7 / 61
3.出立
②
しおりを挟む
『誰かと心を通わせたい』
リオンは今までずっとそう願ってきた。
けれどオメガであるリオンは生まれたときから差別の対象だった。
子供の頃は気の毒そうな視線を送ってくれた村人も数人いたが、リオンが発情期を迎えてからはその人たちからも避けられるようになった。もちろん友達が出来たこともない。小さな村の中、リオンには本当に母親しかいなかった。
だけどその母親もいない。もうこの世には、自分を愛したり大事にしてくれる人などいないのだ。
誰にも相手にされず、愛されず、ただひっそりと独りで生きていくだけ。それが卑しいオメガの自分にお似合いの人生。
自分なりに折り合いをつけて諦めていたはずなのに、ふいに途方もない寂しさが襲ってきた。リオンは深く俯き、手のひらをぐっと握りしめた。
突然馬車の入り口の扉が開いたのはそのときだ。
「え……?」
驚いて顔を上げると、クレイドが入り口のところに立っているのが見えた。エルが驚いたように立ち上がる。
「クレイド隊長? どうかされましたか?」
「エル、すまないが少しだけ交代してくれ」
「え? 交代ですか?」
「リオン様のそばには私が付く。エルは荷馬車の方に回ってくれ」
「はい、わかりましたが……」
エルは戸惑ったような顔のまま馬車から降りてゆき、代わりにクレイドが大きな体を丸めるようにして乗り込んでくる。
「クレイド? どうしたの? 外で何かあった?」
「いえ、何もないのですが……。今日だけ私もこちらに乗せてもらうことにしました」
「え? 今日だけ? でもさっき――」
馬に乗っていくと言っていたのではないか。と、言いかけて口を噤んだ。
(もしかして僕が寂しいと思って来てくれたとか? ……ううん、そんなわけはないよね)
また都合良く考えてしまう自分を諫めるように、リオンは内心で首を振った。
自分は何もしなくても他人を苛立たせてしまう人間なのだ。期待するのはよそう。それに、これ以上馴れ馴れしくしてクレイドにまで嫌われたくはない。
やがて外から号令の声が聞こえ、ゆっくりと馬車が走り出す。
リオンは窓の外に顔を向けた。
母親と暮らした小さな家が遠くなっていく。一緒に薬草を探した裏山、夏に水浴びをした小川……。辛い思い出もあるが、やはりリオンにとって、ここはかけがえのない故郷だった。
(もうここには戻ることはないのだな……)
寂しい思いで窓の外の景色を見ていると、隣に座ったクレイドが静かに口を開いた。
「我が国のずっと南の方には、春の初めに丘一面水色の花で覆われる有名な名所があります」
「え?」
突然はじまった話に、リオンはクレイドの方を振り向いた。
「夏には北の方から運んできた氷を切り出して王都の店で売り出すのです。氷を食べたことは?」
「あ、ええと、ないけど」
「そうですか。細かく削って、花の蜜を掛けて食べると驚くくらいにうまい。秋には王都の近くの森が紅葉で一斉に赤く染まります。まるで燃え盛る炎のようで、夕焼けの中で見ると、息を呑むほどの迫力です」
「それは確かに……想像しただけで美しい風景だね」
「ええ、そうなんです。それに冬には、王都の広場近くの湖に厚い氷が張ります。滑走靴の貸し出しがされて、王都の住民たちはスケートを楽しみます。練習をすれば、きっとリオン様もすぐに滑れるようになります」
クレイドがこちらを向いた。じっとリオンの目を覗き込んでくる。
「ノルツブルクはこの国と比べたら小国ですが、美しい所も楽しいこともたくさんあります。すぐには無理ですが、いつか私が連れて行きましょう」
「え……」
リオンはようやく気が付いた。
(もしかして、僕を励まそうとしてくれてる?)
