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二話

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「申し訳ない」

 ところ変わって、屋敷の中。
 立ち話もなんだからと案内された先————客間らしき場所で、甲冑姿の彼に頭を下げられる。

 顔は一度としてみせてはくれていないが、彼が一応、イグナーツ公爵閣下であるらしい。

「……えっ、と、どういう事でしょうか」

 だが、謝られる覚えが一切なく、突然の謝罪に私は困惑を隠せずにいた。

「家格を考えれば、アルヴァルト侯爵家が今回の縁談を白紙に出来ない事は明白。こちらの配慮が足りなかった。この通りだ」

 ……一応、今回こうして本来の婚約者である姉でなく、私がやってきた理由は姉が病気を患ってしまった為、婚約者を姉から妹にさせてくれ。
 というもの。

 イグナーツ公爵閣下の現状からして、これは明らかに嘘丸出しなのだが、それ故に今こうして私まで巻き込んでしまったと謝罪をされているらしい。

「馬車を出そう。このような場所に長居をしては、貴女にまでいらぬ風評被害が及ぶ事になる。本来であれば、俺がアルヴァルト卿に謝罪をしに向かうべきなのだろうが、知っての通り、この現状だ。そこは勘弁願いたい」
「あの、待って。待って下さい、イグナーツ公爵閣下!!」

 ここで声を上げなければ、今すぐにでも家に連れ戻されそうであったので慌てて声を上げる。

 確かに、彼の指摘している通り、巻き込まれたという部分は正しい。
 けれど、こうして彼の下にやって来たのは他でもない私の意思である。

 力になりたいと思ったからやって来たのに、何も出来ていないまま送り返されるなんて冗談じゃない。

「……閣下は勘違いをなさってますが、私は自分の意思でここへやって来たのです」

 私のその発言で、イグナーツ公爵閣下の動きがぴたりと止まる。

「ただその前に、こうして見え見えの嘘を吐き、私という代役を立てての来訪、深く謝罪させていただきます」

 偶然にもこの時期に、姉が病を患ったから進めていた縁談を妹に。
 そんなバカな話があるわけがない。

 なのに、それを責める事なく、それを知った上でイグナーツ公爵閣下はこちらに気を遣ってくれていた。だから、まずは何を差し置いてでも謝罪をしなくてはいけないと思った。

 慌てて頭を下げる私であったけれど、その行動に対して返ってきたのは小さな笑い声が一つ。
 侮蔑するものでもなく、それは、微笑ましいものでも見た時に漏らすような笑い声だった。

「ルシア嬢。貴女は誠実な人だな」
「誠実、ですか?」
「貴女達には、やんごとなき事情があったではないか。呪いを忌み嫌い、怖れるのは当然だ。当事者である俺ですら、貴女達の立場であったならばそうしたかもしれない。だから、貴女達の行為を責める者はいまいよ」

 ソレと分かる寂しさの感情を声音に滲ませ、イグナーツ公爵閣下は言う。

「勿論、そう気を遣う必要もない」

 私の意思でやって来たと告げた先の発言は、彼からすれば気を遣ったものにしか映らなかったのだ。

 元々、優しい性格だったのだろう。
 自分が今、周囲からどう見えているのかを分かっているからこそか。
 どうにかして私を己から遠ざけようとする魂胆が丸見えだった。

「…………」

 それらの対応を前に、私は口籠る。
 城壁の門のように固く閉ざされた彼の心は、きっとちょっとやそっとではびくともしない。

 少しでも気を遣えば最後。
 発言全てが気を遣っていると捉えられる事だろう。

 私も、前世の頃の話になるが、誰も彼もを遠ざけようとした時期があったからよくわかる。
 少しでも気遣われていると分かると、その発言全てが取り繕ったものにしか聞こえてくれなかった。

 だから、私は失礼を承知で遠慮というものをこの場に限り取っ払ってしまう事にした。

「閣下」
「どうした? ルシア嬢」
「確かに、先程は自分の意思でやって来たと申しましたが、きっかけは自分の意思ではありませんでした。加えて、姉に代わり、閣下との縁談をこうして進めさせていただく事にも正直、乗り気ではありませんでした」
「そうだろうな。だが、責める必要はない。先程も言った通り、」
「ですが、ここに向かうと決めたのは、嘘偽りなく私の意思です」

 力になりたいと思った。

 そして、こうして話してみるとより強く思うようになった。
 国や、民に尽くし、これ程の人格者にもかかわらず、呪いを一つその身に受けた程度で、このような扱いを受ける事になってしまっている。

「私は、貴方の力になる為にやって来ました」
「……先程、貴女は誠実だと言ったが、それは訂正しよう。ルシア嬢は、優しすぎるのだな」

 少し間を空けて、イグナーツ公爵閣下は言う。

 甲冑のせいで表情は読めないけれど、私の顔を見て呆れているような、そんな気がした。

「これまで、呪いを解く方法を見つけるだ、なんだかんだと言われて来たが……どれも俺に恩のある人からしか言われなかった。これまで接点が無かったにもかかわらず、そんな真っ直ぐな瞳を向けて力になる、などと言ってきた人間は貴女が初めてだ。ルシア嬢」

