華燭の城

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「そこ! どうなってる! 早くしろ! 時間がないぞ!」

 大声で指示を出していた男が、階段の入口にふと目を留めた。
 そこに立つ二人の姿を見つけると手を止め、走り寄って来る。

「ラウ……。 
 こちらは……、、も、もしかしてシュリ様か?」

 それにラウが頷くと、
「なんという事だ! こんな所にまでわざわざ……!」

 その男は慌てて帽子を取ると、
「俺達はその……。
 “礼” というもののやり方を知らなくて……すみません!」
 そう言いながら、大柄な体を腰から真半分に折り曲げ、深々と頭を下げた。

 男の言う “礼” とは、兵士が地に右膝を付き、右手を胸に当てて主にひざまずく――という物の事だ。
 この国でこれを行っているのは、軍務にあたる、腰に剣を下げた兵士だけで、剣を持たない人間、いわゆる行政を執り行う役人は深く頭を下げるだけの礼をする。
 右膝を地に着けば、おのずと左膝が立ち、左腰に携えた長剣を抜くには邪魔になる。
 あるじに刃を向けさせないため。
 それがこの “礼” といわれる物の本質なのだが、使用人であるこの男は、自分も兵士流の礼をしなければ……と思ったのだろう。


「そんな事は、気にしなくていい」
 
 シュリがそう答えると、男は嬉しそうに顔を上げた。

「お、俺なんかに直にお言葉を……!
 あ……、、ありがとうございます! みんな! シュリ様だ!
 シュリ様がお越しくださったぞ!!」

 その声に地下で仕事をしていた使用人達は、驚いたように顔をあげ、エプロンで手を拭いながら走り寄ってくる。


「シュリ様がここに!?」
「本当にシュリ様だ!」
「なんとお美しい!」

 誰もが皆、驚きを口にし何度も頭を下げた。

 それまで抜けきらない体のだるさで口数も少なく、表情も辛そうにしていたシュリだったが、その輪に囲まれるとニコリと微笑む。

「ああ……シュリ様! 我国の救世主よ!」
 その微笑みに歓声が上がる。

「あ、あの……もしよろしければ……」

 果てには神のご加護をと、恐る恐るながらに握手を求め手を差し出す者まで出始めた。
 シュリがほんの一瞬、哀し気に目を伏せる。

「おい、さすがにそれは……」
「ラウ、構わないよ」

 使用人を止めようとするラウの声を、シュリが小さく制した。
 そして差し出される一人一人の手を丁寧に握り返し、声をかけていく。

 そんなシュリの姿を見たい、声を聞きたい、触れたいと、集まる者は増える一方で、次から次へと途切れることの無い人垣が幾重にもでき上がっていく。


「シュリ様、そろそろお時間です。
 お部屋に戻って午後からの支度をしなければ……。
 悪いがダルク、みんなを引き上げさせてくれ。
 もう時間だ。お前も仕事があるだろう」

 ラウが困惑気味に、ダルクと呼ばれた最初に声を掛けた責任者らしき男に助けを求める程、シュリを囲む人垣は増えていた。

「……ああ! そう、そうだな!
 興奮してしまって……つい……。 
 シュリ様、本当に本当に! ありがとうございました!
 ……おい! みんな時間だ! 仕事に戻れ!
 陛下とシュリ様のための宴の準備だ!
 しっかりと準備してくれ!」

 ダルクが大声でそう叫び、皆を持ち場へ戻らせるまで、シュリはずっと使用人達の手を取っていた。


 地下から上がるとシュリは壁に体を預け、一つ大きく肩で息をした。
 今まで隠していた体の不調が、一気に襲い掛かって来る。

「大丈夫ですか?
 まさかあれほど集まって来るとは思いませんでしたので……。
 ご無理を言いました。申し訳ありません」

 ラウが頭を下げる。

「大丈夫だ、私が行きたいと言ったんだ。
 熱気には少し驚いたが……」

 そう言うシュリの表情は穏やかだ。
 そして、もう一度深く息をし呟いた。

「……私は……。 
 本当に救いの主だと思われているんだな……」

「はい。シュリ様の存在こそが、今の皆の拠り所なのです」

「でも私には……もう神の子である資格はない……。
 ガルシアの……あの手で触れられたこの体にもう神は……」

 昨夜の事を思い出したのか、シュリの体が小さく震える。
 それが皆の手を取る事に一瞬、悲哀を見せたシュリの理由だった。

「いいえ、皆のあれほど嬉しそうな顔、長い間見た事がありません。
 ありがとうございます」

 下げた頭を戻しながらラウが続けた。

「……しかし、さすがでいらっしゃいますね。
 人前に出られると、どれほどお体が辛くとも笑顔で応対される。
 これから行われる宴でも、その様に……」

「わかっている……。
 私は “自らやって来た、この国の幸せな跡継ぎ” を演じる……。  
 ……だろ……」
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