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1章 追放までのあれこれ。
29 決断
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「久しぶりじゃのう。最後にあったのは婚約の儀だったか。あれからもうこんなに月日が経ってしまったのか。ワシも歳をとる訳じゃ」
ほっほっほ、と愉快そうに笑う姿は国王とどこかよく似た面差しを感じさせる。ゼウス王と同じ好々爺のような面差し。
それもそのはず、シリウス・ルイデミール大司教はその本名をシリウス・レーゼ・ルイデミール・アルメニアという。
アルメニア王国の名を冠する大司教はゼウス王の実弟なのだ。
久しぶりに会った大司教シリウス様は幾分か顔のシワの数が増え、前に会った時より白髪も増えていたが、その暖かな笑みは変わらないままだった。
シリウス様は今でこそ大司教であるが、その昔はゼウス王の家臣として忠誠を誓い、第一の臣下として王の元で騎士として名を馳せた。剣を手に敵を薙ぎ払うその姿は鬼と恐れられ、諸国でも要注意人物として警戒されていたという。
しかし騎士を勇退してからは今までの奮迅ぶりが嘘のようになりを潜め、メシーア教の敬虔な信徒となり、各地へ自ら出向き布教活動を行った。自身から見れば甥セラーイズルの婚約者である私のことも何かと気にかけてもらい、家族同然のように随分と可愛がってもらったものだ。
「今回は私の願いを聞き届けて下さり感謝の言葉もありません。シリウス様のお手を煩わすことになってしまい大変心苦しいのですが、どうしても私には必要な事だったのです」
「国外追放と聞いた時は心底驚いたが、聡いそなたの事だ。何か考えがあるのだろう。私はそなたの事を今でも可愛いもう一人の姪のように思っておる。ワシの力が役に立つなら存分に使うが良いぞ」
「ありがとうございます」
感謝の意を込めて再び頭を下げると、シリウス様はまた愉快そうに笑い声をあげた。
ひとしきり笑い終えたシリウス様は、私を手招きするとさらに奥の方へと進む。
誘われるがままに奥へと進むと、小さな泉が見えてきた。
先程聞こえた水の音の音源はこれだったらしい。
「――さて、アリーシャ嬢。神殿の中枢部分が何故こうなっているかというとな。エミュローズ神が創ったと言われる世界にミューズを行き渡らせる『神泉』の一部を選ばれた聖乙女メサイア様が持ち帰り、この地に注いだという。この地はかつて魔王との戦火により大地からミューズが失われ、枯れ果てていた。メサイア様はそれを不憫に思い、この地に神聖な泉の一部を持ち帰ったのだ。そしてその泉の水によりこの地は再び緑を取り戻し、やがてかつての栄華を取り戻した。それが主神メサイア様が築き上げたアルメニア王国だ」
そう言ってシリウス様はひとつの昔話をした。
元はミューズを守る番人だったミューズの結晶体の突然変異体ミューズ・フェリクス。人間の悪意に晒されたが故に変質し、魔王となったかの意思はかつてこの世界から人間を滅ぼそうとした。
ミューズの番人であるが故にミューズ素子を意のままに操ろうとする人間を、かの意思は『敵』と判断した。
しかし世界の総意は魔王を排除するために聖乙女を生んだ。
女神エミュローズの祝福を受けた彼女は世界の災厄となった魔王を退け、見事に役目を果たし世界に再びの平和をもたらした。
魔王にとって人間の負の心は力の糧となる。
魔王との戦いが終わり、ミューズが失われた荒れ果てた大地に住んでいた王国の人々の心は深く沈み、また当時情勢が不安定だったこの地では様々な人間の悪意が渦巻いていた。
負の感情の溜まり場となっていたこの地は魔王にとっては力を得るための絶好の場所だった。
人間の悪意に晒されたが故に魔王は人間の悪意を自らの糧とする。
しかし人間とは生き続ける限り負の心を生み出すものだ。
だからメサイアは信仰によってこの地から負の心を消そうとした。
聖乙女だった彼女はその力を駆使して少しずつこの地を浄化し、ついに全ての悪意を消し去ることに成功した。
聖乙女である彼女をこの地の人々は『メサイア神』と崇め敬った。
信仰によって新たな力を得たメサイアは、この地の人々に名を献上させ、自分と契約を交わす手段とした。
