甘灯の思いつき短編集

甘灯

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14 臓器移植のドナー家族となった『響』。ある夜、彼は屋上に佇む一人の女性を救う。

紡ぐ心音のしらべ

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ひびき、これ見てよ!』

 長期休みで帰省してきた姉は、帰って来て早々に自慢げにある物を見せてきた。
ソファで寝そべっていた響は気怠けだるさそうに上体を起こしてそれを受け取る。

『運転免許の一発試験って合格率かなり低いんだろう?姉貴よく受かったな』

『ちょっと、それ!どういう意味よ!』

『…褒めてるだけじゃん』

 急に怒りだした姉にやれやれと思いながら、響は真新しい運転免許証をしげしげと見た。

(……証明写真ってマジで写り悪いんだな)

 姉に言ったら更に怒らせることになるので、響は内心思うだけに留めた。
そして何気なく運転免許証の裏面をひっくり返し、そこに書いてある【臓器提供意思表示】の欄が目に止まった。
空欄部分は姉の字で既に埋められている。

それ・・ね、日本は臓器提供しようとする人がとても少ないのよ。仕組みをよく知らないから、関心が無いとかの理由が多いらしいけど。響、あんたは臓器提供するために必要な条件ってなんだか知ってる?』

『条件ってこれだろ?…臓器提供の同意を証明したやつ』

 響は持っていた姉の運転免許証を軽く掲げながら答えた。

『あんた、ちゃんとその内容を理解してる?』

『…え』

 姉に詰め寄られて、響は言葉を詰まらせた。

『…「脳死後及び心臓が停止した死後の移植のための臓器を提供」ってあるでしょ?生体移植ーー腎臓なんかは生きた人から臓器をもらえるけど、それができない臓器…例えば一つしかない心臓の場合だと脳死した人からの提供になるの』

『脳死ってさ…植物状態と同じだろ?』

 響が思ったまま尋ねると、姉から大きなため息が返ってきた。

『…あんた、脳死と植物状態を一緒だと思ってるの?まったく違うわよ、植物状態は脳幹ーー呼吸、心拍などを司る自律機能がちゃんと働いている状態なのよ。だから自力で息ができるし、心臓も動く。でも脳死の場合はその脳幹を含めた脳全体が機能を失っている状態なの。だから回復する見込みはまずない。脳幹って司令塔のような役割を果たしてるからそれが機能しないとなると他の臓器はなんの指示を受けられず機能が徐々に低下していく。そして最終的には完全に機能しなくなるのよ。例え人工呼吸器をつけたとしても数日で亡くなることになる』

『そ、そうなのか。なんというか、脳死ってさ…“脳だけ寝ている状態”なのかと思ってたよ』

 姉の話を聞き、響は自分が思ってたことがまるで違っていたことに恥ずかしさを覚えた。

『そう思う人は多いかもね。でも違うのよ。…で、最初の話に戻るけど、意思表示と脳死が臓器提供するための条件なの。あ、そうそう、国によっては脳死の診断する基準が少し違うのよ。海外の多く国では脳死=人の死として扱われるんだけど、日本の場合は臓器提供をする前提がない限り、脳死として正式に診断をされないの』

『……言ってる意味がよく分かんねぇ』

『脳死は人の死と同じ意味だということは理解したわね?』

 姉の問いかけに、響はコクっと頷いた。

『要は臓器提供をするためには生きているうちに『死の診断』を受ける必要があるのよ。そういう状態じゃないと“一人に一つしかない”心臓移植の場合なら話が先に進まないでしょ。だから、日本では臓器提供を前提として脳死の診断が行われるの。今の現状では最終的に脳死の診断を受けさせるか、否かは当事者の家族に委ねられてる状態なんだけどね』  響は言葉を失った。つまり死の判断を最終的に下すことになるのはあくまで家族なのだ。それはあまりに残酷な話である。

『臓器提供を考えてみて。…他人に自分の臓器を譲ることに抵抗を持つ人は多いの。そういう背景もあるから本人が良くても家族がしたがらない場合も多い。それに、あんたみたいにきちんと理解してない人も多いのよ。だから日本の臓器提供者は本当に少ないわ…』