 その声は心なしか、これまでよりも弾んでいる気がした。
 けれど。

「しかしだからこそ、その気持ちだけ有難く受け取らせて貰おう」

 返ってきた言葉は、相変わらずの拒絶の言葉だった。

「俺は、そんな優しいルシア嬢を怖がらせたくはない。その優しさに甘えてしまえば、貴女を苦しめてしまう事になる。だから、その気持ちだけ受け取らせていただこう。お陰で、今日は久々に良い夢が見れそうだ」

 本当に、心からそう思っていると分かる声音だった。心底嬉しそうに、有難うと言って、拒絶をされてしまうともういよいよ何を言えば納得をして貰えるのか分からなくなっていた。

「……では、どうすれば閣下は認めてくださりますか。私が貴方の力になる事を、どうすれば」

 もう、意地だった。
 拒絶をされればされるほど、彼がどうしようもなく優しい人なのだと分かる。
 心身共に擦り切れそうな程に苦しんでいるだろうに、それを感じさせぬ様子で私に当たり前のように気を遣ってくる。

 それが、どれだけ凄くて、しんどくて。
 そんな事を考えてしまったが最後。

 私は意地になっていた。

「…………」

 イグナーツ公爵閣下は、言葉を探しあぐねているようであった。
 ここまでくれば、分かるのだろう。
 私が本当に、嫌々ここにやってきた人間でない事は。

 そして、ちょっとやそっとの言葉ではもう納得しないだろう事もまた。

 そして、沈黙が場に降りる事数秒。

「……本当は、怖がらせたくなかったんだがな」

 ————これをしてしまえば、間違いなく怖がらせてしまうから。

 そんな言葉が続けられたように思えたのは、きっと気の所為ではない。

「分かった、ルシア嬢。そこまで言うのなら、条件を出そう」
「条件、ですか?」
「ああ、そうだ。条件だ。これから、俺の顔を隠しているこのヘルムを脱ごう。だが、少しでも怖いと思う事があれば、家に帰ると約束をしてくれ」

 呪いを隠している甲冑。
 そのヘルムを脱ぐとイグナーツ公爵閣下は言う。

 そして、少しでも怖がったら側にはおけないと。そこで気付く。先程まで安易に頷こうとしなかった理由は、今はまだ、甲冑で呪いの部分が覆われていた為に私が口に出来ている言葉なのだと彼は信じて疑っていなかったから。

「分かりました」

 だから、二つ返事に頷いた。
 元より、呪いを治す手助けをできればと思ってやって来た身。
 それに怯えていてはそもそも話すらならない。

 その条件は、当然とも言えた。

「……そうか」

 出来れば、見せずに終わりたかった。
 言葉から滲み出る感情が、そう訴え掛けていたが、それを許容してしまえば私は彼の力になる事は叶わなかった。
 だから、今だけその声音に背を向けて、私はじっと前を見据える。

「怖がる事は悪い事じゃない。たとえそうなっても、自分を責める事だけはしないでくれ」

 最後まで、私に気を遣って。

 そして、イグナーツ公爵閣下はゆっくりとヘルムに手を掛け、外してゆき————あらわになる素顔。

 一目で分かるほどに凶々しい魔力によってびっしりと刻み込まれた呪印。
 常人であれば、ひぃ、と怯えるなりする理由がよく分かるほどの禍々しさである。

 ————ただ、前世の記憶があったからか。先程までの会話でイグナーツ公爵閣下の為人を知ったからか。はたまた、その両方か。

 不思議なくらい、その呪いの紋様に私は恐れを抱く事はなかった。
 だから、改めて、力にならせて下さいと言うように、不敬と知りながらも私は手を伸ばす。


 触ろうとするなどとは、想像だにしていなかったのだろう。
 本当にゆっくりと頰へと伸びてゆく私の手を拒む事も出来ずに、イグナーツ公爵閣下は目を大きく見開いて驚愕のあまり硬直してしまっていた。

「……そもそも、刻まれてしまった呪いもまた、国を、民を守った事による名誉の負傷のようなものではないですか」

 それは、大魔法師などと呼ばれていた頃から変わらない価値観。
 呪われる以前から、ただのほほんと暮らしていた私にすらイグナーツ公爵閣下の名声というものは耳にしていた。

 そしてこの呪いも、きっと何かを守る為に負ったものだったのだろう。

 その現場を見ていたわけでもないのに、彼の真っ直ぐな瞳を見ているだけでそれはよく分かった。
 だからこそ————。

「醜いなど。怖いなどと、どうして言えましょうか。イグナーツ公爵閣下」
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