口から発せられたのは、あまりにも冷淡な声音だった。

 ――拒絶。

 シルヴァリオは言葉を失い、もう一度、深々と頭を下げる。

 そして何も言わぬまま、天幕の外へと姿を消した。



   ◇ ◇ ◇



「絶対、見られたわ…」

 占星師―ルル=アストレイア=ノクターンは、深くため息をついた。

「まだ分からないでしょう」

 布を針で縫いつけながら、叔母―カミラが楽観的に言う。

「目が、合ったもの……一瞬だったけれど」

 その気休めの言葉を素直に受け取れず、ルルは崩れ落ちるように丸椅子に腰を下ろした。

「この瞳を……見られた……」

 思わず俯く。

 ――その瞳は、輝くような黄金色だった。

「…星詠ほしよみが姿を消して、もう久しいわ」
 
「でも―」

 ルルは、天幕での出来事を思い返す。 

「……あの『氷の双剣』なのよ」

 貴族からも、市民からも、恐れられるあの宰相が、まさか占いに訪れるなど夢にも思わなかった。

「……最悪だわ」

「私たちは決して罪人ではないわ。 それに宰相様は、理不尽なことで断罪するお方ではないはずよ」

 カミラの言葉は、理屈として納得できるものだった。

 宰相―シルヴァリオ=アルトーンは、平民であろうと、己より高い身分であろうとも、等しく裁く。
 
 恐れられる一方で、市民からの信頼もまた、確かなものだった。

「――ルル」
 
 名を呼ばれて、ルルは顔を上げる。

「誇りを、忘れては駄目よ」

 その言葉に、ルルは自然と背筋を伸ばした。

「もちろん。私たち――星詠の誇りは決して忘れないわ」

 強い眼差しで、窓の外を見る。
 昼間でも星が見えるはずの空は、漆黒に染まっていた。

「――星喰い」

 小さく呟いた声は、静かに、夜空へと溶けていった。



   ◇ ◇ ◇



 葡萄酒の入ったカラフェを抱え、女は静かに寝室へ足を踏み入れた。

 (現国王の部屋にしては……随分と質素ね)

 さり気なく視線を巡らせる。
 
 獅子王と冠される現国王―レオン=レオニス。
 太陽のような華やか容貌を持つ王の私室にしては、あまりにも飾り気がない。

「ん? 誰かいるのか」

 天蓋もない寝台の上で、気だるげに横になっていたレオンは、のっそりと上体を起こした。

「はい。お休み前のお酒をお持ちしました」

 女は艶を含んだ声で、穏やかに告げる。

「そうか」

 近くへ来るよう促され、女はしずしずと王のもとへ歩み寄った。

「見ない顔だな。新入りか?」

「はい」

「座ったらどうだ」

 物腰柔らかい声音に促され、

「失礼いたします」

 女は、レオンの傍へと腰を下ろした。
 
 雑談を交えながら、女はカラフェを傾け、葡萄酒を硝子の杯へ注ぐ。
 小刻みの良い小さな音を立てながら、杯は深い赤に満たされていった。

「硝子製とは、珍しいな」

 レオンの何気ない一言に、女の手が一瞬だけ止まる。
 内心の動揺を押し隠し、妖艶な微笑みを浮かべる。

「はい……葡萄酒の色合いを、ぜひ楽しんでいただきたく」

「ほう」

 杯を受け取ったレオンは、それを燭台の灯りにかざす。
 茶を含んだ深い赤が、指先の動きに合わせて静かに揺れる。

「なるほど。お前が見せたくなるのも分かる。いい色合いだ」

 満足げに頷くレオンに、

「そう言っていただけて……とても光栄ですわ」

 女はそう応じた。

 そして逞しい胸元へゆっくりと手を這わせながら、女は切り込みの入った薄布の隙間から、すらりとした脚を覗かせる。
 蠟燭の灯りに照らされ、滑らかな肌が艶やかに光を帯びた。