出発のときに、村長に冷たく突き放されたところを見ていたのかもしれない。落ち込んでいるのを察して、クレイドなりに元気づけようといろいろな話をしているのだろう。
そう気が付くと気持ちが温かくなってきた。
「ありがとう、クレイド」
「……いえ」
照れているのかクレイドが一気に仏頂面になった。思わず笑いが漏れそうになる。
クレイドは騎士らしく落ち着いていて喜怒哀楽が表情に出ない。表情もあまり変わることもなく淡々とした印象が強い。だけど数日間誰よりもそばにいたリオンはわかった。クレイドは優しい。いつもリオンの気持ちを理解してくれて、さりげなく助けてくれる。
クレイドのおかげで緊張で強張っていた肩のあたりが楽になった。それからリオンは、だいぶリラックスした気分で過ごすことが出来た。
馬車は見たことのない景色の中を走っていく。牧歌的な草原や深い森、見たことのない大きな村。馬車の窓から見える景色は物珍しくて本の挿絵のようだ。
最初はどうなることかと思えた旅路だったが、リオンはとても丁重に扱われた。
長距離の移動なので基本的に昼間は休まずに移動するし夜間は野営だが、就寝時には天幕が張られる。垂れ幕を何重かに重ねただけの空間だが、リオンに当てられた場所には分厚い絨毯が二重に敷かれ、なかなかの寝心地だった。
食事も質素ながら三食きちんと出され、ずっと食うや食わずの生活だったリオンにとってはこれ以上のないほどの待遇だ。
残念なことにクレイドが一緒に馬車に乗ってくれたのは旅が始まった初日だけだったが、食事の時間と夜寝る前にはかならず顔を見に来てくれる。
相変わらず側で仕えるエルは冷ややかな態度だったが、クレイドと過ごす時間があるから耐えることが出来た。
そんな日々が五日ほど続き、ノルツブルク王国への道程の約半分がようやく過ぎたころのことだ。
リオンは今までずっとそう願ってきた。
けれどオメガであるリオンは生まれたときから差別の対象だった。
子供の頃は気の毒そうな視線を送ってくれた村人も数人いたが、リオンが発情期を迎えてからはその人たちからも避けられるようになった。もちろん友達が出来たこともない。小さな村の中、リオンには本当に母親しかいなかった。
だけどその母親もいない。もうこの世には、自分を愛したり大事にしてくれる人などいないのだ。
誰にも相手にされず、愛されず、ただひっそりと独りで生きていくだけ。それが卑しいオメガの自分にお似合いの人生。
自分なりに折り合いをつけて諦めていたはずなのに、ふいに途方もない寂しさが襲ってきた。リオンは深く俯き、手のひらをぐっと握りしめた。
突然馬車の入り口の扉が開いたのはそのときだ。
「え……?」
驚いて顔を上げると、クレイドが入り口のところに立っているのが見えた。エルが驚いたように立ち上がる。
「クレイド隊長? どうかされましたか?」
「エル、すまないが少しだけ交代してくれ」
「え? 交代ですか?」
「リオン様のそばには私が付く。エルは荷馬車の方に回ってくれ」
「はい、わかりましたが……」
エルは戸惑ったような顔のまま馬車から降りてゆき、代わりにクレイドが大きな体を丸めるようにして乗り込んでくる。
「クレイド? どうしたの? 外で何かあった?」
「いえ、何もないのですが……。今日だけ私もこちらに乗せてもらうことにしました」
「え? 今日だけ? でもさっき――」
馬に乗っていくと言っていたのではないか。と、言いかけて口を噤んだ。
(もしかして僕が寂しいと思って来てくれたとか? ……ううん、そんなわけはないよね)
また都合良く考えてしまう自分を諫めるように、リオンは内心で首を振った。
自分は何もしなくても他人を苛立たせてしまう人間なのだ。期待するのはよそう。それに、これ以上馴れ馴れしくしてクレイドにまで嫌われたくはない。
やがて外から号令の声が聞こえ、ゆっくりと馬車が走り出す。
リオンは窓の外に顔を向けた。
母親と暮らした小さな家が遠くなっていく。一緒に薬草を探した裏山、夏に水浴びをした小川……。辛い思い出もあるが、やはりリオンにとって、ここはかけがえのない故郷だった。
(もうここには戻ることはないのだな……)
寂しい思いで窓の外の景色を見ていると、隣に座ったクレイドが静かに口を開いた。
「我が国のずっと南の方には、春の初めに丘一面水色の花で覆われる有名な名所があります」
「え?」
突然はじまった話に、リオンはクレイドの方を振り向いた。
「夏には北の方から運んできた氷を切り出して王都の店で売り出すのです。氷を食べたことは?」
「あ、ええと、ないけど」
「そうですか。細かく削って、花の蜜を掛けて食べると驚くくらいにうまい。秋には王都の近くの森が紅葉で一斉に赤く染まります。まるで燃え盛る炎のようで、夕焼けの中で見ると、息を呑むほどの迫力です」
「それは確かに……想像しただけで美しい風景だね」
「ええ、そうなんです。それに冬には、王都の広場近くの湖に厚い氷が張ります。滑走靴の貸し出しがされて、王都の住民たちはスケートを楽しみます。練習をすれば、きっとリオン様もすぐに滑れるようになります」
クレイドがこちらを向いた。じっとリオンの目を覗き込んでくる。
「ノルツブルクはこの国と比べたら小国ですが、美しい所も楽しいこともたくさんあります。すぐには無理ですが、いつか私が連れて行きましょう」
「え……」
リオンはようやく気が付いた。
(もしかして、僕を励まそうとしてくれてる?)