 響はなんだ自分が責められた気がして、居ずまいを正した。

『そうだな…姉貴が言ってくれるまで、なにも知らなかった』

『……私は何も知らないからって救える命が奪われてしまうのが嫌なのよ。私は臓器提供についてきちんと理解している上で意思表示しているわ』

 姉はそう言って、響から運転免許証を奪い取った。

 姉は医療従事者だ。
人を救うことに使命感を持つ姉らしいと言えば姉らしい言葉だと思った。

『だからもし私が脳死になったら、私の意思を尊重して臓器提供をさせてほしいの』

 姉の決意表明に、響は何も言い返せなかった。

『でもまぁ、実際これが役に立つ状況はまず来ないと思うけどね』

 姉はそう言い終えると、響に笑いかけた。

    ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇    

(姉貴。そうは・・・言ってたけどよ。まさかの状況になったよ)

 響は心の中で姉に語りかけると、テーブルの上で組んだ自身の指にグッと力を入れた。
向かい合わせに座っている母は傷心しきった顔のまま、静かに俯いている。
片親の辛さを微塵も感じさせないほど、いつも明るく振る舞っていた母親。
そんな母親の悲痛な顔を一度も見たことなかった響は居たたまれない気持ちになって、再び自身の手元に意識を向ける。
姉が交通事故に遭い危篤だということは親族と姉の親しい関係者たちには既に知らせている。
今、待合室にいるのは響と母だけ。
父親は、響がまだ小学校の低学年の時に家を出て行ったきり行方知らずだ。
父親はろくに働きもせずにいつも家に居て、パート勤めだった母からお金をせびってはパチンコに出掛けていくような“ろくでなし”だった。
ギャンブルの借金があり、もしかしたら家族を捨てて自分だけ逃げようとして、取り立てに捕まり、借金返済の為に過酷な遠洋漁業へ放り込まれたかもしれない。
散々、母に苦労ばかりかけてきたクズな父親だ。
今どこにいようが、生きていようが死んでいまいが響は正直どうでも良かった。

(……姉貴だって、今更会いたいって思ってねぇよな)

 父親の事を考えると、無意識に組んでいた指を解き、きつく拳を作っていた。

ーーもし、ここにひょっこりと父親が姿を現したら、その顔面つらを殴りかねない。

 そんなことを思いつつ、響は心を落ち着かせようと自身の拳の上にもう片方の手を重ねるように置く。そして深く息を吐き出しながら、拳を作った手の甲をそっと撫でた。

「そろそろ…2回目の判定検査の時間ね…」

 母の疲れ切った言葉に、響は弾かれたように壁時計を見た。
それとほぼ同時に待合室のドアが控えめにノックされた。

 医師二人が立ち会いのもと、ベッドで横たわっている姉の2回目の脳死の診断が下された。それを聞いた途端、母は姉の上半身にすがりついて、声を上げて泣き出した。

ーーー延命か、提供か…

 医師から厳しい2択を突きつけられた。

 姉が臓器提供を希望していたことは運転免許証の意思表示の欄と姉本人の口から聞き、確かだ。
だから響たちは姉の意思を尊重し、臓器提供に同意した。
それでも目の前の姉はまだ生きている状況。
それなのに死の宣告をされるのは、以前姉が言ったときに思った感情よりもなお辛く、そして受け入れ難いものだった。
嗚咽を漏らす母の姿を見るのはとても辛い。
それでも今は自分がしっかりしないといけない。
響は姉に泣きつく母の両肩をそっと掴んだ。
そして姉の身体からゆっくりと母を引き剥がす。
響は最後に姉の眠る顔を無言で見つめた。

「…お願いします」

 響は医師達に頭を下げると、母を支えながら処置室を出た。

 



 それから一年。
姉の一周忌が終わった頃に移植を受けた患者から一通の手紙が届いた。

 ドナー家族と移植を受ける人『レシピエント』が直接会うことは出来ない。
その代わり、レシピエント側からドナー家族へ間接的に手紙を渡すことは容認されていた。
ドナー家族にとって、亡き家族の臓器を移植された患者への関心は高い。
直接、移植された患者に会いたいと願う人達は多いだろう。
今後の彼らの人生に関わり、側で見守りたいという気持ちもあるに違いない。
しかし、レシピエント側にとって、それが大きなプレッシャー・・・・・・になることだってある。
お互いに「どんな人なんだろう」という関心はあっても、過度な関わり合いにならない方がいい事もある。
『会えない』という決まりは賛否両論あるが、響はそこに関して関心が湧いてこなかった。
届いた手紙から分かったことは、姉の心臓を移植されたレシピエントの年齢が10代後半だということだけだった。丸みの強い可愛らしい直筆の文字だと思った。
それだけで手紙を読んでも内容がまったく頭に入ってこず、こんな感想しか出てこない自分は薄情者なのかもしれない。

