悪役令息は楽したい!

匠野ワカ

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1. 社畜、異世界転生する

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「働きたくなーい!!」

 それは心からの叫びだった。


 俺、原田健介は、二十七歳という若さでこの世を去った。
 読書だけが唯一の趣味で、友だちも少なくコミュ障という我ながらパッとしない男だった。

 押しの弱い性格が災いして、ブラックな会社で都合のいい社畜として飼い慣らされてしまったのがすべての不幸の始まり。

 ある日の深夜、俺は会社のデスクで仮眠をとったまま目覚めることなく死んでしまったのだ。
 死因は過労死。有給どころか休日もろくになく、もはや会社で生活しているような状態だったのだから。


 こうして俺はあっけなく死んで、肉の体を脱ぎ捨て不確かな魂の状態になった。

 デスクに突っ伏す青白い顔の自分を見て、俺は生まれて初めて本気で願った。
 生まれて初めてっていっても、もう死んでるんだけど。とにかく願いに願った。


 もう絶対に、働きたくない、と。


 神さま。
 もしも生まれ変わることができるなら、ベッドの中で一日中ぐうたらして暮らしたいです! 起きたいときに起きて、ベッドから一歩も動かずにご飯を食べて、お腹がいっぱいになったらまた寝たい! そう、俺が願うのはナマケモノ生活! とにかく働きたくないんだよぉ!!

 この夢を叶えるには、働かなくてもいいだけの潤沢な不労所得か、生涯養ってくれる伴侶が必要だろう。
 年齢イコール恋人いない歴の俺は、不労所得を目指すしかない! 頼む! 金持ちの家に! 生まれ変わらせてくれ……っ!!



◇◇◇


 それからどれくらい経ったのだろうか。
 俺は、なにやら薄ぼんやりとした目覚めに、ぱちぱちと瞬きをくり返した。

 ここはどこだろう。
 真っ白な天蓋カーテンに囲まれた豪華なベッド。天井には、美術館に飾ってありそうな天使の絵が描かれている。
 体がちっとも自由に動かなくて、ふかふかのベッドから起き上がれない。声を出そうとしても、あぶあぶと意味の分からない喃語なんごしか出てこないのだ。
 ジタバタすると、自分の小さな手が目に入った。


 これはあれだ。生まれ変わったなと、俺は悟った。

 途中で覚醒するんじゃなくて、赤ちゃんからスタートするタイプの転生。前世の記憶持ち。
 だってこういうの、本でいっぱい読んだもん。
 歴史書から少女マンガ、海外ロマンス小説まで網羅していた俺の雑多な読書量が、生まれて初めて役に立つ予感。……まぁ、今まさに生まれたて状態なんだけどね。


「あら、お目覚めね」
「どれどれ。パパにもかわいい顔を見せておくれ」

 俺を覗きこんだのは、透けるような白い肌に金髪碧眼の美しい母と、銀髪を一つに束ねたこれまた眉目秀麗な父の顔。
 母に抱き上げられた俺は、目に飛びこんできた光り輝く豪華な室内に勝利を確信した。とりあえずモミジのような小さな手を握りしめて、腹の底から勝ち鬨を上げたね。

おんぎゃーやったー!おんぎゃーお金持ちおんぎゃーばんざーい!
「おお、元気な男の子だ。ナタリー、お前に似て、天使のようにかわいいな」
「もう、あなたったら。でも、本当にかわいい。ねぇあなた、この天使ちゃんに名前をつけてあげてくださいな」
「もちろんだとも。候補はいくつかあったんだが、顔を見たらすぐに決まったよ。この子の名前は、エリオットにしよう。すくすく育てよ、エリオット」


 美男美女の両親は、仲睦まじく俺を挟んでキスをしている。
 パッとしない人間代表みたいな俺なんかがこの人たちの子どもになっちゃって、なんだか申し訳ない気がしてきた。
 なんとか屋敷の片隅に置いてもらえるように、せめていい子にしていよう。