清き心を持つ破魔の力に長けた聖乙女の精神を分け与え、悪意を弾く力を授けたのだ。
この地に再び悪意が渦巻き、魔王復活の糧とならぬよう。
「――それが『神籍』の発端であり、かの聖乙女を国王としてアルメニア王国は誕生した。かの王は平和を心から愛していた。民とこの地を愛していた。ゆえに人々の心を裏から操ることになろうとも、この地を魔王復活の場とすることを良しとしなかったのだ」
それ自体に間違いはなかったのかもしれない。
実際、メサイアの施した『神籍』の契約により、この地は長きに渡る安寧と繁栄を得た。
今この場にある神殿の中枢部分のようにかつて荒れ果てた大地には緑が生い茂り、戦いにより一旦は更地と化した大地には今は多くの人々が住み着き、賑わいを見せる王都となった。
名を献上することで悪意を弾く加護を授け、人知れずこの地を戦乱から守ってきた『神籍』の契約。
しかしはたしてそれは本当に正しかったのか。
見続けた悪夢によりかつて世界に絶望し自らその生を終えようとした〝彼女〟は未だその願いを叶えられず苦しんでいる。
『神籍』という加護を得たために彼女は自殺することができなかった。
アリーシャは――彼女は死ぬことを望んでいる。
その苦しみに耐えきれず魂をふたつに分かち、今も尚苦しみ続けている。
片割れであるからこそ、その苦しみは私も理解できる。
だから私はここに来た。
アリーシャの苦しみを――終わらせるために。
メサイア神。
初代アルメニア王国の国王にして一番最初に生まれたという聖乙女。
世界は貴女を賞賛したかもしれない。その行いを誰もが讃えただろう。
貴女は世界の災厄を退けるという偉業を成し遂げた。信仰によって魔王の復活を食い止めた。
それは確かに讃えられるべきことなのかもしれない。
けれど。
でも。
私は貴女を許さない。もう一人の私を苦しめた救世主を、私は許さない。
だから私は貴女とは違うやり方で世界を救う。
魔王を退けることしかできなかった貴女とは違う方法で、魔王そのものを消してみせる。
『神籍』の加護はもういらない。
貴女に守ってもらわなくても、私は自分の足で歩いて行ける。
人とは本来自分の足で歩いていくものだから。
「――私は私のやり方で、世界を救う。だから貴女は要りません。わたしの名前を返して――メサイア・クレスト・アルメニア!」
私の叫びに呼応するように、泉の水が輪を描いた。
ほっほっほ、と愉快そうに笑う姿は国王とどこかよく似た面差しを感じさせる。ゼウス王と同じ好々爺のような面差し。
それもそのはず、シリウス・ルイデミール大司教はその本名をシリウス・レーゼ・ルイデミール・アルメニアという。
アルメニア王国の名を冠する大司教はゼウス王の実弟なのだ。
久しぶりに会った大司教シリウス様は幾分か顔のシワの数が増え、前に会った時より白髪も増えていたが、その暖かな笑みは変わらないままだった。
シリウス様は今でこそ大司教であるが、その昔はゼウス王の家臣として忠誠を誓い、第一の臣下として王の元で騎士として名を馳せた。剣を手に敵を薙ぎ払うその姿は鬼と恐れられ、諸国でも要注意人物として警戒されていたという。
しかし騎士を勇退してからは今までの奮迅ぶりが嘘のようになりを潜め、メシーア教の敬虔な信徒となり、各地へ自ら出向き布教活動を行った。自身から見れば甥セラーイズルの婚約者である私のことも何かと気にかけてもらい、家族同然のように随分と可愛がってもらったものだ。
「今回は私の願いを聞き届けて下さり感謝の言葉もありません。シリウス様のお手を煩わすことになってしまい大変心苦しいのですが、どうしても私には必要な事だったのです」
「国外追放と聞いた時は心底驚いたが、聡いそなたの事だ。何か考えがあるのだろう。私はそなたの事を今でも可愛いもう一人の姪のように思っておる。ワシの力が役に立つなら存分に使うが良いぞ」
「ありがとうございます」
感謝の意を込めて再び頭を下げると、シリウス様はまた愉快そうに笑い声をあげた。
ひとしきり笑い終えたシリウス様は、私を手招きするとさらに奥の方へと進む。
誘われるがままに奥へと進むと、小さな泉が見えてきた。
先程聞こえた水の音の音源はこれだったらしい。