ーーそれとも姉の死を受け止めきれずに、他人事のように思ってしまっているだけなのだろうか

 一方の母はその手紙を何度も読んでは泣いていた。

(いつか、俺も泣ける日が来るのか…?)

 響は姉が死んで以来、一度も泣くことが出来ないでいた。




    ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇     




 それから数年後。
年月が流れて、当時大学生だった響は気づけば30歳近くになっていた。
当時は姉の死のショックのせいで体調を崩してしまった母親に代わり、響は大学を辞めて地元を離れた他県にある鉄鋼工場に就職した。
働きに出たばかりの頃は母の事は叔母に任せきりだった。
今現在は母の体調もすっかり回復し、以前のように仕事復帰している。
それでも響は月に一度必ず仕送りをしていた。

「ふぅ…」

 仕事を終えた響はいつものように自宅アパートのベランダに出て一服する。
大きな道路を挟んだ向かいにそこそこ高いマンションが立っていた。
2年ほど前に建てられた比較的新しいマンションだ。
住み始めた頃はそこは更地で月がよく見えたものだが、今はろくに見えない。
響はそれでも垣間見える夜空を飽きずに見上げる。
夜空を少しばかり引っ掻いたような薄い三日月がぼんやりと浮かんでいた。
その仄かな月明かりに照らされたマンションの屋上に人影が見えた。

「ん…?」

 響はよく目を凝らす。
やや高くなったコンクリートの縁にやはり人が佇んでいた。
シルエットになって顔は分からないが、風に揺れる長い髪と華奢な背格好からするとどうも女らしい。
夜風に当たりに屋上に来たマンションの住人だろうか。
それにしては今にも落ちそうなほど縁のぎりぎりの位置に立っている。
響は嫌な予感がした。
それが現実味を帯び、女性の靴先はせり出した縁からじりじりと宙へ出ようとしている。

「おい…マジかよ…」

 響は思わず声が出た。その拍子に口に咥えていたタバコがベランダの床に落ちる。

「…たくっ!」

 響は舌打ちをして、慌てて部屋を飛び出した。




「ああ…本当についてない…全然良いことないし…なんで私生きてんだろう」

 女性は下を見ながら、無気力に呟いた。
そのまま女性が片足を完全に宙へ投げ出そうとする。
そこへ間一髪やって来た響が、後ろから彼女の腰に手が回しながら思いっきり後方へ引いた。

「きゃ!」

 そのまま二人は後ろに倒れ込んだ。

「いってぇ…。おい!何やってんだよ!!」

 女性を前に抱きかかえた状態でコンクリートに尻餅をついた響は痛みに顔を顰めながら怒鳴り声を上げた。
響のあまりの剣幕に、女性は抱きしめられまま小さく身を縮こまらせた。

「……ご、ごめんなさい!」

 女性は我に返り、うっすらと目に涙を溜めながら謝ってきた。

「『ごめんなさい』じゃねぇ!!てめぇよ、自分の命だからってやって良いことと悪いことがあんだろうよ!ここまで育ててくれた親に申し訳ねぇって思わねぇのか!?」

「……そ…それは……思います…」

 女性が泣いていても関係ない。
響の怒気をはらんだ言葉に、女性は弱々しく返した。

「てめぇを1人前に育てるのに親がどんだけ苦労したと思ってんだ!!今何歳になるか知らねぇが、こんな一瞬で死なれたら親が不憫ふびんで堪らねぇよ」

「…はい……すみません…」

「ったくよ……」

 響は謝ってばかりの女性に対して苛立って自身の頭を乱暴に掻いた。

「おい、あんたら、こんな所で何してるんだ」

 その時、背後からライトで照らされた。
響が振り返ると、そこには管理人らしい年配の男が懐中電灯を片手に持ち、こちらに向かって不審を滲ませた顔をしていた。
しかし二人の密着した今の状態はどう見ても親し気な『カップル』だ。
なんだか腑に落ちた管理人から露骨な溜息をつかれた。