 俺はまだ自由に動かない手足の代わりに、きょろきょろと目を動かした。

 中世ヨーロッパのお城のような部屋だ。数人の侍女と、侍女のスカートに隠れるようにして美少年がこちらを見ている。
 父親と同じ銀髪に、青紫色の瞳。きっと兄だな。

 俺はさっそく愛嬌を振りまくことにした。この家を継ぐであろう兄には、気に入られたほうが安泰だ。

「あば。あばぁ。んきゃ」

 いちゃついていた両親は、ご機嫌な俺の視線の先に気がつき、すぐに少年を呼び寄せた。

「アルフレィド、こちらにおいで。弟のエリオットだよ」
「大丈夫? 泣かない?」
「ははは、赤ちゃんは泣くのが仕事だからね。エリオット、紹介しよう。この小さな騎士が、歴史あるウォールコール侯爵家の長男で、お前の兄のアルフレィドだよ」

 なるほど侯爵ということは貴族なのだろう。
 お貴族さまの次男。生活の保障はされたも同然! むふーと鼻息が荒くなる俺の脳裏に、ふと何かが引っかかった。


 ウォールコール侯爵家、銀髪、青紫色の瞳、美しいアルフレィド……。

 覚えがあるぞ。
 たしか俺が読んでいた本の登場人物に、アルフレィド・フィン・ウォールコールという騎士がいたのだ。容姿の描写もぴったり一致する。

 その本のタイトルは『聖女が恋に落ちたとき』という、異世界転移の王道恋愛小説だった。
 ……まさか俺なんかが、物語の登場人物に転生しちゃったパターンのやつ?

 いやいやいや、だって、物語の中のウォールコール侯爵家の騎士といえば、聖女さまに横恋慕してフラれちゃう当て馬役だもの。
 主人公である聖女さまのお相手は、王道らしく皇太子さま。……この国宝級に美しい少年が大人になった未来でフラれちゃうとか、ありうるの!? 皇太子とやらはいったいどんな容姿してんだ!? 人間なのか怪しいぞ!? 物語の世界、恐ろしいな!?

 俺は不憫な兄を慈愛の眼差しで見上げた。何も知らない兄は、不思議そうな顔で俺を覗きこんでいる。

「ママの小さな騎士さん、エリオットを抱っこしたくなぁい?」
「いいの?」

 パッと笑顔になった兄は、おっかなびっくりな手つきで俺を抱きしめた。

 生まれてすぐにうっかり落とされて死にたくはない。俺はじっと動かずに、兄の頼りない腕の中に収まっておくことにした。

 兄の顔は、至近距離で見ても美しかった。
 鼻の下から見上げるこの角度って、普通ならブスに見えるもんなんじゃないの? 美男美女の遺伝子すごい。死角のない美しさ。もはや美の凶器。遠慮なく堪能させていただきます!

「うふふ。エリオットはお兄ちゃんが好きなのね」
「本当だね。さっきはパパを見て泣いたのになぁ」
「こんにちは。僕のかわいい弟くん」
「んあばー。あきゃきゃ」

 とはいうものの、ここが本当に俺の知っている物語の世界なのか、今はまだ確かめようがない。答えの出ないことを考えてもしかたないと、俺は赤ちゃんらしく愛嬌を振りまいておくことにした。

 だってお金持ち家族が不仲だと、家督争いで骨肉の争いになって命を落とすと相場が決まっているじゃないか。俺は野望も何もない良い子です! ちょっと楽をしたいだけ! 平和が一番!


 こうしてお貴族さまの子どもとして生まれ変わった俺は、すくすくと育っていくのでした。……と、いいたいところなんだけど、俺、すごく大事なことを思い出してしまった。

 たしかアルフレィドの弟っていったら、できのいい兄に何一つ敵わない病弱な弟がいたんだよね。

 プライドばかり高くて性格がねじ曲がってて、兄が振られたことで聖女に興味を持って自分もまんまと惚れちゃうような、頭の悪いヤンデレ悪役令息。
 聖女に悪質なストーキング行為をくり返したあげく逆恨みして謀反を企て、処刑されちゃう弟。

 その名もエリオット。

 最期は騎士の兄に切り殺されちゃうんだよねぇぇ! 
 そんなの、だめだめだめっ! 長生きして、ぐうたら生活をいっぱい楽しまなきゃ!


 赤ちゃんの俺は決意した。
 悪役令息になんかならないぞ。ナマケモノ生活のために、処刑コースになんか近付かない。なんなら兄が聖女に惚れちゃうところから阻止できないか頑張ってみよう。

 とにかく危険要素を排除して、平穏な生活を目指すのだ! 俺だって、本気で頑張ればなんとか阻止できるはず……っ!


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