三国志外伝 張政と姫氏王

敲達咖哪

文字の大きさ
18 / 41
東夷の巻

老いたる奴王

 末盧まつら国から伊都いと国へは、普通は舟で行く。舟ならば東南へ五百里ほどである。ただしここから先は対馬や一支とは違い、絶島ではなくて竹斯ちくしと呼ぶ巨大な島の上に数十ヶ国が存在している。陸路は険しくて歩きにくいが、張政チァン・センはこの旅程で植物について記録したいと考えていた。道は曲りくねり、草木が繁茂して、前を行く人が見えない程である。その山にはくすとちくぬぎ橿もちのきまんさくなどの木が生えている。しのは竹細工に用いられている。生薑しょうが・橘・山椒・蘘荷じょうかの様な香辛植物も自生してはいるが、調味料として使う方法は知られていない。時おり猿が赤い顔を見せ、雉がけえけえと鳴き声を響かせる。牛・馬・虎・豹・羊・鵲などは見られない。
 張政は、小雷シェウルァイをここに連れて来て良かったと思った。この山道で馬にでも乗らなくては、倭人たちの健脚なのにとても付いて行けない。所が伊都国に近付くほどに、難斗米なとめの足がどうしたか遅れ出した。
「斗米さん、どうかしたか」
 と張政は訊いてみたが、難斗米は、うん、と曖昧な返事をする。難斗米が何を心配しているのか――それは張政には分かっている。
 伊都国は、国の西辺の地を割いて設けられた新国で、千戸ほどの人が住んでいる。かつて倭人の盟主であった奴王は、他の諸国との間に争いを起こした。諸国は邪馬臺やまと公を新たな盟主として推し立て、倭人の別種である狗奴くな国の支援を受けて奴王を破った。当時の邪馬臺公は、今の氏王の外祖父である。敗れた奴王は、この小国だけを領地として認められたのであった。
 海路で先んじて伊都国に入った梯儁テイ・ツュィンは、毎日人を遣って、往来を見させていた。それで陸路を執った張政たちが着く時を知って、郊外に迎えに出てくれた。張政は馬から下りて、無事の喜びを交わす。
「あれをどうしようか」
 と梯儁は張政に問うた。伊都のまちに入るまでの道すがら、二人には互いの意見を確かめておきたい事が有った。それは難斗米の心配とも関係している。
 伊都国の奴王は、敗れてなお名分としては倭人諸国を代表する地位を保った。これは奴王が〔漢倭奴国王〕の金印をっているが故であった。この印は天子よりの賜わり物なので、覇者となった邪馬臺公にもその所有権は奪えなかった。今も奴王はこの印によって、姫氏王が帯方タイピァン郡や諸韓国に遣使するに際して、その正当性を認証する権能を持っている。また、帯方郡から姫氏王に連絡が有る場合も、通常は伊都国まで来れば、奴王が受理して伝送する事になっている。難斗米は奴王の一族であり、今の奴王から見ては孫の世代に当たるのである。
「まずは姫氏王に申し上げるのが筋だろう」
 我々だけでどうこうする様な事ではない、という張政の意見は、梯儁も同じく考えている。それは勿論、姫氏王にあたえられる〔親魏倭王〕の金印を、〔漢倭奴国王〕と引き換えにするという任務についてである。
「伊都国には長居はせん方がいいな」
 と梯儁は言った。自分たちが今回は、常の例とは違って、姫氏王へ直に賜物を届けるという使命を帯びているという事は、奴王へは已に伝えてある。その金印を没収するという相談が進められているのだと知られれば、何かまずい事件が起こりそうな気がするのだ。あたかも好し、梯儁たちの来訪を先触れする為に姫氏王の許へ行った使者も今日、奴王の所に戻ったと聞いている。梯儁は張政を伴って、伊都国の政庁へ向かった。使者が姫氏王からの「すぐに来い」との返事でも携えていれば都合が良い。難斗米は二人の後ろに着いて来て、政庁に着くと先に立って入った。倭人の文化が全て素朴であるが如く、政庁といっても簡単な小屋である。
 今の奴王は、禿頭に白髭の老人であった。歳は五十ばかりだというが、それ以上に老けて見える。傍らには姫氏王の家来が、つけ家老としていつも控えている。奴王は、腰が曲がっても跡継ぎを選ぶ事さえ許されず、震える手でその古びた金印を握って、しょぼしょぼする目で左右を伺いながら、使節や荷物の出入りについて判子を押すという仕事だけをしている。それが奴王の手に残された権限なのであった。
 奴王は難斗米が入って来るのを見るや、さっと顔に血の気を表し、杖を執って筵から立ち上がり、
「おのれ、斗米!」
 と怒鳴りつけた。手足にも見違えて力が込もっている。
「おぬし、よくも氏の上であるこのわしに何も言わず、長いこと国を空けおったな!」
 難斗米は床に額を付けて、畏敬の態度を示す。
「お、大叔父さま、わたくしに無礼があったなら、幾重にも膝を折ってあやまりますから……」
 奴王は、おのれ、おのれ、と杖を振り上げて殴らんばかりの剣幕に、張政はあっと驚いて思わず止めに入ろうとした所が、奴王はまた急にしなしなと肩を落とし、背を縮こませて座り込んでしまった。
「ああ……それもむべなるかな。わしはこんなに老いぼれておるし、おぬしはに取り立てられて大夫の身分じゃ。我が一族でそうして出世しおるのは、おぬしだけじゃからのう」
 そこへ傍らから、付家老の泄謨觚しまこ柄渠觚ほここという人物が、
「王よ、勅使どのの前でござるぞ」
 と言って奴王をなだめる。奴王はそこではっとして初めて梯儁と張政が居るのに気付いたという風を見せる。
「おお、おお……。御用向きはいかに」
 梯儁は天子の使いという名目だから、立ったまま胸の前で手を合わせるだけの挨拶をして、それで謙譲の態度を示す。
「されば、別の道を執った者がたった今合流いたしたによって、すぐにここを発ちたいと思うが、いかに」
 えへん、と梯儁は似合わぬ威厳を繕って問う。奴王は、例の如く目をしばたたかせて左右を伺っている。
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。