「いちゃつくなくなら、自分の部屋でやってくれよな」

「ち、違います!!」

「ああ…すんません」

 管理人に誤解されたと気づいた女性は慌てて立ち上がって、すぐに否定した。
一方の響は弁解するのが面倒になって、なんの反論を返さずに、のそっと立ち上がってズボンの汚れを手で払った。

 結局、管理人からここから出るように促された響たちは大人しく屋上から出た。




「本当にすみませんでした…ご迷惑をおかけしてしまって。仕事がうまく行かなくって…彼氏にも振られちゃって…自暴自棄になってました」

 女性は響から奢ってもらったペットボトルのお茶を両手で包み込むように持ったまま沈んだ声で謝罪をした。
響と女性はマンション近くにある公園の自販機前に移動していた。

「くだらねぇ理由だな」

 響は女性の言い分を有無言わさずバッサリと切り捨てた。

「そうですよね。…どうかしてました」

 女性はぐうの根も出ず、ただただ深く俯いた。

「あんた、名前は?」

 また謝られて堂々巡りは御免だと、響が何気なしに名前を聞くと女性は目を大きくさせた。

「…あ、明日香あすかです」

「ふーん」

 響は自分で聞いておきながら適当な相槌を打った。

「あの…貴方の名前を伺っても…いいですか?」

「響」

 しばらく二人の間になんとも言えぬ気まずい空気が流れた。

「…俺の姉、25歳の時に死んだんだよな」

 気がついたら、そう話を切り出していた。

「え…」

「まだ若いだろう?事故に遭って脳死の診断を受けたんだよ」

 女性ーー明日香は口を開きかけたが、何も言葉が出なかったのか静かに口を噤んだ。

「それで臓器提供をしたんだ。姉の意志だったし…」

 明日香は息をのんだ。

「俺の姉貴は誰かのためになって死んだ。それは無駄死じゃねぇ。それだけが救いだな」

 響はそう言って、ペットボトルの水を一気に喉に流し込んだ。

「でもな、あんたがさっきしようとしたのは無駄死以外のなにものでもねぇよ。くだらねぇ理由で死ぬのだけはやめておけ」

「…はい」

「んじゃ、俺はもう帰るわ。朝早いし」

 響は空のペットボトルをゴミ箱に投げ込むと、スタスタと歩き始めた。

「さ、先ほどは、本当にすみませんでした!」

 明日香は響の後ろ姿に向かって深々と頭を下げた。




    ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇




 その日、いつものように仕事を終えた響はコンビニの袋を手に持って家路に向かっていた。

「響さん!」

 突然呼び止める声に、響は辺りをキョロキョロと見渡す。
すると歩道橋の階段を下り立った明日香が、響の前にやって来た。

「…あんたか」

「この前は…ええっと、ご迷惑をおかけしてしまって……本当にすみませんでした!」

 前にも聞いた彼女の言葉に、響は内心うんざりした。

「別に」

 仕事帰りで疲れ切っているせいもあって、響のテンションはいつもより低かった。
素っ気ないのは通常運転であるが、それを知らない明日香は少し戸惑ったように視線を彷徨わせる。

