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(第三部)第一章 夏の始まり

09 僕らの出会い

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 森の中を進むと、地面一面に緑の苔が生えている場所に辿り着いた。
 水面が遠のいて柔らかい地面が見え始める。
 雑草が生えていない踏み固められた道らしきものを進むと、大木と同化するような一軒家が佇んでいる。

「ごめんくださーい」

 樹は木の扉をノックして、そっと開けた。

「……いらっしゃい。キッヒッヒ」

 扉の内側から不気味な笑い声を響かせて、皺くちゃの老婆が現れる。
 樹は老婆の鉤鼻の前で扉を閉めた。

「見てはならないものを見てしまった気分だ」
『イツキさま、びびったでしゅか?』
「今日の晩御飯はフライドチキンかなー」
『気味の悪い婆さんでしたね! 驚くのは当然でしゅよ』
「……私、もう疲れて一歩も歩けない」

 扉の前で樹とヒヨコと朱里がこしょこしょ話し合っていると、今度は扉が内側から開かれた。
 老婆が再び顔を出す。

「坊や達、上がっていきなさい。お茶とお菓子をご馳走しよう」

 子供を騙して食べてしまう魔女、という想像が樹の脳裏をよぎった。どこかでこのようなシチュエーションの童話が無かったか。
 そうだ、あれはヘンゼルとグレーテルだっけ。

「お菓子……」
「朱里ちゃん!」

 口元に涎をこぼしながら朱里はふらふら家の中に入ってしまう。
 樹は慌てて後を追った。
 追いながらヒヨコに文句を言う。

「エルフの夫婦はどこにいるんだよ!」
『おかしいでしゅねえ。噂はあてにならないでしゅ』
「あてにならないのは君だよ」

 部屋に入ると、老婆がいそいそと木製のテーブルの上に、ティーパーティーの準備をし始めたところだった。テーブルの前の椅子のひとつに座って、朱里は食べ物が出されるのを待っている。
 樹は片手で目の前を覆った。

「危機感ゼロ……」
『食べられるのを待ってる感じでしゅね』

 ヒヨコは戦線離脱したそうだったが、樹は強引に黄色い毛玉を抱え込んで逃げられなくすると、朱里の隣に座った。

「たんとおあがり」

 樹と朱里の前に、林檎パイのような、果実が練りこまれた焼き菓子が出される。老婆は、赤い色が付いたお茶をティーカップに注ぎ、菓子の皿の横に置いた。

「いただきまーす」
「……」

 朱里は喜んで菓子に手を伸ばす。
 じたばたするヒヨコを押さえつけながら、樹はその様子を見守った。
 お腹が空いていたのか、朱里の前の皿はすぐに空になる。
 樹は出された食べ物に手をつけない。

「あー、美味しかった。食べたら眠くなってきた……」

 テーブルに突っ伏して、朱里は眠り始めてしまう。
 本当に自然に眠くなったのか、老婆の魔法なのか、判断が付かない。

「坊ちゃんは食べないのかい?」
「お婆さんは何故こんな場所で一人暮らしをされてるんですか」

 逆に聞き返すと、老婆はニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。

「森の中の一軒家、魔物のような婆さん、タイミングよく差し出された食べ物……これは罠だと、坊やは思ってるね! そう思うのは無理もない。普通はこんな人里離れた森に居を構えたりはしないからねえ。キッヒッヒ」
「違うというなら、その誤解を招くような笑い声は止めてくださいよ。まるで悪人みたいだ」
「さて、悪人か善人か、はっきりさせなければいけないかい? 坊ちゃんはそのまま警戒を解かない方が賢明だ。世の中には怖いものが沢山あるからねえ」

 謎かけのようなことを言って、老婆は笑う。
 樹は困惑した。

「坊ちゃんが婆を胡散臭く思っているのと同じように、婆も坊ちゃんたちが不思議だよ。こんな人里離れた森の中に、幼い子供が二人、突然現れるのは不自然というものだろう」

 老婆の指摘に、樹はハッとした。
 確かにその通り。
 見方を変えれば不審者は樹たちの方だ。森の中で穏やかに暮らしていたところに、事情がありそうな綺麗な子供が唐突に現れたら、人によっては魔物だと思うかもしれない。

「僕らは、迷子なんだよ。別の世界から迷い込んでしまった、って言ったら、お婆さんは信じてくれる?」
「そうさねえ。婆には難しいことは良く分からないが、長い人生を生きてきて、不思議なことも起こるものだと知っているよ……そうだ」

 話の途中で老婆は手を打って、奥の部屋に向かって手招きした。
 
「ソフィー、出ておいで」
「……」

 手招きの先には、少女が扉から半分だけ顔を覗かせている。
 恐る恐る全身を現した少女は、丸いクッションをお守りのように抱きかかえている。桃のようにほんのり赤みがかった白い肌に波打つ金髪、うるんだ瞳は淡い水色だ。華奢な手足が若草色のスカートから覗いている。
 まるで妖精のように綺麗な少女の頭には、白い柔らかそうな兎耳が生えていた。
 エルフというと尖った耳の金髪美女が日本人の一般的なイメージだ。しかし、この世界のエルフは兎耳が生えた獣人を意味しているらしい。

「この間、この家を訪れた旅のエルフの夫婦がね、ちょっとの間預かってくれと言って、この子を置いていったんだよ。坊ちゃん、この子を親のところへ連れていってあげてくれないかね。戻りが遅くて心配なんだ」
「……」

 樹は、少女の可憐な佇まいと、向けられた透明な水色の瞳に、一瞬呆然としていた。
 我に返ると老婆の言葉を咀嚼して顔をしかめる。

「僕らは迷子だって言ったのに、そんな女の子を連れていく余裕なんて……」
「世界を渡るだの、魔法だのはエルフの専門分野さ。坊ちゃんが欲している情報を、この子の親なら、持っているかもしれないよ」

 老婆の言うことにも一理ある。
 困った樹は、泣きそうな顔でこっちを見ているエルフの少女に聞いてみた。

「このお婆さんはこう言ってるけど、君は僕らと一緒に来る?」
「……行く」

 エルフの少女はこっくり頷いた。
 

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