異世界で世界樹の精霊と呼ばれてます

空色蜻蛉

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(第二部)第五章 君に贈る花束

10 花の王国

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 眠りに落ちる瞬間は、まるで深い海に沈んでいくような感覚だ。
 樹は必死に水面の向こう側の現実に向かって手を伸ばそうとした。
 まだ、やりたいことがある。
 眠っている訳にはいかないのだ。
 しかし、暖かい布団にくるまれるような甘美な誘惑が樹を包み込む。
 もう駄目だ……。

「イツキーー! 死んじゃ嫌ですーー!!」
「ぐはっ」

 どこかでこんなことあったなと思いながら、樹は目を開ける。
 容赦なくみぞおちを直撃するような恰好でソフィーが樹の身体にのしかかっていた。
 彼女はアルスと一緒に世界樹で留守番していた。
 世界樹に起こった異変で、樹とエルルの戦いに気付いて追いかけてきたのだろう。
 ソフィーは湖色の瞳に涙をため、樹を見下ろしている。
 ポタリと涙の雫が樹の頬に垂れた。
 樹は片手を上げて、ソフィーの桃色の頬をなぞる。

「死んでないから。むしろ君に押しつぶされて死ぬ……」
「え?! すいません!」

 樹は身体の上からソフィーを降ろすと、重い身体を起こした。
 まだ眠いが意識ははっきりしている。
 その時、世界樹の梢を揺らして強い風が吹いた。

『……ふむ。君ばかりが消耗しているのは不公平かな。助けられたことだし、借りは返しておこう』

 悪戯っぽく響く、天空神の声。
 樹にだけ聞こえるその声は、風と共に世界樹を吹き抜けた。
 途端に、変化が始まる。
 世界樹の黒く焼き焦げた幹からパラパラと古い木の皮が剥がれ、新しい枝が生え始めた。
 みるみる内に枝に葉が生い茂り世界樹の天蓋が再生される。

「……ラフテルの奴」
「?」
「なんでもない」

 世界樹の再生に伴って樹の消耗した力も元に戻る。
 眠気が遠ざかった。
 立ち上がってから樹はうーんと伸びをする。

「石にされた人達は元に戻ったのか?」
「まだ……」
「あいつ後始末する気がないんだな……」

 死の精霊エルルは石にした人々を元に戻していないらしい。
 全く人騒がせなと思いながら、樹は意識して光の翅を広げる。

「仕方ない。僕の方で元に戻しておくか」

 地上に意識を向けると無数の魔晶石がある。
 生命が封じ込めた石を確認しながら、樹ははたと気付いた。
 精霊が封じられた魔晶石も、人間が封じられた魔晶石も同じ魔晶石だ。見分けが付かない。

「まあ、いいよな。大は小を兼ねるってことで」

 細かい力の操作はまだ苦手だ。
 今後の課題だなと考えながら、世界樹の力を開放する。
 樹が空に手を伸ばすと同時に世界樹の枝葉は光輝いた。
 青々とした葉の先から、次々と光が雫になってしたたる。
 光の雫は地面に降り注いだ。
 
 世界樹は天空に浮かぶ島に立っている。
 きっと地上では、天空から流星のように光の雨が降っていることだろう。
 この光は人も精霊も等しく解放する。
 そして、すべての生命を祝福するのだ。




 地上はエターニアの王都ツェンベルン。
 王城の隠された部屋にあった世界樹へのゲートが開かれている。
 そのゲートの前で、智輝と結菜、英司と詩乃、アルファード王子と吸血鬼アルスが立っていた。
 彼等は樹とソフィーの帰りを待っているのだ。

「……あ!」

 アルファード王子が何かに気付いたように声を上げると、城のテラスへ駆け寄る。
 見上げた空には黒雲が割れて天使の梯子が降りている。
 青空が広がり、光の欠片が降ってきた。
 光の欠片は見渡す限りの大地に降りそそいでいる。

「花が……」

 見ている間に城の壁面に着地した光にあたり、城の壁を這う植物が動いた。
 蔦から新芽が伸び、白い小さな花が咲き始める。
 城の庭の木々や草も赤や黄色の花を咲かせ始めた。

『光の祝福です』

 青い鳥の姿をした精霊セレンティアが静かに言う。
 城の中に、街の通りにざわめきが起こった。
 目が覚めたように辺りを見回す人々。
 半透明な動物の姿をした精霊達が、次々と空へ飛び立っていく。
 人も精霊も皆、魔晶石から解放されたのだ。
 精霊達が風を起こすせいで、王城の庭の木々が揺れている。
 風に乗って花びらがひらひらと舞い踊った。

「綺麗……まるで、花の王国みたい」

 風に遊ぶ長い黒髪を押さえながら結菜が言う。
 彼女の言う通りだった。
 光が射し込んだ街は、緑と花で賑わい、風が花の匂いを運んでいる。
 それは夢のように美しい光景だった。

「……これは、何ということだ。生き返ったような気分だ。もしくは天国に来てしまったような」
「お祖父様!」

 髭を蓄えた男性を見つけて、アルファードが飛び付く。
 王族らしい老人はアルファードを見て目を丸くする。
 少年の頭を撫でながら老人は目を細めた。

「……カノン王はどこじゃ」
「……」

 その問いに英司は顔をしかめた。
 あの男も魔晶石から解放されたはずだが。

「彼には、聞かなければならないことがある」





 壁に穴が空いた神殿の中で、カノン王は目を覚ました。
 魔晶石に閉じ込められていた間の記憶はない。

「死の精霊、あいつはどこだ! 俺をこんな目にあわせてただじゃ済まないぞ!」

 カノン王は憤りながら神殿を出て、手近な神官を捕まえて状況を聞こうとする。
 慌ただしく往来する神官の一人に声を掛けた。
 神官は王の姿を見つけ、驚いた表情をした後、すぐに険しい顔つきになって叫んだ。

「皆、王が見つかったぞ!」
「捕まえろ!」

 味方だと思っていた神官や兵士にとり囲まれ、カノン王は狼狽した。

「ど、どうしたのだ。私だぞ? カノン王だぞ」
「存じておりますとも」

 周囲の神官や兵士の目は冷たい。

「貴方が神殿に閉じこもった後、神殿から黒雲が出てきて、皆、石になった。貴方が何かしたと考えるほうが自然です」
「な?! 私を疑うのか?」
「遠征部隊からの伝令の鳥で、王の行動は存じています。私達が何も分からない馬鹿な民衆だと見くびっておいでか」

 剣を突き付けられて、カノン王は一瞬ひるんだ。
 しかし、すぐにふてぶてしい顔になって笑う。

「ふん! 普通の人間が勇者に敵うものか。こいつらを切り捨てて旅に出てやる。今度は王を止めて冒険者になるのだ!」
「……妄想はそこまでにするんだな」

 抜剣しようとしたカノン王だが、その動作は途中で止まった。
 目に止まらぬ速さで、二本の細剣が首もとと顔の前に突き付けられる。
 それは王城から駆けつけた英司の氷の精霊武器だった。

「お前は俺達と一緒に地球に戻るんだ」
「はっ! 地球に戻るには天空神ラフテルに頼むしかないんだぞ?」

 カノン王は、樹の力で異世界と地球を行き来できると知らない。
 英司は鼻で笑う。

「他にも方法があるんだよ。でもまずは、地球に帰る前に、エターニアの人達に沢山謝ってもらおうか」

 細剣に撫でられた首の皮が切れて血が流れる。
 
「ひっ?!」
 
 カノン王は真っ青になって戦意を失った。
 魔道具の力で守られていたカノン王は流血に耐性が無い。
 英司に剣を突き付けられたまま、カノン王は縄で拘束され、引っ立てられていった。


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