異世界で世界樹の精霊と呼ばれてます

空色蜻蛉

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(第三部)第一章 夏の始まり

01 樹の学生生活

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「近藤、お前また宿題をやってこなかったのか。立て」

 教師の厳しい声に、うつむいていた坊主頭の少年がのろのろと立ち上がった。
 ここは立山小学校の六年二組の教室。
 都会に立つ学校のため、教室内の設備は真新しい。都心の敷地の地価が高いからか、学校は縦に高層化した建物になっていた。学校の前のグラウンドは狭く、運動部の生徒が全力で走り回るには少し窮屈だ。
 坊主頭の少年は、近藤武こんどうたけしという名前で、数少ない野球部の所属だった。今時、流行はやらない見事な丸刈りをしていて、部活に熱心に取り組んでいる。その分、勉強がおろそかになるようで、しょっちゅう宿題を忘れてくる。
 近藤少年は、怯えた表情で教師を見た。

「部活も良いが、勉強もしないと、中学に入ったら皆に付いていけなくなるぞ」
「はい……」
「本当に分かっているのか?」

 ただただ従順に頷くだけの少年に、教師は苛立った表情になった。

「お前は別に運動が得意って訳じゃない。野球を頑張ったところで有名な選手になれる訳でもないんだ。野球なんて趣味にとどめて、勉強に力を入れるべきだ」

 教師はぐるりと教室を見回して、生徒達に向かって宣言する。

「良いか、君達。本当に才能がある奴なんか一握りだ。野球選手、芸能人、芸術家……一部のスーパースターだけが活躍する厳しい世界だ。そんな見込みの無い夢を追いかけるより、きちんと足元を見て自分に出来ることを探しなさい。少なくとも最低限の学力は身に付けないと、世間ではやっていけない」

 生徒達が何も言わないのを良いことに、教師は熱弁を振るった。
 教室は水を打ったように静まりかえる。
 その沈黙が自分の言葉の正しさを証明しているようで、教師は密かに悦に入った。沈鬱な顔をした生徒達ひとりひとりを眺め渡していると、席がひとつ空いているのに気付く。
 そういえば、朝の点呼の前に、該当する席の生徒の親から、遅刻の連絡があったのだった。

「おはようございます」

 ちょうど、その遅刻してきた生徒が、教室の沈黙をものともせずに豪快に扉を開けて姿を現す。
 涼しい顔に眼鏡を掛けた小柄な少年だ。
 どこか飄々とした雰囲気の少年は、静まり返った教室と立たされた同級生に目をとめて、首を傾げる。

「皆、どうしたの?」
「い、いつきくん。またたけしくんが宿題を忘れてきちゃって」

 入ってきた少年に、近くにいた女子生徒が声を潜めて説明する。
 余計なことを言うなと教師にひと睨みされて、女子生徒は途中で言葉を切った。教師は遅刻してきた生徒に視線を移す。

各務かがみ、遅刻の理由は何だ?」
「寝坊です」

 少年は取り繕うこともなく、申し訳なさそうな様子も見せずに、ストレートな返事をした。教師のこめかみに青筋が走る。

「よくも毎度毎度、堂々と……少しは反省したらどうだ」
「すいません。僕、誰にも迷惑をかけてないなら、謝らなくて良いって、お爺ちゃんに教わったもので。でも、先生は僕のことを心配してくれてたんですね。ありがとうございます」

 人を食ったような返事に、教師は呆気に取られた。
 この各務樹かがみいつきという少年は、よく朝寝坊で遅刻してくる問題児として教師の間では有名である。しかし変わった言動をするわりには同級生達には人気があって、一部の教師からは一目置かれていた。

「……座りなさい、授業を再開する。近藤、お前は立ったままで反省するんだ……おい、各務?」

 遅刻してきた生徒に絡むのは諦めて、教師は授業を再開しようとした。しかし、少年は自分の席に座らずに、鞄を持って窓際へと歩いていく。

「何をしている、ええっ?!」
「えい!」

 各務というその生徒は、窓際に近寄ると学生鞄を開けて、ノートを数冊取り出した。そしてそれをそのまま――窓から階下へ投げ落とす。
 エコグリーンの表紙のノートは、バサバサと音を立てて地上に落下した。六年二組の教室は三階のため、地上へは距離がある。ノートは時間を掛けて、まるで空中を舞う蝶々のように、自由に空へ羽ばたいていく。
 目を剥いた教師に振り返って、各務樹はにっこり笑った。

「先生、僕、宿題を忘れてきました! 近藤と一緒に立ってますね!」

 教師はあんぐりと口を開けた後、いやいやと首を振った。
 そういう問題ではない。

「各務、お前は忘れてきたんじゃなくて、たった今、投げ捨てただろう!」
「いえ、忘れてきました。投げたノートの中に、宿題のノートがあったかどうか、拾って来ないと分からないですよね?」

 証拠は無いと、少年は微笑む。
 ギリギリと歯噛みした教師は、教室の空気が変わったことに気付く。少年少女達は、目を輝かせて各務という生徒を見ている。重く沈んでいた教室に光が射し込み、開いた窓から初夏の風が舞い込んだ。
 生徒に言い負かされるのは気にくわない。
 教師は各務の涼しい顔を崩してやりたいと、言葉を探した。

「……素晴らしい友情だ、各務。だが、友達は選んだ方が良い。勉強ができない友達を持つと足を引っ張られるぞ」

 各務樹は頭の良い生徒で成績も良い。
 近藤のような落ちこぼれに構っていては、成績が下がってしまうだろうと警告すると、少年はきょとんとした顔になった。

「先生、僕もそんなに勉強できないですよ」
「いやいやいや、君は進学校に行けるだろう」
「僕は皆と一緒に公立に行きますよ。勉強が出来たって、立派な大人になれる訳じゃないし、それなら自分の好きなことをしたい」

 先ほど教師の振るった熱弁と話の内容は似ているが、方向性は180度違う。結論は教師とは真逆だった。

「近藤はいつも楽しそうにボールを蹴ってるよね。今度、僕にも教えてよ」
「各務、俺がやってるのは投げる方だよ……」
「あ、そうだっけ? ごめんごめん」

 わざとなのか、少年はすっとぼけたことを言って笑った。
 それをきっかけに緊張した空気が一気に緩む。教師は溜め息を吐いた。各務の方が一枚上手だと認めざるをえない。ここで教師である自分が大人げなく食い下がると、みっともない事態になるのは明らかだった。

「近藤、各務、席に座れ。皆、これからプリントを配るから保護者の方に渡すように」

 教師は二人の少年が席についたことを確認すると、授業を再開した。
 準備してきたプリントを配り始める。
 教室の空気は平常の状態に戻った。


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