「それで…その…お礼をしたいんですが…」

 明日香は消え入りそうな声で言った。

「んなの、気にすんな」

 響は即座に断った。

「いえ!それでは私の気が済まないので、一度だけでも食事を奢らせてください!!」

 明日香は勇気を振り絞って、食事に誘ってきた。

「そう言ってもな。俺、もう夕食買ってるんだわ」

 響は手に持っていたビニール袋を、明日香に見えるように目線近くに掲げた。

「そ、それなら!明日にでも!!」

 明日香はめげずに誘ってくる。奢ると聞いて悪い気はしないが、まったく乗り気がしなかった。

「お願いします!!」

 うまく断る言葉はないかと考えあぐねている響に、明日香は尚も食い下がってくる。
しばらく不毛なやり取りが続き、響は仕方がなく自分が折れることにした。

「…わかった」

 響がそう答えると、明日香は顔を明るくさせた。

「良かった!じゃあ、明日この時間、ここで待ってますね!!」



 次の日の夕方。

「あの…本当に定食屋ここで良かったんですか?」

「ああ…安いし早いしな」

「もっと高いお店でも良かったんですよ?」

「いいって、俺はここの生姜焼き定食が好きなんだよ」

「そうでしたか!」

 それを聞いた明日香はホッとしたようだ。
二人の前に注文した料理が置かれる。
明日香の前に置かれたのはケチャップがたっぷりかかった昔ながらのナポリタンだった。

「私、ナポリタン大好きなんです」

 明日香はおもむろにテーブルに置かれていた割り箸を手に取った。

「…箸で食うの?」

「あ」

 響に指摘されて、明日香はピタッと手を止めた。

「実家にいた時からの癖で…ナポリタンはお箸使っちゃうんですよね…」

 明日香は苦笑した。

「ふーん」

 響は興味なさそうに相槌を打ったが、内心はとても驚いた。
その癖が、死んだ姉とまったく同じだったからだ。

そして“毎度それを指摘すると、姉は決まってこう言っていた”

『だってナポリタンって日本が発祥なのよ?日本人が開発したんだから別にお箸で食べても可笑しくないでしょ?』

「でもナポリタンって日本発祥ですし、別にお箸で食べてもいいと思うんですけど…変でしょうか?」

 姉の言葉を重ねるように言った明日香に、響は思わず彼女をまじまじと見た。
明日香は不思議そうな顔に小首をかしげる。

「?どうかしました?」

「いや…なんでもない」

「でも、この癖は昔からではないんですよね」

 明日香は何気なくそう言った。

「…そうなのか?」

「はい。…響さんがお姉さんのお話をした時に言おうか、迷ったんですけど…私、実は心臓移植手術をしているんです」

 明日香の告白に、響は息をのんだ。

「退院した時に真っ先にナポリタンが食べたくなったんです。…そこまでナポリタンが好きでもなかったのに。それで、その時に思ったんですよね。ドナーの方の好きな食べ物がナポリタンだったんじゃないかって。そういえばお箸を好んで使うようになったものその頃かも…」

「そんなこと、あるわけ…」

 明日香の言葉に、響は思わず反論しようとした。

「移植を受けた人がそのドナーになってくれた方の趣味趣向に似てくるって話を聞いたことないですか?」

「…いや」

「私はあり得る話だと思うんです」

 響の言葉を遮るように、明日香は静かに続ける。

「だからたまに…自分が自分じゃない不思議な感覚に陥ってしまうことがあって…自分の意志なのか分からなくなって…とても怖くなるんです…そうなると情緒不安定になってしまって…」

 明日香の言葉に、響は不快感を覚えた。

「じゃあ、なにか?ドナーになったやつの…魂か、何かが、あんたに乗り移ったとても言うのか?それに苛まれて嫌気がさして、だからあの時に死のうとしたのか?…………馬鹿馬鹿しい」

 響は怒りを露わにしたまま椅子から乱暴に立ち上がった。

「…ごちそうさま、そろそろ行くわ」

 明日香の願いはもう叶えたのだから、これ以上ここにいる必要はない。

「あ、響さん!!」

 明日香が呼び止めるのを無視して、響は店を後にした。

(……趣味趣向が似てくる?)

(アホくせぇ)

 明日香が何気なしに放った言葉を、響は一蹴しようとした。

 生前、姉はナポリタンが大好きだった。
日本発祥だからというよく分からない自分のポリシーでナポリタンを食べる時は必ず箸を使っていた。
明日香が言った言葉が、どうして姉の言っていた言葉と重なってしまうのか。

(………馬鹿馬鹿しい)

 ふと頭に浮かんだ思考を払拭するように、響は頭を振った。

「響さん!!」

 慌てて支払いを済ませてきた明日香が後を追ってきた。
響は足を止めずに無視を決め込んだ。

「待って!」

 追いついた明日香が響の手を掴む。

「一言だけ…言わせてください…」

 明日香は息を切らしながら切実な顔をしていた。
響は足を止めて、明日香を見下ろす。

「不快なことを言ってすみません。さっきは怖いって言いましたが…それだけじゃないんです。同時に心強さも感じているんです…一人じゃないってそう思えるから…死のうとしてたのに…めちゃめちゃなこと言ってますよね…私…」