出発のときに、村長に冷たく突き放されたところを見ていたのかもしれない。落ち込んでいるのを察して、クレイドなりに元気づけようといろいろな話をしているのだろう。
そう気が付くと気持ちが温かくなってきた。
「ありがとう、クレイド」
「……いえ」
照れているのかクレイドが一気に仏頂面になった。思わず笑いが漏れそうになる。
クレイドは騎士らしく落ち着いていて喜怒哀楽が表情に出ない。表情もあまり変わることもなく淡々とした印象が強い。だけど数日間誰よりもそばにいたリオンはわかった。クレイドは優しい。いつもリオンの気持ちを理解してくれて、さりげなく助けてくれる。
クレイドのおかげで緊張で強張っていた肩のあたりが楽になった。それからリオンは、だいぶリラックスした気分で過ごすことが出来た。
馬車は見たことのない景色の中を走っていく。牧歌的な草原や深い森、見たことのない大きな村。馬車の窓から見える景色は物珍しくて本の挿絵のようだ。
最初はどうなることかと思えた旅路だったが、リオンはとても丁重に扱われた。
長距離の移動なので基本的に昼間は休まずに移動するし夜間は野営だが、就寝時には天幕が張られる。垂れ幕を何重かに重ねただけの空間だが、リオンに当てられた場所には分厚い絨毯が二重に敷かれ、なかなかの寝心地だった。
食事も質素ながら三食きちんと出され、ずっと食うや食わずの生活だったリオンにとってはこれ以上のないほどの待遇だ。
残念なことにクレイドが一緒に馬車に乗ってくれたのは旅が始まった初日だけだったが、食事の時間と夜寝る前にはかならず顔を見に来てくれる。
相変わらず側で仕えるエルは冷ややかな態度だったが、クレイドと過ごす時間があるから耐えることが出来た。
そんな日々が五日ほど続き、ノルツブルク王国への道程の約半分がようやく過ぎたころのことだ。
80
あなたにおすすめの小説
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟第10回BL小説大賞(2022年)奨励賞。2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞での応援ありがとうございました!
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
出来損ないΩの猫獣人、スパダリαの愛に溺れる
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
【完結】末っ子オメガ
鉾田 ほこ
BL
「晴にいさま、大好き」
アルファばかりのエリート一家の四人兄弟の末っ子に生まれた 亜季。
思春期の第二性検査を受けるまで、誰もがアルファだと信じて疑っていなかったが、結果は「オメガ」だった。確かに他の息子たちに比べて、身体も小さく、性格もおっとりしていた末っ子オメガ。親戚を含めてアルファばかりで、オメガがいないゆえに扱いがわからない。
だが、はじめは家族の誰一人として末っ子がオメガであることを疎むことなく可愛がっていた。
ある日、転機が訪れる──
末っ子オメガに発情期(ヒート)が訪れ、事故が起こってしまう。それを理由に亜季はひとり家族と離れて暮らすことになった。
そして末っ子は──男娼になって……長男 晴臣と再会する。
すれ違いオメガバース。
回帰したシリルの見る夢は
riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。
しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。
嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。
執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語!
執着アルファ×回帰オメガ
本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます。
物語お楽しみいただけたら幸いです。
***
2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました!
応援してくれた皆様のお陰です。
ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!!
☆☆☆
2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!!
応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。
獣人王と番の寵妃
沖田弥子
BL
オメガの天は舞手として、獣人王の後宮に参内する。だがそれは妃になるためではなく、幼い頃に翡翠の欠片を授けてくれた獣人を捜すためだった。宴で粗相をした天を、エドと名乗るアルファの獣人が庇ってくれた。彼に不埒な真似をされて戸惑うが、後日川辺でふたりは再会を果たす。以来、王以外の獣人と会うことは罪と知りながらも逢瀬を重ねる。エドに灯籠流しの夜に会おうと告げられ、それを最後にしようと決めるが、逢引きが告発されてしまう。天は懲罰として刑務庭送りになり――
策士オメガの完璧な政略結婚
雨宮里玖
BL
完璧な容姿を持つオメガのノア・フォーフィールドは、性格悪と陰口を叩かれるくらいに捻じ曲がっている。
ノアとは反対に、父親と弟はとんでもなくお人好しだ。そのせいでフォーフィールド子爵家は爵位を狙われ、没落の危機にある。
長男であるノアは、なんとしてでものし上がってみせると、政略結婚をすることを思いついた。
相手はアルファのライオネル・バーノン辺境伯。怪物のように強いライオネルは、泣く子も黙るほどの恐ろしい見た目をしているらしい。
だがそんなことはノアには関係ない。
これは政略結婚で、目的を果たしたら離婚する。間違ってもライオネルと番ったりしない。指一本触れさせてなるものか——。
一途に溺愛してくるアルファ辺境伯×偏屈な策士オメガの、拗らせ両片想いストーリー。
愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます
まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。
するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。
初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。
しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。
でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。
執着系α×天然Ω
年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。
Rシーンは※付けます
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
Xアカウント(@wawawa_o_o_)
巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】
晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。
発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。
そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。
第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる