三国志外伝 張政と姫氏王

敲達咖哪

文字サイズ
小 中 大 特大
22 / 41
東夷の巻

伝世の太刀

「王がお望みなら、臣わたくしは何年かここに留まって、臺与とよぎみのお体を診て差し上げましょう」
 という禿骨鋭トゥックォツ・ユェイの申し出は、姫き氏王を喜ばせた。しかし鋭は使節団附きの医師という身分なので、それには梯儁テイ・ツュィンの決裁が必要であり、この日はお預けという事にして、張政チァン・センと共に与えられた宿に退がった。
 奴な王の金印について、張政が姫氏王に切り出したのは、その次の日の事である。こうした件は、正使である梯儁から交渉すべきではないかとも思ったが、先に打診しておくに越した事はないという所に考えは落ち着いた。新旧倭王の金印を引き換えにしたいという要求に対して、姫氏王の返辞は、速いと言うよりも急激であった。
「解っている。言われるまでもないことだ」
 西向きに建つ宮殿の上に、姫氏王は昇る朝日を背に受けて、胡坐で軒に臨んでいる。張政は庭で立礼の姿勢を執って、宮殿の影を受けている。
「出よ」
 と王が命じると、脇から伊声耆いせきが現れ、軒の下に跪拝をする。
「これを持て」
 と立ち上がった王は、腰に提げた重そうな太刀を抜いて庭に投げる。太刀はどすんと逆さまに突き立つ。刀身には朝日に照らされて、中平六年という文字が浮かぶ。漢の霊帝の世、今より五十年程前の元号である。
「これはかつて我が祖父公が、前さきの奴王を討った太刀だ」
「ははっ」
 と伊声耆はかしこまっている。
「汝はこれを持って難斗米なとめに伝えよ。天朝の命を以て、奴王の金印を徴はたれと」
 姫氏王は侍女の手を介して、その鞘をも伊声耆に渡す。
「ははっ、直ちに」
 と立とうとする伊声耆に、王はもう一つの命令を与える。
「汝は手桶に塩を詰め、それを持って斗米に附け」
 伊声耆は眉に険しい色を見せ、
「はっ、ははっ、承りました」
 と太刀を鞘に収めて、恭しく額に押し頂き退出する。
「予われも追って発つであろう」
 そう言って伊声耆を送り出した王は、
「張政ちゃうせいよ」
 と張政を呼ぶ。
「手間をかけるが、成り行きを見届けてもらいたい」
「は、それは……」
 と言いかけて張政は、返す言葉を接げなかった。姫氏王は張政の返辞など待たずに、船の準備を侍女に命じ、出発の支度を始める。張政が、日の昇る前には全く予期しなかった速さで、それも思いの外の大きさで、事態は動き始めている。どうやら女王は要求を見越して予め用意をしていたらしいのだ。
 翌あくる朝早く、一団の舟が川を下り始める。張政は小雷シェウルァイに騎のって舟を追う。川沿いの道は曲がりくねって、岸に寄ったり離れたり、時に木々の間に水を行く舟々を垣間見る。中でも最も大きい舟には、王座の周りに幕が張られて、主人の姿は影を窺わせるばかりである。その影の中にも、張政はあの切れ長の眼が光っている様な気がする。
 張政は、この要求を持ち込んだ身として、また彼の友人としても、難斗米の事が気懸かりになる。伊声耆が持たされた塩詰めの桶は、首を入れる桶だ。あの命令は、奴王が金印を渡さなければ、この太刀で首を獲れという意味に違いない。君主として姫氏王を慕い、氏の長者として奴王を敬っている難斗米は、忠義と孝心に挟まれて苦しまずにはいないはずだ。
 舟は投馬つま国を素通りする。張政は投馬の邑まちの近くで、顔を知った倭人を見付けて、小雷を預け、梯儁への書簡を託した。現況の報告と、今は迂闊に動かない様にとの忠告を認したためてある。岸に着けて休息している一行に手筈通り合流すると、張政は王の舟に陪席を許された。舟は再び川を下り始める。幕を巡らした中には、臺与と高位の侍女だけが従っている。張政はその中に招き入れられた。
 姫氏王の支配するこの国で、舟の上は尚更この王に近い面々で固められている。ここで何か申し立てをすれば、冷たい川に放り込まれる事になるかも知れない。しかし張政は、李陵の弁護をした司馬遷の心を知っている。何故その役目を難斗米に命じたのか、他にも人物は有るではないか、それを問わなくてはならない……。
「張政よ」
 先に口を開いたのは姫氏王の方であった。
「何か言いたいことがあろう」
 王は旅装でいつもの頭巾に笠を被っている。今はその眼光が、確かに張政の顔を射抜いている。そこで張政が舌を動かそうとする短い間に、王はまた先に問いを掛ける。
「洛陽らくやうで、斗米の評判はどうであったか」
 張政は舌を置き直して答える。
「洛陽ラクイャンでは、富貴な身分の方々に幾度も招かれましたが、みな東の涯はてからこんな挙措の正しい人物が出るのかと驚いておりました。王の名を高からしめたのは、難斗米の功績です」
「そうであろう。あれは幼い頃から賢い。将来はもっと大きい働きができる男だ」
 王は、わずかに目を細めて、難斗米が先に行ったはずの川下を眺め、それから東へ顔を向けた。
「見よ、張政。この東の山々の向こうにも海があり、その中にも倭人の別種が国を作っている。それもいずれは残らず我が手の内に収めたいものだ」
 そしてまた北へ向き直す。
「その為にも、この竹斯ちくしの島の上に在るちっぽけな国々など呑み込んでしまわねばならぬ。小さい国々が奴王のもとに連なるという古き習いは、どんな形ででももう残してはおけぬ。奴王さえ消えれば、北の国々は全く我がものとなる。斗米にはその押さえになってもらいたいのだ」
 そこで張政は再び姫氏王の視線に捉えられた。
「しかしそれには、斗米が人々から奴王の跡目と見られていたのでは、駄目だ。それでは古きものに足を取られて、新しい仕事はできまい。足枷を断つのにどうすべきかは、斗米がよく判っておろう」
 姫氏王は結局、張政に何も言わせなかった。
「あの頑迷なじじいは、金印を渡すまいからな」
 川を下るのは上るよりもずっと速い。舟は不弥国の領域に入った。
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~ 表紙

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。
恋愛 完結 ショートショート
文字数 9,943
【完結】放浪の軍師 ~軍神を破りし男 表紙

【完結】放浪の軍師 ~軍神を破りし男

かつて畿内で『今孔明』と讃えられた天才軍師・白井浄三。過去を捨て弟子の小珀と放浪する彼が辿り着いたのは下総・臼井城だった。そこに「軍神」上杉輝虎が一万五千の大軍で侵攻する。迎え撃つ臼井城の兵はわずか二千。頼みの綱は浄三の「必ず外れる易占い」と、北条の猛将・松田康郷のみ。圧倒的な兵力差に加え、城内には内通者の影も蠢く絶体絶命の状況下、無敵の軍神に知略で挑む本格戦国エンターテインメント!
歴史・時代 完結 長編
文字数 146,118
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~ 表紙

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
歴史・時代 完結 長編
文字数 816,121
完結‼️桜羅と恋唄―鳥かごのお嬢様と幕末剣士の恋唄― 表紙

完結‼️桜羅と恋唄―鳥かごのお嬢様と幕末剣士の恋唄―

花びらと共に舞い込んだのは、さくらの精――? 幕末に生きる沖田総司は、大店の娘 桜羅(さくら)と出逢う。 何不自由なく見えても彼女は鳥かごの金糸雀(カナリア)。 桜羅は無理な見合いをさせられていた。 それを助けたことで、二人の妙な関係が始まっていく。 身分違い、時代の荒波。 その中にあっても貫く恋唄とは。
歴史・時代 完結 短編
文字数 30,958
女風体験記〜今話題の女性用風俗に行ってきたので感想載せます〜 表紙

女風体験記〜今話題の女性用風俗に行ってきたので感想載せます〜

女風に行った感想書いちゃうよ! (あくまでも私が体験したことです。全てのセラピスト様が同じ様な施術をしてるわけでは無いと思います。)
恋愛 完結 短編
文字数 10,166
夜に咲く花 表紙

夜に咲く花

2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
歴史・時代 完結 長編 R15
文字数 313,539
女たちが奪うリングの頂点⑦/『最強トーナメント――女王たちが奪った、男子プロレスの頂点~男が最強である時代は終わろうとしていた。』 表紙

女たちが奪うリングの頂点⑦/『最強トーナメント――女王たちが奪った、男子プロレスの頂点~男が最強である時代は終わろうとしていた。』

帝プロが誇る、年に一度の最強決定戦――「覇王杯」。 昨年、男子の強豪を退けて優勝した女子レスラー・直美。 しかし、その優勝は「幸運だっただけ」とされ、男子選手たちはいまだ、その実力を認めていなかった。 直美を倒すため、誰よりも鍛錬を積み重ねてきた帝プロのエース・白川大斗。 そんな中、最後の出場枠で現れたのは、直美のかつての仲間、Satomiだった。 かつて直美の後を追っていたかつての女子レスラーは、今や男子にも匹敵するほどの力を身につけていた。 「私はあなたの、噛ませ犬じゃない」 女子二人の台頭に危機感を抱く男子選手たちは、二人を潰そうと動き始める。 だが、直美とSatomiは彼らを容赦なく打ち破る。 そして始まる最強トーナメント。 六人の男子と二人の女子。 一人、また一人と男子選手がリングから消えていく。 男子最後の砦となった白川大斗の前に立ちはだかるのは、Satomi。 そして、男子最後の砦を退けたSatomiの前に待っていたのは――直美。 最強の座を懸け、二人の女子レスラーが激突する。 男子が最強だった時代は、本当に終わってしまうのか。 女子プロレスラーの台頭と、崩れゆく男子レスラーたちのプライド。 これは、プロレス界の勢力図が大きく変わる、その瞬間を描いた物語。 ※挿絵にはAI生成画像を使用しています。
大衆娯楽 完結 長編
文字数 40,944
百合ランジェリーカフェにようこそ! 表紙

百合ランジェリーカフェにようこそ!

 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
青春 連載中 長編 R15
文字数 59,023