 明日香は響の手を掴んだまま、もう片方の手で苦しそうなに胸を抑える。

「でも……昔からどうせすぐ死ぬんだって思って入院生活を送っていたんです…思いっきり走ることもできなくって…発作を起こす度に今度こそ死ぬって思って、いつ発作が来るのか毎日とても怖くって…。でも、ドナーが現れて手術が成功して、健康体になったらやりたい事が出来るようになって、とても前向きになれたんです」

 明日香の手を振りほどくこともなく、響は黙ったまま話を聞いた。

「きっと、この良くない感情は私自身の心の弱さの現れなんです。…それを見えない他人のせいにしようとしてた…」

 明日香は目を伏せる。

「ごめんなさい。…まるで響さんのお姉さんやドナーになってくれた方の善意を否定するようなことを言ってしまいました。そうじゃないのに…私は生かされている存在なのに…こんなことを思ってしまって…命を絶とうとまで…しようとして……」

 明日香は生かされている人間として、その意思に苛まれていた。

「もういい。ドナー家族に対して…その人の命を奪ったような負い目を感じてたんだろう?…ドナーになった人の分まで立派に生きないといけない…って変なプレッシャーも感じてよ」

 当事者じゃないが、響だって臓器提供をさせるために姉の命を奪った点では同じだと言える。
まるで見透かしたような響の言葉に、明日香は下唇を噛み締めて深く頷く。

「はい。…でも思うように行かなくって…大学受験一回落ちてしまって…浪人しちゃって…就職しても人間関係と慣れない事ばかりで失敗ばかり…せっかく出来た彼氏に胸の手術痕を見せたら…やっぱり無理って言われて。この心臓をくれた人の人生も私は背負ってる…だから頑張らないといけないのに…こんな落ちこぼれの私をドナーになってくれた家族の方はきっと許してくれない。生かされてるのに辛いって言ったら駄目なんだって、ずっと思ってて…」

 明日香の目から溢れた涙が、ぽた、ぽたとアスファルトに黒いシミを作っていく。

 自分はそんな優れた人間ではない。
しかし周囲の人間はそれを許さないと思った。
他者の犠牲の上に、自分は生かされている。
ドナーが見つからず死ぬ人が多くいるなか、ドナーが見つかった自分はとても幸運だった。
でもドナーが見つかって嬉しい反面、幸運を掴めなかった人たちに申し訳ない気持ちもした。
なおさら、同じ境遇の人たちに『自分が移植を受けるに値する人間である』と認めてもらわないといけないと思ったのだ。

「…そんなことねぇよ、あんたの人生はあんただけのものなんだ。ドナー家族に…誰かに負い目なんて感じる必要は一切ない。弱音も吐けよ。別にあんたの人生なんだからあんた自身がどう思おうと勝手で良いんだ。……ただな、どんなに無様でも『生きてほしい』それが、俺ら…ドナー家族が、あんたに望む唯一の願いなんだよ」

 明日香の頭を不器用な手つきで撫でながら、響は晴れやかに笑った。

「あんたが生きている…それだけで皆の希望になるんだよ」

 響の飾らない笑みに、明日香は再び涙が零れそうな目元をゴシゴシと袖で拭った。

 皆が響と同じ意見だとは思わない。
でも少なくとも、響はそう思ってくれる。
一人でもそう思ってくれる人が居るのなら、自分は前に進める。

「ありがとう」 

 明日香はつきものが取れたような、明るい笑顔を見せた。




           ・
           ・
           ・




 それからさらに数年後。
明日香が友達宛に書いていた年賀状を盗み見て、響は懐かしい気持ちになった。
彼女が書いた『ある文字』に見覚えがあったのだ。
明日香は自分で書いた苗字を見て、結婚した実感が湧いてきたらしく、『えへへ』と嬉し恥ずかしそうに頬を緩ませていた。

(やっぱり似てるな)

 二人の書いた苗字の文字はとても似ていた。
それを抜きにしても、他人の空似しては同居して一緒に暮らしていくなかで二人には類似することが多かった。

ーーもしもこの仮説が真実・・だとしても、響はそれを明日香に告げることは一生ない。

(明日香は明日香だ。…他の誰でもない)

 それが明日香と生きると決めた響の答えだった。

「響さん、これからもよろしくお願いしますね」

「ああ。こちらこそ宜しくな、明日香」

 響は明日香に優しく微笑んだ。
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