「――さて、アリーシャ嬢。神殿の中枢部分が何故こうなっているかというとな。エミュローズ神が創ったと言われる世界にミューズを行き渡らせる『神泉』の一部を選ばれた聖乙女メサイア様が持ち帰り、この地に注いだという。この地はかつて魔王との戦火により大地からミューズが失われ、枯れ果てていた。メサイア様はそれを不憫に思い、この地に神聖な泉の一部を持ち帰ったのだ。そしてその泉の水によりこの地は再び緑を取り戻し、やがてかつての栄華を取り戻した。それが主神メサイア様が築き上げたアルメニア王国だ」
そう言ってシリウス様はひとつの昔話をした。
元はミューズを守る番人だったミューズの結晶体の突然変異体ミューズ・フェリクス。人間の悪意に晒されたが故に変質し、魔王となったかの意思はかつてこの世界から人間を滅ぼそうとした。
ミューズの番人であるが故にミューズ素子を意のままに操ろうとする人間を、かの意思は『敵』と判断した。
しかし世界の総意は魔王を排除するために聖乙女を生んだ。
女神エミュローズの祝福を受けた彼女は世界の災厄となった魔王を退け、見事に役目を果たし世界に再びの平和をもたらした。
魔王にとって人間の負の心は力の糧となる。
魔王との戦いが終わり、ミューズが失われた荒れ果てた大地に住んでいた王国の人々の心は深く沈み、また当時情勢が不安定だったこの地では様々な人間の悪意が渦巻いていた。
負の感情の溜まり場となっていたこの地は魔王にとっては力を得るための絶好の場所だった。
人間の悪意に晒されたが故に魔王は人間の悪意を自らの糧とする。
しかし人間とは生き続ける限り負の心を生み出すものだ。
だからメサイアは信仰によってこの地から負の心を消そうとした。
聖乙女だった彼女はその力を駆使して少しずつこの地を浄化し、ついに全ての悪意を消し去ることに成功した。
聖乙女である彼女をこの地の人々は『メサイア神』と崇め敬った。
信仰によって新たな力を得たメサイアは、この地の人々に名を献上させ、自分と契約を交わす手段とした。
清き心を持つ破魔の力に長けた聖乙女の精神を分け与え、悪意を弾く力を授けたのだ。
この地に再び悪意が渦巻き、魔王復活の糧とならぬよう。
「――それが『神籍』の発端であり、かの聖乙女を国王としてアルメニア王国は誕生した。かの王は平和を心から愛していた。民とこの地を愛していた。ゆえに人々の心を裏から操ることになろうとも、この地を魔王復活の場とすることを良しとしなかったのだ」
それ自体に間違いはなかったのかもしれない。
実際、メサイアの施した『神籍』の契約により、この地は長きに渡る安寧と繁栄を得た。
今この場にある神殿の中枢部分のようにかつて荒れ果てた大地には緑が生い茂り、戦いにより一旦は更地と化した大地には今は多くの人々が住み着き、賑わいを見せる王都となった。
名を献上することで悪意を弾く加護を授け、人知れずこの地を戦乱から守ってきた『神籍』の契約。
しかしはたしてそれは本当に正しかったのか。
見続けた悪夢によりかつて世界に絶望し自らその生を終えようとした〝彼女〟は未だその願いを叶えられず苦しんでいる。
『神籍』という加護を得たために彼女は自殺することができなかった。
アリーシャは――彼女は死ぬことを望んでいる。
その苦しみに耐えきれず魂をふたつに分かち、今も尚苦しみ続けている。
片割れであるからこそ、その苦しみは私も理解できる。
だから私はここに来た。
アリーシャの苦しみを――終わらせるために。
メサイア神。
初代アルメニア王国の国王にして一番最初に生まれたという聖乙女。
世界は貴女を賞賛したかもしれない。その行いを誰もが讃えただろう。
貴女は世界の災厄を退けるという偉業を成し遂げた。信仰によって魔王の復活を食い止めた。
それは確かに讃えられるべきことなのかもしれない。
けれど。
でも。
私は貴女を許さない。もう一人の私を苦しめた救世主を、私は許さない。
だから私は貴女とは違うやり方で世界を救う。
魔王を退けることしかできなかった貴女とは違う方法で、魔王そのものを消してみせる。
『神籍』の加護はもういらない。
貴女に守ってもらわなくても、私は自分の足で歩いて行ける。
人とは本来自分の足で歩いていくものだから。
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