「味の方も申し分ございません。どうぞ……召し上がってください」

 身を寄せ、耳元で囁く。

「そうだな」

 レオンは頷き、硝子の杯を傾けながら、口元へと運んだ。

 女は、内心ほくそ笑む。

 その時。

「――それを、こちらへ」

 静寂に溶け込むような、低く静かな声が背後から落ちた。
 
「……!」

 女が、弾かれたように振り返る。

 ――そこに立っていたのは、燭台を手に持ったシルヴァリオだった。

「リオか、どうしたんだ?」

「その杯を、置いていただけませんか」

 言われたまま、レオンは寝台脇の卓へと硝子の杯を置いた。 
 
 それを確かめると、シルヴァリオは静かに歩み寄る。
 燭台を卓に置き、代わりに、そこにあった空の銀杯を手に取った。

 ――女の目が、わずかに見開いた。
 
 それの変化を横目に捉えながら、シルヴァリオは葡萄酒を銀杯へと注いだ。 

「――ご覧ください」

 そう告げると、再び葡萄酒を元の杯に移し、空になった銀杯を差し出す。
 
 促され、レオンは杯の中を覗き込んだ。

 ――銀の杯は、黒ずんでいた。

「……ほう」

 レオンは驚いた様子も見せず、ただ静かに呟いた。



   ◇ ◇ ◇



「占星師殿。貴女の言葉がなければ、陛下は今頃……感謝いたします」

 天幕の中へ入るなり、シルヴァリオは深々と頭を下げた。

「私は、星の導きを詠んだに過ぎません。礼など不要です」

 ルルは椅子に腰掛けたまま、視線を向けずに言い放つ。

「それでも、私は礼を言いたかったのです」

「では、その用はもう済んだことでしょう。どうぞ、お帰りください」

 あけすけな拒絶を滲ませ、入り口へと視線を移す。
 しかし、シルヴァリオは立ち去ろうとはしなかった。

「もう一つ。……先日は失礼いたしました」

 その一言で、彼が何を詫びているのか悟る。

「気にしていません」

 短く返した、その直後。

「あなたが“星詠”であることは、承知しています」
 
 ルルは思わず、息を吞んだ。

「貴女が星詠の一族であろうと、それは過去のことです。
 それを理由に、貴女を非難するつもりは毛頭ありません」
 
 その言葉は、ルルにとって思いもよらないものだった。
  
「それだけお伝えしたかったのです。………では、失礼します」

 一礼を残し、シルヴァリオは身を翻した。
 声をかけることもできないまま、ルルはその背を見送る。

 その時。

 あらゆる音が、すっと遠のいた。
 まるで不可視の壁に隔たれたように、世界が静まり返る。
 研ぎ澄まされた耳が、ひとつの音を拾い上げた。 
 
 キィィン……
 
 音叉を打ち鳴らしたような、空気の震え。
 
 ――星告げが降りる。

「……待って」

 制止するその一言に、シルヴァリオは足を止め、振り返った。



   ◇ ◇ ◇



『終焉は、まだ遠い』
『闇はなお、獅子の足元で蠢く』

 書物を捲る手を止め、シルヴァリオは星告げの言葉を反芻した。

 ――まだ、終わっていない。

 占星師の星告げを鵜吞みにしたわけではない。
 ただ、合理的に否定できないものも含まれていた。
 
『今宵、獅子王が死ぬ』

 獅子王が、現国王レオン=レオニスを指すことは、即座に理解できた。
 
 あの時に告げられた言葉を繋ぎ合わせれば、導き出されるのは――

 「星喰い日、国王は毒によって命を落とす」

 という結論だった。

 星詠という名が薄れるにつれ、星告げは信憑性を失い、いつしか占いという迷信へと変質していった。
 だが、星詠という存在そのものが、消えたわけではない。
 
 占星師の素顔を見た、その瞬間――
 金色の瞳を目にして、彼女がその星詠の血を引く者だと確信した。 
 
 星詠の中でも、金色の瞳を持つ者は極めて稀であり、他と比して、予言の精度は段違いに高いと伝えられている。

 かつての王が星詠の一族の者から妃に迎えた際、選ばれたのもまた――金色の瞳を持つ女だった。
 
 表向きの歴史では、その妃の予言はすべて外れたと記されている。
 
 ――だが、真実は異なる。

 シルヴァリオは、再び書物へと視線を落とした。

 占星師の星告げを半ば受け流していた彼でさえ、彼女が星詠だと分かった瞬間、その星告げの信憑性を無視できなくなった。

 さらに、あの言葉。

『――眠る場所は、静謐のみ満ちて』

 現国王は、華やかな容姿に似合わず、実際には質素で倹約家な生活を好む。

 ――それを知る者は、ごく限られていた。

 星告げの言葉は、一般的には知られていない王の寝室の在り方と一致していた。
 とはいえ、それはあくまで“調べるきっかけ”に過ぎない。
 確証を得るため、シルヴァリオは星告げの言葉を手掛かりに調査を進めた。

 だが、今回に限っては時間が迫っていた。
 本来行うべき綿密な裏取りは、十分とは言えない状態だった。
 そのため彼は、他者から受け取ったものを口にしないよう、王に進言した。
 
 結果として、女が運んだ葡萄酒をその場で調べることで、動かぬ証拠を掴み、未然に事を防ぐことができた。

 そして、今回の星告げは、女の単独の犯行ではないことを明確に示している。
 
 ――闇は、なおも蠢いている。
 ――獅子の足元で。

  
 
 文字を追っていたシルヴァリオの視線が、一点に止まった。
 そして綴られたその名を、無意識に指でなぞる。



   ◇ ◇ ◇


「……」

 窓辺の椅子に腰を下ろし、ルルは夜空を見上げていた。

 ――また、星告げが降りた。

 再び、王の暗殺を示唆するものだった。

 現国王は、国民に重い税を課すことはない。
 他国との関係を積極的に築き、貿易に力を注いでいる。

 砂漠地帯に位置するこの国は、作物の生産に適していない。
 その代わり、石や金属を加工する技術が発展してきた。
 
 ――自国の産業を、他国に売り込む。

 閉鎖的だった国の在り方を変えた現国王の政策は、称賛を集める一方で、保守派から反感も買っていた。

 ――何事にも、光と影はある。

 それは、星詠とて同じこと。

 かつては、神聖な存在として敬われていた。
 だが今では、忌むべきものとして疎まれている。
 
『貴女が星詠の一族であろうと、それは過去のことです。
 それを理由に、貴方を非難するつもりは毛頭ありません』

 シルヴァリオの言葉が、静かに――ルルの胸に沁み込んだ。



 ◇ ◇ ◇



 翌日。 

「あの人に……ひどい態度を取ってしまったの」

 ルルは、胸の内をカミラへ打ち明けた。

 ――自分の振る舞いは、あまりにも身勝手だった。

 たった一言で、彼への見方が大きく変わった。
 あれほど冷たい態度を取っておいて、今さら悔いるなど、あまりにも調子のいい話だ。

「それで、どうしたいの?」

 縫い物の手を止め、カミラが穏やかに尋ねる。

「……謝りたい。でも……」

「謝ることは、決して恥じではないわ」

 俯いたルルに、カミラは静かに言い聞かせる。

「かつての星詠の民は、気高い誇りを持って人々を導いていた」

 カミラは、窓の外へ視線を移し、そのまま言葉を継いだ。 

「星の声を聞き、人を導く。それが我々の誇りだった――
 …いいえ、今の私たちにも、きちんと受け継がれているわ」

 一拍、置いて。

「謝ることは、決して我々の誇りを蔑ろにする行為ではない。
 それをそう思うのは――ただの“思い上がり”よ」

 ルルは、はっと顔を上げた。

「私たちは星神ではないの。
 ……時に、道を踏み外すことだってある、ただの人間よ」

「………」

「だから、恐れずに。――自分の考えに従いなさい」

 そう言って、カミラは柔らかく微笑んだ。

 ルルに小さく頷き、椅子から立ち上がる。
 
「………カミラ叔母さん、ありがとう」

 その言葉を残し、ルルは静かに部屋を後にした。



  ◇ ◇ ◇



『…あやまつ星。それはいずれにせよ、流れるもの』

 “星預ほしあずかり”は、暗がりでそう呟いた。

「どういう意味だ……」

 男は、片眉を吊り上げ、低い声で問いただす。

「こうなることは、想定内だった――それだけのこと」

「……次はどうなる」

 不服そうに腕を組み直し、男は苛立ちを隠さぬまま、二の腕を指先で小刻みに叩いた。

『氷の刃…闇に近づく』

「…っ!」

 男は息を詰め、忌々しげに名を吐き捨てる。

「……シルヴァリオ=アルトーン!!」

 それだけ言い残し、男は早足に部屋を後にした。

『――太陽は、不変の輝き』

 星預の言葉は、なおも続く。

『……そして、黄金の星は、変化を望む』

 星預は、窓の外へと視線を向ける。

「私は…認めない」

 その呟きは、夜の闇に溶けるように消えていった。


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